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Ⅳ 初夏の木漏れ日
159 過去2
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アーノルドの日記を全部読み終えた。
アルビーの部屋のベッドに潜り込んで、彼が帰って来るのを待っている。アルビーの匂いに包まれてもまだ鎮まらない、異様に昂っている神経を宥めるために。
アビゲイルの妊娠が判った時の二人の喜び。そしてその喜びも束の間、告げられた癌の告知。
日記に綴られていた二人の激しい感情が、読み終えて暫くしても僕の心を捉え続け、揺さぶり続けていた。
アーノルドは、やっと授かった子どもを諦めるようにと、彼女を毎日のように説得する。だけど、彼女は受け入れない。その苛立ちと、彼女を失うことになるかもしれない彼の恐怖が、日記帳には連綿と綴られている。アビゲイルになかなか赤ちゃんができないことをあてこすっていた両親に向けた、そして、彼女を頑なにさせる原因となった自分たちの子どもへの、呪いの言葉とともに。
アルビーは、こんなものを読んでいたのかと思うと、堪らなかった。産まれる前から浴びせられるこんなにも酷い言葉を、彼はどう受け止めていたのだろう?
アーノルドは、アビゲイルが中絶に同意しないのは、お腹の子が男の子だと早い時期に予測できたからだと思っていた。彼女は彼の両親から受けた冷遇に対する意地で、未来の伯爵を産み落としたいのだと。だから、よけいにアルビーを憎んだ。彼の責任なんてこれっぽっちもないのに。それにきっと、アビゲイルが子どもを守りたいと思う気持ちは、きっとここに書かれている彼女の言葉通りに違いないのに。
――恐れないで、あなた。もし私があなたよりも先に逝くことになっても、この子があなたの傍にいてくれる。だから怖くないでしょう?
だけど、アビゲイルの想いは彼には伝わらない。彼の瞳は彼女しか見ない。
どうしようもない内面の怒りと、もどかしさと、避けられそうもない未来の絶望の予感の中で、この日記は八冊目の数ページ目で唐突に終わっていた。
僕はこれをどう受け留めていいのか、判らなかった。ただ、堪らなく悲しかった。アーノルドの想いも、アビゲイルの想いも、そしてなによりも、アルビーの気持ちを慮って。
何故だか、アルビーの笑顔が思い出せない。瞼裏には、キッチンでのマリーの笑みが焼き付いている。いつも誇らしげに微笑むマリー。高慢なほどに自信に満ち溢れて。アルビーはあんなふうに笑わない。どんなに沢山の仲間に囲まれて、王さまのように君臨しているように見える時でも、あんなふうには笑わない。マリーとアルビーは兄妹じゃない。
何故だか、痛切にそう思った。キッチンで、彼女の笑みを目にした時に。そして日記を読み終えた今頃になって、あの時感じたどうしようもない孤独感を、アルビーの中にも感じていた。
この家で、アルビーは確かに愛されているのに。マリーが嫉妬するほど、親代わりとなって育ててくれた二人から愛されているのに。
アルビーは、マリーのようには微笑まない。その事実が堪らなかった。
ドアが静かに開いて、アルビーが帰ってきた。いつもより遅い。ちょっとお酒の匂いがする。
軋りと音を立てて、ベッドが沈む。泣きはらして腫れぼったい僕の瞼に、キスをくれた。朝と同じように。
「お帰り、アルビー」
「うん。ちゃんと帰ってきた。コウがこんなふうに待っていると思ったから」
髪をかきあげ、額にキスが落ちてくる。頬にも。こめかみにも。アルビーは少し雨の匂いがする。
「外、降ってるの? 濡れた?」
「少しだけね」
「きて。温めてあげるから」
温めて欲しいのは僕の方。だから彼は、すぐに僕を抱き締めてくれた。
「きみの中に入りたい」
こんなことを今まで言ったことはなかったのに、アルビーは驚いたりしなかった。僕がこんなふうに言うことを初めから知っていたかのように、優しいキスをくれた。
温かく、柔らかく、僕を包んでくれた。蕩けるような密度と熱で。僕は彼に甘え、胎児のように丸まって飛び込んだ。いつもと変わらない闇色の中に。
僕を取り込み喰い尽くすアルビーの空漠は、まるで子宮のようだと思った。この中で、何度も何度も殺され続けてきたきみの屍を一つ一つ抱き締めて、僕は何度でも産まれるんだ。
だからお願い、アルビー。僕を見つけて。
アルビーの部屋のベッドに潜り込んで、彼が帰って来るのを待っている。アルビーの匂いに包まれてもまだ鎮まらない、異様に昂っている神経を宥めるために。
アビゲイルの妊娠が判った時の二人の喜び。そしてその喜びも束の間、告げられた癌の告知。
日記に綴られていた二人の激しい感情が、読み終えて暫くしても僕の心を捉え続け、揺さぶり続けていた。
アーノルドは、やっと授かった子どもを諦めるようにと、彼女を毎日のように説得する。だけど、彼女は受け入れない。その苛立ちと、彼女を失うことになるかもしれない彼の恐怖が、日記帳には連綿と綴られている。アビゲイルになかなか赤ちゃんができないことをあてこすっていた両親に向けた、そして、彼女を頑なにさせる原因となった自分たちの子どもへの、呪いの言葉とともに。
アルビーは、こんなものを読んでいたのかと思うと、堪らなかった。産まれる前から浴びせられるこんなにも酷い言葉を、彼はどう受け止めていたのだろう?
アーノルドは、アビゲイルが中絶に同意しないのは、お腹の子が男の子だと早い時期に予測できたからだと思っていた。彼女は彼の両親から受けた冷遇に対する意地で、未来の伯爵を産み落としたいのだと。だから、よけいにアルビーを憎んだ。彼の責任なんてこれっぽっちもないのに。それにきっと、アビゲイルが子どもを守りたいと思う気持ちは、きっとここに書かれている彼女の言葉通りに違いないのに。
――恐れないで、あなた。もし私があなたよりも先に逝くことになっても、この子があなたの傍にいてくれる。だから怖くないでしょう?
だけど、アビゲイルの想いは彼には伝わらない。彼の瞳は彼女しか見ない。
どうしようもない内面の怒りと、もどかしさと、避けられそうもない未来の絶望の予感の中で、この日記は八冊目の数ページ目で唐突に終わっていた。
僕はこれをどう受け留めていいのか、判らなかった。ただ、堪らなく悲しかった。アーノルドの想いも、アビゲイルの想いも、そしてなによりも、アルビーの気持ちを慮って。
何故だか、アルビーの笑顔が思い出せない。瞼裏には、キッチンでのマリーの笑みが焼き付いている。いつも誇らしげに微笑むマリー。高慢なほどに自信に満ち溢れて。アルビーはあんなふうに笑わない。どんなに沢山の仲間に囲まれて、王さまのように君臨しているように見える時でも、あんなふうには笑わない。マリーとアルビーは兄妹じゃない。
何故だか、痛切にそう思った。キッチンで、彼女の笑みを目にした時に。そして日記を読み終えた今頃になって、あの時感じたどうしようもない孤独感を、アルビーの中にも感じていた。
この家で、アルビーは確かに愛されているのに。マリーが嫉妬するほど、親代わりとなって育ててくれた二人から愛されているのに。
アルビーは、マリーのようには微笑まない。その事実が堪らなかった。
ドアが静かに開いて、アルビーが帰ってきた。いつもより遅い。ちょっとお酒の匂いがする。
軋りと音を立てて、ベッドが沈む。泣きはらして腫れぼったい僕の瞼に、キスをくれた。朝と同じように。
「お帰り、アルビー」
「うん。ちゃんと帰ってきた。コウがこんなふうに待っていると思ったから」
髪をかきあげ、額にキスが落ちてくる。頬にも。こめかみにも。アルビーは少し雨の匂いがする。
「外、降ってるの? 濡れた?」
「少しだけね」
「きて。温めてあげるから」
温めて欲しいのは僕の方。だから彼は、すぐに僕を抱き締めてくれた。
「きみの中に入りたい」
こんなことを今まで言ったことはなかったのに、アルビーは驚いたりしなかった。僕がこんなふうに言うことを初めから知っていたかのように、優しいキスをくれた。
温かく、柔らかく、僕を包んでくれた。蕩けるような密度と熱で。僕は彼に甘え、胎児のように丸まって飛び込んだ。いつもと変わらない闇色の中に。
僕を取り込み喰い尽くすアルビーの空漠は、まるで子宮のようだと思った。この中で、何度も何度も殺され続けてきたきみの屍を一つ一つ抱き締めて、僕は何度でも産まれるんだ。
だからお願い、アルビー。僕を見つけて。
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