霧のはし 虹のたもとで

萩尾雅縁

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Ⅱ.冬の静寂(しじま)

57 噂1

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 耳を擦った彼の息に、僕は真っ赤になって立ち上がった。アルビーは薄く笑って部屋を出て行った。

 僕は収まらない動悸に、その場に立ち尽くしたまま。

 アルビーはもう怒っていない。それは何となく解った。でも意味が解らない。つがいの蜥蜴ってなんだよ? アルビーはそんなつもりで作った指輪をくれたってこと? だから大事にしろって?
 僕のことが好きな訳じゃないのに? 僕には彼は理解不能だ。

 アルビーには恋人がいる。彼の鎖骨や首筋にキスマークを残すような。彼はそれをわざと見せて、僕を牽制したじゃないか。僕が不躾に彼を見つめていたから。彼のことを好きだと勘違いしていたから。

 それなのに他人を誤解させるような指輪をくれるってことは、わざと誰かを誤解させたいとしか思えない。マリーだってアルビーの作った指輪をしているもの。焼きもちを焼かれて彼女が嫌な思いをしないようにとか、そんな事だろうか?
 僕をダシに使うなんて酷いじゃないか、アルビー! 結局それでマリーが怒っているのなら、本末転倒もいいところだ。

 アルビーの本当の意図が解らず、苛々と腰を下ろした。そして、机の上の写真を手に取った。写真の中の彼の笑顔に気が抜けて、安堵の吐息が漏れていた。

 ともあれ、アルビーにあれ以上きみの事を追及されなくて、本当に良かったよ。




 写真をポケットに入れ、キッチンに下りた。誰もいない。居間にも。良かった。二人共二階にいるみたいだ。

 ガスコンロの点火ツマミを回して、小さな青い焔に写真をかざした。勢い良く燃え上がり、黒煙と異臭が鼻をつく。乾いたシンクに落として燃え尽きるのを見守った。
 写真なんかなくったって平気。僕の右手にきみが宿っている。アルビーはああ言ったけれど、これはただの蜥蜴なんかじゃない。僕にとっては、知恵の象徴火蜥蜴サラマンダーだ。

 燃え尽きて消し屑になった写真の熱が冷めるのを待って、ハンカチの上に載せ庭に出た。常緑の生垣の傍に身を屈め、凍てついた地面にそっと置いて、粉々になるまで石で砕いた。
 寒いな。
 ぶるりと身震いして、今にも降り出しそうな鈍色の空を見上げた。



 翌日、ショーンと大学近くのカフェで待ち合わせた。ショーンは僕のように沢山の課目を履修する必要がないので、意識して逢う時間を作らないと時間割によってはなかなか逢えないから。マリーの怒りを解く為にも、僕はきちんと現状の噂を把握しなければならないと思っている。

 久しぶりに逢うショーンは、好奇心に溢れる瞳を僕に向けてきた。けれど本題に入る前に、彼は僕の肩をバンバンと叩いて嬉しそうに告げた。

「きみにはお礼をしなくちゃいけないね。また飲みに行こう。今日はどうだい? まだ少し早いかな、もう少し時間を潰してからでも」

 いつもと様子が違う。浮かれて饒舌に喋る彼に不安が過る。聴けば、あのカウントダウンの日に彼女が出来たのだそうだ。アルビーの取り巻きの子らしい。僕はなんだか腑に落ちなかったけれど、「それはおめでとう」としか言いようがない。少なくともショーンは幸せそうだ。
 と、言うことは、あの場にいた女の子たちはアルビーを狙っている子たち、って言う訳でもないのだろうか? 本当にただの友だちで。それなのに、あんなキスをするの? 友だち同士の間でも? 全然自分の理解が追い付かなくて、率直にショーンに尋ねてみた。すごく言い出し辛かったけれど。うんちくを語ることや、人にものを教えて諭すのが好きなショーンなら、こんな恥ずかしいことを訊いても、笑ったりしないと思ったから。

「そりゃあ、アルビー・アイスバーグとキスできるチャンスを誰だって虎視眈々と狙っているさ。男も、女も」

 思った通り、ショーンは真面目な顔をして答えてくれた。若干、同情的な視線で僕を眺めながら。
 
 

 





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