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Ⅲ.春の足音
90 旅8 入り口
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宿のチェックアウトを済ませ、ミシェルの車に乗り込んだ。大柄な彼に似合わない空色のコンパクトカーだ。洒落たデザインは何だかおもちゃみたいで可愛らしい。
昨日の灰色の空とは打って変わって、頭上には青空が広がっている。イギリスの空模様なんて、ちっともあてになりはしないけど。
車が走り出して五分も経たない内に、僕は鉛のように重く落ちて来る瞼を支えていることができなくなっていた。けして会話に加わるのが嫌で、寝た振りをしている訳じゃない。本当に眠くて目を開けていられなかったのだ。
助手席に座るコリーヌも、後部座席の僕の横にいるショーンも、朝食の席での話の続きを訊きたくて堪らないってこと、解ってはいたのだけれど。
ショーンは生返事を繰り返す僕に見切りをつけてくれたのか、「寝かせておいてやって。昨日結構歩き回ったからさ、疲れてるんだよ。彼はちっこいし、食も細いし、余り体力もないんだよ」と、しきりに僕に話し掛けていたコリーヌを遮ってくれた。そして僕の代わりに、間違った認識に基づく彼の持論をとうとうと語り出す。
僕は夢現でショーンの馬鹿げた見解を聞いていたけれど、如何せん、とにかく眠たくて、反論するだけの気力もなかった。
ホムンクルス……。
ショーンは、どうしてこんな変てこりんな誤解をしてしまったのだろう? 僕は霧がかった意識の中で、電車での彼との会話を思い返した。
錬金術。人形。メタモルフォシス……。どうして人造人間に繋がるんだ? フラスコの代わりに人形を器に使った? 飛躍しすぎだろ!
「コウは、『ソロモンの小さな鍵』の異本に書かれていたって言うんだけど、あれは、嘘だね。僕はクロウリーの『ホムンクルス文書』からヒントを得たんじゃないかと思っているんだ」
「胎児に肉体を持たない精霊を受肉させるっていう、あれ?」
「そう! さすがに本物の胎児だの、赤ちゃんだので実験するのは不可能だろ? だからとても人間に近い、美しい芸術品のような人形を使ったんじゃないかな? 精霊も震えがくるような奴をさ!」
違うよ……。全く違う……。
余りに馬鹿馬鹿しくて、意識が彼らの会話を追うだけの好奇心を保てなかった。その内僕は、若干抑えたショーンの声と、鼻に抜けるコリーヌのどこか癇に障るフランス訛りのリズミカルな会話を子守歌のように感じながら、ぐっすりと深い眠りに落ちていった。
「コウ、もうじき着くぞ」
すごく近くで声がした。ミントが香る。ショーンの好きなミントタブレットの臭いだ。目を開けて、頭を支えてくれていたものにやっと気づいた。いつの間にか、ショーンの肩にもたれかかっていたんだ。
「あ、ごめん」
頭を起こし窓越しに辺りを見廻すと、車はどこかの街中を走っていた。古そうな教会。広場では市が立っている。公園の緑を彩る黄水仙。石造りの街並みは、電車の車窓から見えた多くの街と取り立てて代り映えしない。
こんな街が英国最大のパワースポットなの?
駐車場に車を停め、地面に足を下ろして思い切り背筋を伸ばした。それほど長い道のりではなかったはずなのに、随分と、気分も、躰の怠さも回復していた。
最初にグラストンベリー修道院を訪れた。アーサー王の墓があったとされる場所だ。十六世紀にヘンリー八世に滅茶苦茶にされ、今は廃墟と化している。
広大な敷地のそこかしこ、未だ柔らかで控えめな春の日差しに照らされた芝の緑が輝く中に、崩れ落ちた修道院の白壁が光を跳ね金色に染まる。
朽ちてなお美しいその佇まいに、心が震える。
ぼんやりと僕が見惚れている間に、コリーヌは芝生に腰を下ろして座禅を組み、瞑想なんか始めている。僕やショーンのように民俗学的な興味ではなく、彼女はもっとスピリチュアルとか、ヒーリングとか、ああいう系統の人なのだろう。ミシェルはというと、一眼レフを手に写真を撮りまくっているから、彼女とはまた違う興味でここにいるみたいだけど。
そしてショーンは……。振り返ると、目が合った。けれど彼はすっと視線を逸らした。そして天を仰ぎ、唇を思い切りへの字に曲げて何やら考えている素振りを見せた。
「コウ、ここを集合場所にして、その辺見て回ろう!」
目を逸らされたことで不安に傾きかけていた僕の心を、ショーンの明るい声が立て直してくれた。僕は頷いて彼に駆け寄った。
風が心地よい。
「空気が綺麗で、気持ちいい所だね」
「浄化されるような? 本当の事を言うとな、」
ショーンは後ろを振り返り、コリーヌたちを一瞥すると声を落として僕の耳に顔を寄せた。
「俺はそういうスピリチュアル・パワーとか、ちっとも解らないんだ。波動がどうのとか、気の流れがどうとかって感覚的なことじゃなくて、大昔からの信仰の地が何故ここなのか、この場所が選ばれた理由、納得できる根拠を知りたいのさ」
「日の出の方角に位置するレイラインのような?」
真剣な顔をして頷くショーンに、僕はちょっと小首を傾げた。
「根拠はたくさんあると思うよ。レイラインはサラマンダーの通り道でもあるからね」
息を呑んで、ショーンはまじまじと僕を見つめた。
昨日の灰色の空とは打って変わって、頭上には青空が広がっている。イギリスの空模様なんて、ちっともあてになりはしないけど。
車が走り出して五分も経たない内に、僕は鉛のように重く落ちて来る瞼を支えていることができなくなっていた。けして会話に加わるのが嫌で、寝た振りをしている訳じゃない。本当に眠くて目を開けていられなかったのだ。
助手席に座るコリーヌも、後部座席の僕の横にいるショーンも、朝食の席での話の続きを訊きたくて堪らないってこと、解ってはいたのだけれど。
ショーンは生返事を繰り返す僕に見切りをつけてくれたのか、「寝かせておいてやって。昨日結構歩き回ったからさ、疲れてるんだよ。彼はちっこいし、食も細いし、余り体力もないんだよ」と、しきりに僕に話し掛けていたコリーヌを遮ってくれた。そして僕の代わりに、間違った認識に基づく彼の持論をとうとうと語り出す。
僕は夢現でショーンの馬鹿げた見解を聞いていたけれど、如何せん、とにかく眠たくて、反論するだけの気力もなかった。
ホムンクルス……。
ショーンは、どうしてこんな変てこりんな誤解をしてしまったのだろう? 僕は霧がかった意識の中で、電車での彼との会話を思い返した。
錬金術。人形。メタモルフォシス……。どうして人造人間に繋がるんだ? フラスコの代わりに人形を器に使った? 飛躍しすぎだろ!
「コウは、『ソロモンの小さな鍵』の異本に書かれていたって言うんだけど、あれは、嘘だね。僕はクロウリーの『ホムンクルス文書』からヒントを得たんじゃないかと思っているんだ」
「胎児に肉体を持たない精霊を受肉させるっていう、あれ?」
「そう! さすがに本物の胎児だの、赤ちゃんだので実験するのは不可能だろ? だからとても人間に近い、美しい芸術品のような人形を使ったんじゃないかな? 精霊も震えがくるような奴をさ!」
違うよ……。全く違う……。
余りに馬鹿馬鹿しくて、意識が彼らの会話を追うだけの好奇心を保てなかった。その内僕は、若干抑えたショーンの声と、鼻に抜けるコリーヌのどこか癇に障るフランス訛りのリズミカルな会話を子守歌のように感じながら、ぐっすりと深い眠りに落ちていった。
「コウ、もうじき着くぞ」
すごく近くで声がした。ミントが香る。ショーンの好きなミントタブレットの臭いだ。目を開けて、頭を支えてくれていたものにやっと気づいた。いつの間にか、ショーンの肩にもたれかかっていたんだ。
「あ、ごめん」
頭を起こし窓越しに辺りを見廻すと、車はどこかの街中を走っていた。古そうな教会。広場では市が立っている。公園の緑を彩る黄水仙。石造りの街並みは、電車の車窓から見えた多くの街と取り立てて代り映えしない。
こんな街が英国最大のパワースポットなの?
駐車場に車を停め、地面に足を下ろして思い切り背筋を伸ばした。それほど長い道のりではなかったはずなのに、随分と、気分も、躰の怠さも回復していた。
最初にグラストンベリー修道院を訪れた。アーサー王の墓があったとされる場所だ。十六世紀にヘンリー八世に滅茶苦茶にされ、今は廃墟と化している。
広大な敷地のそこかしこ、未だ柔らかで控えめな春の日差しに照らされた芝の緑が輝く中に、崩れ落ちた修道院の白壁が光を跳ね金色に染まる。
朽ちてなお美しいその佇まいに、心が震える。
ぼんやりと僕が見惚れている間に、コリーヌは芝生に腰を下ろして座禅を組み、瞑想なんか始めている。僕やショーンのように民俗学的な興味ではなく、彼女はもっとスピリチュアルとか、ヒーリングとか、ああいう系統の人なのだろう。ミシェルはというと、一眼レフを手に写真を撮りまくっているから、彼女とはまた違う興味でここにいるみたいだけど。
そしてショーンは……。振り返ると、目が合った。けれど彼はすっと視線を逸らした。そして天を仰ぎ、唇を思い切りへの字に曲げて何やら考えている素振りを見せた。
「コウ、ここを集合場所にして、その辺見て回ろう!」
目を逸らされたことで不安に傾きかけていた僕の心を、ショーンの明るい声が立て直してくれた。僕は頷いて彼に駆け寄った。
風が心地よい。
「空気が綺麗で、気持ちいい所だね」
「浄化されるような? 本当の事を言うとな、」
ショーンは後ろを振り返り、コリーヌたちを一瞥すると声を落として僕の耳に顔を寄せた。
「俺はそういうスピリチュアル・パワーとか、ちっとも解らないんだ。波動がどうのとか、気の流れがどうとかって感覚的なことじゃなくて、大昔からの信仰の地が何故ここなのか、この場所が選ばれた理由、納得できる根拠を知りたいのさ」
「日の出の方角に位置するレイラインのような?」
真剣な顔をして頷くショーンに、僕はちょっと小首を傾げた。
「根拠はたくさんあると思うよ。レイラインはサラマンダーの通り道でもあるからね」
息を呑んで、ショーンはまじまじと僕を見つめた。
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