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第66話『偽りの楽園と涙のスープ』
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ロハン村で、人々の心に「自立」という名の種を蒔いたアレンたちのキャラバンは、村人たちの熱いエールに見送られ、次の目的地へと出発した。
しかし、斥候を取り逃がしたことで、一行の雰囲気には、以前とは違う、新たな緊張感が漂っていた。
「敵は、我々の手の内を知った上で、次の一手を打ってくるだろう」
幌馬車の御者台で、グレイが、鋭い視線を前方に向けながら、静かに言った。
「魔王の狙いが、ただの支配ではなく、人心そのものの掌握にあるとすれば、次は、もっと人の心の『弱い部分』を、巧みに突いてくるはずです」
ルミナもまた、敵の次の手を予測し、警戒を強めていた。
アレンは、そんな仲間たちの真剣な表情を見て、ゴードンさんから託された『旅の書』のページをめくりながら、事の重大さを、自分なりに理解しようとしていた。
◇
数日後、一行は、次の目的地である『シルベの村』へと到着した。
そこは、近くで良質な鉱石が採れるため、辺境にしては、比較的裕福な鉱山町のはずだった。
だが、村に足を踏み入れたアレンたちは、これまでの村とは、また全く違う、異様な光景を目の当たりにする。
村は、荒廃しているわけではない。
家々は整然と立ち並び、道も綺麗に掃き清められている。
しかし、誰も、働いていないのだ。
命の源であるはずの鉱山は、不気味なほど静まり返り、村人たちは、昼間から、広場で、ただ、歌い、踊り、笑い合っている。
その笑顔は、どこか虚ろで、瞳には、現実を見ているとは思えない、ぼんやりとした光しか宿っていなかった。
村全体が、まるで、美しい、しかし、中身のない人形たちの、奇妙な舞踏会のようだった。
広場の中心には、見たこともない、極彩色の、巨大な花が、何輪も、咲き乱れていた。
そして、村人たちは、その花から滴り落ちる、甘い香りのする蜜を、うっとりとした表情で、代わる代わる、口にしている。
「ようこそ、旅の方。
あなた方も、この『楽園の蜜』を、いかがかな?
これを一口飲めば、どんな悩みも、辛い現実も、全て忘れさせてくれる。
ここには、苦しみも、悲しみも、何もない。
ただ、永遠の幸福があるだけさ」
村人の一人が、虚ろな笑みを浮かべながら、アレンたちに、花の蜜を差し出してきた。
ルミナは、その花を見て、顔色を変えた。
「なんてこと……!
あれは、魔族が生み出した、最も悪質な、精神支配用の植物兵器……『忘却の楽園花(リリウム・オブリビオン)』です!」
その花の蜜は、強力な幻覚作用と、抗うことのできない依存性を持ち、飲む者の精神を蝕み、現実から逃避させ、偽りの幸福感の中に、永遠に閉じ込めてしまうのだという。
『怠惰の麦』が「無気力」で支配するなら、この花は、「偽りの幸福」で、人の心を、内側から殺していくのだ。
◇
「みんなー!
美味しいポトフが、できたよー!」
アレンは、これまでと同じように、村の中央広場で、最高の野菜を使った、最高のポトフを作り、村人たちに声をかけた。
だが、村人たちの反応は、鈍かった。
何人かは、その香りに、一瞬だけ、惹きつけられたような顔をしたが、すぐに、また、楽園花の蜜を求め、虚ろな笑顔へと戻っていく。
「そんなものより、こっちの蜜の方が、ずっと、幸せな気分になれるぜ?」
「働くなんて、馬鹿らしい。
苦しいだけじゃないか。
君たちも、こっちへ来て、一緒に、楽になろうじゃないか」
アレンの「本物の美味しいご飯」が、初めて、明確に、拒絶された。
彼は、自分のポトフに見向きもせず、偽りの花の蜜に群がる村人たちの姿を見て、大きなショックを受けた。
「……どうして?
僕のご飯、美味しくないのかな……?」
初めて、アレンは、自分の力の、その根幹に、自信をなくしかけていた。
そんな彼の肩を、リナリアが、優しく、しかし、力強く、叩いた。
「そんなこと、絶対にない!
アレンの作るご飯は、世界一、美味しいわ!
でも、あの人たちは、今、病気なの。
心が、偽物の、甘いだけの幸せに、囚われてしまっているのよ」
リナリアの言葉に、アレンは、はっとした。
そうだ。
病気なら、治してあげなくちゃ。
甘いだけの、偽物の夢から、覚ましてあげなくちゃ。
アレンは、顔を上げた。
その瞳には、もう迷いはない。
「そっか。
だったら、僕が、作るよ」
彼は、仲間たちに向かって、にっと、いつものように笑った。
「目が、覚めるほど、すっぱくて。
涙が出ちゃうほど、からくて。
でも、食べた後に、なんだか、すごく、胸がスッキリして、『よし、明日も頑張ろう!』って、思えるような、そんな、『思い出のスープ』をね!」
◇
アレンは、これまでの「美味しさ」や「癒し」とは、全く違うアプローチに、挑むことを決意した。
それは、偽りの楽園に溺れた人々の、麻痺してしまった心と、舌を、強烈な刺激で、無理やりにでも、叩き起こすという、荒療治。
彼のスキルは、ただ「美味しい」だけでなく、人の「感情」そのものに、直接、作用するような、新たな作物を、生み出すことができるのか。
魔王の、より巧妙になった思想戦。
それに対し、アレンもまた、その力の使い方を、新たな次元へと、進化させようとしていた。
しかし、斥候を取り逃がしたことで、一行の雰囲気には、以前とは違う、新たな緊張感が漂っていた。
「敵は、我々の手の内を知った上で、次の一手を打ってくるだろう」
幌馬車の御者台で、グレイが、鋭い視線を前方に向けながら、静かに言った。
「魔王の狙いが、ただの支配ではなく、人心そのものの掌握にあるとすれば、次は、もっと人の心の『弱い部分』を、巧みに突いてくるはずです」
ルミナもまた、敵の次の手を予測し、警戒を強めていた。
アレンは、そんな仲間たちの真剣な表情を見て、ゴードンさんから託された『旅の書』のページをめくりながら、事の重大さを、自分なりに理解しようとしていた。
◇
数日後、一行は、次の目的地である『シルベの村』へと到着した。
そこは、近くで良質な鉱石が採れるため、辺境にしては、比較的裕福な鉱山町のはずだった。
だが、村に足を踏み入れたアレンたちは、これまでの村とは、また全く違う、異様な光景を目の当たりにする。
村は、荒廃しているわけではない。
家々は整然と立ち並び、道も綺麗に掃き清められている。
しかし、誰も、働いていないのだ。
命の源であるはずの鉱山は、不気味なほど静まり返り、村人たちは、昼間から、広場で、ただ、歌い、踊り、笑い合っている。
その笑顔は、どこか虚ろで、瞳には、現実を見ているとは思えない、ぼんやりとした光しか宿っていなかった。
村全体が、まるで、美しい、しかし、中身のない人形たちの、奇妙な舞踏会のようだった。
広場の中心には、見たこともない、極彩色の、巨大な花が、何輪も、咲き乱れていた。
そして、村人たちは、その花から滴り落ちる、甘い香りのする蜜を、うっとりとした表情で、代わる代わる、口にしている。
「ようこそ、旅の方。
あなた方も、この『楽園の蜜』を、いかがかな?
これを一口飲めば、どんな悩みも、辛い現実も、全て忘れさせてくれる。
ここには、苦しみも、悲しみも、何もない。
ただ、永遠の幸福があるだけさ」
村人の一人が、虚ろな笑みを浮かべながら、アレンたちに、花の蜜を差し出してきた。
ルミナは、その花を見て、顔色を変えた。
「なんてこと……!
あれは、魔族が生み出した、最も悪質な、精神支配用の植物兵器……『忘却の楽園花(リリウム・オブリビオン)』です!」
その花の蜜は、強力な幻覚作用と、抗うことのできない依存性を持ち、飲む者の精神を蝕み、現実から逃避させ、偽りの幸福感の中に、永遠に閉じ込めてしまうのだという。
『怠惰の麦』が「無気力」で支配するなら、この花は、「偽りの幸福」で、人の心を、内側から殺していくのだ。
◇
「みんなー!
美味しいポトフが、できたよー!」
アレンは、これまでと同じように、村の中央広場で、最高の野菜を使った、最高のポトフを作り、村人たちに声をかけた。
だが、村人たちの反応は、鈍かった。
何人かは、その香りに、一瞬だけ、惹きつけられたような顔をしたが、すぐに、また、楽園花の蜜を求め、虚ろな笑顔へと戻っていく。
「そんなものより、こっちの蜜の方が、ずっと、幸せな気分になれるぜ?」
「働くなんて、馬鹿らしい。
苦しいだけじゃないか。
君たちも、こっちへ来て、一緒に、楽になろうじゃないか」
アレンの「本物の美味しいご飯」が、初めて、明確に、拒絶された。
彼は、自分のポトフに見向きもせず、偽りの花の蜜に群がる村人たちの姿を見て、大きなショックを受けた。
「……どうして?
僕のご飯、美味しくないのかな……?」
初めて、アレンは、自分の力の、その根幹に、自信をなくしかけていた。
そんな彼の肩を、リナリアが、優しく、しかし、力強く、叩いた。
「そんなこと、絶対にない!
アレンの作るご飯は、世界一、美味しいわ!
でも、あの人たちは、今、病気なの。
心が、偽物の、甘いだけの幸せに、囚われてしまっているのよ」
リナリアの言葉に、アレンは、はっとした。
そうだ。
病気なら、治してあげなくちゃ。
甘いだけの、偽物の夢から、覚ましてあげなくちゃ。
アレンは、顔を上げた。
その瞳には、もう迷いはない。
「そっか。
だったら、僕が、作るよ」
彼は、仲間たちに向かって、にっと、いつものように笑った。
「目が、覚めるほど、すっぱくて。
涙が出ちゃうほど、からくて。
でも、食べた後に、なんだか、すごく、胸がスッキリして、『よし、明日も頑張ろう!』って、思えるような、そんな、『思い出のスープ』をね!」
◇
アレンは、これまでの「美味しさ」や「癒し」とは、全く違うアプローチに、挑むことを決意した。
それは、偽りの楽園に溺れた人々の、麻痺してしまった心と、舌を、強烈な刺激で、無理やりにでも、叩き起こすという、荒療治。
彼のスキルは、ただ「美味しい」だけでなく、人の「感情」そのものに、直接、作用するような、新たな作物を、生み出すことができるのか。
魔王の、より巧妙になった思想戦。
それに対し、アレンもまた、その力の使い方を、新たな次元へと、進化させようとしていた。
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