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「ラブコメの神髄は『日常のふとした瞬間』にこそ宿るものよ」
王宮の大図書室。
天井まで届く巨大な本棚が立ち並ぶ知識の森で、私は拳を握りしめました。
私の隣には、呆れ顔のキース様が立っています。
「……で? 今日は何をするつもりだ」
「決まっているでしょう。恋愛小説における至高のイベント、『高いところの本が取れないヒロインを背後から助ける王子様』を発生させるのです!」
私は鼻息荒く宣言しました。
昨日の今日で、私はキース様の手引きにより(建前上は本の返却という理由で)王宮に入り込んでいました。
私のリサーチによれば、マリアさんは今日、課題のレポート作成のためにこの図書室を訪れるはずです。
そして、アレクセイ殿下もまた、公務の合間にここで読書をするのが日課。
つまり、二人が遭遇する確率は1000%!
「いいですかキース様。このイベントの肝は『密着度』です」
私は熱弁を振るいました。
「ヒロインが背伸びをしてプルプルしているところに、背後からスッと手が伸びる。その瞬間、二人の体は重なり、殿下の吐息がマリアさんの耳にかかる……! これぞ合法的なスキンシップ! 芸術的な構図なのです!」
「……よくそんな恥ずかしいことを大声で言えるな」
「恥? 推しカプのためなら捨てました」
私はスカートをたくし上げ、本棚の列へと向かいました。
「さあ、作戦開始よ! まずはこの図書室にある全ての『踏み台』を撤去します!」
「は?」
「踏み台があったら、マリアさんが自力で本を取れてしまうでしょう!? 障害を排除してこそ、イベントは発生するのです!」
私は近くにあった木製の踏み台を担ぎ上げました。
意外と重いですが、愛の力があれば羽のように軽いです。
「ちょ、おい待て。ここには全部で二十個くらいの踏み台があるぞ? 全部隠すのか?」
「当然です! キース様、あなたも手伝ってください。共犯者でしょう?」
「……はあ。騎士団長の俺が、まさか踏み台泥棒の片棒を担ぐとは」
キース様はブツブツ文句を言いながらも、軽々と二つの踏み台を持ち上げました。
さすが騎士様、力持ちです。
(あら……腕の筋肉、ちょっといい感じ……)
一瞬ときめきそうになりましたが、すぐに首を振ります。
いけない、今の私は推しカプの黒子。
私たちは必死の形相で、図書室中の踏み台を回収し、倉庫の奥へと隠しました。
◇
一時間後。
「ぜぇ、ぜぇ……完了……!」
私は汗だくになりながら、最後の踏み台を隠し終えました。
これで、この図書室の『高所』は、選ばれし長身の男性(殿下)にしか攻略できない聖域となりました。
「そろそろ時間だ。マリア嬢が来るぞ」
見張りをしてくれていたキース様が戻ってきます。
「ナイスタイミングですわ! さあ、私たちは隠れて見守りましょう!」
私は狙いをつけていたベストポジション――「恋愛哲学」の棚と「古代魔術」の棚の間の、わずかな隙間へと走り込みました。
ここなら、マリアさんが目当ての本(歴史書コーナー)を探す様子を、本棚の隙間からバッチリ拝めます。
「おいシュガー、そこは狭すぎるんじゃないか?」
「大丈夫です! この日のためにコルセットを極限まで締め上げてきましたから!」
私は無理やり体を隙間にねじ込みました。
ギュウウウウ……。
ドレスの生地が悲鳴を上げ、本棚がミシミシと音を立てます。
「くっ……! ちょ、ちょっとキツイけど……計算通り……!」
なんとか体が収まりました。
視界良好。
歴史書コーナーが真正面に見えます。
キース様は呆れて「俺は反対側で見張ってる」と言い残し、姿を消しました。
そして数分後。
カツ、カツ、カツ……。
軽い足音が近づいてきました。
現れたのは、予想通りマリアさんです!
(きた! 今日も可愛い! 髪のリボンが揺れてる! 天使!)
私は心の中でサイリウムを振りました。
マリアさんは棚を見上げ、お目当ての本を探しています。
「あ、ありました……。『建国史』の上巻」
彼女の視線は、棚の最上段に向けられました。
(さあ、踏み台を探しなさい! そして絶望するのです!)
マリアさんはキョロキョロと周囲を見回しました。
「あれ? 踏み台……ないですね」
彼女は困ったように眉を下げます。
「他の人が使ってるのかな……。でも、早く調べないとレポートが……」
マリアさんは決意したように棚に向き直りました。
そして、つま先立ちになり、一生懸命に手を伸ばします。
「ううっ……と、届かない……」
(いい! そのプルプルしてるふくらはぎ! 必死に伸びた指先! 最高に『守ってあげたい』指数が高いわ!)
私は興奮で鼻血が出そうになりました。
そこへ。
静かで、しかし力強い足音が近づいてきます。
このリズム、この重厚感。間違いありません。
アレクセイ殿下の登場です!
(神様、ありがとうございます! タイミング完璧です!)
殿下は本棚の陰からマリアさんの姿を認めると、一瞬驚き、そして優しく微笑みました。
彼は音もなくマリアさんの背後に忍び寄ります。
(いけっ! そのまま覆いかぶさるように!)
マリアさんが「あとちょっと……!」とバランスを崩しかけた、その時。
スッ。
殿下の長い腕が、マリアさんの頭上を越え、目当ての本を掴みました。
「……きゃっ!?」
驚いて振り返るマリアさん。
その目前には、殿下の端正な胸板が!
「無茶はいけないよ、マリア」
「あ……ア、アレクセイ様!?」
至近距離。
まさに吐息がかかる距離で見つめ合う二人。
マリアさんの顔がみるみる赤く染まっていきます。
(きえええええええっ!!!)
私は音にならない悲鳴を上げました。
(尊い! 尊すぎて視界が霞む! この構図、額縁に入れて飾りたい! 身長差25センチの奇跡! ありがとう世界! ありがとう重力!)
興奮のあまり、私は前のめりになりました。
もっと。
もっと近くで、この神聖な儀式を目に焼き付けたい。
その欲望が、悲劇を生みました。
ズズッ。
「……え?」
さらに体を隙間に押し込もうとした瞬間、腰のあたりで嫌な感触がしました。
コルセットの金具が、本棚の金具にガッチリと噛み合ってしまったのです。
(うそ……動けない?)
私は冷や汗を流しました。
二人のイチャイチャは最高潮です。
「ありがとう……ございます。いつも助けていただいてばかりで……」
「構わないさ。君のためなら、本を取るくらい造作もない」
「殿下……」
見つめ合う二人。
今にもキスしそうな雰囲気です。
(素晴らしい! そのままいけ! ……でも、ちょっと待って。私、本当に抜けないんだけど!?)
私は必死に体をよじりました。
しかし、動けば動くほど、ドレスが食い込み、本棚全体がギシギシと揺れ始めます。
(やばい! このままじゃ本棚が倒れる!?)
「……ん? 何か音がしないか?」
殿下が不審そうに視線を巡らせました。
「な、何か魔物でしょうか……?」
マリアさんが怯えて殿下の腕にしがみつきます。
(ナイスしがみつき! ……じゃなくて!)
私は呼吸を止めました。
見つかる。
この「壁のシミ」と化した無様な姿を見つかったら、悪役令嬢としての威厳(?)が台無しです。
いや、それ以上に「二人の世界」を邪魔してしまう!
(お願い、気づかないで! そのまま二人の世界に没頭して!)
しかし、神は非情でした。
「……あそこの棚だ」
殿下が、私の隠れている隙間に向かって歩き出しました。
「待ってください殿下、危ないです!」
「大丈夫だ。僕が守る」
(来るなあああああ! 守らなくていいから! 今は私を見捨てて!!)
殿下の足音が近づいてきます。
一歩、また一歩。
私は絶望的な気持ちで目を閉じました。
ああ、私の華麗なる悪役計画が、こんな物理的な理由で破綻するなんて。
「……そこにいるのは誰だ!」
殿下が隙間を覗き込んだ、その瞬間。
「……ふぎゅッ!」
私は限界まで息を止めていたせいで、変な声を出してしまいました。
殿下の目が、点になります。
「……シュガー?」
そこには、本棚の隙間に挟まり、半目で固まっている元婚約者の姿。
沈黙。
永遠にも似た沈黙が図書室を支配しました。
「……な、何をしているんだ、こんなところで」
殿下の声が震えています。
私は震える唇を開き、精一杯の悪役スマイルを作りました。
「……ご、ごきげんよう、殿下。……ええと、これはその……『図書室の妖精』ごっこですわ」
「は?」
「この隙間から、勉強をサボる学生を呪う……そういう高度な遊びです」
苦しすぎる言い訳。
殿下は頭を抱えました。
「お前……頭がおかしくなったのか?」
その時、背後からマリアさんが顔を出しました。
「シュガー様!? だ、大丈夫ですか!? 挟まっているのですか!?」
「ち、違いますわ! これは……挟まっているのではなく、一体化しているのです!」
「一体化……? やはり、シュガー様は本を愛していらっしゃるのですね……!」
マリアさんのポジティブ解釈が炸裂しました。
「殿下! 助けてあげてください! シュガー様が苦しそうです!」
「いや、しかし……」
殿下はドン引きしていますが、マリアさんに言われて渋々手を伸ばしてきました。
「ほら、掴まれ。引っ張り出してやる」
「……屈辱ですわ」
私は涙目で殿下の手を取りました。
元婚約者に、本棚から引っこ抜かれる悪役令嬢。
こんな情けないシーン、プロットにはありませんでした。
「せーの、ふんっ!」
ズボォッ!!
盛大な音と共に、私は本棚から射出されました。
勢い余って、私は殿下の胸にダイブ――することはなく、無様に床を転がりました。
「あだだだだ……」
腰が。私の腰が。
「……大丈夫か?」
殿下が呆れたように見下ろしています。
その横で、マリアさんが心配そうにハンカチを差し出してくれました。
「シュガー様、汗が……お拭きください」
「……結構よ」
私はふらりと立ち上がりました。
髪はボサボサ、ドレスはシワシワ。
しかし、私は悪役としてのプライドをかき集めました。
「勘違いしないでちょうだい。私はただ……あなたたちが勉強もせずにイチャついているのを、監視していただけよ!」
「……そうか。ご苦労だったな」
殿下は完全に「哀れな子」を見る目でした。
「……失礼いたします!」
私は逃げるように図書室を飛び出しました。
背後から、マリアさんの「またお会いしましょうねー!」という明るい声が追いかけてきます。
廊下に出た瞬間、柱の陰からキース様が現れました。
彼は腹を抱えて笑い転げていました。
「ぶっ……くくくっ! 最高だ! 『妖精ごっこ』ってなんだよ! 傑作すぎる!」
「うるさいっ! 笑うな!」
私は顔を真っ赤にしてキース様をポカポカと殴りました。
「計画は失敗よ! でも……でも!」
私は思い出しました。
殿下がマリアさんのために本を取り、見つめ合ったあの一瞬。
「あのシーンだけは……最高だった……!」
「……お前、本当にブレないな」
キース様は涙を拭いながら、私の頭にポンと手を置きました。
「ま、ドンマイだ。次は上手くやれよ、妖精さん」
「子供扱いしないで!」
私の悪役修行は、まだまだ前途多難のようです。
ただ、一つだけ誤算だったのは。
本棚から引っこ抜かれた時、殿下が少しだけ――本当に少しだけ、面白そうに笑っていたことでした。
王宮の大図書室。
天井まで届く巨大な本棚が立ち並ぶ知識の森で、私は拳を握りしめました。
私の隣には、呆れ顔のキース様が立っています。
「……で? 今日は何をするつもりだ」
「決まっているでしょう。恋愛小説における至高のイベント、『高いところの本が取れないヒロインを背後から助ける王子様』を発生させるのです!」
私は鼻息荒く宣言しました。
昨日の今日で、私はキース様の手引きにより(建前上は本の返却という理由で)王宮に入り込んでいました。
私のリサーチによれば、マリアさんは今日、課題のレポート作成のためにこの図書室を訪れるはずです。
そして、アレクセイ殿下もまた、公務の合間にここで読書をするのが日課。
つまり、二人が遭遇する確率は1000%!
「いいですかキース様。このイベントの肝は『密着度』です」
私は熱弁を振るいました。
「ヒロインが背伸びをしてプルプルしているところに、背後からスッと手が伸びる。その瞬間、二人の体は重なり、殿下の吐息がマリアさんの耳にかかる……! これぞ合法的なスキンシップ! 芸術的な構図なのです!」
「……よくそんな恥ずかしいことを大声で言えるな」
「恥? 推しカプのためなら捨てました」
私はスカートをたくし上げ、本棚の列へと向かいました。
「さあ、作戦開始よ! まずはこの図書室にある全ての『踏み台』を撤去します!」
「は?」
「踏み台があったら、マリアさんが自力で本を取れてしまうでしょう!? 障害を排除してこそ、イベントは発生するのです!」
私は近くにあった木製の踏み台を担ぎ上げました。
意外と重いですが、愛の力があれば羽のように軽いです。
「ちょ、おい待て。ここには全部で二十個くらいの踏み台があるぞ? 全部隠すのか?」
「当然です! キース様、あなたも手伝ってください。共犯者でしょう?」
「……はあ。騎士団長の俺が、まさか踏み台泥棒の片棒を担ぐとは」
キース様はブツブツ文句を言いながらも、軽々と二つの踏み台を持ち上げました。
さすが騎士様、力持ちです。
(あら……腕の筋肉、ちょっといい感じ……)
一瞬ときめきそうになりましたが、すぐに首を振ります。
いけない、今の私は推しカプの黒子。
私たちは必死の形相で、図書室中の踏み台を回収し、倉庫の奥へと隠しました。
◇
一時間後。
「ぜぇ、ぜぇ……完了……!」
私は汗だくになりながら、最後の踏み台を隠し終えました。
これで、この図書室の『高所』は、選ばれし長身の男性(殿下)にしか攻略できない聖域となりました。
「そろそろ時間だ。マリア嬢が来るぞ」
見張りをしてくれていたキース様が戻ってきます。
「ナイスタイミングですわ! さあ、私たちは隠れて見守りましょう!」
私は狙いをつけていたベストポジション――「恋愛哲学」の棚と「古代魔術」の棚の間の、わずかな隙間へと走り込みました。
ここなら、マリアさんが目当ての本(歴史書コーナー)を探す様子を、本棚の隙間からバッチリ拝めます。
「おいシュガー、そこは狭すぎるんじゃないか?」
「大丈夫です! この日のためにコルセットを極限まで締め上げてきましたから!」
私は無理やり体を隙間にねじ込みました。
ギュウウウウ……。
ドレスの生地が悲鳴を上げ、本棚がミシミシと音を立てます。
「くっ……! ちょ、ちょっとキツイけど……計算通り……!」
なんとか体が収まりました。
視界良好。
歴史書コーナーが真正面に見えます。
キース様は呆れて「俺は反対側で見張ってる」と言い残し、姿を消しました。
そして数分後。
カツ、カツ、カツ……。
軽い足音が近づいてきました。
現れたのは、予想通りマリアさんです!
(きた! 今日も可愛い! 髪のリボンが揺れてる! 天使!)
私は心の中でサイリウムを振りました。
マリアさんは棚を見上げ、お目当ての本を探しています。
「あ、ありました……。『建国史』の上巻」
彼女の視線は、棚の最上段に向けられました。
(さあ、踏み台を探しなさい! そして絶望するのです!)
マリアさんはキョロキョロと周囲を見回しました。
「あれ? 踏み台……ないですね」
彼女は困ったように眉を下げます。
「他の人が使ってるのかな……。でも、早く調べないとレポートが……」
マリアさんは決意したように棚に向き直りました。
そして、つま先立ちになり、一生懸命に手を伸ばします。
「ううっ……と、届かない……」
(いい! そのプルプルしてるふくらはぎ! 必死に伸びた指先! 最高に『守ってあげたい』指数が高いわ!)
私は興奮で鼻血が出そうになりました。
そこへ。
静かで、しかし力強い足音が近づいてきます。
このリズム、この重厚感。間違いありません。
アレクセイ殿下の登場です!
(神様、ありがとうございます! タイミング完璧です!)
殿下は本棚の陰からマリアさんの姿を認めると、一瞬驚き、そして優しく微笑みました。
彼は音もなくマリアさんの背後に忍び寄ります。
(いけっ! そのまま覆いかぶさるように!)
マリアさんが「あとちょっと……!」とバランスを崩しかけた、その時。
スッ。
殿下の長い腕が、マリアさんの頭上を越え、目当ての本を掴みました。
「……きゃっ!?」
驚いて振り返るマリアさん。
その目前には、殿下の端正な胸板が!
「無茶はいけないよ、マリア」
「あ……ア、アレクセイ様!?」
至近距離。
まさに吐息がかかる距離で見つめ合う二人。
マリアさんの顔がみるみる赤く染まっていきます。
(きえええええええっ!!!)
私は音にならない悲鳴を上げました。
(尊い! 尊すぎて視界が霞む! この構図、額縁に入れて飾りたい! 身長差25センチの奇跡! ありがとう世界! ありがとう重力!)
興奮のあまり、私は前のめりになりました。
もっと。
もっと近くで、この神聖な儀式を目に焼き付けたい。
その欲望が、悲劇を生みました。
ズズッ。
「……え?」
さらに体を隙間に押し込もうとした瞬間、腰のあたりで嫌な感触がしました。
コルセットの金具が、本棚の金具にガッチリと噛み合ってしまったのです。
(うそ……動けない?)
私は冷や汗を流しました。
二人のイチャイチャは最高潮です。
「ありがとう……ございます。いつも助けていただいてばかりで……」
「構わないさ。君のためなら、本を取るくらい造作もない」
「殿下……」
見つめ合う二人。
今にもキスしそうな雰囲気です。
(素晴らしい! そのままいけ! ……でも、ちょっと待って。私、本当に抜けないんだけど!?)
私は必死に体をよじりました。
しかし、動けば動くほど、ドレスが食い込み、本棚全体がギシギシと揺れ始めます。
(やばい! このままじゃ本棚が倒れる!?)
「……ん? 何か音がしないか?」
殿下が不審そうに視線を巡らせました。
「な、何か魔物でしょうか……?」
マリアさんが怯えて殿下の腕にしがみつきます。
(ナイスしがみつき! ……じゃなくて!)
私は呼吸を止めました。
見つかる。
この「壁のシミ」と化した無様な姿を見つかったら、悪役令嬢としての威厳(?)が台無しです。
いや、それ以上に「二人の世界」を邪魔してしまう!
(お願い、気づかないで! そのまま二人の世界に没頭して!)
しかし、神は非情でした。
「……あそこの棚だ」
殿下が、私の隠れている隙間に向かって歩き出しました。
「待ってください殿下、危ないです!」
「大丈夫だ。僕が守る」
(来るなあああああ! 守らなくていいから! 今は私を見捨てて!!)
殿下の足音が近づいてきます。
一歩、また一歩。
私は絶望的な気持ちで目を閉じました。
ああ、私の華麗なる悪役計画が、こんな物理的な理由で破綻するなんて。
「……そこにいるのは誰だ!」
殿下が隙間を覗き込んだ、その瞬間。
「……ふぎゅッ!」
私は限界まで息を止めていたせいで、変な声を出してしまいました。
殿下の目が、点になります。
「……シュガー?」
そこには、本棚の隙間に挟まり、半目で固まっている元婚約者の姿。
沈黙。
永遠にも似た沈黙が図書室を支配しました。
「……な、何をしているんだ、こんなところで」
殿下の声が震えています。
私は震える唇を開き、精一杯の悪役スマイルを作りました。
「……ご、ごきげんよう、殿下。……ええと、これはその……『図書室の妖精』ごっこですわ」
「は?」
「この隙間から、勉強をサボる学生を呪う……そういう高度な遊びです」
苦しすぎる言い訳。
殿下は頭を抱えました。
「お前……頭がおかしくなったのか?」
その時、背後からマリアさんが顔を出しました。
「シュガー様!? だ、大丈夫ですか!? 挟まっているのですか!?」
「ち、違いますわ! これは……挟まっているのではなく、一体化しているのです!」
「一体化……? やはり、シュガー様は本を愛していらっしゃるのですね……!」
マリアさんのポジティブ解釈が炸裂しました。
「殿下! 助けてあげてください! シュガー様が苦しそうです!」
「いや、しかし……」
殿下はドン引きしていますが、マリアさんに言われて渋々手を伸ばしてきました。
「ほら、掴まれ。引っ張り出してやる」
「……屈辱ですわ」
私は涙目で殿下の手を取りました。
元婚約者に、本棚から引っこ抜かれる悪役令嬢。
こんな情けないシーン、プロットにはありませんでした。
「せーの、ふんっ!」
ズボォッ!!
盛大な音と共に、私は本棚から射出されました。
勢い余って、私は殿下の胸にダイブ――することはなく、無様に床を転がりました。
「あだだだだ……」
腰が。私の腰が。
「……大丈夫か?」
殿下が呆れたように見下ろしています。
その横で、マリアさんが心配そうにハンカチを差し出してくれました。
「シュガー様、汗が……お拭きください」
「……結構よ」
私はふらりと立ち上がりました。
髪はボサボサ、ドレスはシワシワ。
しかし、私は悪役としてのプライドをかき集めました。
「勘違いしないでちょうだい。私はただ……あなたたちが勉強もせずにイチャついているのを、監視していただけよ!」
「……そうか。ご苦労だったな」
殿下は完全に「哀れな子」を見る目でした。
「……失礼いたします!」
私は逃げるように図書室を飛び出しました。
背後から、マリアさんの「またお会いしましょうねー!」という明るい声が追いかけてきます。
廊下に出た瞬間、柱の陰からキース様が現れました。
彼は腹を抱えて笑い転げていました。
「ぶっ……くくくっ! 最高だ! 『妖精ごっこ』ってなんだよ! 傑作すぎる!」
「うるさいっ! 笑うな!」
私は顔を真っ赤にしてキース様をポカポカと殴りました。
「計画は失敗よ! でも……でも!」
私は思い出しました。
殿下がマリアさんのために本を取り、見つめ合ったあの一瞬。
「あのシーンだけは……最高だった……!」
「……お前、本当にブレないな」
キース様は涙を拭いながら、私の頭にポンと手を置きました。
「ま、ドンマイだ。次は上手くやれよ、妖精さん」
「子供扱いしないで!」
私の悪役修行は、まだまだ前途多難のようです。
ただ、一つだけ誤算だったのは。
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