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Ⅱ.冬の静寂(しじま)
35 パブ2
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僕の視線が気になったのか、ショーンが後ろを振り返る。
「アルビー・アイスバーグがいる」
どこか皮肉気な笑みを浮かべて呟いた。
「彼を知っているの?」
「有名だからね!」
大学生ならともかく、大学進学準備コースにまで、彼の名前が知られているとは思わなかった。
ショーンの話によれば、一足先にキングスカレッジに進学した友人たちから、アルビーの噂を聴いたのだそうだ。
大学で一番の美少女で美少年、卒業して院生になってからも、その地位も、異名も不動のカレッジの花。入学当時、白皙の美少年だった、というのは言わずもがな、美少女とまで言われていたのは、彼のあの性別を超えた不思議な雰囲気のせいらしい。そして年月が経過した今も、彼の美貌は衰えず、なお周囲の全てを魅了してやまない。
キングスカレッジの白薔薇。それが、彼の通り名なのだそうだ。白よりも濃い赤だと、僕は思うけれど、アイスバーグという名の薔薇は、白薔薇なのだそうだ。
「入学したての頃は、あの彼だって白だったんじゃないの」
ニヤニヤしながら含みのある言い方をするショーンに、もやもやと嫌悪感が湧く。好き勝手に言ってろ! そんな気になる。
殆ど飲んでいなかったエールを一気に煽り、おかわりを買いにいった。エールは、奢られたら奢り返すこと。そんな暗黙のルールがあるのだと、以前教えられたことがある。
アルビーはいつからあそこにいたのだろう? 僕がいることには気がついているのだろうか? いっしょにいるのは友だち? 僕は彼に友だちがいるなんて想像したことすらなかった。あの彼を、周囲が放っておくはずがないのに。
無口なアルビーは、マリーは別にしても、僕にだけ優しくて、僕にだけ喋り掛けてくれる。なんて、そんな愚かな錯覚に囚われていた。僕なんて、ただの同居人に過ぎないのに。
暮明の中、彼はひとり輝く蛍のようで、切り取られた一枚の絵のようで、その薫りで人を惑わす花のようで。
こんなにも離れた席から盗み見ている僕と、艶やかな彼とは、遠く隔たった別世界の住人だ。僕の知らない世界で当たり前に生きているアルビーに、ショックを受けている自分がいる。恨みがましく睨めつけながら、無意識にパイントグラスをグイグイ煽る。
眼を逸らせようとしてもどうしたって視界に入るアルビーの、友だち連中の賑やかな喧騒の中にいてさえ、いつもと変わらず、余り喋っている様子はない彼らしさに安堵しながらも、彼を囲む奴らの馴れ馴れしさに、僕は次第に苛立ちを覚えていた。
アルビーも、アルビーだ! あんなふうにベタベタされて、何で文句の一つも言わないんだ! 本当はずっと辛辣な癖に!
目の前で喋っているショーンの言葉なんて、もはや一切聞き取れない。鉛を呑み込んだような息苦しさに、僕はカウンターチェアを滑り落ちるように下りた。つもりだった。
膝が崩れ、気がつくと床にひっくり返っていた。ショーンが慌てて駆け寄って助け起こしてくれている。必死に立とうとしているのに足に力が入らない。
ふわりと躰が浮いた。
「失礼。僕が送って行く。一緒に住んでいるんだ」
直ぐ近くでアルビーの声がする。怒っているような、冷たい、相手を威圧する声。彼の声はいつも柔らかくて、彼の醸し出す雰囲気よりも余程温かいのに。朦朧とする意識の中に響くのは凍てついた冬の空気。有無を言わさぬ支配的な透き通る青の氷雪。
僕自身はこんなに熱をもってふわふわしているのに。その熱ごと包んで閉じ込める。
目を瞑り、漂うような夢の中で、僕はアルビーの香りに頬を擦り付け、赤ん坊のように丸まって微笑んでいた。
「アルビー・アイスバーグがいる」
どこか皮肉気な笑みを浮かべて呟いた。
「彼を知っているの?」
「有名だからね!」
大学生ならともかく、大学進学準備コースにまで、彼の名前が知られているとは思わなかった。
ショーンの話によれば、一足先にキングスカレッジに進学した友人たちから、アルビーの噂を聴いたのだそうだ。
大学で一番の美少女で美少年、卒業して院生になってからも、その地位も、異名も不動のカレッジの花。入学当時、白皙の美少年だった、というのは言わずもがな、美少女とまで言われていたのは、彼のあの性別を超えた不思議な雰囲気のせいらしい。そして年月が経過した今も、彼の美貌は衰えず、なお周囲の全てを魅了してやまない。
キングスカレッジの白薔薇。それが、彼の通り名なのだそうだ。白よりも濃い赤だと、僕は思うけれど、アイスバーグという名の薔薇は、白薔薇なのだそうだ。
「入学したての頃は、あの彼だって白だったんじゃないの」
ニヤニヤしながら含みのある言い方をするショーンに、もやもやと嫌悪感が湧く。好き勝手に言ってろ! そんな気になる。
殆ど飲んでいなかったエールを一気に煽り、おかわりを買いにいった。エールは、奢られたら奢り返すこと。そんな暗黙のルールがあるのだと、以前教えられたことがある。
アルビーはいつからあそこにいたのだろう? 僕がいることには気がついているのだろうか? いっしょにいるのは友だち? 僕は彼に友だちがいるなんて想像したことすらなかった。あの彼を、周囲が放っておくはずがないのに。
無口なアルビーは、マリーは別にしても、僕にだけ優しくて、僕にだけ喋り掛けてくれる。なんて、そんな愚かな錯覚に囚われていた。僕なんて、ただの同居人に過ぎないのに。
暮明の中、彼はひとり輝く蛍のようで、切り取られた一枚の絵のようで、その薫りで人を惑わす花のようで。
こんなにも離れた席から盗み見ている僕と、艶やかな彼とは、遠く隔たった別世界の住人だ。僕の知らない世界で当たり前に生きているアルビーに、ショックを受けている自分がいる。恨みがましく睨めつけながら、無意識にパイントグラスをグイグイ煽る。
眼を逸らせようとしてもどうしたって視界に入るアルビーの、友だち連中の賑やかな喧騒の中にいてさえ、いつもと変わらず、余り喋っている様子はない彼らしさに安堵しながらも、彼を囲む奴らの馴れ馴れしさに、僕は次第に苛立ちを覚えていた。
アルビーも、アルビーだ! あんなふうにベタベタされて、何で文句の一つも言わないんだ! 本当はずっと辛辣な癖に!
目の前で喋っているショーンの言葉なんて、もはや一切聞き取れない。鉛を呑み込んだような息苦しさに、僕はカウンターチェアを滑り落ちるように下りた。つもりだった。
膝が崩れ、気がつくと床にひっくり返っていた。ショーンが慌てて駆け寄って助け起こしてくれている。必死に立とうとしているのに足に力が入らない。
ふわりと躰が浮いた。
「失礼。僕が送って行く。一緒に住んでいるんだ」
直ぐ近くでアルビーの声がする。怒っているような、冷たい、相手を威圧する声。彼の声はいつも柔らかくて、彼の醸し出す雰囲気よりも余程温かいのに。朦朧とする意識の中に響くのは凍てついた冬の空気。有無を言わさぬ支配的な透き通る青の氷雪。
僕自身はこんなに熱をもってふわふわしているのに。その熱ごと包んで閉じ込める。
目を瞑り、漂うような夢の中で、僕はアルビーの香りに頬を擦り付け、赤ん坊のように丸まって微笑んでいた。
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