断罪された悪役令嬢ですが、ハッピーエンド(仮)を目指します!

パリパリかぷちーの

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ルーナがハーブ園の手入れに満足し、摘みたてのハーブをカゴに満たして立ち上がった頃には、空はすっかり夕焼け色に染まっていた。

「ふぅ。良い運動になりましたわ」

額にうっすらと浮かんだ汗を、ルーナはエプロンの袖で無造作に拭った。
その仕草は、公爵令嬢のものとは到底思えないほど、堂に入っている。

「……」

厨房の勝手口には、いまだに「氷の騎士」様が、腕を組んだまま仁王立ちになっていた。
その表情は、ハーブ園に来た時よりも、さらに険しく、冷たくなっている。

(まだいらっしゃったの。ご苦労様なことですわ)

ルーナは、その石像のような監視役を完全に無視して、カゴをアンナに手渡した。

「アンナ。これは後でハーブティーにしましょう。夕食の準備も始めませんとね」

「はい、お嬢様。本日は何をお作りに?」

「そうね…まずは、長旅の疲れを癒す、温かいスープですわね。それから、簡単に焼けるパンと…」

ルーナが楽しそうに献立を考えていると、背後から地殻変動のような低い声がかかった。

「…貴様」

「はい、なんでしょう、副団長様」

ルーナは、面倒くさそうに振り返った。

「謹慎中の身でありながら、庭仕事の次は夕食の準備か。ずいぶんと優雅な『謹慎』だな」

皮肉と非難が込められた言葉。
だが、ルーナには全く効力がなかった。

「あら。わたくし、食事は生きる上で最も重要なことだと教育されましたわ。謹慎中でも、お腹は空きますもの」

「…使用人に作らせればいいだろう。貴様が厨房に立つ必要はない」

(この堅物様は、わたくしが厨房で毒でも作ると疑ってらっしゃるのかしら)

ルーナは、小さくため息をついた。

「わたくしは、自分の食べたいものを、自分の手で、一番美味しい瞬間に食べるのが好きなのですわ。そういう趣味なの。それとも何ですの? 監視役様は、わたくしの食事内容まで管理するおつもり?」

「……」

アレクシスは、ぐっと言葉に詰まった。
確かに、謹慎中の食事内容について、王子から特別な指示は受けていない。

「結構ですわ」

ルーナは、アレクシスが何か言う前に、さっさと厨房に戻ってしまった。
当然のように、アレクシスも後を追う。
厨房は、彼の監視任務において、最も警戒すべき場所の一つだったからだ。(毒物混入などを警戒している)

「では、アンナ、エマ。始めましょうか」

ルーナは、髪をきつく結び直し、手を丁寧に洗うと、新しいエプロンをきりりと締めた。
その瞬間、彼女の纏う空気が変わった。
面倒くさがりの令嬢から、厨房を支配する「料理人」の顔へ。

「まずは、スコーンを焼きますわ。お腹が空いては、良いスープも作れません」

「まあ、スコーン!」
アンナが嬉しそうに声を上げる。

ルーナは、王都から持ち込んだ最高級の小麦粉を、大きな銅のボウルにふるい入れた。
そこへ、キンキンに冷やしておいたバターの塊を惜しげもなく投入する。

「…おい」

アレクシスは、そのバターの量を見て、思わず声を上げた。
(あんな量の油脂を…正気か?)

「何か? 副団長様。お菓子作りというのは、小麦粉とバターと砂糖でできているのですわよ」

ルーナは、アレクシスの怪訝な視線など気にせず、カードを使ってバターを小麦粉の中で細かく刻み始めた。
その手つきは、驚くほど正確で、淀みがない。

厨房に、カツカツとリズミカルな音だけが響く。
アレクシスは、その無駄のない動きから、目が離せなくなっていた。
(本当に…趣味、なのか?)
彼が知る令嬢たちの、遊び半分のお菓子作りとは、明らかにレベルが違った。

やがて、生地がそぼろ状になると、ルーナは牛乳と卵を加え、さっくりと一つにまとめた。

「エマ。オーブンに火を入れておいてちょうだい。温度は高めで」

「はい、かしこまりました!」

ルーナは、打ち粉をした台に生地を取り出すと、手早く伸ばし、型で抜いていく。
あっという間に、十数個の丸い生地が天板に並べられた。

「よし。これで第一弾はOKですわ」

オーブンに入れられた生地は、高温の中で見る見るうちに膨らみ始めた。
厨房に、バターと小麦粉が焼ける、暴力的なまでに甘く、香ばしい匂いが充満し始める。

「……」

アレクシスは、その匂いに、思わず喉が鳴りそうになるのを必死で堪えた。
彼は、五日間の過酷な馬車移動と、到着後の徹底した検分で、疲労困憊していた。
まともな食事も、昼から摂っていない。
この香りは、空腹の騎士にとって、一種の拷問だった。

(くそ…悪女の策略か…!)

アレクシスは、これを「匂いによる精神攻撃」と断定し、さらに警戒を強めた。

チーン、とオーブンのタイマーが鳴った。

「焼けましたわ!」

アンナが、ミトンをはめた手で、黄金色に輝くスコーンが並んだ天板を取り出す。
それは、完璧な「狼の口」(スコーンの割れ目)が開いた、理想的な焼き上がりだった。

「素晴らしいわ、アンナ。完璧な火加減よ」

「お嬢様の生地が素晴らしかったからですわ」

主従が、うふふと笑い合う。
アレクシスは、その和やかな(そして、自分だけが部外者の)空気に、ますます居心地の悪さを感じていた。

ルーナは、焼きたてのスコーンを一つ手に取ると、ふうふうと冷ました。

「さて。毒味(あじみ)ですわ」

(毒味だと!?)
アレクシスの神経が、ピリッと張り詰める。

ルーナは、そんなアレクシスの緊張などお構いなしに、スコーンをぱかりと二つに割った。
湯気と共に、芳醇なバターの香りが立ち上る。
ルーナは、それにエマお手製のベリージャムと、王都から持参したクロテッドクリーム(乳脂肪の塊)を、これでもかと乗せた。

(また油脂を…!)
アレクシスの眉間のシワが、さらに深くなる。

そして、ルーナは、それを大きな口で、幸せそうに頬張った。

「ん~! 最高ですわ!」

(…自分で食った)

アレクシスは、毒見(味見)という言葉通りの行動に、拍子抜けした。
(いや、待て。自分だけが食べることで、俺を油断させる作戦か…?)

ルーナは、二口、三口と食べ進めると、満足そうに頷いた。

「よし。これなら、お客様(・・)に出しても恥ずかしくありませんわね」

そう言うと、ルーナは新しい皿に、焼きたてのスコーンを二つ乗せた。
ジャムとクリームも、たっぷり添える。
そして、先ほど摘んだばかりのミントで淹れた、熱々のハーブティーもカップに注いだ。

「はい、アンナ。お客様にどうぞ」

「はい、お嬢様」

アンナは、その盆を持つと、にこやかにアレクシスの方へ向かった。

「…なんだ」
アレクシスは、後ずさりしそうになるのを堪え、低い声で威嚇した。

「副団長様。お嬢様からですわ。長旅と、先ほどのお庭仕事(・・・)のお手伝い(・・・・)、お疲れ様でした、と」

「俺は手伝など…!」

「まあまあ。どうぞ。焼きたてが一番美味しいのですから」

アンナは、有無を言わさぬ笑顔で、盆をアレクシスに突き出した。

「…いらん」

アレクシスは、短く拒絶した。
(悪女からの施しなど、受けられるか。毒が入っているに決まっている)

「あら、そうですの?」

厨房の奥から、ルーナのあっけらかんとした声が飛んできた。

「お嫌なら、結構ですわ。わたくし、食べ物を無駄にするのは大嫌いですの。アンナ、それは下げてちょうだい。わたくしが、スープの前にいただきますわ」

「かしこまりました」

アンナが、本当に盆を引こうとした、その瞬間だった。

ぐうぅぅ~~~~…。

静まり返った厨房に、盛大な「腹の虫」の音が響き渡った。
それは、空腹を我慢し続けた、堅物騎士の胃袋が上げた、悲痛な叫びだった。

「「「…………」」」

ルーナとアンナ、そしてエマの視線が、音の発生源に集まる。

アレクシスの「氷の仮面」が、音を立てて砕け散った。
彼の顔は、夕焼けよりも真っ赤に染まっていた。
人生最大の屈辱だった。

「…っ」

アレクシスは、羞恥と怒りで震える手で、ひったくるように盆を受け取った。

「…監視対象の出すものを、検分するのも任務だ」

誰に言うでもない言い訳を、くぐもった声で呟く。

「あら、そうですの。どうぞ、ごゆっくり『検分』してくださいまし」
ルーナは、笑いをこらえるのに必死で、顔を背けていた。

アレクシスは、厨房の隅に行くと、忌々しそうにスコーンを睨みつけた。
(こうなれば、食ってやる。そして、もし毒なら、その場でこいつを斬り捨ててやる)

彼は、ヤケクソ気味に、スコーンを大きく一口、頬張った。

サクッ。

まず、外側の香ばしい歯触り。
そして、内側の、しっとりとして、バターの香りが鼻に抜ける、優しい甘さ。
ジャムの酸味と、クリームの濃厚なコクが、完璧な調和を生み出している。

「……!」

アレクシスの青い目が、驚愕に見開かれた。

(な…なんだ、これは…)

彼が今まで知っていた「スコーン」という名の、パサパサした粉の塊とは、全くの別物だった。
疲労困憊した体に、その温かさと甘さが、雷のように染み渡っていく。

「…っ」

アレクシスは、騎士のプライドも、悪女への警戒心も、何もかも忘れて、夢中で二口目、三口目を頬張った。

(うまい…)

言葉にならない、素直な感想が、胸の奥から込み上げてくる。

「…うまい」

それは、アレクシス自身にも聞こえないほどの、小さな呟きだった。
しかし、ルーナの耳は、それを確かに捉えていた。

(ふふ。かかりましたわね)

ルーナは、スープ用の玉ねぎを刻みながら、誰にも気づかれないよう、小さく、悪役令嬢のように口の端を吊り上げた。

「氷の騎士」様が、悪役令嬢の差し入れによって、まず「胃袋」から陥落させられ始めた瞬間だった。
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