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アンナが持ってきた深紅のドレスは、あの日、私が絶望の底に突き落とされた時と同じ色をしていた。
しかし、今の私がこのドレスを纏う意味は、全く異なっている。
鏡に映る私は、以前の面影を消し去っていた。
侍女に結い上げさせた髪は、一筋の乱れもなく、冷たい艶を放っている。
アンナが戸惑いながら施した化粧は、私の目元をきつく、唇を挑発的に彩っていた。
「……お嬢様。本当に、よろしいのですか」
アンナが、震える声で尋ねる。
彼女は、私がこれから何をしようとしているのか、その覚悟のほどを測りかねているのだろう。
「いいのよ、アンナ。これは私なりの戦(いくさ)の準備だわ」
私は鏡の中の自分に、冷ややかに微笑みかけた。
「今宵、侯爵家の夜会があるはずよ。主催は、確か……クロンターリ伯爵だったわね」
「はい。しかし、お嬢様、王家からの沙汰が……」
「王宮への出入りを禁じられただけよ。貴族の夜会に顔を出すなとは言われていないわ。それに、クロンターリ伯爵家は古くから我がヴァルガス家と懇意のはず。まさか、門前払いにはしないでしょう」
父は、私のその姿を見て、何も言わなかった。
ただ、その目に深い憂いと、ほんのわずかな期待のような光を宿らせて、私を見つめていた。
「お父様。行ってまいります」
「……エレノア。無理だけは、するな」
「ご心配なく。私はもう、無理などいたしません。ただ、奪われたものを取り返しに行くだけですわ」
ヴァルガス家の馬車が、クロンターリ伯爵邸に到着すると、入り口にいた者たちは一瞬息を呑んだ。
私が公の場に姿を現すとは、誰も予想していなかったのだろう。
しかし、彼らはすぐに平静を取り戻し、私を中へと通した。
一歩、大広間に足を踏み入れた瞬間、それまで満ちていた喧騒が、水を打ったように静まり返った。
全ての視線が、私に突き刺さる。
好奇、憐れみ、嘲笑、そして畏怖。
様々な感情が渦巻く視線の集中砲火を、私は背筋を伸ばして受け止めた。
「まあ、ヴァルガス侯爵令嬢……」
「なんてこと。あのようなことがあったのに、よくもまあ……」
「お可哀想に。顔色が優れないわ」
囁き声が、遠慮なく私の耳に届く。
以前の私なら、この場で泣き崩れていたかもしれない。
しかし、今の私は違う。
私は、ゆっくりと広間を見渡した。
私を嘲笑う者、憐れむ者、見て見ぬふりをする者。
その顔ぶれを、一人ひとり、確かにこの目に焼き付けた。
すると、何人かの令嬢が、わざとらしく私に近づいてきた。
筆頭は、子爵令嬢のイザベラだ。
彼女はいつも、強い者になびく傾向があった。
「ごきげんよう、エレノア様。お加減はいかがですの?あんなことがあって、さぞお辛いだろうと心配しておりましたのよ」
心配?
その目は、明らかに私を値踏みし、楽しんでいる目だ。
「ありがとう、イザベラ様。ご覧の通り、至って元気ですわ」
私が冷たく微笑んで返すと、彼女は一瞬怯んだ。
「そ、そうですの。でも、エドワード様もひどいですわよね。あんなに可憐なリリアン王女殿下を選ばれるなんて。……ああ、ごめんなさい。エレノア様の前で、リリアン様のことを褒めるなんて」
わざとらしい。
私を苛立たせ、醜態を晒させようという魂胆が透けて見える。
「構いませんわ。確かに、リリアン様は可憐ですものね。まるで、蜜に群がる虫を喜ばせる、甘い甘い花のようだわ」
「……え?」
「守ってあげなければすぐに枯れてしまいそうな、あの儚さ。男の方々が放っておけないのも無理はないわ。私のような、地に足の着いた無骨な女とは違って」
私は、イザベラの耳元に顔を寄せ、囁いた。
「けれど、ご存知?甘すぎる花は、往々にして毒を持っているものですわ。うっかり蜜を吸うと、命取りになりましてよ」
イザベラの顔が、さっと青ざめた。
周囲で聞き耳を立てていた者たちも、息を呑む。
私が、あの温厚だったエレノア・ヴァルガスが、これほど辛辣な皮肉を口にするとは夢にも思わなかったのだろう。
「ひ……失礼しますわ!」
イザベラたちは、そそくさと逃げるように私から離れていった。
私は、彼女たちの背中を冷たく見送った。
これでいい。
もう、誰にも同情などさせない。
憐れみは、屈辱と同じだ。
私は、ヴァルガス侯爵令嬢エレノア。
婚約破棄された哀れな女ではない。
理不尽な仕打ちに立ち向かい、自らの手で未来を切り開く、「悪役令嬢」なのだ。
私はシャンパンを一口含み、この戦場を、改めて見渡した。
私の復讐は、まだ始まったばかりだ。
しかし、今の私がこのドレスを纏う意味は、全く異なっている。
鏡に映る私は、以前の面影を消し去っていた。
侍女に結い上げさせた髪は、一筋の乱れもなく、冷たい艶を放っている。
アンナが戸惑いながら施した化粧は、私の目元をきつく、唇を挑発的に彩っていた。
「……お嬢様。本当に、よろしいのですか」
アンナが、震える声で尋ねる。
彼女は、私がこれから何をしようとしているのか、その覚悟のほどを測りかねているのだろう。
「いいのよ、アンナ。これは私なりの戦(いくさ)の準備だわ」
私は鏡の中の自分に、冷ややかに微笑みかけた。
「今宵、侯爵家の夜会があるはずよ。主催は、確か……クロンターリ伯爵だったわね」
「はい。しかし、お嬢様、王家からの沙汰が……」
「王宮への出入りを禁じられただけよ。貴族の夜会に顔を出すなとは言われていないわ。それに、クロンターリ伯爵家は古くから我がヴァルガス家と懇意のはず。まさか、門前払いにはしないでしょう」
父は、私のその姿を見て、何も言わなかった。
ただ、その目に深い憂いと、ほんのわずかな期待のような光を宿らせて、私を見つめていた。
「お父様。行ってまいります」
「……エレノア。無理だけは、するな」
「ご心配なく。私はもう、無理などいたしません。ただ、奪われたものを取り返しに行くだけですわ」
ヴァルガス家の馬車が、クロンターリ伯爵邸に到着すると、入り口にいた者たちは一瞬息を呑んだ。
私が公の場に姿を現すとは、誰も予想していなかったのだろう。
しかし、彼らはすぐに平静を取り戻し、私を中へと通した。
一歩、大広間に足を踏み入れた瞬間、それまで満ちていた喧騒が、水を打ったように静まり返った。
全ての視線が、私に突き刺さる。
好奇、憐れみ、嘲笑、そして畏怖。
様々な感情が渦巻く視線の集中砲火を、私は背筋を伸ばして受け止めた。
「まあ、ヴァルガス侯爵令嬢……」
「なんてこと。あのようなことがあったのに、よくもまあ……」
「お可哀想に。顔色が優れないわ」
囁き声が、遠慮なく私の耳に届く。
以前の私なら、この場で泣き崩れていたかもしれない。
しかし、今の私は違う。
私は、ゆっくりと広間を見渡した。
私を嘲笑う者、憐れむ者、見て見ぬふりをする者。
その顔ぶれを、一人ひとり、確かにこの目に焼き付けた。
すると、何人かの令嬢が、わざとらしく私に近づいてきた。
筆頭は、子爵令嬢のイザベラだ。
彼女はいつも、強い者になびく傾向があった。
「ごきげんよう、エレノア様。お加減はいかがですの?あんなことがあって、さぞお辛いだろうと心配しておりましたのよ」
心配?
その目は、明らかに私を値踏みし、楽しんでいる目だ。
「ありがとう、イザベラ様。ご覧の通り、至って元気ですわ」
私が冷たく微笑んで返すと、彼女は一瞬怯んだ。
「そ、そうですの。でも、エドワード様もひどいですわよね。あんなに可憐なリリアン王女殿下を選ばれるなんて。……ああ、ごめんなさい。エレノア様の前で、リリアン様のことを褒めるなんて」
わざとらしい。
私を苛立たせ、醜態を晒させようという魂胆が透けて見える。
「構いませんわ。確かに、リリアン様は可憐ですものね。まるで、蜜に群がる虫を喜ばせる、甘い甘い花のようだわ」
「……え?」
「守ってあげなければすぐに枯れてしまいそうな、あの儚さ。男の方々が放っておけないのも無理はないわ。私のような、地に足の着いた無骨な女とは違って」
私は、イザベラの耳元に顔を寄せ、囁いた。
「けれど、ご存知?甘すぎる花は、往々にして毒を持っているものですわ。うっかり蜜を吸うと、命取りになりましてよ」
イザベラの顔が、さっと青ざめた。
周囲で聞き耳を立てていた者たちも、息を呑む。
私が、あの温厚だったエレノア・ヴァルガスが、これほど辛辣な皮肉を口にするとは夢にも思わなかったのだろう。
「ひ……失礼しますわ!」
イザベラたちは、そそくさと逃げるように私から離れていった。
私は、彼女たちの背中を冷たく見送った。
これでいい。
もう、誰にも同情などさせない。
憐れみは、屈辱と同じだ。
私は、ヴァルガス侯爵令嬢エレノア。
婚約破棄された哀れな女ではない。
理不尽な仕打ちに立ち向かい、自らの手で未来を切り開く、「悪役令嬢」なのだ。
私はシャンパンを一口含み、この戦場を、改めて見渡した。
私の復讐は、まだ始まったばかりだ。
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