婚約破棄? 断罪? どうでもいいですわ!

パリパリかぷちーの

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「ええい、クソッ! なぜ終わらないんだ!」

ドンッ!
王城の執務室。
カイル王子は、山積みになった書類の塔を拳で殴りつけた。
崩れ落ちた書類が、雪崩のように床へと散らばる。

「おい、誰か! 誰かいないか!」

彼が怒鳴ると、老齢の文官が恐る恐る入ってきた。

「お呼びでしょうか、殿下」

「お呼びだとも! この『財務報告書』はどうなっている! 数字が合わないぞ! 去年の支出と今年の予算の計算がまるで噛み合っていない! 誰だ、こんな適当な書類を作ったのは!」

文官は困ったように眉を下げ、静かに答えた。

「それは……殿下が先月、承認印を押された書類に基づいておりますが」

「なっ……俺が?」

「はい。ニアン様がいらした頃は、彼女が全ての書類を検閲し、計算ミスや不正を瞬時に見抜いて修正しておられました。殿下は、彼女が整えた完璧な書類にハンコを押すだけで済んでいたのです」

「…………」

カイルは絶句した。
ニアン・ローズベルク。
あ高慢で、口うるさく、自分の顔ばかり見ているナルシスト女。
彼女がいなくなれば、この城は平和になり、笑顔が溢れる場所になるはずだった。

しかし現実はどうだ。
平和どころか、行政機能が麻痺寸前ではないか。

「だ、だが! 外交はどうだ! 今度の隣国との会談、資料はできているのか!」

「それにつきましても……。ニアン様は隣国の文化や風習、要人の好みを全て暗記しておられました。『あそこの大臣はハゲているから、照明は暗めに設定してあげなさい』といった細かい配慮まで指示されていたのです」

文官はため息をついた。

「今の我々には、そこまでの配慮は不可能です。先日の会談でも、殿下が用意された料理が隣国大使の苦手なもので、空気が凍りついたばかりではありませんか」

「ぐぬぅ……ッ!」

カイルは頭を抱えた。
思い出すのは、ニアンの憎たらしい顔だ。

『あら殿下。この書類、計算ミスが三箇所ありますわ。小学生からやり直してきてくださる?』
『外交官のネクタイの色が地味すぎます。私のセンスで選び直しておきましたから、感謝なさい』

当時は「いちいちうるさい女だ」と思っていた。
「俺を見下している」と腹を立てていた。
だが、あれは単なる嫌味ではなく、超人的なマネジメント能力の裏返しだったのだ。
彼女は、息をするように完璧な仕事をこなしていただけだった。

「……カイル様ぁ」

重苦しい空気を破るように、甘ったるい声が響いた。
執務室の扉が開き、聖女リナが入ってくる。
フリルのついた可愛らしいドレスを着て、手にはバスケットを持っている。

「お仕事、大変そうですね。リナが手作りクッキーを焼いてきましたよぉ。食べて元気出してくださいっ」

リナは小首を傾げ、上目遣いでカイルを見た。
以前なら、この笑顔に癒やされていたはずだ。
「ああ、リナは天使だ」と感激していただろう。

しかし、今のカイルの視界には、彼女の背後に積まれた「未処理書類の山」という現実が映り込んでいる。

「……リナ。今は忙しいんだ」

「えぇー? でもぉ、カイル様、顔色が悪いですよ? リナの『癒やしの魔法』をかけてあげましょうか? えいっ☆」

リナがキラキラした仕草をする。
何も起きない。
ただ、カイルのイライラが増しただけだった。

「魔法で書類が片付くならかけてくれ! 俺が欲しいのはクッキーじゃない、正確な統計データと、外交上の懸案事項の解決策だ!」

「ひっ……」

リナがビクリと肩を震わせる。

「な、なんで怒鳴るんですかぁ……。リナ、カイル様のために一生懸命焼いたのに……。ニアン様がいなくなって、二人で幸せになれるって言ったじゃないですかぁ」

「幸せになるためには、国が回っていなければならないんだ! 王族の義務だぞ!」

カイルは立ち上がり、リナに詰め寄った。

「そうだ、リナ。君も聖女なら、少しは公務を手伝ってくれないか。孤児院への慰問計画とか、教会の修繕予算のチェックとか……」

「え……わ、私、難しいことは分かんないですぅ」

リナは後ずさる。

「数字を見ると頭が痛くなっちゃうしぃ、字もあんまり得意じゃないしぃ……。私はただ、カイル様の隣でニコニコしていればいいんじゃないんですかぁ?」

「ニコニコしているだけで国が治まるわけがあるか!」

カイルの怒号が飛ぶ。
リナの目が涙で潤む。

「ひどい……! カイル様が変わっちゃった! 前は『君の笑顔が国の宝だ』って言ってくれたのに!」

「それは状況が平和だったからだ! 今は非常事態なんだよ!」

カイルは椅子にドカッと座り込んだ。
比較してしまう。
どうしても、比べてしまうのだ。

ニアンなら、どうしていただろうか。

『あら、クッキー? そんなパサパサした小麦粉の塊で、私の脳細胞が活性化するとでも? 持ってくるなら最高級のチョコレートにしなさい。糖分は思考の燃料よ』

そう悪態をつきながらも、彼女は片手でクッキーをつまみ、もう片方の手で書類を猛スピードで捌いていたはずだ。
「まずいわね」と文句を言いながら、完璧な仕事を完遂していたはずだ。

(あいつは……有能だったんだな)

今更ながらの事実に、カイルは愕然とした。
性格は最悪だ。
ナルシストで、高慢で、人の神経を逆撫でする天才だ。
だが、王太子妃としての実務能力はカンストしていた。

そこへ、さらに追い打ちをかけるように、慌ただしい足音が近づいてきた。

「報告します!」

情報局の騎士が、息を切らして飛び込んできた。

「隣国アークライト王国より、新たな情報が入りました!」

「なんだ、戦争か!? 攻めてくるのか!?」

カイルが身構える。

「いえ、違います! 『流行』です!」

「は?」

「現在、隣国では『ニアン印のバラ香水』という商品が爆発的なヒットを記録しており、経済効果が凄まじいことになっているそうです! 隣国の商業組合が、ニアン嬢を『経済の女神』と崇め始めているとか……」

「な、なんだと……?」

騎士は一枚のチラシを差し出した。
そこには、バラを背負ってポーズを決めるニアンの似顔絵(妙に美化されているが、本人の特徴を捉えている)と、こんなキャッチコピーが躍っていた。

『あなたも今日から主役になれる。ニアン・ブランドで世界を変えよう』

「……店まで開いているのか、あいつは」

カイルの手が震える。

「さらに! ニアン嬢が滞在しているジェラルド殿下の公邸が、劇的にリフォームされたとのことです! 以前は『灰色の監獄』と呼ばれていた場所が、今では『薔薇の離宮』と呼ばれ、観光名所になりつつあると……」

「ジェラルド殿下……『氷の騎士』か?」

「はい。あの冷徹なジェラルド殿下が、ニアン嬢の言いなり……いえ、ニアン嬢を溺愛しており、彼女のために青いバラを五千本植えさせたという噂も……」

カイルは目の前が真っ暗になった。
追放したはずの元婚約者が、隣国で大成功を収め、あろうことか隣国の王子といい仲になっている。
一方で自分は、書類の山に埋もれ、役に立たない聖女の相手に疲弊している。

「……ふざけるな」

「カイル様?」

リナが心配そうに覗き込む。

「ふざけるなよ、ニアン! なんでお前だけ楽しそうなんだ! 国外追放だぞ!? 普通は泣いて詫びて、野垂れ死ぬものだろうが!」

カイルの叫びは、虚しく執務室に響いた。

「ねぇカイル様ぁ。その香水、リナも欲しいですぅ。取り寄せてくださいよぉ」

リナが空気の読めない発言をする。

「黙れ! 敵国の、しかも元婚約者の商品を買えるか!」

「だってぇ、最近お肌の調子が悪いんですもん。城のメイドたちが手を抜くから、シーツがゴワゴワで……」

リナが不満を漏らす。

「メイドたちが手を抜く?」

文官が静かに口を挟んだ。

「いえ、手を抜いているわけではありません。以前はニアン様が、メイドたちの制服のデザインから休憩時間の管理、洗剤の配合まで細かく指示し、モチベーションを上げておられました。『あなたたちが輝けば、屋敷も輝くのよ』と飴と鞭を使い分けていたのです」

「……またニアンか」

カイルは机に突っ伏した。
城のどこを見ても、ニアンの影がちらつく。
彼女がいなくなって初めて分かった。
この城の快適さは、全て彼女の「異常なまでの美意識と完璧主義」によって支えられていたのだと。

「くそっ……戻せ」

「はい?」

「ニアンを戻せとは言えん! 俺が追放したんだからな! だが……このままでは俺が過労死する!」

カイルはガバッと顔を上げた。
その目は血走り、追い詰められた男の狂気を宿していた。

「連れ戻すぞ」

「えっ?」

リナがクッキーを落とす。

「隣国へ特使を送る! いや、俺が行く! 『外交視察』という名目でな! そしてニアンを……いや、あの有能な事務処理マシーンを何としてでも回収するんだ!」

「や、やだぁ! カイル様、リナを見捨てるんですかぁ!?」

「見捨てはしない! だが、お前にはできない仕事があるんだ!」

カイルは立ち上がり、上着をひっ掴んだ。

「準備をしろ! アークライト王国へ向かう! ニアンが隣国の王子と結婚でもしてみろ、我が国のメンツは丸つぶれだ! それだけは阻止しなければならん!」

文官と騎士が顔を見合わせ、やれやれと首を振った。
手遅れ感が満載だが、主君の命令には逆らえない。

「……ニアン。待っていろよ。お前のその高慢ちきな鼻をへし折って、この書類の山を片付けさせてやるからな!」

カイル王子の動機は、愛でも未練でもなく、「業務効率の改善」と「逆恨み」だった。
しかし、彼が動くことで、物語はまた新たな混乱へと突き進むことになる。

一方その頃。
そんな元婚約者の悲痛な叫びなど知る由もないニアンは、隣国にて優雅にクシャミを一つしていた。

「……あら? 誰かが私の噂をしているわね。きっと世界中の誰かが、私の美しさを思い出してため息をついているのね。罪作りな私」

彼女は鏡に向かってウインクを投げ、今日も絶好調にナルシストを極めていたのである。
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