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怜悧(サトシ)

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一体、俺は何をしているんだろう。
思わずルイツは低い天井をみあげるが、宿屋の漆喰で黒く塗られた屋根の裏が覗くだけでそこには答えは何もない。
何も、本当にないのだ。 
ルイツは宿屋の廊下のドアに寄りかかって座り、室内で聞こえる喘ぎ声や男の睦言に辟易した表情をしながら溜息を漏らした。 

部屋の中では、ガイザックが宿代などもろもろのために売春をしている。 
それは足になる馬を買う金を稼ぐ為だ。 
金もない彼らが金を手に入れる為には、仕方がないことだった。 また、ガイザックにとっては気が触れぬよう意識を保つための糧である。

部屋の前でルイツが身動きもせず見張りをしている理由は、町に来てすぐに理解させられた。
 
ガイザックは、ルイツに部屋の前で見張りをするようにと言い置いたにもかかわらず、ルイツは部屋の中の声や音を聞きたくなくて、 それを放棄したのだ。 

静寂した部屋に帰ってきたルイツが見たのは、宿のベッドの上に拘束されてナイフでメッタ刺しにされて血まみれで意識を失ったのガイザックの姿だった。

ガイザックは呪術の影響で、死ねない体である。
死なないが、痛みは感じる。 
苦悶の表情のまま転がっているガイザックを見て、ルイツは後悔の念に囚われた。 

それまで貯めていた金も奪われて、彼らは結局足止めされる期間も延びたのだった。 
意識を戻したガイザックは、仕方ねぇと笑うだけでルイツをまったく責めなかった。
ルイツがガイザックの言うことを聞いていれば、部屋の様子の異変に気づきとめることもできたし、金も奪われるようなことはなかったのは明白である。
しかし、ガイザックはまったくルイツを責めることはなかった。
いっそ責めてくれたほうが、楽になったかもしれないとルイツは何度も思う。

一体俺は、何をしているんだろう。 
呪術で苦しんでいるガイザックを、俺は一時でも救うこともできるのに。 
主人と性交渉することで、自我を保つことができるガイザックに掛けられた呪い。 
図らずも主人となってしまった自分が彼を拒否することを、ガイザックはどう思っているんだろうか。 

ルイツは腕に抱えた自分の鉄剣をグイッと抱き込んだ。 
首領に無理強いされたから、俺は意地になって抱かないって言っただけかもしれない。 
男とはいえど、美しき英雄と称えられた端正な顔と鍛えられた綺麗な体。 

据え膳ならば、迷う必要などないのに。 

俺は一体何を迷っているんだろう。 
 

キィと軋んだ音を響かせ、建付けの悪い宿の部屋の扉が開いた。 
出てきた男がちらっとルイツを見下ろし、ポケットの中をまさぐりながら、
「暫く町にいるようなら、また来るよ」 
妙にさっぱりとしたような口調で男が、銀貨を押し付けて帰っていくのを、ルイツは掌の銀貨を眺めてぎゅっと握り締めた。 

金で男を買う程には困っているようには見えない、端正な顔をした男だ。 
ルイツは腰をあげて、部屋の中へと入ると部屋の扉に鉄の剣をたてかけ寝室の扉を開いた。 
乱れた寝台の上に、手首を括られ体中を体液で汚したまま仰臥しているガイザックがいた。 
帰った男が、そんな乱暴なことをするような男に思えず、ルイツは首を捻りつつも目を開いたままのガイザックに声をかけた。 

「おい、大丈夫か」 
「……ちゃんと金、もらったよな……」 

だるそうに唇を開いて、現実的な言葉を返せるガイザックの様子にルイツは苦笑を浮かべた。 
「ああ、銀貨一枚もらったぜ」 
ルイツは無言でガイザックの腕を括った縄を解くと、汚れた肌を濡れた布で拭う。 
ガイザックは大きく息を吐き出して、ルイツの行動に瞼を伏せて手で顔を覆って、まるで身体の中から吐き出すように、話を始める。

「オレが王様を殺した理由……。オレが英雄だからとか、国民を救うとか関係なくてさ」 
ぽつりぽつりと辛そうに言葉を吐き出す様子に、ルイツは手を止めた。 
懺悔するような口調にルイツは何故か心が痛んだ。
「……王様に犯されそうになったからなんだ、そんなオレが、今じゃ誰にでも銀貨1枚で簡単に脚を開いてる」 
告白のように告げられた言葉にはいつもにはない自嘲があり、ルイツは眉を寄せた。 
「王様も、殺され損だよなァ。たった銀貨1枚で、脚開く男に殺されてさ」 
自分を護る美しい英雄の姿に国王は惑わされ、欲情したのだろうか。
かなりの色情家だったと聞くが。
「アンタは、後悔しているのか?」 
問い返し、ルイツは顔を覆うガイザックの掌に自分のそれを重ねた。 
「いや…………後悔はしてねえよ。原因はそれでも、国が腐っていたのは、知っていたからさァ。ヤツから自由になりたかった」 
多分本心。 
なんでこんなに、ガイザックは弱っているのだろう。 
「なあ、さっきの男と何かあったのか」 
問いかけに、ガイザックはびくっと身体を硬くした。 
こざっぱりとした、派手ではないどちらかと言えば爽やかに見えたイイ男だ。 
「ああ……あれはオレの甥だ。オレが王を殺したことで、オレの血縁は取り潰されてこの町まで逃れたみたいだ」 
「あんたと知って、買ったのか?」 
「いや…処刑された事になっているからな。甥はオレを恨んでいたよ。大人しく王様のものになっていれば、 家は栄えたのにとね。オレが王を殺した直後、姉は夫に責められて自殺したらしい」 
掌の濡れた感触にルイツは、そっとガイザックの掌から自分の掌をどかした。 
英雄は静かに泣いていた。 
「それでもアンタに救われた奴も多いんじゃないか」 
ルイツは手を伸ばし、ゆっくりとガイザックを抱き寄せた。 
「俺ら下々のモンにとっちゃあ、アンタは希望だった。憧れてたんだ」 
最初は首領に対する反発、今は憧れを汚したくないだけのことで、俺はガイザックを抱くのを拒んでいるのだ。 
……くだらない自分の感情だけで、苦しめている。 

「そうだな……らしくねえな……アリガトウ。ルイツ……」 

低く笑うガイザックの声が、哀しく聞こえてルイツはぎゅっと眉を寄せた。 
自我が強く、我慢強い英雄だからこそ、苦悩に音をあげることすらしない。 
辛いと縋られたら、きっと俺は、突き放すことなどできないだろう。 
ルイツはそれに対しては、確信がもてる。
「今日は感傷的になりすぎた………15年も前にちゃんと整理をつけたはずなのにな」 
ゆっくりと身体を離していくガイザックにルイツは視線を返した。 
抱いていたからだが、酷く熱をもったように感じたのは気のせいではなかった。 
「大丈夫だから、ちっと眠らせてくれ……、マスターの体臭は俺には毒だ」 
葛藤するような表情に、ルイツは身体を離してガイザックを眺めた。 
求めたい体の欲求を抑え付ける表情に、ルイツは拳を握った。 
体液以外を求めないと言った彼は、きっとその自分に架した枷である言葉を裏切ることはないだろう。 

「ああ…………ゆっくり寝ろよ。オヤスミ」 

ルイツは寝室を出ると、鉄の剣を握り外へと出て行った。 
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