28 / 28
28
しおりを挟む
「……お嬢様。そろそろ、その『神に愛されし聖妃』の仮面を外して、人間にお戻りになってはいかがですか?」
王宮の朝。豪華な天蓋付きベッドの横で、サイラスがいつもと変わらぬ冷ややかな声で告げた。
私は、シルクの枕(数年前の誕生日に私が贈ったものの最新モデルだ)から顔を上げ、大きくあくびを噛み殺した。
「失礼ね、サイラス。私は二十四時間、三百六十五日、この国の民に希望を与える『微笑みの太陽』なんですのよ。……おほ……ふ、ふふっ」
「寝起きの顔が太陽というよりは、爆発した低気圧ですがね。ほら、起きてください。今日は隣国からの使節団を迎える式典ですよ」
私は「げっ」と声を漏らし、ベッドの上に崩れ落ちた。
(……隣国! あの、王族の挨拶が無駄に長くて有名な国じゃないの! あー、もう! 今すぐ病欠して、一日中ハチミツたっぷりのパンを食べて寝ていたいわ!)
心の中の猛獣が暴れ回るが、私は鏡の前に座ると、手慣れた手つきで「聖妃ローリー」を組み立て始めた。
頬の筋肉を釣り上げ、瞳に偽りの慈愛を灯す。数年の歳月は、私の猫かぶりスキルを「国家機密レベル」にまで引き上げていた。
「……よし。今日も完璧だわ。さあ、行きましょう。私の美しさで、外交問題を一つ二つ解決して差し上げますわよ」
「お嬢様。解決するのはお嬢様の美しさではなく、背後に控えている殿下の『物理的な圧力』だと思いますがね」
扉を開けると、そこには銀髪を完璧に整えた私の夫、セドリック様が立っていた。
「……おはよう、ローリー。今日も一段と、不気味なほど美しいな」
「あら、セドリック様。ごきげんよう。……不気味だなんて、相変わらず照れ隠しが下手でいらっしゃいますのね。ふふっ」
セドリック様は、私の腰を当然のように抱き寄せ、耳元で低く笑った。
「……まだ演じているのか。二人きりの時くらい、あの『脳みそがプリン』と言いかけた時の、凶暴な君を見せてくれてもいいんだぞ?」
「……そんな野蛮な私、どこにもおりませんわ。私はいつだって、貴方様の愛に包まれた一輪の……」
「ユリ、だろう? ……知っているよ。そのユリが、裏で私の秘密費をこっそり夜逃げ用の隠し口座に移そうとしていることも、全てね」
(……バレてる! サイラス、あんたまた報告したわね!?)
私は視線で執事を射殺したが、サイラスは窓の外の景色を眺めてしらばっくれていた。
式典の会場へ向かう廊下で、私たちは「ある人物」に遭遇した。
「ローリー様ぁぁぁ!! 今日のドレスも尊いです! その、光を反射する真珠になりたい人生でした!」
相変わらずの音量で突撃してきたのは、今や王宮直属の「ローリー様ファンクラブ・名誉会長」となったミア様だ。
彼女は男爵家の立場を利用して王宮に出入りし、私の「聖女ムーブ」を記録しては、裏で怪しい冊子を発行している。
「あら、ミア様。……ふふっ。今日も元気そうで何よりですわ。……でも、少し声が大きくてよろしくてよ?」
「すみません! でも、ローリー様が歩くたびに、私の網膜が喜びの悲鳴を上げているんです! 殿下、今日のローリー様は何点ですか!?」
「……一万点だ。だが、その一万点はすべて私のものだ。ミア、君に分ける点数はない」
「……ケチですわ、殿下! せめて、ローリー様がこっそり毒を吐いた時の録音データを共有してください!」
「断る。あれは私だけの癒やしの音(ヒーリング・ボイス)だからな」
(……癒やしの音って何よ。私の罵詈雑言、安眠枕の代わりに使ってるんじゃないわよ!)
私は、自分の周囲にまともな人間が一人もいないことに改めて絶望した。
けれど。
バルコニーに出て、集まった民衆に「聖女の微笑み」を振りまくと、地響きのような歓声が上がった。
「ローリー様! 私たちの女神様!」
「王妃様、万歳!」
私は、眩い光の中で、隣に立つセドリック様の手を握り返した。
生存戦略。
かつて私は、婚約破棄を回避するために、必死に自分を偽ってきた。
けれど、偽り続けた「聖女」の皮は、いつの間にか私の本当の居場所を作り上げていた。
(……まあ、いいわ。国外追放されて泥水をすするよりは、このドS王子と、変態ヒロインと、無慈悲な執事に囲まれて、一生猫を被り続ける方が、ずっと贅沢な人生ですもの)
私は、セドリック様に向けて、今日一番の「本物」の笑みを浮かべた。
「……セドリック様。私、一生貴方様から逃げない覚悟を決めましたわ。……その代わり、私の贅沢三昧には、最後まで付き合っていただきますわよ?」
「……ああ。君が私の隣で笑ってくれるなら、国庫が空になるまで付き合おう。……愛しているよ、私の可愛い悪役令嬢」
「……ふふっ。愛していますわ、私の意地悪な王子様」
私の「ざまぁ回避」の物語は、ここで終わり。
けれど、猫を被った王妃と、その皮を剥がすのが趣味の王様による、世界で一番騒がしい新時代は、まだ始まったばかりだ。
(……あ、サイラス。今夜の夜食は、最高級のハチミツをたっぷりかけたパンを用意してちょうだい! もちろん、殿下には内緒よ!)
「……畏まりました。……やれやれ、お嬢様の『生存戦略』は、まだまだ続くようですね」
黄金の太陽の下。
私は、世界で一番幸せな「化けの皮」を被りながら、気高く、そして傲慢に笑い続けた。
王宮の朝。豪華な天蓋付きベッドの横で、サイラスがいつもと変わらぬ冷ややかな声で告げた。
私は、シルクの枕(数年前の誕生日に私が贈ったものの最新モデルだ)から顔を上げ、大きくあくびを噛み殺した。
「失礼ね、サイラス。私は二十四時間、三百六十五日、この国の民に希望を与える『微笑みの太陽』なんですのよ。……おほ……ふ、ふふっ」
「寝起きの顔が太陽というよりは、爆発した低気圧ですがね。ほら、起きてください。今日は隣国からの使節団を迎える式典ですよ」
私は「げっ」と声を漏らし、ベッドの上に崩れ落ちた。
(……隣国! あの、王族の挨拶が無駄に長くて有名な国じゃないの! あー、もう! 今すぐ病欠して、一日中ハチミツたっぷりのパンを食べて寝ていたいわ!)
心の中の猛獣が暴れ回るが、私は鏡の前に座ると、手慣れた手つきで「聖妃ローリー」を組み立て始めた。
頬の筋肉を釣り上げ、瞳に偽りの慈愛を灯す。数年の歳月は、私の猫かぶりスキルを「国家機密レベル」にまで引き上げていた。
「……よし。今日も完璧だわ。さあ、行きましょう。私の美しさで、外交問題を一つ二つ解決して差し上げますわよ」
「お嬢様。解決するのはお嬢様の美しさではなく、背後に控えている殿下の『物理的な圧力』だと思いますがね」
扉を開けると、そこには銀髪を完璧に整えた私の夫、セドリック様が立っていた。
「……おはよう、ローリー。今日も一段と、不気味なほど美しいな」
「あら、セドリック様。ごきげんよう。……不気味だなんて、相変わらず照れ隠しが下手でいらっしゃいますのね。ふふっ」
セドリック様は、私の腰を当然のように抱き寄せ、耳元で低く笑った。
「……まだ演じているのか。二人きりの時くらい、あの『脳みそがプリン』と言いかけた時の、凶暴な君を見せてくれてもいいんだぞ?」
「……そんな野蛮な私、どこにもおりませんわ。私はいつだって、貴方様の愛に包まれた一輪の……」
「ユリ、だろう? ……知っているよ。そのユリが、裏で私の秘密費をこっそり夜逃げ用の隠し口座に移そうとしていることも、全てね」
(……バレてる! サイラス、あんたまた報告したわね!?)
私は視線で執事を射殺したが、サイラスは窓の外の景色を眺めてしらばっくれていた。
式典の会場へ向かう廊下で、私たちは「ある人物」に遭遇した。
「ローリー様ぁぁぁ!! 今日のドレスも尊いです! その、光を反射する真珠になりたい人生でした!」
相変わらずの音量で突撃してきたのは、今や王宮直属の「ローリー様ファンクラブ・名誉会長」となったミア様だ。
彼女は男爵家の立場を利用して王宮に出入りし、私の「聖女ムーブ」を記録しては、裏で怪しい冊子を発行している。
「あら、ミア様。……ふふっ。今日も元気そうで何よりですわ。……でも、少し声が大きくてよろしくてよ?」
「すみません! でも、ローリー様が歩くたびに、私の網膜が喜びの悲鳴を上げているんです! 殿下、今日のローリー様は何点ですか!?」
「……一万点だ。だが、その一万点はすべて私のものだ。ミア、君に分ける点数はない」
「……ケチですわ、殿下! せめて、ローリー様がこっそり毒を吐いた時の録音データを共有してください!」
「断る。あれは私だけの癒やしの音(ヒーリング・ボイス)だからな」
(……癒やしの音って何よ。私の罵詈雑言、安眠枕の代わりに使ってるんじゃないわよ!)
私は、自分の周囲にまともな人間が一人もいないことに改めて絶望した。
けれど。
バルコニーに出て、集まった民衆に「聖女の微笑み」を振りまくと、地響きのような歓声が上がった。
「ローリー様! 私たちの女神様!」
「王妃様、万歳!」
私は、眩い光の中で、隣に立つセドリック様の手を握り返した。
生存戦略。
かつて私は、婚約破棄を回避するために、必死に自分を偽ってきた。
けれど、偽り続けた「聖女」の皮は、いつの間にか私の本当の居場所を作り上げていた。
(……まあ、いいわ。国外追放されて泥水をすするよりは、このドS王子と、変態ヒロインと、無慈悲な執事に囲まれて、一生猫を被り続ける方が、ずっと贅沢な人生ですもの)
私は、セドリック様に向けて、今日一番の「本物」の笑みを浮かべた。
「……セドリック様。私、一生貴方様から逃げない覚悟を決めましたわ。……その代わり、私の贅沢三昧には、最後まで付き合っていただきますわよ?」
「……ああ。君が私の隣で笑ってくれるなら、国庫が空になるまで付き合おう。……愛しているよ、私の可愛い悪役令嬢」
「……ふふっ。愛していますわ、私の意地悪な王子様」
私の「ざまぁ回避」の物語は、ここで終わり。
けれど、猫を被った王妃と、その皮を剥がすのが趣味の王様による、世界で一番騒がしい新時代は、まだ始まったばかりだ。
(……あ、サイラス。今夜の夜食は、最高級のハチミツをたっぷりかけたパンを用意してちょうだい! もちろん、殿下には内緒よ!)
「……畏まりました。……やれやれ、お嬢様の『生存戦略』は、まだまだ続くようですね」
黄金の太陽の下。
私は、世界で一番幸せな「化けの皮」を被りながら、気高く、そして傲慢に笑い続けた。
80
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
断罪された公爵令嬢でしたが、今さら後悔してももう遅いです ~第二の人生は最愛の隣で~
nacat
恋愛
婚約者の裏切りと濡れ衣で断罪された公爵令嬢レティシア。
前世の無念を抱えたまま命を落とした彼女は、なぜか二年前に時間を巻き戻していた。
もう誰かに従う人生なんてごめんだ。今度こそ、自分の幸せをこの手で掴む。
――そして、かつて冷たかった彼が、今は異常なほどに私を求めてきて……?
痛快なざまぁの果てに、甘く狂おしい溺愛が待ち受ける転生ロマンス。
悪役令嬢のはずですが、年上王子が幼い頃から私を甘やかす気でいました
ria_alphapolis
恋愛
私は、悪役令嬢なのかもしれない。
王子の婚約者としては少し我儘で、周囲からは気が強いと思われている――
そんな自分に気づいた日から、私は“断罪される未来”を恐れるようになった。
婚約者である年上の王子は、今日も変わらず優しい。
けれどその優しさが、義務なのか、同情なのか、私にはわからない。
距離を取ろうとする私と、何も言わずに見守る王子。
両思いなのに、想いはすれ違っていく。
けれど彼は知っている。
五歳下の婚約者が「我儘だ」と言われていた幼い頃から、
そのすべてが可愛くて仕方なかったことを。
――我儘でいい。
そう決めたのは、ずっと昔のことだった。
悪役令嬢だと勘違いしている少女と、
溺愛を隠し続ける年上王子の、すれ違い恋愛ファンタジー。
※溺愛保証/王子視点あり/幼少期エピソードあり
【完結】前提が間違っています
蛇姫
恋愛
【転生悪役令嬢】は乙女ゲームをしたことがなかった
【転生ヒロイン】は乙女ゲームと同じ世界だと思っていた
【転生辺境伯爵令嬢】は乙女ゲームを熟知していた
彼女たちそれぞれの視点で紡ぐ物語
※不定期更新です。長編になりそうな予感しかしないので念の為に変更いたしました。【完結】と明記されない限り気が付けば増えています。尚、話の内容が気に入らないと何度でも書き直す悪癖がございます。
ご注意ください
読んでくださって誠に有難うございます。
ずっと引きこもってた悪役令嬢が出てきた
桜井ことり
恋愛
そもそものはじまりは、
婚約破棄から逃げてきた悪役令嬢が
部屋に閉じこもってしまう話からです。
自分と向き合った悪役令嬢は聖女(優しさの理想)として生まれ変わります。
※爽快恋愛コメディで、本来ならそうはならない描写もあります。
断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます
山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。
でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。
それを証明すれば断罪回避できるはず。
幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。
チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。
処刑5秒前だから、今すぐに!
悪役令嬢に転生かと思ったら違ったので定食屋開いたら第一王子が常連に名乗りを上げてきた
咲桜りおな
恋愛
サズレア王国第二王子のクリス殿下から婚約解消をされたアリエッタ・ネリネは、前世の記憶持ちの侯爵令嬢。王子の婚約者で侯爵令嬢……という自身の状況からここが乙女ゲームか小説の中で、悪役令嬢に転生したのかと思ったけど、どうやらヒロインも見当たらないし違ったみたい。
好きでも嫌いでも無かった第二王子との婚約も破棄されて、面倒な王子妃にならなくて済んだと喜ぶアリエッタ。我が侯爵家もお姉様が婿養子を貰って継ぐ事は決まっている。本来なら新たに婚約者を用意されてしまうところだが、傷心の振り(?)をしたら暫くは自由にして良いと許可を貰っちゃった。
それならと侯爵家の事業の手伝いと称して前世で好きだった料理をしたくて、王都で小さな定食屋をオープンしてみたら何故か初日から第一王子が来客? お店も大繁盛で、いつの間にか元婚約者だった第二王子まで来る様になっちゃった。まさかの王家御用達のお店になりそうで、ちょっと困ってます。
◆◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◆
※料理に関しては家庭料理を作るのが好きな素人ですので、厳しい突っ込みはご遠慮いただけると助かります。
そしてイチャラブが甘いです。砂糖吐くというより、砂糖垂れ流しです(笑)
本編は完結しています。時々、番外編を追加更新あり。
「小説家になろう」でも公開しています。
悪役令嬢を演じて婚約破棄して貰い、私は幸せになりました。
シグマ
恋愛
伯爵家の長女であるソフィ・フェルンストレームは成人年齢である十五歳になり、父親の尽力で第二王子であるジャイアヌス・グスタフと婚約を結ぶことになった。
それはこの世界の誰もが羨む話でありソフィも誇らしく思っていたのだが、ある日を境にそうは思えなくなってしまう。
これはそんなソフィが婚約破棄から幸せになるまでの物語。
※感想欄はネタバレを解放していますので注意して下さい。
※R-15は保険として付けています。
悪役とは誰が決めるのか。
SHIN
恋愛
ある小さな国の物語。
ちょっとした偶然で出会った平民の少女と公爵子息の恋物語。
二人には悪役令嬢と呼ばれる壁が立ちふさがります。
って、ちょっと待ってよ。
悪役令嬢だなんて呼ばないでよ。確かに公爵子息とは婚約関係だけど、全く興味は無いのよね。むしろ熨斗付けてあげるわよ。
それより私は、昔思い出した前世の記憶を使って色々商売がしたいの。
そもそも悪役って何なのか説明してくださらない?
※婚約破棄物です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる