バラベルサイユ

白鳥 薔

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一話のみ、完結。

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 ばらは困っていた。
 蛇はその傍らで溜め息をつく。もちろん、蛇もほとほと困り切っていたのだ。遥か彼方では、その悩みの種であるところの、処女イヴが、長い髪を風に踊らせて花々と戯れている。
「アダムはどこに行ったんだ?」
「鳥とでも歌っているんだろうよ。まったく、ここまでらちがあかないのは初めてだ」

 りんごを、食べてくれないのだ。

「それどころか、興味も示さない」
 それではいつまでたっても、この小さな森から出ていけない。
「神の願いは、産めよ増やせよ地に満ちよってんだ。なのに、りんごを食べなきゃ子供は産まれない」
 もう既に、幾組ものアダムとイヴがこの地で育てられ、そしてこの地を出ていった。
すでに『外』には『街』が出来つつある。
 それが、真実、神の願いであったから。
 唯一神であり、一人で「完全」である神は、全体で一つ、そして、対で意味を為す者を創造し、それを愛した。
「ナルシストではないからな、あの方は」
 だがしかし、それは神の似姿に造られてはいる。
 蛇は、彼方のイヴをふりあおいだ。
「だいたいイヴに問題がある。あんなにやせっぽちで色気に欠けるイヴが今までいたか? あれではアダムがその気にならんでも仕方がない」
「そうでもなかろう。あれでなかなかイヴは美しいではないか」
 反論するばらに、蛇は笑う。
「ナルシストはおまえだ」
「私?」
「イヴはおまえに似せて造られたではないか」
 云われて、笑った。
「では、イヴもそうだな。あれは私を愛している」
 そして蛇は少し言葉を濁し。しかし、ばらを見つめて、言葉をつないだ。
「まあ、たしかに。美しいがな」
 蛇とても、知ってはいるのだ。イヴは美しい。近寄ると、馨しく甘いばらに似た香りが誘いかけるように彼女からは漂う。しかし、それだけなのだ。誘うだけ。受け入れる術を彼女は知らない。
「りんごを食べねば一生あのままだ」
 今までのイヴたちは、皆アダムに恋をした。そして、アダムに愛される術を知るために自ら望んでりんごを口にした。

 りんごの名は「欲望」。

「恋は、嵐だ。心の中に吹き荒れる。」
 さとすばらの言葉に、イヴは答える。
「私にはわからないのです」
 美しい瞳をしたままで。
「何故たった一人を愛さねばならないのですか? 私は皆を愛している。何故それではいけないのです? 私には憎いものなど一つも無く、そして、嵐の様にただ一人愛しいものもいない。私の心は、いつも平穏でおだやかで、」
 ばらは静かに瞳を伏せた。
 イヴはそのまま言葉をつないだ。
「そして、私は平和を愛している。」

 何故、花に生まれなかったのか。
 何故、風に、大地に、生まれなかったのか。

 言葉を失ったばらのかわりに、やがて蛇がささやいた。蛇とても、口にはしたくなかった言葉。イヴは、このまま、処女のまま、変わらずにいてはしいと本心では願いながら。
「でも、イヴ。君がイヴである以上、アダムとの間に子供をつくらねばならない。」
 何故なら。
「それが定めだから。」
 そのためには、あの実をお食べ。
「君はイヴなんだから。」
 あかいあかい血のように赤い実を、淡い色の唇がかじる。甘いその果肉をほうばって、イヴはつらそうに噛み締めた。そしてその実の半分は、差し出されるままアダムが口にする。そして。

 そして、ふたりは追放される身となった。

「イヴ」
「お別れだわ。花咲き乱れるこの美しい宮殿を追われるのね」
「後悔している?」
「いいえ、だって仕方のないことですもの」
「りんごを食べなくてはならなかったことが?」
「いいえ」
 イヴはりんごを食べる前と同じ、処女のままのような笑顔でばらに笑ってみせた。

「私が嵐を持たずに生まれてきたことが」

 ばらは、驚きを隠せない。
 有り得ないイヴ。存在しないはずのイヴ。だが、その血はおそらく引き撫がれていく。街に出た幾組ものアダムとイヴのうち、そのどこかにカインが生まれる筈である。ばらは祈らずにはいられなかった。このイヴが、その母と成らぬことを。
「イヴ」
 ばらはその身を震わせて、美しい花びらをいくつも落とし、我が身によく似たイヴにまとわせた。
「ありがとう」
 甘い香りがする。
 だがその心には何の香りもまとえない。
 どんなに愛されても。どんなに望まれても。

 未来を求める嵐はあっても、誰かを求める嵐はないから。





● FIN ●

ご静読ありがとうございました
 
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