「おめでとうございます、婚約破棄ですね!」

パリパリかぷちーの

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「開演まで、あと三百秒。閣下、ネクタイの結び目が右に二ミリずれていますわ。これでは空気抵抗が増し、エスコートの際の滑らかさが零・五パーセント損なわれます」

私は鏡の前で、正装に身を包んだアルリック閣下の襟元に手を伸ばした。

仕立て屋で選んだ金色のドレスは、私の計算通り、会場の魔石照明を反射して最も効率的に「主役」としての存在感を放っている。

だが、私の指先は、自分でも驚くほどに微かに震えていた。

「ラジーナ。二ミリのずれなど、私の愛で補ってみせる。それよりも、貴様のその心拍音……。扉の外まで聞こえてきそうだぞ」

閣下が私の手の上に、自身の大きな手を重ねる。

その温もりが、私の冷えた指先を「最適温度」へと引き上げていく。

「これは、会場の熱気による予備的な代謝の上昇ですわ。決して、緊張という非論理的な感情のせいではありません」

「フ……。相変わらず嘘が下手だな。だが、その強がりも計算のうちだ。さあ、行こう。この領地の、そして貴様の新しい時代の幕開けだ」

重厚な扉が、左右対称に、かつ一秒の狂いもなく開かれた。

会場に足を踏み入れた瞬間、数百人の貴族たちの視線が、レーザー光線のように私たちに集中した。

「……見ろ、あれがガレット公爵令嬢か?」

「悪役令嬢と聞いていたが……なんて神々しいんだ。あのドレスの輝き、計算し尽くされているのか?」

周囲の囁き声は、私の聴覚デバイス(地獄耳)にすべて「賞賛」のデータとして蓄積されていく。

私は背筋を伸ばし、閣下の腕にそっと手を添えながら、会場の動線を鋭くチェックした。

(よし。シャンパンの提供速度、完璧。給仕たちの歩行間隔、三メートルを維持。ゲストたちの回遊率も、私の設計したシミュレーション通りですわ)

「閣下。見てください。あちらのビュッフェコーナー。行列が一切発生していません。料理の配置を栄養素と摂取しやすさで分類した結果、一人当たりの滞留時間を平均十五秒短縮することに成功しましたわ」

「ああ。おかげで、皆の顔に『待ち時間のイライラ』という名の不快な陰りがない。……贅沢を効率化すると、これほどまでに心地よい空間になるのだな」

閣下は満足げに頷くと、会場の中央へと私を導いた。

そこでは、周辺領地から集まった有力な貴族たちが、驚愕の表情で私たちを待ち構えていた。

「ヴォルフラム公爵! これは一体どういう魔法ですかな? この規模の舞踏会で、これほどまでに淀みなく、かつ優雅に時間が流れるのを私は見たことがない!」

一人の年老いた伯爵が、感嘆の声を上げた。

「魔法ではありません、伯爵。すべては、私の隣にいるラジーナの『最適化』の成果です。彼女は、我が領地の混沌に秩序をもたらす、最も美しい算式なのです」

閣下は誇らしげに言い放つ。

私は優雅に(かつ消費エネルギーを最小限に抑えた角度で)カーテシーを捧げた。

「皆様。お褒めに預かり光栄ですわ。ですが、本番はこれからです。本日のプログラムは、皆様の幸福指数を最大化すべく、一分一秒まで徹底的に管理されておりますの。どうぞ、時間の概念を忘れるほどの『最高効率の享楽』をお楽しみください」

私の宣言と共に、楽団が第一音を奏でた。

そのタイミングは、私が合図を出したコンマ数秒後。

音の広がり、残響時間、すべてが会場の建築構造に最適化されている。

「……ラジーナ。そろそろ、我々の出番だな」

閣下が私の手を、そっと引き寄せた。

「はい、閣下。私の筋肉の柔軟性は最高潮、視覚センサーによる閣下との距離測定も完了しております。……世界で最も無駄のないダンス、披露いたしますわ」

「いいや。世界で最も『愛に溢れた』ダンスだ。……数式では測れない私の情熱に、どこまでついてこられるかな?」

閣下の銀色の瞳が、挑発的に光った。

私の心拍数は、ついに計測不能な領域へと突入する。

(……。……。ダメですわ。閣下の表情の変化という名の『不確定要素』が、私の脳内CPUをオーバーヒートさせようとしています……!)

私は顔が熱くなるのを必死に抑え、最初の一歩を踏み出した。

舞踏会の開始は、秒読み。

私の、そして私たちの運命の回転(ワルツ)が、今、完璧な軌道を描き始めた。
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