鈍色の空と四十肩

いろは

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28 ー差し入れの予約ー

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「行ってきましたよ。」
 譲治は依子のアパートを出て、また『さくら』に戻った。報告と追加の差し入れを予約しておくためだ。
「おう!ありがとう!ごくろうさん。そこ座って待ってて。これあがったら行くから。」
 斉藤は厨房の中で忙しなく料理を作りながら、店に入ってきた譲治に声をかけた。愛はてんてこ舞いの様子。

 譲治は厨房の横の小さなスタッフ席に座って、店の様子を見るともなしに見る。
 間もなく斉藤がやってきた。

「わざわざ報告しに来てくれたの。すまないねえ。どうだった?」
「ゾンビみたいでしたね。あんな顔色の人はじめて見ました。」
 うげ、と口をへの字に曲げて斉藤がリアクションする。
「託された食料食べてもらいました。量は少なかったけど、食べたら顔色がだいぶ復活してましたよ。 
 やっぱりなんかの病気というより過労みたいですね。」
 斉藤が持ってきてくれた冷たい麦茶をいただく。

「ああ、それで、あさってまた差し入れ行きます、ということにして様子見に行きますので、何か作っていただけますか。
 お代は私が払います。ちょっと買い物に出かけられる感じじゃなかったので。」
「代金はいいよ。でも田中君には頼れたんだね。良かった。」
「まあ、でも斉藤さんたちにも迷惑かけた、ってめちゃくちゃ落ち込んでましたよ。」
「彼女の性格からしたらそうだろうね。でもうまいこと言っといてくれたんでしょ?
 あの人、田中君には素直になれるみたいだから、よろしく頼むわ~。」
 それじゃ、あさっての夕方また来ます、と言って譲治は店を出た。

 よろしく頼むわ、と言われてもね。
 自分に何ができるか。大して付き合いが長いわけではないし。
 依子さんみたいな人は、斉藤さんみたいな強い人にグイグイ引っ張ってもらう方がいいんじゃないだろうか。
 いや、ともすると高圧的に感じがちだから萎縮するのか。
 
 どうやら依子は、自分とはだいぶリラックスして接してくれているらしい。
 自分も依子には自然体で付き合える。
 誰かの健康状態を気にする、とか世話をしたいなどという心情になるなんて、これまでついぞ起こらなかった感情だ。
 不思議なもんだな。

 譲治はつらつらと考えながら自宅へ戻るのだった。

ーーー

 1日おいて、譲治は再び差し入れをもって依子のアパートを訪れていた。
 依子はだいぶ回復したようで、足取りもしっかりしていた。
 部屋の中も整えられて、元に戻ろうとがんばっている様子がうかがえた。
 前回はよれよれの部屋着だったが、今回はちゃんとジーンズとTシャツを着ている。

 だが、まだ顔はやつれている様子の依子を見て、
「起きてたんですか?寝てなくて大丈夫ですか?」
 譲治は部屋の中に入れてもらいながら、譲治は聞く。
 差し入れを受け取って依子が言う。
「もう大丈夫なんですよ。
 この前来てもらったおかげで、すごく元気になりました。
 いただいたごはんが効いたし。1人で寝込んでる時って、どんどん思考が落ち込むでしょ。
 田中さんに来てもらっただけで、とても元気出ました。」

 依子はお茶を淹れてくれている。
「僕やりますよ。」譲治は心配そうだ。
「いいのいいの。
 一週間以上も寝込んでたんだから、そろそろリハビリしないといつまでも社会復帰できないわ。」

 譲治はリビングの椅子に座っていると、寝室の開けた扉から、部屋の様子が見えた。
 この前は空いていた手前の机の上に、描きかけの鉛筆画やら、染め和紙で工作している途中の状態が広げられている。

「仕事してたんですか?!」
 譲治の口調は若干咎めるような音色を帯びてしまった。
 お茶を持ってきた依子が、バツが悪そうに口をすぼめる。
「別に無理してるわけじゃないのよ? 
 意識がしっかりしてくると、今度はずっと寝てることが居た堪れなくて、それで落ち込んじゃうから、何かしてた方が元気になるの。
 仕事してる時だけは、私なんかでも生きてる意味があるって思えるの。」

 依子はどうぞ、と譲治にもお茶をすすめて、自分も啜った。
 以前ギャラリーでいただいたと同じ、ちゃんと茶葉で淹れた緑茶の味だった。
「私の仕事なんか、ほとんど意味ないけどね。大してお金にもならないし。」
「依子さんはもうちょっと自己評価を高くした方がいいですね。
 そしたらもう少し自分を大事にできるでしょ。」
 譲治は言ってみる。
 それができれば苦労はないんだなあ、と依子は宙に目を泳がせ、またお茶をすすった。

「ねえ、このお礼はどうしたらいいですか?」
 頬杖をついた依子が譲治を見る。
「いや、別にそんないいですよ。」
「そういうわけにはいきません。
 何かご希望ありません?お酒とかお菓子とか?欲しいモノあります?」
 依子は真剣である。
「うーん、そんなに物欲もないしな。ちょっと考えときます。」
 譲治は答えた。
 依子もだいたい大丈夫そうなので、譲治は早々に帰ることにした。

 玄関に向かいながら譲治は一応念を押しておく。
「まだ本調子じゃないんですから、くれぐれも自重してください。
 困ったことあったら遠慮なく連絡ください。」
「本当にありがとう。とても心強いです。もう大丈夫だと思います。
 次の週末にはバイトにも復帰できると思います。」
 
 それじゃ、と言って玄関から外に出る。
 扉を開けて譲治を見送っている依子を眺めながら、譲治は一瞬、何かが口をついて出そうになったが、よくわからずそのまま口だけで微笑んで、その場を辞した。
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