婚約破棄、あざーす!悪役令嬢は田舎へ飛びたい。

パリパリかぷちーの

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「モナ・バーンズ! 貴様のような性悪女との婚約は、今この時をもって破棄する!」

王城の大広間、シャンデリアが煌めく舞踏会の最中。

音楽がかき消されるほどの怒声が響き渡った。

声の主は、この国の王太子であるカイル殿下。

金髪碧眼、絵に描いたような王子様だが、今はその顔を真っ赤にして私を指差している。

その隣には、小動物のように震える男爵令嬢、リリナ様の姿。

カイル殿下は彼女の肩を抱き寄せ、私を睨みつけた。

「リリナへの陰湿な嫌がらせの数々、もはや看過できん! 恥を知れ!」

周囲の貴族たちがざわめき始める。

「おい、始まったぞ……」

「公爵令嬢の断罪だ」

「やはり噂は本当だったのか」

扇子で口元を隠した令嬢たちが、面白おかしく視線を交わす。

好奇と嘲笑の眼差し。

普通の十八歳の令嬢ならば、屈辱に顔を覆って泣き崩れる場面だろう。

あるいは、必死に無実を訴えて縋り付くか。

けれど、私は違った。

(……やっと、来た!)

心の中で、ガッツポーズを決める。

表情筋はピクリとも動かさず、あくまで冷静沈着な「悪役令嬢」の仮面を被ったまま。

私はゆっくりと扇子を閉じ、優雅に一礼した。

「――謹んで、お受けいたします」

「なっ……?」

予想外の反応だったのか、カイル殿下が間の抜けた声を上げる。

「き、貴様……悲しくはないのか? 王太子の婚約者という立場を失うのだぞ!」

「ええ、微塵も。むしろ感謝申し上げたいくらいですわ」

私は澄ました顔で答えた。

嘘ではない。

王太子の婚約者という地位。

それは一般的に見れば、女性の幸せの頂点かもしれない。

将来の国母、栄華を極める道。

だが、私、モナ・バーンズにとっては違った。

それはただの「激務」であり、「ブラック労働」以外の何物でもなかったからだ。

十歳で婚約して以来、私の生活は地獄だった。

王妃教育という名の詰め込み学習。

カイル殿下が放り出す公務の代行。

予算管理、陳情の整理、果ては殿下の女性関係の尻拭いまで。

私の青春はすべて、書類と電卓とストレスに捧げられてきたのだ。

「か、感謝だと……? 強がりを言うな!」

「強がりではありません。殿下、先ほど『破棄する』と仰いましたね? それは王命に等しい宣言と受け取ってよろしいですね?」

「あ、ああ。二言はない!」

「言質、いただきました」

私は懐から、あらかじめ用意していた分厚い封筒を取り出した。

ずしりと重い、羊皮紙の束だ。

それをカイル殿下の前に突きつける。

「な、なんだこれは……」

「退職……いいえ、婚約破棄に伴う精算書類一式です」

「精算……?」

「はい。まずはこちら、一ページ目をご覧ください」

私は書類を開き、指先で項目をなぞる。

「慰謝料。これは殿下からの有責による破棄ですので、相場の満額を請求させていただきます。リリナ様との不貞行為の証拠は、日付・場所入りですべて揃えてありますので」

「ふ、不貞だと!? これは真実の愛で……!」

「法的には不貞です。次、二ページ目。こちらが未払い労働賃金の請求書になります」

「……は?」

カイル殿下だけでなく、リリナ様もポカンと口を開けた。

周囲のざわめきすら、一瞬止まる。

私は構わず、事務的な口調で続ける。

「過去八年間、私が殿下の代わりに処理した公務の件数は、合計で三千四百二十件。これを王宮の文官の平均時給で換算し、さらに深夜残業、休日出勤の割増賃金を加算しました」

「ちょ、ちょっと待てモナ! 何を言っている!?」

「さらに、こちらが経費の精算です。殿下がリリナ様に贈られたドレスや宝石、これらはすべて王家の予算ではなく、なぜか私の私費から立て替えられておりました。領収書はすべて保管してあります。もちろん、利子をつけて請求させていただきます」

私は淡々とページをめくる。

めくるたびに、カイル殿下の顔色が青ざめていくのがわかった。

「そ、そんな……お姉様、酷いです! カイル様はお金の話なんて……」

リリナ様が涙目で訴えてくる。

その瞳は潤み、庇護欲をそそる可愛らしさだ。

だが、私の「ドケチセンサー」は微動だにしない。

「リリナ様。貴女が着ているそのドレス、先月の夜会で私が『予算オーバーです』と却下したものではありませんか?」

「えっ……」

「その首飾りもそうです。王家の財政状況をご存知ないようですが、現在、北部の飢饉対策で予算は逼迫しております。そんな中、私の財布から出た金で着飾って、愛を語る。……なかなかどうして、太い神経をお持ちのようで」

「ひっ……」

私の冷ややかな視線に、リリナ様がカイル殿下の背後に隠れる。

「モ、モナ! リリナをいじめるな!」

カイル殿下が吠えるが、その声には先ほどまでの威勢がない。

「いじめてなどおりません。事実確認です。……さて、殿下。合計金額はこちらになります」

私は最後のページ、赤字で大きく書かれた数字を指し示した。

「ごっ……!?」

金額を見た瞬間、カイル殿下が絶句する。

城が一つ買えるほどの金額だ。

「お支払いは一括で。もし遅れるようでしたら、実家のバーンズ公爵家を通じて、国庫からの差し押さえ手続きに入らせていただきます」

「待て! 待ってくれ! こんな大金、俺の個人資産で払えるわけがないだろう!」

「でしたら、陛下にご相談なさいませ。きっと、素晴らしい『教育的指導』がいただけると思いますよ?」

にっこりと、私は営業用のスマイルを浮かべた。

完璧な角度、完璧な美しさ。

しかし目は笑っていない自信がある。

「き、貴様……金か! 結局、金なのか!」

「ええ、金です。愛が冷めたあとに残るものは、契約と金だけですので」

会場が静まり返る中、私の声だけが朗々と響く。

「それでは殿下、リリナ様。どうぞお幸せに。私はこれにて『退職』させていただきます!」

私は優雅に書類を殿下の胸に押し付けると、踵を返した。

ドレスの裾を翻し、出口へと向かう。

足取りは羽が生えたように軽い。

(終わった……! 終わったわ!)

明日からは、朝五時に起きて殿下のスケジュールを確認しなくていい。

山のような書類に埋もれて、肌荒れを気にする日々ともおさらばだ。

これからは、貰った慰謝料で田舎に引きこもり、悠々自適なスローライフを送るのだ。

家庭菜園でハーブを育て、読書をして、昼まで寝る。

そんな夢のような生活が待っている。

(あざーす! 婚約破棄、あざーす!!)

心の中で歓喜のダンスを踊りながら、私は大広間の扉に手をかけた。

その時だった。

「――待ちたまえ」

低く、けれどよく通る声が私を呼び止めたのは。

「……?」

カイル殿下ではない。

もっと落ち着いた、絶対零度を思わせる冷ややかな声。

嫌な予感がして振り返ると、そこには一人の男性が立っていた。

漆黒の髪に、凍てつくような氷の瞳。

全身から放たれる威圧感だけで、周囲の人間を遠ざけているような人物。

国王陛下の弟君であり、この国で唯一、公爵位を持つ男。

アレクシス・ミランド公爵。

通称、「氷の公爵」様だ。

(……なんでしょう、このラスボス感)

関わり合いになりたくない人物ナンバーワンである。

私は努めて愛想よく、首を傾げた。

「何か? アレクシス様」

彼は私の方へと歩み寄ってくる。

その一歩ごとに、周囲の令嬢たちが悲鳴を上げて道を開ける。

私の目の前で立ち止まった彼は、無表情のまま私を見下ろした。

そして、信じられない言葉を口にしたのだ。

「その計算能力……見事だ」

「……はい?」

「無駄のない動き、的確な証拠保全、そして容赦のない取り立て。実に合理的だ」

「はあ……恐縮です」

褒められているのだろうか。

それとも、皮肉だろうか。

アレクシス様は、私の手元にある計算機代わりの小さな手帳をチラリと見て、続けた。

「我が家に来い」

「……へ?」

「俺の屋敷の管理を任せたい。今の王太子には、君の能力は過ぎた代物だ」

それは、まさかのヘッドハンティングだった。

しかも、あの氷の公爵様からの。

周囲が再び、さっきとは別の意味でざわめき始める。

「え、あの人間嫌いの公爵様が?」

「まさか、求婚?」

「いや、どう見ても業務連絡だろう」

私は瞬時に頭を回転させた。

公爵家の管理。

それはつまり、王太子の婚約者時代と同じような激務が待っているということではないか?

「お断りします」

私は即答した。

「慰謝料で悠々自適に暮らす予定ですので。再就職の意思はありません」

きっぱりと言う私に、アレクシス様は眉一つ動かさず、懐から小切手帳を取り出した。

さらさらとペンを走らせ、私に渡す。

そこに書かれた金額を見て、私の目は釘付けになった。

(……ゼロが、一つ多い?)

「年俸だ。もちろん、住み込みで衣食住は保証する。福利厚生も万全だ。残業代も出す」

「……」

「足りないか?」

「……いえ、十分すぎます」

ゴクリ、と喉が鳴る。

田舎でのスローライフも魅力的だ。

だが、目の前に提示されたのは、一生遊んで暮らせるほどの超高額年俸。

私の「守銭奴魂」が、激しく揺さぶられる。

(いや、待てモナ。金に目がくらんで自由を失うのか? でも、この条件……正直、王太子の婚約者時代の百倍は良い)

葛藤する私を見透かしたように、アレクシス様はトドメの一言を放った。

「君の好きなようにやっていい。屋敷の不用品を売ろうが、経費を削減しようが、浮いた分はすべて君のボーナスにして構わない」

「契約成立です!!」

私はアレクシス様の手をガッチリと握りしめた。

「公爵様! いえ、ボス! 本日からお世話になります!」

「……うむ」

アレクシス様が、ほんの少しだけ口元を緩めた気がした。

こうして私は、婚約破棄からわずか数分で、氷の公爵家への「再就職」を決めたのだった。

背後でカイル殿下が「え、ちょ、叔父上!?」と叫んでいたが、もはや雑音にしか聞こえなかった。
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