18 / 193
Ⅰ.秋の始まり
16 謝罪1
しおりを挟む
僕はある種高揚した気分で階段をあがっていった。
でも、上りきる手前で立ち止まった。マリーが、アルビーの部屋から出てきたのだ。――泣いてる。
アルビーは宥めるように優しくマリーの髪を撫でていて、それから彼女にキスした。
僕は手摺りに手をかけたまま、その場にしゃがみこんでしまった。とっさに見てはいけないものを見てしまった気がしたんだ。聞こえてしまうんじゃないかってほど、心臓がトクトクと速く大きく脈打っていた。恥ずかしさで真っ赤になっているのが自分でも判った。
ドアが軋んで閉まる音にほっと息をつく。マリーは自分の部屋に戻ったんだ。でもまだ動く気になれなくて階段に座りこんだ。常夜灯の照らす薄闇が心地良い。火照った顔を冷ましてくれる。
こっちに来てからというもの、道端や公園なんかでキスしている連中を見ることなんてしょっちゅうあるから、もう照れることもなくなってたのに。やっぱり知っている人となると全然違う。それにあんな、あんな優しげなアルビーは初めてだ。あんなにしおらしいマリーも。
恋人同士じゃないって言っていたのに。そうとしか見えない。揶揄われているのか騙されているのか、それともなにか事情があるのか、さっぱり判らない。
またドアの開く音がして、びくりと震えた。アルビーが僕の横を駆けおりていった。僕には見向きもせずに。またどこかへ出かけるのかと一瞬焦ったけれど、彼は玄関ではなくキッチンに入っていった。せっかく穏やかになっていた心臓がまた暴れだしている。
彼が戻ってこないうちに、僕は三階の自分の部屋へ急ぐべきだろう。
翌日、授業を終えて帰宅すると、珍しくアルビーが家にいた。平日はほぼ大学にいるのに。今日はのんびりと居間のソファーでコーヒーを飲んでいる。まだ顔を合わせたくなかったのに――。でも、それもかえって良かったような気もして。いつまでも悩んで、こんな想いをひき摺るのはいいことじゃないって僕だって解っているのだ。
言わないと。謝らないと。ちゃんと説明しないと。
でも、足がすくんで動かなかった。喉が締めつけられているように苦しい。
僕は悪くない。悪いことをしたわけではない。でも、僕のせいでマリーもアルビーも酷く誤解してしまっている。アルビーは不快に思ったにちがいない、ってことはどうしようもない事実で――。
「ごめん」
頭の中で必死に自分を叱咤して、声をふり絞った。アルビーが僕に視線を向ける。僕は唇をこじ開けてもう一度繰り返した。
「ごめん、アルビー」
「なにが?」
「誤解させるようなことをしてしまって」
「――まぁ、座りなよ」
ぱんぱんと、アルビーは自分の横を軽く叩いている。僕はおずおずと、彼の横ではなく向かいの一人掛けの方に座った。
「きみは――、僕が、きみに特別な好意を抱いている、と思っていた?」
ここまでくると覚悟がついたのか、言葉は比較的楽に出てきた。
「うん、まあね」
心臓が冷えるよ。
「ずっと、僕を見ていただろ?」
やっぱり気にしていたんだ。
「違うんだ! そうじゃなくて。きみはあの人形にどこか似ていて、あの人形が僕にとって特別だからだよ。やっと解ったんだ!」
「人形?」
深い緑が鋭く僕を見つめ返している。地雷だって解ってはいるけれど、避けては通れない。
「ロンドンに来たばかりの頃、僕の友人が、骨董屋さんで赤毛の男の子の人形を買ったんだ。その店の主人に言われた。その人形はアンティークではないけど、とても人気のある作家の作品で滅多に手に入らない希少品なんだって。それにも、」
すっと目を細めるアルビーの面をまじかに見つめる僕の背中を冷や汗が伝う。
「アビゲイル・アスターの刻印が打ってあった」
「そう。珍しいね。巷で彼の作品がみつかるなんて」
冷ややかな声音が否応なく僕を責めたてる。いつもの無言のアルビーに言うだけ言ってみるつもりだった僕は、こんなふうに返事が返ってくることも、彼が席を立たずに聴いてくれることも、ちっとも予想していなかったんだ。
でも、上りきる手前で立ち止まった。マリーが、アルビーの部屋から出てきたのだ。――泣いてる。
アルビーは宥めるように優しくマリーの髪を撫でていて、それから彼女にキスした。
僕は手摺りに手をかけたまま、その場にしゃがみこんでしまった。とっさに見てはいけないものを見てしまった気がしたんだ。聞こえてしまうんじゃないかってほど、心臓がトクトクと速く大きく脈打っていた。恥ずかしさで真っ赤になっているのが自分でも判った。
ドアが軋んで閉まる音にほっと息をつく。マリーは自分の部屋に戻ったんだ。でもまだ動く気になれなくて階段に座りこんだ。常夜灯の照らす薄闇が心地良い。火照った顔を冷ましてくれる。
こっちに来てからというもの、道端や公園なんかでキスしている連中を見ることなんてしょっちゅうあるから、もう照れることもなくなってたのに。やっぱり知っている人となると全然違う。それにあんな、あんな優しげなアルビーは初めてだ。あんなにしおらしいマリーも。
恋人同士じゃないって言っていたのに。そうとしか見えない。揶揄われているのか騙されているのか、それともなにか事情があるのか、さっぱり判らない。
またドアの開く音がして、びくりと震えた。アルビーが僕の横を駆けおりていった。僕には見向きもせずに。またどこかへ出かけるのかと一瞬焦ったけれど、彼は玄関ではなくキッチンに入っていった。せっかく穏やかになっていた心臓がまた暴れだしている。
彼が戻ってこないうちに、僕は三階の自分の部屋へ急ぐべきだろう。
翌日、授業を終えて帰宅すると、珍しくアルビーが家にいた。平日はほぼ大学にいるのに。今日はのんびりと居間のソファーでコーヒーを飲んでいる。まだ顔を合わせたくなかったのに――。でも、それもかえって良かったような気もして。いつまでも悩んで、こんな想いをひき摺るのはいいことじゃないって僕だって解っているのだ。
言わないと。謝らないと。ちゃんと説明しないと。
でも、足がすくんで動かなかった。喉が締めつけられているように苦しい。
僕は悪くない。悪いことをしたわけではない。でも、僕のせいでマリーもアルビーも酷く誤解してしまっている。アルビーは不快に思ったにちがいない、ってことはどうしようもない事実で――。
「ごめん」
頭の中で必死に自分を叱咤して、声をふり絞った。アルビーが僕に視線を向ける。僕は唇をこじ開けてもう一度繰り返した。
「ごめん、アルビー」
「なにが?」
「誤解させるようなことをしてしまって」
「――まぁ、座りなよ」
ぱんぱんと、アルビーは自分の横を軽く叩いている。僕はおずおずと、彼の横ではなく向かいの一人掛けの方に座った。
「きみは――、僕が、きみに特別な好意を抱いている、と思っていた?」
ここまでくると覚悟がついたのか、言葉は比較的楽に出てきた。
「うん、まあね」
心臓が冷えるよ。
「ずっと、僕を見ていただろ?」
やっぱり気にしていたんだ。
「違うんだ! そうじゃなくて。きみはあの人形にどこか似ていて、あの人形が僕にとって特別だからだよ。やっと解ったんだ!」
「人形?」
深い緑が鋭く僕を見つめ返している。地雷だって解ってはいるけれど、避けては通れない。
「ロンドンに来たばかりの頃、僕の友人が、骨董屋さんで赤毛の男の子の人形を買ったんだ。その店の主人に言われた。その人形はアンティークではないけど、とても人気のある作家の作品で滅多に手に入らない希少品なんだって。それにも、」
すっと目を細めるアルビーの面をまじかに見つめる僕の背中を冷や汗が伝う。
「アビゲイル・アスターの刻印が打ってあった」
「そう。珍しいね。巷で彼の作品がみつかるなんて」
冷ややかな声音が否応なく僕を責めたてる。いつもの無言のアルビーに言うだけ言ってみるつもりだった僕は、こんなふうに返事が返ってくることも、彼が席を立たずに聴いてくれることも、ちっとも予想していなかったんだ。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
恋文より、先にレポートが届いた~監視対象と監視官、感情に名前をつけるまで
中岡 始
BL
政府による極秘監視プロジェクト──その対象は、元・天才ハッカーで現在は無職&生活能力ゼロの和泉義人(32歳・超絶美形)。
かつて国の防衛システムに“うっかり”侵入してしまった過去を持つ彼は、現在、監視付きの同居生活を送ることに。
監視官として派遣されたのは、真面目で融通のきかないエリート捜査官・大宮陸斗(28歳)。
だが任務初日から、冷蔵庫にタマゴはない、洗濯は丸一週間回されない、寝ながらコードを落書き…と、和泉のダメ人間っぷりが炸裂。
「この部屋の秩序、いつ崩壊したんですか」
「うまく立ち上げられんかっただけや、たぶん」
生活を“管理”するはずが、いつの間にか“世話”してるし…
しかもレポートは、だんだん恋文っぽくなっていくし…?
冷静な大宮の表情が、気づけば少しずつ揺らぎはじめる。
そして和泉もまた、自分のために用意された朝ごはんや、一緒に過ごすことが当たり前になった日常…心の中のコードが、少しずつ書き換えられていく。
──これは「監視」から始まった、ふたりの“生活の記録”。
堅物世話焼き×ツンデレ変人、心がじわじわ溶けていく、静かで可笑しな同居BL。
僕たち、結婚することになりました
リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった!
後輩はモテモテな25歳。
俺は37歳。
笑えるBL。ラブコメディ💛
fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。
優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―
無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」
卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。
一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。
選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。
本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。
愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。
※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。
※本作は織理受けのハーレム形式です。
※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください
ポメラニアン魔王
カム
BL
勇者に敗れた魔王様はポメラニアンになりました。
大学生と魔王様(ポメラニアン)のほのぼの生活がメインです。
のんびり更新。
視点や人称がバラバラでちょっと読みにくい部分もあるかもしれません。
表紙イラスト朔羽ゆき様よりいただきました。
はじまりの朝
さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。
ある出来事をきっかけに離れてしまう。
中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。
これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。
✳『番外編〜はじまりの裏側で』
『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる