悪役令嬢は、婚約破棄を祝杯で迎える !

パリパリかぷちーの

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「衛兵、止まりなさい」

切っ先を向けられた私は、扇子を開くように優雅に手を掲げた。

その声には魔力も何も込めていない。
ただ、絶対的な「理」と「自信」だけを乗せた。

それだけで、屈強な衛兵たちの足がピタリと止まる。

「……何のつもりだ」

「取り調べならこの場でどうぞ、と言っているのです。地下牢へ連行されるのは非効率ですから」

私はリナ男爵令嬢の方へ向き直った。

彼女は勝ち誇った顔で、ハンカチに包んだガラス瓶のようなものを掲げている。

「往生際が悪いですわよ、メモリアさん! これが証拠の『惚れ薬の空き瓶』です! 公爵様の執務室のゴミ箱から回収しました!」

会場がざわめく。
ゴミ箱漁りをしたのか、この男爵令嬢は。

「甘くて、とろけるような匂いがします! これは『魅了(チャーム)』の香りに違いありません!」

リナ嬢が瓶の蓋を開け、周囲に匂いを振りまく。
確かに、完熟した果実と蜂蜜を煮詰めたような、濃厚な甘い香りが漂った。

「あら、本当に……」
「なんて甘い香り……」
「公爵閣下がこんな匂いを纏うはずがない。やはり薬か?」

貴族たちが疑心暗鬼の目を向ける。
エルザ王妃も勢いづいた。

「聞いたことあるわ。異国の禁術で、対象の思考を奪い、甘い夢を見させる薬があると……。アレクシス、あなたは操られているのよ!」

「……」

アレクシス公爵は、般若のような形相で黙り込んでいた。
怒りで震えているようにも見える。

しかし、私の隣にいるからこそ分かる。
これは怒りではない。

(……羞恥心だ)

公爵の耳が、真っ赤に染まっている。

私は小さくため息をつき、公爵にだけ聞こえる声で囁いた。

「閣下。観念してください」

「……嫌だ」

公爵が子供のように拒否する。

「『冷徹公爵』の威厳に関わる。甘いものが好きだなんて知られたら、部下になめられる」

「『惚れ薬で操られた哀れな男』と思われるよりはマシです。……私の名誉もかかっていますので、犠牲になっていただきます」

「鬼か、お前は」

「優秀な秘書官です」

私はニッコリと笑い、一歩前に進み出た。

「皆様。誤解があるようですので、訂正させていただきます」

私はリナ嬢の手から、素早く瓶を取り上げた。

「あっ、こらっ!」

「この瓶の成分分析を行いましょう。……そこにいらっしゃるのは、宮廷薬剤師長ではありませんか?」

人垣の中にいた老齢の男性を指名する。
彼はギョッとして、「わ、私ですか?」と出てきた。

「鑑定をお願いします。これは『惚れ薬』でしょうか?」

「は、拝見します」

薬剤師長は瓶を受け取り、匂いを嗅ぎ、指についた僅かな液体を舐めた。

会場中が固唾を飲んで見守る。

数秒後。
薬剤師長の目が大きく見開かれた。

「こ、これは……ッ!」

「なんだ! やはり闇の魔法薬か!?」

カイル殿下が身を乗り出す。

薬剤師長は震える声で告げた。

「……最高級、『桃の蜂蜜漬け』のシロップです」

「は?」

カイル殿下の声が裏返った。

「しかも、ただのシロップではありません。南の島で年に一度しか収穫されない『幻の黄金桃』を、これまた希少な『王蜂の蜜』で煮込んだ、市場価格にして一瓶金貨十枚は下らない超高級品……!」

薬剤師長はウットリとした顔で瓶を抱きしめた。

「間違いありません。これは薬ではなく、究極の『スイーツ』です!」

シーン……。

広い舞踏会場に、気まずい沈黙が降りた。

全員の視線が、ゆっくりとアレクシス公爵に向けられる。
あの、泣く子も黙る冷酷無比な公爵閣下に。

公爵は、夜空を見上げるように視線を逸らし、ボソリと言った。

「……疲れた脳には、糖分が必要なのだ」

その瞬間。
誰かが「ぷっ」と吹き出した。

それを皮切りに、会場のあちこちから堪えきれない笑いが漏れ始めた。

「甘党……?」
「あの閣下が、桃のシロップ漬けを?」
「ゴミ箱から見つかったってことは、執務中にこっそり完食したのか?」
「なんか……可愛いな」

恐怖の対象だった「冷徹公爵」のイメージが、音を立てて崩壊(あるいは軟化)していく。

「ち、違いますぅ!」

リナ嬢が顔を真っ赤にして叫んだ。

「そ、そんなはずありません! だって、公爵様はメモリアさんにメロメロなんですよ!? あんなに冷たい人が、急に優しくなるなんておかしいじゃないですか!」

「リナ様」

私は冷静に切り返した。

「それは『論理の飛躍』です」

「えっ?」

「閣下が私に優しいのは、薬のせいでも何でもありません。単に、私が『有能』だからです」

私は眼鏡の位置を直した。

「私は閣下の求める書類を完璧に作成し、好みの紅茶(砂糖マシマシ)を淹れ、無駄な仕事を排除して定時帰宅を実現させました。上司が部下を評価し、大切にする。これは健全な雇用関係の結果であり、魔法など不要です」

「そ、そんなの……仕事だけの関係じゃないですか! 愛がないじゃないですか!」

リナ嬢が食い下がる。

愛。
その言葉が出た瞬間、アレクシス公爵の雰囲気が変わった。

彼は私の腰を抱いていた手に力を込め、グイッと引き寄せた。

「……仕事だけ、だと?」

低く、艶のある声。
さっきまでの「甘党バレ」の気恥ずかしさは消え、再び「雄」の顔に戻っている。

「勘違いするな。入り口は仕事だったかもしれんが……今は違う」

公爵は私の顎を指で持ち上げた。
至近距離で見つめ合う、黄金の瞳。

「メモリア。俺は、お前のその『可愛げのなさ』に救われている」

「……閣下?」

「媚びず、甘えず、ただ隣で背中を支えてくれる。……そんな女は、世界中探してもお前しかいない」

公爵は衆人環視の中で、私のこめかみに唇を寄せた。
チュッ、とあえて音を立てて口づける。

「キャァァァッ!」
令嬢たちが悲鳴を上げ、バタバタと倒れていく。

「これが薬の効果に見えるか? ……私の意志だ。私の全霊をかけて、この女を渇望している」

公爵は鋭い視線でリナと王妃を睨みつけた。

「これ以上、私のパートナーを愚弄してみろ。……その時は、国ごと氷漬けにしてやる」

本気の殺気。
会場の温度が一気に下がり、シャンデリアがガタガタと揺れる。

「ひっ……!」

リナ嬢は腰を抜かしてへたり込んだ。
カイル殿下は王妃様の後ろに隠れている。
王妃様でさえ、顔面蒼白で扇子を震わせていた。

「……わ、わかったわよ」

王妃様が掠れた声で言った。

「桃のシロップ……いえ、甘党の件は、見なかったことにしましょう。メモリアのことも、もう……ご勝手になさい!」

「賢明なご判断です」

公爵はニヤリと笑い、私に向き直った。

「帰るぞ、メモリア。……甘いものが食べたくなった」

「……さっきのシロップ、まだ残っているんですか?」

「いや、違う」

公爵は私の耳元で、甘く囁いた。

「お前だ」

「……残業代、弾んでくださいね」

私は顔が熱くなるのを必死で隠しながら、公爵のエスコートで会場を後にした。

背後では、リナ嬢が「覚えてらっしゃい! 次はこうはいかないわよぉ!」と負け惜しみを叫んでいたが、誰も相手にしていなかった。

完全勝利。
これにて一件落着――。

と、思いきや。

馬車に乗り込んだ瞬間、公爵が膝から崩れ落ちた。

「……終わった」

「閣下?」

「俺の『冷徹』イメージが……明日から『桃缶公爵』と呼ばれるかもしれん……」

公爵は頭を抱えて落ち込んでいた。

「大丈夫ですよ。ギャップ萌えという新しい市場を開拓しました」

「慰めになってないぞ」

「それに、あそこまで堂々と愛の告白をされたのです。誰も桃缶のことなど覚えていませんよ」

「……あれは本心だ」

公爵が顔を上げ、拗ねたように私を見た。

「お前、あそこで照れなかったな。やはり鉄の女だ」

「心拍数は上がっていましたよ。計算外の数値でした」

「ふん。……帰ったら確認させろ」

「何をです?」

「心拍数だ」

公爵の手が伸びてくる。
夜の馬車の中、私たちの「残業」はまだ続きそうだった。



一方、その頃。
屈辱にまみれたリナ男爵令嬢は、王城の庭で一人、地面を蹴りつけていた。

「むきーッ! なによあれ! なによメモリア!」

彼女の瞳は、どす黒く濁っていた。

「私のカイル様をバカにして、公爵様まで奪って……! 許さない、絶対に許さない!」

彼女は懐から、別の小瓶を取り出した。
それは先ほどのシロップとは違う、禍々しい紫色の液体が入った瓶だった。

「こうなったら、実力行使よ。……聖女の力(物理)、見せてあげるわ」

闇夜に響く、狂気じみた笑い声。
私の平穏な毎日は、まだもう少し先のことになりそうだ。
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