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Ⅰ.秋の始まり
17 謝罪2
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「それも男の子! そうとう昔の作品だ。高かったんじゃないの?」と、どこか嘲るような口調でアルビーは続けた。
高かった。びっくりすような値段だった。今は円高だからまだマシなんだと、必死に自分を納得させたような気がする。「お前の金で買うんじゃないんだから黙ってろ」って言われた。でもいくら気に入ったからって、人形にあの値段だよ! お店のご主人なんて、僕にこれが買えるわけがないけれど、よほどの人形オタクなんだろうって同情してくれて、奥からもっと安くて綺麗な人形をいくつも引っ張り出してきてくれたほどだ。
その時の光景が鮮やかに蘇って、僕は思わず瞼を伏せた。心が痛かった。口にしたくない想いが喉の奥から溢れでてきそうだった。自分の意識から目を背けて、目の前に置かれているアルビーのマグカップをぼんやりと見つめた。
何も応えなくなった僕に、アルビーの方が苛ついて僕を促した。これじゃ、いつもと反対だ。
「そんな泣きたくなるほど高価だったの?」
「5万ポンド。でも、僕の身銭を切ったわけじゃないし――」
「ふうん。その値段なら本物かもしれないね。それで?」
「それで――」
ここまで話しておいて、僕は急に言い淀んでいた。この不可解な心情を彼に理解してもらえるとは思えなかったのだ。すごく自分勝手な、アルビーとは無関係な、自分でもどうしようもない感情――。きっと、呆れられる――。
「ごめん、アルビー。僕はきみを見ていたんじゃない。きみの中に、同じものを感じていただけなんだ。たぶん、アビゲイル・アスターを――」
赤毛の人形とこの飾り棚の人形はちっとも似ていない。アルビーとも似ているわけじゃない。だから僕は気づかなかったのだ。
昨夜、インターネットでこの名前を検索して、作品画像の中に赤毛の人形を見つけるまで。この刻印のことすら忘れていたのだ。
この2つの人形は、そしてアルビーは、似ていないのに似ているのだ。同じ空気をまとっている、としか言いようがない。同じ薫りがする。懐かしくて甘えたくなるような、そんな甘やかな薫りが――。
だから惹かれた。優しい思い出の薫りに、僕は引き寄せられたんだ。
自分でも知らなかったんだ。
彼がいなくなってから、こんなにも僕は淋しくて、不安で、どうしようもなかった、ってことを。
「それって、僕に対して随分失礼な言い分だね」
「だからごめん」
僕は膝の上でぎゅっと拳を握りしめていた。アルビーの顔を見られなかった。だからテーブルの上の、アルビーのカップに描かれている虹色のカメレオンに視線を据えていた。こんなふうに保護色に色を変えて隠れてしまえるといいのに。僕なんて、誰からも見えなくなってしまえればいいのに。彼が、僕から隠れて消えてしまったように……。
「僕は人形じゃないよ」
「ごめん」
「自意識過剰」
僕はアルビーを素通りして、自分自身の甘ったれた心を見ていただけなんだ。だからそんなふうに言われたって仕方ない。アルビーの中に勝手に彼を投影して、甘えていたんだ。彼が戻ってくれたような、そんな幻想に浸っていたんだ。
昨夜、マリーにキスしているアルビーを目にして、初めて、そんな僕の視線がどれだけこの二人を苛立たせていたか、やっと気づいた。そこまで鈍感だったなんて。自分のことながら笑うしかないじゃないか――。
「――なのは、僕の方だったか」
それなのに、僕ではなくアルビーが、突然クスクスと笑いだした。目を細めてさもおかしそうに。僕は唖然と面をあげて彼を見つめた。
「やはりきみは、あのペンの導いた僕の運命だったんだ」
嫌味でも意地悪でもなく、アルビーは本当に心の底から笑っているみたいだ。言っていることは、また僕には理解できなかったけれど、アルビーのこんな笑顔は、僕を心底安心させてくれていた。
「アビーには今でも熱烈なファンがいるからね、僕の顔に彼女を重ねる奴は多いんだ。でも、そのことで謝られたのは初めてだよ」
アビー? アビゲイル・アスターのことかな、工房の愛称かなにか?
僕はいつもの倍、いや、何倍も喋ってくれているアルビーをぼんやりと見つめていた。本当に、こんな寛いだ彼は初めてだったんだ。彼にもちゃんと感情があったのか、と驚愕するくらいに。
「ほら、その眼。そんな眼つきで見つめるから誤解してしまうんだ」
揶揄うように言われ、僕はびくっと飛びあがる。
「そんな眼ってどんな眼?」
思わず声にだして訊き返した。
「迷子になって必死で帰り路を探してる、子どもみたいな眼」
甘ったれた子どもだってこと?
「でも、嫌いじゃないよ。コウは赤ちゃんだって知ってるしね」
僕の心を読んだように、くすりとそんなことを言うアルビーは、確かに僕よりずっと大人に違いなくて、僕はなにも言い返すことができなかった。
高かった。びっくりすような値段だった。今は円高だからまだマシなんだと、必死に自分を納得させたような気がする。「お前の金で買うんじゃないんだから黙ってろ」って言われた。でもいくら気に入ったからって、人形にあの値段だよ! お店のご主人なんて、僕にこれが買えるわけがないけれど、よほどの人形オタクなんだろうって同情してくれて、奥からもっと安くて綺麗な人形をいくつも引っ張り出してきてくれたほどだ。
その時の光景が鮮やかに蘇って、僕は思わず瞼を伏せた。心が痛かった。口にしたくない想いが喉の奥から溢れでてきそうだった。自分の意識から目を背けて、目の前に置かれているアルビーのマグカップをぼんやりと見つめた。
何も応えなくなった僕に、アルビーの方が苛ついて僕を促した。これじゃ、いつもと反対だ。
「そんな泣きたくなるほど高価だったの?」
「5万ポンド。でも、僕の身銭を切ったわけじゃないし――」
「ふうん。その値段なら本物かもしれないね。それで?」
「それで――」
ここまで話しておいて、僕は急に言い淀んでいた。この不可解な心情を彼に理解してもらえるとは思えなかったのだ。すごく自分勝手な、アルビーとは無関係な、自分でもどうしようもない感情――。きっと、呆れられる――。
「ごめん、アルビー。僕はきみを見ていたんじゃない。きみの中に、同じものを感じていただけなんだ。たぶん、アビゲイル・アスターを――」
赤毛の人形とこの飾り棚の人形はちっとも似ていない。アルビーとも似ているわけじゃない。だから僕は気づかなかったのだ。
昨夜、インターネットでこの名前を検索して、作品画像の中に赤毛の人形を見つけるまで。この刻印のことすら忘れていたのだ。
この2つの人形は、そしてアルビーは、似ていないのに似ているのだ。同じ空気をまとっている、としか言いようがない。同じ薫りがする。懐かしくて甘えたくなるような、そんな甘やかな薫りが――。
だから惹かれた。優しい思い出の薫りに、僕は引き寄せられたんだ。
自分でも知らなかったんだ。
彼がいなくなってから、こんなにも僕は淋しくて、不安で、どうしようもなかった、ってことを。
「それって、僕に対して随分失礼な言い分だね」
「だからごめん」
僕は膝の上でぎゅっと拳を握りしめていた。アルビーの顔を見られなかった。だからテーブルの上の、アルビーのカップに描かれている虹色のカメレオンに視線を据えていた。こんなふうに保護色に色を変えて隠れてしまえるといいのに。僕なんて、誰からも見えなくなってしまえればいいのに。彼が、僕から隠れて消えてしまったように……。
「僕は人形じゃないよ」
「ごめん」
「自意識過剰」
僕はアルビーを素通りして、自分自身の甘ったれた心を見ていただけなんだ。だからそんなふうに言われたって仕方ない。アルビーの中に勝手に彼を投影して、甘えていたんだ。彼が戻ってくれたような、そんな幻想に浸っていたんだ。
昨夜、マリーにキスしているアルビーを目にして、初めて、そんな僕の視線がどれだけこの二人を苛立たせていたか、やっと気づいた。そこまで鈍感だったなんて。自分のことながら笑うしかないじゃないか――。
「――なのは、僕の方だったか」
それなのに、僕ではなくアルビーが、突然クスクスと笑いだした。目を細めてさもおかしそうに。僕は唖然と面をあげて彼を見つめた。
「やはりきみは、あのペンの導いた僕の運命だったんだ」
嫌味でも意地悪でもなく、アルビーは本当に心の底から笑っているみたいだ。言っていることは、また僕には理解できなかったけれど、アルビーのこんな笑顔は、僕を心底安心させてくれていた。
「アビーには今でも熱烈なファンがいるからね、僕の顔に彼女を重ねる奴は多いんだ。でも、そのことで謝られたのは初めてだよ」
アビー? アビゲイル・アスターのことかな、工房の愛称かなにか?
僕はいつもの倍、いや、何倍も喋ってくれているアルビーをぼんやりと見つめていた。本当に、こんな寛いだ彼は初めてだったんだ。彼にもちゃんと感情があったのか、と驚愕するくらいに。
「ほら、その眼。そんな眼つきで見つめるから誤解してしまうんだ」
揶揄うように言われ、僕はびくっと飛びあがる。
「そんな眼ってどんな眼?」
思わず声にだして訊き返した。
「迷子になって必死で帰り路を探してる、子どもみたいな眼」
甘ったれた子どもだってこと?
「でも、嫌いじゃないよ。コウは赤ちゃんだって知ってるしね」
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