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Ⅳ 初夏の木漏れ日
158 過去
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朝はあんなに晴れていたのに、今はもう、どんよりとした曇り空だ。久しぶりの雨になるかもしれない。近頃はずっと良いお天気だったから仕方がないか。
自室の机についたまま、眼を休めるために向けた窓外の予想外の暗さに、ますます気分が落ち込んだ。読み進めるにつれ、この空のような鈍色が広がっていくアーノルドの日記。手に馴染む、柔らかなその深緑の革表紙を親指でなぞる。
アルビーの言った通り、儀式の記述から遡ってみても、四大精霊の人形のモデルたちについての言及はない。却って不自然なほどに。アビゲイルに出逢ってからの彼の想いが、ひたすらに綴られているだけだった。
三冊目の日記帳に移って間もなく、アーノルドの恋は唐突に成就した。とんとん拍子に結婚に至る。彼は貴族階級の出身だけど、次男だったので、酷く反対されたりもしなかったらしい。アビゲイルのファッションモデルという職種、二十歳にも満たない若さ、それに孤児という出生に関しては、本人には聴かせられない嫌味を幾つか言われ、憤慨しているけれど。この程度の嫌味くらい、自分が甘んじて受ければよいことだ、との諦観がみえる。そんなこと、彼に取っては大した問題でもなかったようだ。
この結婚が、彼にどれほどの幸福をもたらしたことか!
僕も読みながらニヤニヤしてしまったよ。アルビーのお父さんは、こんなにも彼のお母さんを愛して、慈しんでいたんだもの。
そしてだからこそ、その後、彼らを襲った過酷な運命に、息を呑まずにはいられなかった。
結婚後一年もしないうちに、アーノルドのお兄さんが亡くなった。その二人の息子も巻き込んだ、交通事故だった。そしてアーノルドがアイスバーグ家の爵位継承者に繰り上がる。こうなると、今まで彼のすることに無関心だった彼の実家が、手のひらを返して干渉してくるようになる。辛いのはアビゲイルだ。舅、姑の嫌味に耐え、それでも健気に尽くしている様子が、腹立たし気なアーノルドの筆致から如実に伝わってくる。
この頃の彼女なんて、僕とそう年齢も変わらないというのに……。
アーノルドは両親に忠実に生きてきた、大人しい性格の人だ。結婚に関しては、彼らの期待に沿えなかったことを申し訳なく思っている。けれど、後悔はしていない。彼はアビゲイルを何ものにも代えがたいほどに、愛している。だから、頻繁に家に訪れては妻に辛く当たる自分の両親と、それでも明るく精一杯に応えようとする健気なアビゲイルとの間に挟まれ、随分と心を痛めていた。
と、ここまで、僕は昼食を取るのも忘れて読み進めてきた。昼食どころか、もうすでに夕方だ。
五冊目の革表紙をパタンと閉じた時には、さすがに空腹を感じていた。ポットに作っておいた紅茶も、もう空だ。
一区切りつけて、まずはお腹に何か入れよう。この空っぽの胃に、ぐずぐず悩むばかりのアーノルドの心理は痛すぎる。
キッチンに入ると、マリーがお茶を淹れていた。僕を見て「あら、いたの?」と呟いた。機嫌が悪そうだな。マリーの方は、最終試験どうなんだろう? 訊いていいものかどうか、迷ってしまう。
「随分深刻な顔しちゃって、どうしたのよ?」
言わなくても、当たり前に僕のカップにお茶を入れ、テーブルの上にコトリと置く。
「別に、本を読んでたんだよ。ありがとう」
カップを持ち上げお礼言う。ほっとして、笑みがこぼれた。ぱっと見た瞬間の印象ほど、マリーは機嫌が悪い訳ではないらしい。
「試験、もう済んだの?」
「まだ。今は休憩よ。お腹空いちゃって。スコーンがあるかと思ったのに……」
恨みがましく僕を見るマリー。犯人は僕じゃない。それとも、早く次を作れってこと?
「僕も何か食べようと思っていたところなんだ。サンドイッチでもいい?」
「卵とベーコン」
「OK。ちょっと時間がかかるよ。できたら部屋に持って行こうか?」
ティーポットとカップをトレイに載せている彼女にそう訊ねた。ここで、のんびりとお茶を飲むつもりはないみたいだから。
「ありがとう、お願いね」
マリーは艶やかに微笑んだ。
マリーは、どこまでアルビーの両親のことを知っているのだろう? 彼女もあの日記を読んでいるのだろうか?
この家で、兄妹同様に育ってきたアルビーとマリー。
壁に飾られた家族の写真。アルビーの作った幾つもの銀細工。テニスの試合で手に入れたマリーのトロフィー。
彼らの歩んで来た歴史が、この家の至る所に刻まれている。
彼女の誇らしげな口許に、そのことを強烈に意識した。
この家の中で、僕だけが、そぐわない、奇妙な異物のような気がしていた。
自室の机についたまま、眼を休めるために向けた窓外の予想外の暗さに、ますます気分が落ち込んだ。読み進めるにつれ、この空のような鈍色が広がっていくアーノルドの日記。手に馴染む、柔らかなその深緑の革表紙を親指でなぞる。
アルビーの言った通り、儀式の記述から遡ってみても、四大精霊の人形のモデルたちについての言及はない。却って不自然なほどに。アビゲイルに出逢ってからの彼の想いが、ひたすらに綴られているだけだった。
三冊目の日記帳に移って間もなく、アーノルドの恋は唐突に成就した。とんとん拍子に結婚に至る。彼は貴族階級の出身だけど、次男だったので、酷く反対されたりもしなかったらしい。アビゲイルのファッションモデルという職種、二十歳にも満たない若さ、それに孤児という出生に関しては、本人には聴かせられない嫌味を幾つか言われ、憤慨しているけれど。この程度の嫌味くらい、自分が甘んじて受ければよいことだ、との諦観がみえる。そんなこと、彼に取っては大した問題でもなかったようだ。
この結婚が、彼にどれほどの幸福をもたらしたことか!
僕も読みながらニヤニヤしてしまったよ。アルビーのお父さんは、こんなにも彼のお母さんを愛して、慈しんでいたんだもの。
そしてだからこそ、その後、彼らを襲った過酷な運命に、息を呑まずにはいられなかった。
結婚後一年もしないうちに、アーノルドのお兄さんが亡くなった。その二人の息子も巻き込んだ、交通事故だった。そしてアーノルドがアイスバーグ家の爵位継承者に繰り上がる。こうなると、今まで彼のすることに無関心だった彼の実家が、手のひらを返して干渉してくるようになる。辛いのはアビゲイルだ。舅、姑の嫌味に耐え、それでも健気に尽くしている様子が、腹立たし気なアーノルドの筆致から如実に伝わってくる。
この頃の彼女なんて、僕とそう年齢も変わらないというのに……。
アーノルドは両親に忠実に生きてきた、大人しい性格の人だ。結婚に関しては、彼らの期待に沿えなかったことを申し訳なく思っている。けれど、後悔はしていない。彼はアビゲイルを何ものにも代えがたいほどに、愛している。だから、頻繁に家に訪れては妻に辛く当たる自分の両親と、それでも明るく精一杯に応えようとする健気なアビゲイルとの間に挟まれ、随分と心を痛めていた。
と、ここまで、僕は昼食を取るのも忘れて読み進めてきた。昼食どころか、もうすでに夕方だ。
五冊目の革表紙をパタンと閉じた時には、さすがに空腹を感じていた。ポットに作っておいた紅茶も、もう空だ。
一区切りつけて、まずはお腹に何か入れよう。この空っぽの胃に、ぐずぐず悩むばかりのアーノルドの心理は痛すぎる。
キッチンに入ると、マリーがお茶を淹れていた。僕を見て「あら、いたの?」と呟いた。機嫌が悪そうだな。マリーの方は、最終試験どうなんだろう? 訊いていいものかどうか、迷ってしまう。
「随分深刻な顔しちゃって、どうしたのよ?」
言わなくても、当たり前に僕のカップにお茶を入れ、テーブルの上にコトリと置く。
「別に、本を読んでたんだよ。ありがとう」
カップを持ち上げお礼言う。ほっとして、笑みがこぼれた。ぱっと見た瞬間の印象ほど、マリーは機嫌が悪い訳ではないらしい。
「試験、もう済んだの?」
「まだ。今は休憩よ。お腹空いちゃって。スコーンがあるかと思ったのに……」
恨みがましく僕を見るマリー。犯人は僕じゃない。それとも、早く次を作れってこと?
「僕も何か食べようと思っていたところなんだ。サンドイッチでもいい?」
「卵とベーコン」
「OK。ちょっと時間がかかるよ。できたら部屋に持って行こうか?」
ティーポットとカップをトレイに載せている彼女にそう訊ねた。ここで、のんびりとお茶を飲むつもりはないみたいだから。
「ありがとう、お願いね」
マリーは艶やかに微笑んだ。
マリーは、どこまでアルビーの両親のことを知っているのだろう? 彼女もあの日記を読んでいるのだろうか?
この家で、兄妹同様に育ってきたアルビーとマリー。
壁に飾られた家族の写真。アルビーの作った幾つもの銀細工。テニスの試合で手に入れたマリーのトロフィー。
彼らの歩んで来た歴史が、この家の至る所に刻まれている。
彼女の誇らしげな口許に、そのことを強烈に意識した。
この家の中で、僕だけが、そぐわない、奇妙な異物のような気がしていた。
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