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「……お嬢様。今夜は月が綺麗ですが、あのバルコニーには近づかないことをお勧めします。野生の肉食獣が潜んでいる気配がしますので」
放課後の静まり返った校舎。忘れ物を取りに戻った私に、影のように付き従うサイラスが淡々と忠告した。
「肉食獣? あら、学園の警備はどうなっているのかしら。……ふふっ、でも大丈夫よ。聖女の祈りは、猛獣をも鎮めると言いますもの」
私はあえてサイラスの忠告を無視し、吸い寄せられるようにバルコニーへと足を向けた。
本当は分かっていた。そこにいるのは「野生の獣」などではなく、私の心臓を最も効率よくバクつかせる、銀髪の第一王子だということを。
「……遅かったな、ローリー。忘れ物を取りにくるという口実を作るのに、十五分もかかるとは」
月光を背負って立つセドリック様は、まるで絵画のような美しさだった。……性格さえ、あんなにひねくれていなければ。
「あら、セドリック様。こんな時間に奇遇ですわね。……ふふっ、殿下も忘れ物かしら?」
「ああ。君の『本音』という、この学園で最も見つけにくい落とし物を探しに来たんだ」
セドリック様は私との距離を一気に詰め、バルコニーの手すりに私を追い込んだ。逃げ場はない。背中には夜の冷たい風、目の前には熱を帯びた王子の瞳。
「……殿下、距離が近すぎますわ。これでは淑女のパーソナルスペースが、不法占拠されてしまいますわ。おほ……ふふっ」
「その『おほほ』はもう聞き飽きた。……ローリー、単刀直入に聞く。君、本当は何を恐れている?」
セドリック様の指先が、私の喉元に触れた。まるで、そこに隠された真実を無理やり引きずり出そうとするかのように。
(……ギクッ! 恐れていること? そんなの、婚約破棄されて国外追放されて、道端で泥水をすする生活に決まっているじゃない!)
「恐れる? ……ふふ。私が恐れるのは、神の愛を忘れた人々の行く末だけですわ」
「嘘をつけ。君の目は、いつだって『出口』を探している。私と目が合うたびに、君の脳内では『どう逃げるか』の計算式が爆速で組まれている。……違うか?」
(……この人、本当にエスパーなんじゃないかしら!?)
私は必死に、引きつりそうな顔面筋肉を総動員して、慈愛の笑みを維持した。
「……殿下。私は逃げたりいたしませんわ。貴方様の隣こそが、私の居場所だと思っておりますもの」
「……なら、なぜミアと私をくっつけようとした? なぜ他の男を近づけただけで、あんなに『計算通りだ』という顔をする?」
セドリック様の瞳が、じりじりと私の奥深くまで侵食してくる。
「君は、私に嫌われたがっている。……いや、違うな。『綺麗に身を引くための準備』をしている。……ローリー、私との婚約が、そんなに不満か?」
「ふ、不満なんて……! 滅相もございませんわ! 私は殿下を、宇宙の果てまで……その、敬愛しておりますのよ!」
「……敬愛、か。愛ではないんだな」
セドリック様はフッと自嘲気味に笑い、私の頬を包み込んだ。
「皮肉なものだ。かつての傲慢な君には、欠片も興味がなかった。だが……必死に自分を押し殺し、汗を流しながら『聖女』を演じている今の君からは、一瞬たりとも目が離せない」
(……え。それって、もしかして……今の『猫かぶり状態』の方が、好感度が高いってこと!?)
「……君の化けの皮を剥がして、その下にある剥き出しの感情が見たい。……怒りでも、恐怖でもいい。君の本当の声を、私だけに聞かせてみろ」
セドリック様が顔をさらに近づけてくる。唇が触れそうな距離。
私は、これまでにないピンチを感じていた。……これは、物理的な死(断罪)よりも恐ろしい、「精神的な陥落」の危機だ。
「……で、殿下……。あ、あの……ふふっ。あまり近すぎると……私、聖女から『ただの恋する乙女』に変身してしまいますわ……」
私は最後のリミッターを振り切り、究極の「照れ隠し・猫かぶり」を発動した。
「……っ!?」
今度は、セドリック様の方が絶句して動きを止めた。彼の耳の付け根が、月明かりの下で赤く染まっているのが見える。
(勝った……! 王子のドS攻撃を、聖女のカウンターで弾き返してやったわ!)
「……君は、本当に……底知れないな」
セドリック様は力なく手を離すと、顔を背けて深く溜息をついた。
「……今日はここまでにしておこう。だが、覚えておけ。君がどれだけ完璧な皮を被ろうと、私の核心からは逃げられない」
彼は嵐のような気配を残し、足早に去っていった。
バルコニーに残された私は、崩れ落ちそうになる膝を必死に支えた。
「……お嬢様。お見事でした。王子の心臓を、あわや停止させるところでしたね」
暗闇からサイラスが現れ、手際よく私にストールをかけた。
「……サイラス。私、もう限界よ。次に殿下にあんな風に詰め寄られたら、私、『うるせー、この銀髪ドS!』って叫んじゃうかもしれないわ……」
「それはそれで、殿下は大喜びされるでしょうね。……さあ、帰りましょう。明日は卒業パーティーの準備です。……いよいよ、『断罪』の予定日が近づいてまいりましたよ」
「……笑えない冗談はやめて頂戴。私は絶対に、笑顔で卒業してみせるんだから!」
私は月に向かって、力強く(けれど上品に)拳を握りしめた。
生存戦略は、王子の執着という名の巨大な渦に飲み込まれながら、いよいよ最終局面へと向かっていく。
放課後の静まり返った校舎。忘れ物を取りに戻った私に、影のように付き従うサイラスが淡々と忠告した。
「肉食獣? あら、学園の警備はどうなっているのかしら。……ふふっ、でも大丈夫よ。聖女の祈りは、猛獣をも鎮めると言いますもの」
私はあえてサイラスの忠告を無視し、吸い寄せられるようにバルコニーへと足を向けた。
本当は分かっていた。そこにいるのは「野生の獣」などではなく、私の心臓を最も効率よくバクつかせる、銀髪の第一王子だということを。
「……遅かったな、ローリー。忘れ物を取りにくるという口実を作るのに、十五分もかかるとは」
月光を背負って立つセドリック様は、まるで絵画のような美しさだった。……性格さえ、あんなにひねくれていなければ。
「あら、セドリック様。こんな時間に奇遇ですわね。……ふふっ、殿下も忘れ物かしら?」
「ああ。君の『本音』という、この学園で最も見つけにくい落とし物を探しに来たんだ」
セドリック様は私との距離を一気に詰め、バルコニーの手すりに私を追い込んだ。逃げ場はない。背中には夜の冷たい風、目の前には熱を帯びた王子の瞳。
「……殿下、距離が近すぎますわ。これでは淑女のパーソナルスペースが、不法占拠されてしまいますわ。おほ……ふふっ」
「その『おほほ』はもう聞き飽きた。……ローリー、単刀直入に聞く。君、本当は何を恐れている?」
セドリック様の指先が、私の喉元に触れた。まるで、そこに隠された真実を無理やり引きずり出そうとするかのように。
(……ギクッ! 恐れていること? そんなの、婚約破棄されて国外追放されて、道端で泥水をすする生活に決まっているじゃない!)
「恐れる? ……ふふ。私が恐れるのは、神の愛を忘れた人々の行く末だけですわ」
「嘘をつけ。君の目は、いつだって『出口』を探している。私と目が合うたびに、君の脳内では『どう逃げるか』の計算式が爆速で組まれている。……違うか?」
(……この人、本当にエスパーなんじゃないかしら!?)
私は必死に、引きつりそうな顔面筋肉を総動員して、慈愛の笑みを維持した。
「……殿下。私は逃げたりいたしませんわ。貴方様の隣こそが、私の居場所だと思っておりますもの」
「……なら、なぜミアと私をくっつけようとした? なぜ他の男を近づけただけで、あんなに『計算通りだ』という顔をする?」
セドリック様の瞳が、じりじりと私の奥深くまで侵食してくる。
「君は、私に嫌われたがっている。……いや、違うな。『綺麗に身を引くための準備』をしている。……ローリー、私との婚約が、そんなに不満か?」
「ふ、不満なんて……! 滅相もございませんわ! 私は殿下を、宇宙の果てまで……その、敬愛しておりますのよ!」
「……敬愛、か。愛ではないんだな」
セドリック様はフッと自嘲気味に笑い、私の頬を包み込んだ。
「皮肉なものだ。かつての傲慢な君には、欠片も興味がなかった。だが……必死に自分を押し殺し、汗を流しながら『聖女』を演じている今の君からは、一瞬たりとも目が離せない」
(……え。それって、もしかして……今の『猫かぶり状態』の方が、好感度が高いってこと!?)
「……君の化けの皮を剥がして、その下にある剥き出しの感情が見たい。……怒りでも、恐怖でもいい。君の本当の声を、私だけに聞かせてみろ」
セドリック様が顔をさらに近づけてくる。唇が触れそうな距離。
私は、これまでにないピンチを感じていた。……これは、物理的な死(断罪)よりも恐ろしい、「精神的な陥落」の危機だ。
「……で、殿下……。あ、あの……ふふっ。あまり近すぎると……私、聖女から『ただの恋する乙女』に変身してしまいますわ……」
私は最後のリミッターを振り切り、究極の「照れ隠し・猫かぶり」を発動した。
「……っ!?」
今度は、セドリック様の方が絶句して動きを止めた。彼の耳の付け根が、月明かりの下で赤く染まっているのが見える。
(勝った……! 王子のドS攻撃を、聖女のカウンターで弾き返してやったわ!)
「……君は、本当に……底知れないな」
セドリック様は力なく手を離すと、顔を背けて深く溜息をついた。
「……今日はここまでにしておこう。だが、覚えておけ。君がどれだけ完璧な皮を被ろうと、私の核心からは逃げられない」
彼は嵐のような気配を残し、足早に去っていった。
バルコニーに残された私は、崩れ落ちそうになる膝を必死に支えた。
「……お嬢様。お見事でした。王子の心臓を、あわや停止させるところでしたね」
暗闇からサイラスが現れ、手際よく私にストールをかけた。
「……サイラス。私、もう限界よ。次に殿下にあんな風に詰め寄られたら、私、『うるせー、この銀髪ドS!』って叫んじゃうかもしれないわ……」
「それはそれで、殿下は大喜びされるでしょうね。……さあ、帰りましょう。明日は卒業パーティーの準備です。……いよいよ、『断罪』の予定日が近づいてまいりましたよ」
「……笑えない冗談はやめて頂戴。私は絶対に、笑顔で卒業してみせるんだから!」
私は月に向かって、力強く(けれど上品に)拳を握りしめた。
生存戦略は、王子の執着という名の巨大な渦に飲み込まれながら、いよいよ最終局面へと向かっていく。
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