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三章
45 玩具
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水鏡に映るナルキッソスの影
それはきみ
そして、きみの中の僕
案の定、今日の子爵さまは落ちつきがなかった。ジョイントの吸い方が雑だ。そんなんじゃ、いい気持ちになれないよ。二本目のジョイントに火を点けようとした子爵さまを、僕は止めた。
「すまなかった。もし、罪深い僕の存在がきみの人生を狂わせてしまったのなら、きみに殺されてもかまわないよ」
怪訝そうに、子爵さまは僕の顔を睨めつけた。いったい何が言いたいのだ、と。
「あなたの心を占めている人の、あなたが今、一番知りたくてならない言葉なのでしょう?」
子爵さまは一段と眉を潜める。仄暗い室内に輝く蝋燭が、子爵さまの彫りの深い顔立ちにさらに深い陰影を刻み込む。
「あの中継を見ていた友人が教えてくれたんです。その子、読唇術ができるんです。だから――。ソールスベリー先輩がマーレイの耳許で言った言葉は、」
僕は子爵さまを刺激しすぎないように、控えめな口調で告げた。
「嘘だ――」
けれどそんな思いも虚しく、子爵さまは苛立たしげに声を荒立てて僕の言葉を遮った。眉間に皺を寄せて不快で堪らないというふうに。
「先輩がそんなことを言う訳がない……」
「――僕にも、それが本当かどうかは、」
「僕の友人にも、同じことを言われたよ……。でも、先輩が、あのマーレイ相手にそんな事を言うわけがないんだ!」
どうやら僕はしくじったらしい。
両腕で頭を抱えたまま、ソファーの肘掛に顔を埋めてしまった子どものような子爵さまの姿を、僕は途方に暮れてぼんやりと眺めるしかない。
泣いているのかな――。
ローテーブルの上の蝋燭が揺れる度に、背後の壁に映る子爵さまの影が、しゃくり上げるように揺れる。
僕はこんな時どうしていいのかが、かいもく判らない。
子爵さまは、なぜこんなに落ち込んでしまっているのだろう?
僕には白い彼の言う、この言葉の意味も良く解らない。
白い彼が新入生の頃から嫌がらせの限りを尽くしていたという百足男に、どうして彼の方が謝るのだろう? 百足男の怪我だって、自業自得じゃないか。それなのに、殺されてもかまわないなんて。
罪深いのは百足男の方なのに――。
そうなのか? 本当にそうなのか?
ああ、そうなのか……。
ふてくされている子爵さまの黄金の髪をかき上げて、こめかみにキスを落とした。
「罪深い先輩が、あなたを狂わせてしまったのですね――。あなたはこんなにも彼のことを信じて、大切に想っていたのに。可哀想に……」
子爵さまはやっと顔をもたげて僕をかき抱いた。
「酷いだろう? どうしてマーレイなんだ? 一緒に死んでくれると言うのなら、僕が彼を殺してやりたい」
なんて、なんて、短絡的なんだ、この人は!
「殺してやりたい! 殺してやりたい! それで、僕のものになるのなら――」
これが、僕を抱きしめて言う言葉か……。
僕は乾いた笑いを噛み殺す。
このお坊ちゃんに言ったところで解かるはずがない。欲しい玩具が手に入らないとごねる駄々っ子。
玩具なら、いるじゃないか、もう一人。
あなたの心をかき立てる先輩の生き写しが……。
あなたみたいなお坊ちゃんが、あの白い彼に相手にされるわけがない。顧みられなくて当然だ。
でも、あの天使くんなら……。
「あの子、先輩の弟、夕方いつもフェローズの森にいますよ。いつも一人で、すごく無防備に……。あんなんじゃ、すぐに誰かに喰われてしまいますよ」
ほら、顔色が変わった。
「殺せばいい、先輩の代わりにあの弟を。いや、殺さなくったって、あなたのものにすればいいんだ。そうすれば、きっと先輩はあなたに気づいてくれる。罪深い自分が、あなたをも狂わせてしまったことに――」
眼を瞠って僕を見つめる子爵さまの唇を、柔らかく喰んだ。
あの天使くんの翼をもぎ取りたい。叩いても落ないほどの泥を浴びせて。
そうして、絶望に打ちひしがれるきみに、僕はジョイントの白い翼をあげるんだ。
一緒に飛ぼうよ、天使くん。
きみが僕のところまで来てくれれば、僕はきっと、きみの中に僕を見つけられる。きみは水鏡の中の僕。そうしてきみの心が砕けたら、僕が欠片を集めてあげる。
だから、ねぇ、子爵さま、僕のために彼を壊して。
浅い夢の中では、子爵さまは酔いきれない。
僕たちはもう一度ジョイントを燻らせる。
子爵さまの重たい心が白い煙に包まれて解けて天に舞えるように。
ねぇ、子爵さま、あの天使くんを捉まえて。誰かに汚される前にあなたの手で。
視界を遮るジョイントの白い霧が、子爵さまの思考を奪う。
僕はこの霧の中であなたと交わり溶け合って、あなたの思考を奪うんだ。僕はあなた。あなたは僕。僕たちはくるりと入れ替わる。
さぁ、彼を捉まえて、僕にちょうだい。
それはきみ
そして、きみの中の僕
案の定、今日の子爵さまは落ちつきがなかった。ジョイントの吸い方が雑だ。そんなんじゃ、いい気持ちになれないよ。二本目のジョイントに火を点けようとした子爵さまを、僕は止めた。
「すまなかった。もし、罪深い僕の存在がきみの人生を狂わせてしまったのなら、きみに殺されてもかまわないよ」
怪訝そうに、子爵さまは僕の顔を睨めつけた。いったい何が言いたいのだ、と。
「あなたの心を占めている人の、あなたが今、一番知りたくてならない言葉なのでしょう?」
子爵さまは一段と眉を潜める。仄暗い室内に輝く蝋燭が、子爵さまの彫りの深い顔立ちにさらに深い陰影を刻み込む。
「あの中継を見ていた友人が教えてくれたんです。その子、読唇術ができるんです。だから――。ソールスベリー先輩がマーレイの耳許で言った言葉は、」
僕は子爵さまを刺激しすぎないように、控えめな口調で告げた。
「嘘だ――」
けれどそんな思いも虚しく、子爵さまは苛立たしげに声を荒立てて僕の言葉を遮った。眉間に皺を寄せて不快で堪らないというふうに。
「先輩がそんなことを言う訳がない……」
「――僕にも、それが本当かどうかは、」
「僕の友人にも、同じことを言われたよ……。でも、先輩が、あのマーレイ相手にそんな事を言うわけがないんだ!」
どうやら僕はしくじったらしい。
両腕で頭を抱えたまま、ソファーの肘掛に顔を埋めてしまった子どものような子爵さまの姿を、僕は途方に暮れてぼんやりと眺めるしかない。
泣いているのかな――。
ローテーブルの上の蝋燭が揺れる度に、背後の壁に映る子爵さまの影が、しゃくり上げるように揺れる。
僕はこんな時どうしていいのかが、かいもく判らない。
子爵さまは、なぜこんなに落ち込んでしまっているのだろう?
僕には白い彼の言う、この言葉の意味も良く解らない。
白い彼が新入生の頃から嫌がらせの限りを尽くしていたという百足男に、どうして彼の方が謝るのだろう? 百足男の怪我だって、自業自得じゃないか。それなのに、殺されてもかまわないなんて。
罪深いのは百足男の方なのに――。
そうなのか? 本当にそうなのか?
ああ、そうなのか……。
ふてくされている子爵さまの黄金の髪をかき上げて、こめかみにキスを落とした。
「罪深い先輩が、あなたを狂わせてしまったのですね――。あなたはこんなにも彼のことを信じて、大切に想っていたのに。可哀想に……」
子爵さまはやっと顔をもたげて僕をかき抱いた。
「酷いだろう? どうしてマーレイなんだ? 一緒に死んでくれると言うのなら、僕が彼を殺してやりたい」
なんて、なんて、短絡的なんだ、この人は!
「殺してやりたい! 殺してやりたい! それで、僕のものになるのなら――」
これが、僕を抱きしめて言う言葉か……。
僕は乾いた笑いを噛み殺す。
このお坊ちゃんに言ったところで解かるはずがない。欲しい玩具が手に入らないとごねる駄々っ子。
玩具なら、いるじゃないか、もう一人。
あなたの心をかき立てる先輩の生き写しが……。
あなたみたいなお坊ちゃんが、あの白い彼に相手にされるわけがない。顧みられなくて当然だ。
でも、あの天使くんなら……。
「あの子、先輩の弟、夕方いつもフェローズの森にいますよ。いつも一人で、すごく無防備に……。あんなんじゃ、すぐに誰かに喰われてしまいますよ」
ほら、顔色が変わった。
「殺せばいい、先輩の代わりにあの弟を。いや、殺さなくったって、あなたのものにすればいいんだ。そうすれば、きっと先輩はあなたに気づいてくれる。罪深い自分が、あなたをも狂わせてしまったことに――」
眼を瞠って僕を見つめる子爵さまの唇を、柔らかく喰んだ。
あの天使くんの翼をもぎ取りたい。叩いても落ないほどの泥を浴びせて。
そうして、絶望に打ちひしがれるきみに、僕はジョイントの白い翼をあげるんだ。
一緒に飛ぼうよ、天使くん。
きみが僕のところまで来てくれれば、僕はきっと、きみの中に僕を見つけられる。きみは水鏡の中の僕。そうしてきみの心が砕けたら、僕が欠片を集めてあげる。
だから、ねぇ、子爵さま、僕のために彼を壊して。
浅い夢の中では、子爵さまは酔いきれない。
僕たちはもう一度ジョイントを燻らせる。
子爵さまの重たい心が白い煙に包まれて解けて天に舞えるように。
ねぇ、子爵さま、あの天使くんを捉まえて。誰かに汚される前にあなたの手で。
視界を遮るジョイントの白い霧が、子爵さまの思考を奪う。
僕はこの霧の中であなたと交わり溶け合って、あなたの思考を奪うんだ。僕はあなた。あなたは僕。僕たちはくるりと入れ替わる。
さぁ、彼を捉まえて、僕にちょうだい。
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