鈍色の空と四十肩

いろは

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62 ーお引越しー

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「おーい!やってっか! 助けに来てやったぜ~!」
 荷物が溢れまくっているこの状況で、1ダースの瓶ビールを下げて突然依子のアパートに現れたのは、コルムと愛だった。

 新居の契約も無事済ませ、引越し作業に漕ぎ着けたのは3月も末の、小春日和の日だった。
 ピックアップトラックをレンタカーして、各自のアパートを何度か往復し、とにかく荷物を移動しちゃおう、という初日である。

 あらかじめ、荷造りは済ませてある。譲治の方は家具もないし、一回で済みそうだが、問題は依子の方で、仕事関係の荷物で3往復くらいは必要そうであった。
 しかも新居は2階なので、2人とも体が持つかどうかが、心配の種ではあった。
 そこに、ゴリラのようなコルムと愛の登場は、正直、救いの神であった。

「愛ちゃん~!せっかくのお休みなのに。ほんとにありがとう!
 でも良かったの? それにどうやって恩返ししたらいいかしら。」
 依子は愛に心からお礼を言いつつ、どうお返しするべきか困っていた。
「全然全然~! コルムなんか半分お祭り気分だから、いいんですよ。
 それに、私らも2人で新居探ししてるところだから、その時は手伝ってくださいよ。そうしてもらえるとめっちゃ助かる。
 荷物運ぶのはコルムは得意だけど、荷解きと整理がもう嫌で嫌で。」
 愛は元気に言う。
「そういうことなら任せといて! ばっちりお手伝いできるから。」
 依子は頼ってもらえることがうれしかった。
「そんじゃやるか!」
 と言って、ノリノリのコルムが口火を切って、引越しは始まったのだった。

 譲治とコルムはトラックを使って、アパート間でどんどん荷物の移動をする。
 依子と愛は、それぞれの部屋にざっくり荷物を入れる。
 4人でやったら、予定していた倍くらい早く、昼過ぎには荷物の運び入れは終わった。
 譲治がWi-Fiの設置をしている間、少ない小型家具の組み立てと配置まで助けてもらえた。

「えええ~!もう終わった~!」
 依子は感激してみんなに何度もお礼を言う。
「おーし!呑もうぜ~!」
 コルムが待ってましたとばかりに、早速冷蔵庫に入れておいたビールを取りに行く。
「労働後のビールをやりたいだけなんだよね、あいつは。」
 愛は呆れる口調ながらも、コルムを見る目が優しい。
「それじゃ、ピザパーティーにでもしますか?」
 譲治が言う。
「そうしよそうしよ! ビールにピザ、サイコー!」
 愛が手を叩いて喜ぶ。

 みんなにピザを注文してもらっている間、依子はリビングのスペースだけはなんとか空けて、掃除をした。
 しばらくして届いた大量のピザとビールを囲んで、わいわいとおしゃべりしつつ、慌しかった引越しの一日は過ぎていったのだった。

ーーー

「愛ちゃんとコルムに来てもらってほんとに助かったね。ありがたかった~!」
 依子は、寝室とベッド周りを簡単に掃除しつつ、リネン類を引っ張り出している。
「やっぱり男手があると助かりますよね。
 僕はともかく依子さんに重いもの動かせないし。」
 譲治もシーツを受け取って、2人で広げる。
「さあさあ、譲治くんはお風呂行ってきたら?疲れたでしょ?」
 依子はベッドメイクを続けながら言う。
「そうですか? じゃお先に。依子さんも適当にして今日は休もう?」
 譲治は着替えなどを探しに出て行った。

 2人で順番にお風呂に入って、やっと今はベッドの中。並んでくつろぐ。
「今回は大きな家具がだいたい備え付けなのが、大助かりですよね。
 ハンガリーの場合そういうの多いですけど。」
 譲治は目を見てつぶりながら言う。さすがに疲れた。
「ほんとよね。日本でもそういう習慣が根付けばいいのに。」
 依子も半分寝ながら答える。
「明日は足りないもの、IKEAに買い足しに行きましょう。
 ベッドのマットレスと、依子さんが必要って言ってた仕事部屋の棚とか、細かいもの。」
「そうね、IKEAも久しぶりだから楽しみ」
「依子さんの荷物の方が大変そうだけど、僕も手伝いますから。
 あんまり棍詰めてやらないでくださいよ。」
 譲治の言葉に反応がなく妙に静かだな、と思って見れば、依子は寝落ちしていた。
 ふっ、と笑って譲治は依子の頬を指で優しく撫でる。
 そして、自分も気持ちの良い疲労感に身を委ねて、深い眠りに落ちて行った。

ーーー

 引越し2日目。
 心置きなく遅くまで朝寝坊して、お茶だけ飲み、買い物に行く支度をする。
「食料と生活必需品も買っときたいな。
 あんまりテイクアウトばっかりだと疲れるしね。」
 依子は今日買う予定のものをメモすると、コートを着る。
「依子さん」
 いつのまにか準備を済ませた譲治の声に振り向くと、すかさずキスをされた。

「しばらくバタバタしてて、依子さんも疲れてたし、足りない。」
 そう言うと、譲治はぎゅっと依子を抱きしめて、深い口付けを再開する。
「私も」
 依子はそうささやくと、譲治の首に腕をまわす。
 キスを続けながらずいぶん長いことそうして抱きしめあっていたが、依子が体を離して言う。
「さあ、やることやっちゃおう。」

「今日は一日ベッドの中でもいいですけどね。」
 譲治は名残惜しげにまだ依子の頬に手を当てながら言う。
「そうしたいのはやまやまだけど、新しいマットレスにしてからがいいなあ。
 車も明日までしか借りてないし。あと白状するけど、昨日の疲れがすごい残ってる。」
「まあ、実は僕もそうですけどね。」
「一晩寝たくらいじゃ疲労回復できないんだよね...」
「ま、のんびりやりましょう。」
 そう言って譲治は依子の腰に手を回して出かけるのだった。
  
 ブダペスト近郊にもIKEAはあるのがありがたい。
 とりあえず安くてデザイン性の良いものが簡単に手に入るので重宝している。
 まず、依子の仕事部屋に使うラック。ベッドが変わって持っていたリネン類の規格も変わってしまったので、その辺りと、食器や調理器具を少し買い足す。
 見ているだけで楽しい。

「依子さんの個展、1ヶ月後ですよね。大丈夫ですか? また倒れたりしない?」
 譲治が心配してくれる。
「そうね。作品自体は作り溜めてきたものを出せばいいからそんなに焦らなくていいのよ。展示の計画と備品類の準備くらいかな。
 あとは通販始めたからすぐ注文対応できるよう体制整えないと。」
 昨年末あたりから、依子はこれまで様子をうかがっていた通販を始めることにした。
 そろそろ注文が入り始めているので、体制を固めないといけない。

「もう一年なんですね。」
 譲治が感慨深げに言う。
「歳取るとあっという間に時間が過ぎていく気がする。
 去年の個展は、譲治くんが来てくれてうれしかったな。ほんとに。」
 依子は譲治の顔を見てにっこりする。
「そう言えば、ギャラリーのマルコは相変わらず依子さんにちょっかい出してくるんですか?」
 譲治が難しい顔をしている。
「まあね。あの人それが息をするのと同じくらい当たり前のことだから。
 でもこの前の打合せで言っといたよ。あんまりしつこいと彼氏が怒りにくるからやめてくれって。」
 依子が笑って言う。
「毎日仕事終わりに監視に行こうかな。」
 譲治は真面目な顔をして言った。

 カフェスペースでランチをして、引き上げる。
 帰りがけに大型マートに行って、食料品や消耗品を買う。
 やっとひととおり、生活に必要なものが揃って、気持ちよく2人のアパートへ帰ることができた。
「今日の夕飯おにぎり定食でいい? 
 なんか久しぶりにおにぎり食べたいな、と思って。」
 依子はキッチンの片付けをしながら、支度を始める。
「もちろんいいですよ。そんなにがんばらなくていいですからね。」
 譲治は、レシートをかき集めて、引越しでかかった諸経費を整理している。生活の中で共同で使うものにかかった費用は一応ざっくりまとめておいて、折半させて、と依子はお願いしている。

 しばらくして、依子が夕飯を運んできた。
「おまたせー。お腹すいたでしょ?」
 海苔を巻いたおにぎりと、卵焼き、ほうれん草のお浸し、豚汁などなど。
「いただきます!」
 譲治が待ってましたとばかりに食べ始めた。
「おいしい?」
 依子はニコニコしながら聞く。
「うーん。染み渡りますな。」

 依子はそんな譲治を見るのが好きだった。
 自分が作ったご飯をおいしそうに食べてもらえることほどうれしいことってない。
 そういうことこそが、幸せだということを、依子は知っていた。
 
 前の結婚生活では、モラハラ気味の夫は、自分では何もしないのに何かと依子の作るごはんや家事に文句をつけて依子を追い詰めていたから。
 依子は食わせてもらっているという負い目から、何も言うことができなかった。
「どうかしましたか?」
 譲治は、思考の淵に沈んでいる依子を見て心配している。
「ううん、なんでもない。幸せだな~って、思ってたとこ。」
 依子は笑顔を戻して譲治に言った。

「明日は、仕事を開始できるよう各自でゆっくり部屋の整理しようね。
 譲治くんもお仕事溜まってない?」
「ちゃんと調整してから休みとってますから、大丈夫ですよ。 
 依子さんも何か重いもの動かすとか、必要なら言ってください。」
「ありがと。」

ーーー

「先に寝てていいからね。」
 キッチンの片付けを終えて、依子はお風呂に消えていく。
 譲治は、先にお風呂にも入って寝支度を済ませている。
 ソファでラップトップを開いていた譲治に依子は声をかけたのだった。
 歯を磨いて、体を洗って、大好きなラベンダーのバスソルトを入れてゆっくりお湯に浸かる。

 はあ。ため息をついてお湯の温かさに身を委ねる。
 2人住まい向けの広さがあっても、そんなに高いアパートでないのが何より良かった。
 大家さんもいい人だし、他の入居者も落ち着いた人ばかりのようだ。

 通販も少しずつ注文が入り始めてるし、カルチャーの方もコマ数を増やせそう。あとは、そろそろマジャール語をマヂでやらないとな、と思っている。
 なんとか時間を空けないと。体調に無理が来ないようにするのだけがちょっと心配。
 でも。譲治くんがいる。
 精神状態はとても充実していて、以前のように、心の不調で体調を崩す、ってことがない。本当に譲治くんには感謝しかない。
 私ってちゃんと彼に返せているかしら。家事くらいでそれに報いることができてるだろうか。その点ももっと頑張らなきゃな、と思う。
 そんなことを考えながら、十分あったまって、お湯からあがった。

 バスルームの戸を叩く音がして、少し戸が開き、譲治が顔をのぞかせる。
 外にいる人も洗面所が使えるように、いつも鍵はかけないでいる。
「はあい。どうした? 洗面所使う?」
 依子はバスタオルを体に巻きながら戸を開けた。譲治が入ってくる。

 譲治が依子の腰に腕を巻きつけ引き寄せながら言う。
「いいえ。ただ。」
「どうしたの? 具合悪い?」
 元気そうに見えるけど、熱でもあるかな、と依子が譲治の頬に手を当てた。
 譲治は何も言わず、依子を抱きあげて、そのまま寝室へ攫っていったのだった。
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