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ウソだ、ろ……。

弦を弾くピックを取り落としそうになるのを、必死で掴んでリズムを弾く。
耳に響く俺たちの音に完全に馴染んで、肌をぞくぞくとザワつかせるような感覚にごくりと喉を鳴らす。
そこには俺たちが求めている【唄】があった。
歌詞は即興で適当なのだろうが、声が理想的すぎて、頭がかち割られるような気がした。
俺は必死にその【唄】を聞きたくて、弦を弾いて掻き鳴らす。
もっと聴きたい。ずっと聴いていたいという欲求に勝てなくて必死に腕を動かす。
スタジオの狭い空間でショボイスピーカーからでははなくて、せめて:箱(ライブハウス)で大音量で聴きたい。
弾いている俺たちが心地好くて、酔ってしまいそうな、そんな声……だった。
最後のリフが終わると、奴はこれみよがしに俺に振り返ると、勝ち誇ったような表情を浮かべて長い黒髪をファサッと手で払った。

「初めて聴いたけど、結構良い曲。で、ショボイ歌声とか言ってくださったリーダーさん、どうかな?オレの声」
結果などわかり切っているという表情を浮かべる彼に、俺は反論は出なかった。
数週間前にうちのバンド、BEASTのボーカルだった鉢屋は、ドラッグで逮捕された。どうやら割のいいバイトと言われて運び屋をやっていたらしい。
ヤクザにも目をつけられたのもあり、脱退すると言われた。
もうすぐメジャーから声がかかるとも噂された矢先だった。

「……ショボくはなかったよ……。要には断られたって聞いたから……入ってもらえねえのは残念だけど」
駅前で歌っていた彼を、要は聞き惚れてスカウトしたというのだが、BEASTだなんて知らないバンドには入りたくないと、あっさり振られたらしい。だというのに未練タラタラスタジオまで拉致してきたのだ。
ついつい生意気な態度に、俺はショボいボーカルならいらないと息巻いちまった。
昔から喧嘩っぱやいのは悪い癖だ。
一応ガテンだが就職もしている社会人としてはあるまじき言動だったかもしれない。
「んー、このバンド、入ってあげてもいいよ」
上から目線の口調で黒髪のガキが下から俺を見上げるので、思わず睨み返す。
「マジで!!やったじゃん、カズ!!」
要が嬉しそうにガッツポーズをするが、薄笑いを浮かべる奴に俺は思わず胸ぐらを掴み寄せた。
「な、何が狙いだ?」

「良い曲だから歌いたくなっただけだけど……やっぱやめようかな。あ、リーダーさんがオレの言いなりになってくれるならって条件だそうかな。オレ、威張られるの嫌いだから」
奴は俺を挑発するかのように、綺麗な顔で微笑んだ。

目の前で放たれた言葉に一瞬面食らった。
昔の俺ならばその場でタコ殴りにしていただろう。
いや、コイツの唄を聴く前であれば、瞬殺で息の音を止めるくらいのことはしていた。
なのに、一瞬考えてしまった。
俺がいいなりになるくらいで、この唄が手に入るなら、と。

「……ナニ言ってんだ、オマエ」
掠れた声を出すのが精一杯で、周りを思わず見回すと、ちょっと諦め顔の要の顔が見えた。
「そのままの意味だよ」
さっき俺が余計な一言を言わなければ、彼は円満に加入してくれそうな口調だったのだ。
威張られるのが嫌いだと言う奴の言葉も、カチンときたが俺が折れないだろうなと見透かしての表情にもなんとなく腹がたった。
こんなにも腹がたつのに、口惜しいことにそれでも迷いが生じるくらいには、彼の歌声に魅了されていたのだ。
「……分かった。オマエの言うことを聞いてやる。それでいいのか」
「へえ。余程オレの声を気に入ってたんだ。ちょっと意外だけど、いいよ。バンドに入ってあげる。それと、オレの名前はオマエじゃなくて、:斎川 大鐘(サイカワ タカネ)、タカネでいいよ」
マイクをスタンドに立てると、俺の顔を覗き込んでから、アンタはと尋ねた。
三門一雅ミカド カズマサだ……」
「ミカド……、呼びにくいね。ミカちゃんでいいかな。いかにもエンペラーとか王様とか言う感じ、似合い過ぎててキモイし」
先にどう呼んで欲しいかか伝えなかった俺にも非があるが、勝手にミカちゃんとかアホな呼び方をされて、思わず口を開きかけると、
「オレに逆らわないでよね?言いなりでしょ」
と指先で唇を押さえされて、言葉を飲み込んだ。
しばらくたてば、そんな約束などすっとんでいくだろうと、俺はタカを括っていたのだ。
「で、ミカちゃん。オレ、久留米から出てきたばっかでさ。ストリートで歌ってホテル代稼いで暮らしてたんだけど、今日からミカちゃんち泊めてね」
にっこりと綺麗な顔で当たり前のように言われて、思わず何でと口から反論の言葉を吐いてしまった。
「スタジオまで付き合ってきたわけだし、これから駅に戻っても、もうゴールデンタイムは終了しちゃってるし」
そう言われた俺は、仕方なく頷くしかなかった。
要は実家ぐらしだし、ドラムの斗哉は会社の独身寮で暮らしていて、一人暮らしなのは俺だけだった。
「分かった……。こっちでバイトとかする気はねえのか」
変なバイトで鉢屋の二の舞は踏みたくはないとは思い、少し心配になって斎川に問いかけた。
「歌でしか稼ぐ気はないよ。それだけ後戻り出来ない真剣な気持ちで上京したわけだからね」
斎川はそう言うと、持って来た荷物を肩に担いだ。
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