148 / 193
Ⅳ 初夏の木漏れ日
143 雨
しおりを挟む
イギリスには一日の中に四季がある――。
なんて言われるくらい、この国の天候は目まぐるしく変わる。窓の外は雨だ。昼間はあんなに良い天気だったのに。
僕の気分もこの空のように目まぐるしく翻弄されて、もう、目が回りそうだよ。
「コウ、さっきからため息ばかり吐いてる」
ティーテーブルの上の本に視線を落としたまま、マリーは呟いた。僕はどんよりと薄暗い空から落ちて来る、窓を伝う無数の雨だれを数えていた。
「色々あるんだよ」
「何があるのよ」
「人の心ってままならないものだなって」
「当たり前でしょ」
馬鹿みたいだな。僕は当たり前も知らない世間知らずみたいだ。
また、ため息がついて出る。
「きみの友だちは、ショーンのどこが好きなの?」
「身体に決まってるでしょ」
沈黙。
「ほかにはないの?」
次の質問を思いつくのに、軽く五分はかかった。
「煩く自慢話しないところ」
確かに、彼はうんちく話は好きだけど、自分自身の話は嫌いだ。
「じゃあ、彼の何が不満なの?」
「自分を一番にしてくれないところ」
女の子って、変だ。
昼間の公然とした盗み聞きから、ここは絶対に自分を馬鹿にした言動をするとか、失礼だ、とか言うと思ったのに。
この辺で、この会話は切り上げた方が良さそうだ。ショーンと彼女は、僕の常識の斜め上を行っているから、聞いたところできっと混乱するばかりだろう。
「マリーの一番はアルビーだろ?」
口に出してしまってから、自分の言葉に仰天した。どうしてこんな事を言ってしまったのか解らない。思わず目が泳ぐ。僅かな間に更に雨足は激しくなっている。窓ガラスを滝のように流れ落ちている雨だれに交じって溺れてしまいたい。
マリーは、キッと僕を睨めつけてから、ふっと瞼を伏せ、吐息に掻き消えそうな声で、「そうね」と答えた。
僕はどうかしている。彼女にこんなことを言わせてどうするつもりなんだ? 昼間のショックからまるで立ち直れていないのに、傷口に自分で手を突っ込んで広げてるなんて。
ショーンは、僕とアルビーのことを知っていた。その事実が恥ずかしくて堪らなかった。そして、そう思ってしまうことが、アルビーに申し訳なくて堪らなかった。それにマリー、きみにも。
そんな想いが、どうしてこんな言葉に変換されるかが、まるで解らない。
「ごめんよ、マリー」
「いいのよ。私はアルの一番にはならない、て決めてるの」
マリーはくいっと、背筋を伸ばし頭を上げた。
「私は、アルの家族だもの。そうでなくちゃ、ダメなの」
声が震えていた。泣き出すかと思ったけれど、彼女は唇を固く結んだまま、涙を浮かべることはなかった。
「愛している」、と言ってもらえる他人は、特別な一人。でも、家族は別だ。日常的に、「愛している」を細やかで優しいシャワーのように浴びている。
薄氷を踏むように繊細な息遣いで保っていかなくちゃいけない「愛している」よりも、マリーは、未来永劫揺るがないアルビーの家族へ向ける「愛してる」を選ぶのだと、そう思った。
「マリーは、僕が嫌い?」
彼女は驚いた顔をして、それからクスッと笑って首を横に振った。
「あんたが来てから、アルは優しくなったわ」
「ありがとう、マリー」
「あんたが言わなくてもいいのよ」
にっと唇を吊り上げる彼女の口許は、どこか皮肉気で。でも、その瞳はとても優し気で、どこか哀し気で、そして、幾ばくかの諦観を含んでいるようにも見える。
「それにしても、アル、遅いわね」
いつの間にか、雨雲で黒みがかっていた窓外は、本物の闇に包まれている。窓を振り返るマリーの顔が、とめどなく雫が流れるガラスに映っている。幾重にも重なる涙に閉じ込められているように。
僕は立ち上がって、若草色のカーテンを閉め始めた。
「アルビー、傘を持っているかな?」
明るい室内の灯りの下、窓ガラスに映る僕の顔もまた、不明瞭に歪んで見えた。
なんて言われるくらい、この国の天候は目まぐるしく変わる。窓の外は雨だ。昼間はあんなに良い天気だったのに。
僕の気分もこの空のように目まぐるしく翻弄されて、もう、目が回りそうだよ。
「コウ、さっきからため息ばかり吐いてる」
ティーテーブルの上の本に視線を落としたまま、マリーは呟いた。僕はどんよりと薄暗い空から落ちて来る、窓を伝う無数の雨だれを数えていた。
「色々あるんだよ」
「何があるのよ」
「人の心ってままならないものだなって」
「当たり前でしょ」
馬鹿みたいだな。僕は当たり前も知らない世間知らずみたいだ。
また、ため息がついて出る。
「きみの友だちは、ショーンのどこが好きなの?」
「身体に決まってるでしょ」
沈黙。
「ほかにはないの?」
次の質問を思いつくのに、軽く五分はかかった。
「煩く自慢話しないところ」
確かに、彼はうんちく話は好きだけど、自分自身の話は嫌いだ。
「じゃあ、彼の何が不満なの?」
「自分を一番にしてくれないところ」
女の子って、変だ。
昼間の公然とした盗み聞きから、ここは絶対に自分を馬鹿にした言動をするとか、失礼だ、とか言うと思ったのに。
この辺で、この会話は切り上げた方が良さそうだ。ショーンと彼女は、僕の常識の斜め上を行っているから、聞いたところできっと混乱するばかりだろう。
「マリーの一番はアルビーだろ?」
口に出してしまってから、自分の言葉に仰天した。どうしてこんな事を言ってしまったのか解らない。思わず目が泳ぐ。僅かな間に更に雨足は激しくなっている。窓ガラスを滝のように流れ落ちている雨だれに交じって溺れてしまいたい。
マリーは、キッと僕を睨めつけてから、ふっと瞼を伏せ、吐息に掻き消えそうな声で、「そうね」と答えた。
僕はどうかしている。彼女にこんなことを言わせてどうするつもりなんだ? 昼間のショックからまるで立ち直れていないのに、傷口に自分で手を突っ込んで広げてるなんて。
ショーンは、僕とアルビーのことを知っていた。その事実が恥ずかしくて堪らなかった。そして、そう思ってしまうことが、アルビーに申し訳なくて堪らなかった。それにマリー、きみにも。
そんな想いが、どうしてこんな言葉に変換されるかが、まるで解らない。
「ごめんよ、マリー」
「いいのよ。私はアルの一番にはならない、て決めてるの」
マリーはくいっと、背筋を伸ばし頭を上げた。
「私は、アルの家族だもの。そうでなくちゃ、ダメなの」
声が震えていた。泣き出すかと思ったけれど、彼女は唇を固く結んだまま、涙を浮かべることはなかった。
「愛している」、と言ってもらえる他人は、特別な一人。でも、家族は別だ。日常的に、「愛している」を細やかで優しいシャワーのように浴びている。
薄氷を踏むように繊細な息遣いで保っていかなくちゃいけない「愛している」よりも、マリーは、未来永劫揺るがないアルビーの家族へ向ける「愛してる」を選ぶのだと、そう思った。
「マリーは、僕が嫌い?」
彼女は驚いた顔をして、それからクスッと笑って首を横に振った。
「あんたが来てから、アルは優しくなったわ」
「ありがとう、マリー」
「あんたが言わなくてもいいのよ」
にっと唇を吊り上げる彼女の口許は、どこか皮肉気で。でも、その瞳はとても優し気で、どこか哀し気で、そして、幾ばくかの諦観を含んでいるようにも見える。
「それにしても、アル、遅いわね」
いつの間にか、雨雲で黒みがかっていた窓外は、本物の闇に包まれている。窓を振り返るマリーの顔が、とめどなく雫が流れるガラスに映っている。幾重にも重なる涙に閉じ込められているように。
僕は立ち上がって、若草色のカーテンを閉め始めた。
「アルビー、傘を持っているかな?」
明るい室内の灯りの下、窓ガラスに映る僕の顔もまた、不明瞭に歪んで見えた。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
恋文より、先にレポートが届いた~監視対象と監視官、感情に名前をつけるまで
中岡 始
BL
政府による極秘監視プロジェクト──その対象は、元・天才ハッカーで現在は無職&生活能力ゼロの和泉義人(32歳・超絶美形)。
かつて国の防衛システムに“うっかり”侵入してしまった過去を持つ彼は、現在、監視付きの同居生活を送ることに。
監視官として派遣されたのは、真面目で融通のきかないエリート捜査官・大宮陸斗(28歳)。
だが任務初日から、冷蔵庫にタマゴはない、洗濯は丸一週間回されない、寝ながらコードを落書き…と、和泉のダメ人間っぷりが炸裂。
「この部屋の秩序、いつ崩壊したんですか」
「うまく立ち上げられんかっただけや、たぶん」
生活を“管理”するはずが、いつの間にか“世話”してるし…
しかもレポートは、だんだん恋文っぽくなっていくし…?
冷静な大宮の表情が、気づけば少しずつ揺らぎはじめる。
そして和泉もまた、自分のために用意された朝ごはんや、一緒に過ごすことが当たり前になった日常…心の中のコードが、少しずつ書き換えられていく。
──これは「監視」から始まった、ふたりの“生活の記録”。
堅物世話焼き×ツンデレ変人、心がじわじわ溶けていく、静かで可笑しな同居BL。
僕たち、結婚することになりました
リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった!
後輩はモテモテな25歳。
俺は37歳。
笑えるBL。ラブコメディ💛
fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。
優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―
無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」
卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。
一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。
選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。
本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。
愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。
※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。
※本作は織理受けのハーレム形式です。
※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください
ポメラニアン魔王
カム
BL
勇者に敗れた魔王様はポメラニアンになりました。
大学生と魔王様(ポメラニアン)のほのぼの生活がメインです。
のんびり更新。
視点や人称がバラバラでちょっと読みにくい部分もあるかもしれません。
表紙イラスト朔羽ゆき様よりいただきました。
はじまりの朝
さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。
ある出来事をきっかけに離れてしまう。
中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。
これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。
✳『番外編〜はじまりの裏側で』
『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる