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4.帝国の闇と手記(グレオン視点)
30.
しおりを挟むやはりアルの手が気になる。
このプニプニと柔らかい手に癒されながら過ごすのも悪くないが、俺にはやることがある。東西と南に敵を抱え、金や肉は豊富に手に入るが、日照り不足で農作物の収穫は思わしくない。決して皇帝には長い休息など認められない。
個人的に野菜はそれほど欲しくないが、主食であるパンは欠かせない。パンが焼けなければ、クネップやニョッキ、粥を食うこともあるが、それだって原料はやはり小麦だ。小麦の生産が落ちることは何とか食い止めたい。
過去にも小麦を含む農作物の生産が落ち込んだことはあったはずだ。俺は歴代皇帝の手記を求めて書庫へ向かった。
厳重な鍵と魔力による生体認証を通過し、書庫の地下にある禁書庫へと足を踏み入れる。
禁書庫に入るのは久しぶりだ。
あの日、俺が父を殺し皇帝になった日、俺はここに父の手記を納めた。それが皇帝になって最初に行う儀式だからだ。戴冠式や宣言より先に、密かに、そして孤独に行われる。
あれだけ恐れて、決して超えることなどできない存在だと思った父の最後は、本当に呆気なかった。
ゴツゴツと硬く分厚かった拳は痩せ細った老人のように細く、壁のように大きかった背中も小さくて、棺に入れるために持ち上げた時はあまりの軽さに驚いて落としそうになったほどだ。
父殺しという大罪を背負い、今まで誰にも弱みなど見せたことはない。
ここにはいずれ来ることにはなったんだ。
止まりそうになる足に力を込めて、ゆっくりと奥へと進んでいく。
俺が皇太子になり、禁書庫への立ち入りが可能となった頃はよく来ていた。父のやり方に反発して、もっといい方法があるのだと歴代の皇帝のやり方を参考にしようと思ったんだ。
それだけではない。禁書庫は閉ざされているはずなのに空気はなぜか新鮮で、澱みがない。父の周囲には既に黒い靄が現れており、その嫌な感じから逃げたかったのかもしれない。
やはりここの空気はいい。
だが、以前ほどの感動はなかった。俺はこの感覚を知っている。つい最近もこの懐かしさに触れた。
何だったかと思い返してみると、アルの顔が浮かんだ。
──いや、まさかな。
しかし気になった俺は、エルヴァニアの王子を愛した皇帝の手記を手に取った。
だが、開こうとして少し躊躇う。
この皇帝の手記はかなり癖が強い。少し覚悟を決める必要がある。
=====
二の月、晴れた日
フランフレート、なぜそなたはそんなに可愛いのか。自分が可愛いということを自覚していないことは罪に値する。
私を見つめる薄い水色とピンクの瞳はいつも私を虜にする。
可愛いことを自覚していないという罪を着せて、私の腕という檻の中に閉じ込めておきたい。
フランのキスでまた私は救われた。
=====
「はぁ……」
俺が知りたいのはそんなことではない。フランなんとかという王子が可愛いとかはどうでもいいんだ。
アルだって、まあそこそこ可愛い。だがこの皇帝の王子への執着は常軌を逸している。
=====
四の月、暑い日
フランフレートの手はけしからん。またしても握手した者を虜にした。これからは手のひらまでしっかりと鋼鉄で覆ったガントレットを装着させたい。
しかし、それでは私までもが癒しの手の恩恵を受けられないではないか。
だが……
皇族でない者の中にも闇に飲まれるものが出た。フラン許せ。私は皇帝なのだ。フランの恩恵を独り占めしてはならない。
=====
俺はこの内容をずっと、ただの独占欲と惚気だと思っていた。だが今回初めて疑問を持った。
ただの惚気なら、手記にわざわざ書く必要があるのかと。
他に弱みを見せられないため、手記に記したとも考えられるが、それなら後世にまで残る手記でなく、日記でいいのでは?
気になったのは、キスで救われたという点、そして恩恵を独り占めしてはならないという点だ。この二点については、手記の各所に繰り返し出てくる。
手記の最後には『愛しきフランフレートに私の全てを捧ぐ。彼は私を照らす光、我が国の希望となった』と謎の格言のようなものが書かれていた。
意味を読み解けるかというと、正直難しい。
しかしこの皇帝の手記は読むだけで疲れる。
他にも五十年に一度エルヴァニアから王族が送られてきているのだから、何かしらの手がかりがあるはずだ。系譜を辿りながら、エルヴァニアからの王族を受け入れたであろう皇帝を調べ手記を並べる。
帝国の歴史は長い。積み上げられた手記を前に、長いため息が出た。
今日は疲れた。明日にしよう……
どうせ俺以外は誰も入ることがない。手記は積み上げたまま、俺は禁書庫を後にした。
「アル、手を」
「はい」
部屋に戻ると疲れを癒すためにアルを呼ぶ。その手はいつも変わらず、小さくて温かく、プニプニと柔らかい。
そっとアルの手のひらに頬を寄せてみる。
禁書庫の澄んだ空気に近いものを感じた。やはり勘違いなどではなかった。どういうことかとアルをじっと眺めてみるが、結局何も分からなかった。
きっとアルに聞いたところで、アルにも分からないだろう。
匂いかと思ってクンクンと嗅いでみるが、澄んだ空気に近いのは匂いではない。禁書庫の匂いは羊皮紙やインクの匂いであって、アルの匂いではない。それより……
「アル、庭に行ったのか?」
「あ、はい。なんで分かったんですか?」
「アルの指から草の香りがした」
「あ……エデラーさんと一緒に、帝国の国花を見に行ったんです。その時に草を触ったからかも」
庭園に行くなら俺も行きたかった。それにこの部屋で勉強しろとエデラーには言ったはずだ。勝手にアルを連れて出歩くなど……
いや、アルは人質や捕虜ではない。アルは俺のものだが、縛り付けて閉じ込めておくのは違う。アルにも人並みの自由を与えよう。俺は決して狭量ではない。
「アル、城の敷地であればどこへ行っても構わない」
「え?」
「自由に動いて構わない。庭園を見たり、他の者と話しても構わない。だが、俺のものであることは忘れるなよ」
「はい」
この時の俺は、自分の判断が間違っているとは微塵も思っていなかった。
我が国の者たちは、弱々しく守るべき存在の彼を大切に扱うに決まっていると信じていた。
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