鈍色の空と四十肩

いろは

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80 ーハンガリーへ戻る日ー

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 翌朝。ハンガリーへ戻る日である。
 この日はフライトが深夜便なので、日中はかねてから言われていた通り、依子は美智子と買い物デートをする。
 美智子は早速、新しく姉になった依子に甘えていろいろ女子話をしたいらしい。
 譲治は実家で両親の用足しという名の雑用をこなすのに付き合う。

 昼下がりに依子と美智子が戻ってきた。
 それから譲治と依子は帰り支度をして、家を出る。
「またいつでも帰ってきなさいよ。待ってるからね。
 あと、入籍の書類届けたら教えてね。乾杯するから。」
 加奈子が元気良く送り出してくれる。

「依子さん、譲治は気が利かないから生活面でご面倒おかけすると思いますけども、ガツンと言ってやってください。言えばわかると思うので。」
 隆が横からいう。
「譲治くんはいつでも優しくしてくれるので、それで十分ですよ。
 みなさんもまた遊びにいらしてくださいね。」
 依子も名残を惜しんで、田中家と別れた。

 譲治の方も、母から交通費を渡された、というので奮発して便の良い駅までタクシーを使い、成田エクスプレスに乗って空港へ向かう。
 余裕を持ったつもりだったが、結局バタバタで感慨に耽る間もなく、予定していた便に乗ったのだった。
 行きと同じく、上海で乗り継ぎ、ブダペストへ。
 そうしてやっと、ひと息ついたのだった。後は十数時間乗っていればブダペストへ着く。
 
ーーー

「はあ。やっと落ち着きましたね。乗り換えがあるとやっぱり緊張するし。」
 譲治は背もたれに深く体を預けて隣の依子に言う。
「ほんと。譲治くんもお疲れ様。
 今回はありがとうね。ウチの両親も弟家族も、譲治くんがとても真面目な立派な青年だ、って安心したと思う。」
「そんな。こちらこそですよ。
 あたたかく迎え入れていただいて、ホッとしました。
 あとは、書類を大使館に提出するだけ。
 そしたら、あなたは正式に僕のものだ。」
 譲治は依子の目をじっと見つめて、その手を優しく握った。

「私は今までだってずっと譲治くんのものだったよ。
 今どき時代錯誤だって言う人もいると思うけど、なんかね、やっぱり、僕のものだ、って言われるとちょっとドキッとして、うれしくなっちゃうのよね。」
「そりゃ、自由を束縛する、って意味ではなくて、お互いの心はお互いだけのもの、って共通認識がありますからね。」
「そうね。
 帰ったらちょうど指輪の直しも終わってる頃かな。とてもうれしい。」
 そう言って依子はにこっとした。

 最初の機内食を食べながら、譲治が思い出したように言う。
「あ、そうだ。
 あのね、嫌われちゃうかもしれないと思って言いづらかったんだけど。
 依子さん、友人関係でも仕事関係でも、男と2人で会わないでくださいよ。
 ...だめ?」
 いつもの子犬のような目で、依子を見てくるから、ぐっと答えを飲み込んでしまいそうになるが。
「えええー? それは現実的に難しくない?
 だって、斉藤さんとかどうするの?
 譲治くん知らない人だけど、昔からの仕事仲間で、ぜんっぜん男女間の雰囲気なんてない男性とかは?」

「ですよね。
 うーん。じゃあ、100歩譲って、そういう場合は予め僕に言ってください。
 いつどこでどういう理由で会うのか。
 もしたまたまそういう場面に遭遇しちゃったりしたら、僕立ち直れないかもしれない。」
 譲治は真面目に深刻そうだ。
「そんな? オッケー。じゃ、ちゃんと言うね。
 まあ、夫婦だったらその日何するかくらいは言うから、普通だわ。」
 依子はくすっと笑いながら言う。
「...ウザい? でも勘弁して。
 僕、依子さんのことになるとちょっと冷静さを欠くみたいだから。」
 譲治は憮然として言う。
「いいのよ。願わくばいつまでもそうやって私に夢中でいてほしいわ。
 あ、譲治くんも、年齢問わず女の人に会う時は言っておいてね。」
 依子は内心、こんなふうに譲治が自分に執着を見せるのも、そのうち穏やかになっていくだろう、と思っている。それでもいいのだ。お互いへの慈しみが残れば。
「当たり前じゃないですか。もちろんです。」
 譲治は自信満々で答えるのだった。

ーーー

 飛行機は定刻から30分ほど遅れながらも、無事朝方ブダペストに到着。
 重い荷物を引きずって、アパートへやっと帰り着いた。
「あ~、やっぱり我が家はいいわ。もう、心底ホッとする。」
 ガタガタとそれぞれ荷物を移動して、家中の窓を開けて空気を入れ替える。

 譲治が自室に荷物を運んでいると、依子が戸口に寄りかかって声をかける。
「ねえ、私ね、やっぱりすごく幸せ者だわ。
 今、すごい実感した。
 譲治くんと一緒になる前は、どこから帰ってきても、最後は独りの部屋じゃない?
 楽しかったいろんなことも、独りの部屋に帰ると、現実に戻って、やっぱり寂しくて。
 でも、今、すごくここに帰って来た時、ホッとして、満たされた気分。
 日本を発つのは寂しかったけど、あなたと一緒に帰る自宅があるって、すごくうれしい。」
 そう言って微笑むと、依子はまた片付けに戻っていった。

 譲治はそんな依子の言葉を聞いて、胸がいっぱいになって立ち尽くしてしまった。
 依子との関係は、ずっと自分が盛り上がるばかりで、依子は年齢のことを気にするあまり消極的だと思っていたから、依子もまたそんなふうに満たされている、と口にしてもらえたことで、なんだかひどく感動してしまったのだった。

 ひととおり大まかに片付けをして、洗濯機をかけながら依子が言う。
「ねえ、譲治くん、ごめん。私もう限界。ちょっとお風呂入って昼寝していい?しにそー。」
 目の周りをぐりぐりとマッサージしている。
「もちろん。好きなだけゆっくりしててください。僕もテキトーにしてますから。」
 譲治は、洗濯機に突っ伏しそうな依子の後ろから優しく抱きしめて、その首筋に顔を埋めた。

「疲れちゃった?」
「うん。もうこういう時やっぱり心底加齢を感じるわ。。。
 譲治くんも私に気にしないで、ご飯食べたり好きにしててね。
 あのかわいい女性店員がいるサブウェイに行っていいよ。」
 あはは、と譲治は笑った。

ーーー

 依子が目覚めて時計を確認した時、窓の外の空は既に夕暮れだった。
 今日のブダペストは初夏の良い天気だったので、空もオレンジからピンク、そして紫へと変わりつつある。
 やっとの思いでシャワーを浴びたあと、朦朧としながらベッドに入ったのはなんとなく覚えているが、その間譲治がどうしていたのか、全然わからない。
寝室を出てみたが、出かけているようだ。
 スマホをチェックしたら、買い物に行って来ます、とLINEが入っていた。

 とりあえず冷たい水を一杯飲んで、もう一回シャワーを浴び、サラッとした質感が気持ち良い楽なワンピースに着替える。それから薄化粧も。
 普段自宅で化粧などしないが、帰って来る譲治をできるだけ清潔で爽やかな状態で迎えたかった。
 お湯を沸かして、お茶を淹れたところで譲治が帰ってきた。

「お帰りなさい。」
 にこにこしながら出迎える。
 譲治はなぜかちょっと驚いたように目を見開いて、少しの間フリーズしていた。
 それから「ただいま。」と言って入る。

「もう夕方なのに、ちょっと早歩きしたら汗かいちゃった。
 シャワー浴びてきます。」
 そう言うと譲治は買ったものをテーブルに置いて、そそくさとお風呂場に消えた。
 例によって烏の行水で5分くらいで出てくる。
 頭をいい加減に拭いて、タオルを首にかけたまま、依子の方へ飛んできてその腰を抱いた。

「さっき、帰って来た時、びっくりした。
 あなたがあんまりきれいだから。
 こんなにきれいな依子さんがもう自分の妻になるんだ、って思ったら一瞬呆然としちゃった。」
 依子の顔を熱心に見つめながらそう言うと、譲治は依子を思いっきり抱きしめる。
 依子は、自宅でもちゃんとこざっぱりとしといて良かった、と思った。
 譲治のためにきれいにしておきたい、と思う気持ちが伝わって、うれしかった。

 譲治は、さっき買ってきたものの袋から、小さな紙袋を取り出す。
「これ、直してた指輪取りに行きました。」
 そして、箱をとりだして開ける。
 指輪を手に取って、依子の左手を持ち、薬指にはめた。
「ずっと、こうやってあなたに僕の印をつけたかったんです。夢が叶いました。」
「ありがとう...」
 依子はそっと言う。
 顔を上げて譲治の目を見つめる。譲治も依子の目を見つめて言う。
「明日、昼休みに大使館に行って書類出してきましょうね。」
 うん、と依子は言って、譲治の胸に顔を埋めた。
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