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「桑嶋、君は報告書作ることはできたよね」
 歩弓は苛立ちも露にして桑嶋へ叱責をした。周囲の局員たちは、ことの顛末を知っているだけに、歩弓の態度に解せないような表情を一様に浮かべていた。
 どちらかといえば、桑嶋は被害者なのである。仕事に穴をあけたのは副局長であり、彼の介護に追われて報告書も作れない状況だというのは上司として大目にみていいところだろう。
 歩弓自身、それはただの八つ当たりだとは思っていたし、大人気ないなとは考えたが、気持ちというのはどうにも止められないものだ。
「はい、すみません。少しバタバタしてしまって、失念しました」
 桑嶋はすぐに素直に頭をさげる。ここで、統久のせいにするかと思えばそうでもないようである。
「セルジューク。ドンマイ。ていうか、副局長がヒートおこしたんだしさ、副局長のせいだって言えばいいんじゃね。やっぱし、オメガはオメガってやつだな」
 隣にやってきたゴルデスの言葉に思わずといったていで桑嶋は睨みつけてから、悪いとつぶやく。
「あの人は、……ギリギリまでオレに帰れって言ってくれたよ」
 桑嶋の統久を擁護するような言葉に、ゴルデスは何かを悟ったようにその背中を軽くたたく。
「ふうん。そう、なんだ」
「なんか一人にしたくないって思ったのはオレだからさ」
「ふうん。セルジュークさあ、副局長にほだされた?」
「……まあ、ね」 
 否定すると思われたが、桑嶋は少し迷うように表情を固めたが、すぐに頷く。
「うわー、セルジューク。マジで恋する男の顔してるって」
 揶揄するようにゴルデスが顔を覗きこむと、桑嶋は黙ったまま否定もせずに顔を赤くする。やぶへびかよとゴルデスは呟いてから自分の席に戻る。
 桑嶋はすぐに報告書を作成しようと端末を開いたが、ポケットに入れていたはずの証拠データが入った小型端末がないことに気がついて、一瞬表情を固まらせた。
 あ……あの、時だ。
 衣服を脱いだ時に、壊さないように統久の部屋のデスクの上に置いたのを桑嶋はすっかり忘れていたのだ。取りにいかないと報告書が書けない。
 取りに行ったとして、あの発情期の状態の副局長を前に冷静でいられるか、わからないな。
 しかし何もできないなら、しないのと一緒である。意を決して、再度桑嶋は歩弓のデスクへと近づいた。
 歩弓は桑嶋が纏う兄の残り香だけで当てられてしまい、眉を寄せて目の前にやってきた彼を不快そうに見上げた。「なんだ」
 桑嶋も歩弓がミスを犯す部下に厳しいのは知っているので、彼のその表情にも当然のごとく受け止めると、少し言いづらそうな様子で、
「局長、すいません。データを入れた端末をを、鹿狩副局長の部屋に忘れてしまったようで……取りに行ってもかまわないでしょうか」
 桑嶋は明らかに機嫌が最悪である歩弓に、おずおずといったていで、統久のコンパートメントへの外出の許可を求める。
 歩弓は眉を寄せたまま、目の前に申し訳なさそうに立っている桑嶋を見返す。下手な嘘はつけないタイプで、本当に困っているのが見て取れる。
 とはいえ、ヒート中のオメガの部屋にアルファを送り込むなんてことは、飢えた狼に餌を与えるようなものだ。
 桑嶋もお人好しなので、苦しんでいる彼を見て、見捨てるなんてできないだろう。
 何があるかわからない。
 本来なら今回のデータの提出は上官である統久にさせればいいのだが、報告書が何日もあがらないのは困る。
 しかし桑嶋に取りに行かせて、統久とまた接触して更に匂いがきつくなった状態で戻ってこられて、目の前をうろうろされるのは精神衛生上耐えきれそうにない。

「分かった。じゃあ、今日はこのまま戻ってこなくていいから、明日までには報告書を出してくれ」

 そして、歩弓はこの時したこの選択を生涯悔やむことになるのだった。
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