1 / 1
紫の紙様(むらさきのかみさま)
しおりを挟む
これは、俺がまだ大学生だった頃、ほんの出来心と、安い好奇心から、とんでもない厄ネタに首を突っ込んでしまった時の、今思い出しても後悔しかない話だ。
全ての始まりは、ネットの海に漂う、ありふれた都市伝説の一つだった。
その名は、「紫の紙様」。
俺たちの大学の、オカルト好きが集まるサークルの間で、まことしやかに囁かれていた噂。
その内容は、こうだ。
街の片隅に忘れられたように存在する、古い公衆電話ボックス。
その中で、深夜0時ちょうどに、ある特定の番号にかけると、「紫の紙様」と呼ばれる存在に繋がる。
紫の紙様は、どんな願い事でも、たった一つだけ、必ず叶えてくれる。
その代わり、電話をかけた人間は、自分の「一番大切なもの」を、一つだけ差し出さなければならない。
そして、この儀式には、いくつかの絶対に破ってはいけないルールがあった。
一つ、願い事が叶うまで、この儀式のことを他人に話してはならない。
一つ、途中で怖くなっても、決して電話を切ってはならない。
一つ、紫の紙様からの質問には、正直に答えなければならない。
もし、これらのルールを破れば、紫の紙様に「見つけられて」しまい、二度と帰ってはこれなくなる、と。
まあ、よくある都市伝説だ。
俺も、サークルの仲間たちも、最初は「面白いネタだね」くらいにしか思ってなかった。
でも、メンバーの一人、佐々木だけは、違った。
佐々木は、良くも悪くも、純粋で、行動力のある奴だった。
それに、当時、あいつはパチスロにどっぷりハマっていて、結構な額の借金を抱えていたんだ。
ある日のサークル会合の後だった。
いつものようにファミレスでダベっていた俺たちに、佐々木が、妙に真剣な顔で言ったんだ。
「なあ、俺、『紫の紙様』、試してみようと思うんだ」
って。
俺と、もう一人の友人である健太、そして、サークルの紅一点だった美咲は、一斉に反対した。
「やめとけよ、馬鹿。ただの都市伝説だろ」
「もし本当だったらどうすんだよ。大切なものって、何取られるか分かんねえぞ」
「そうだよ、佐々木君。危ないよ、そんなの…」
でも、佐々木は聞く耳を持たなかった。
「大丈夫だって。これで借金返せたら、安いもんだろ。それに、俺の一番大切なものなんて、たかが知れてるしな」
そう言って、悪戯っぽく笑う佐々木の目は、本気だった。
俺たちは、それ以上、あいつを止めることができなかった。
そして、その週末。
佐々木は、本当に儀式を実行してしまったらしい。
週明けに、大学で会った佐々木は、見たこともないくらい興奮していた。
「おい!マジだぞ!あれは、本物だ!」
聞くと、佐々木は、都市伝説に書かれていた通りの古い公衆電話ボックスを見つけ出し、深夜0時に、例の番号に電話をかけたという。
コール音が数回鳴った後、電話の向こうから、鈴を転がすような、幼い女の子の声が聞こえたそうだ。
『…なあに?…なんのおねがい…?』
佐々木は、震える声で、「パチスロで、勝ちたい」と願った。
すると、女の子は、クスクスと楽しそうに笑って、こう言ったという。
『いいよ。でも、かわりに、あなたの一番たいせつなものを、ひとつ、もらうからね』
そして、電話は一方的に切れた。
俺たちは、半信半疑で佐々木の話を聞いていた。
でも、その日の夕方。
佐々木から、狂ったような喜びの声で電話がかかってきた。
「勝った!勝ったんだ!信じられないくらい、大勝ちした!これで、借金が全部返せる!」
その話を聞いて、俺たちは、ただただ唖然とするしかなかった。
本当に、願いが、叶ってしまったのか…?
でも、話は、それで終わりじゃなかった。
むしろ、そこからが、本当の始まりだったんだ。
大勝ちした数日後から、佐々木の様子が、少しずつおかしくなっていった。
まず、あんなに可愛がっていた、実家で飼っていた愛犬のポチが、原因不明の突然死を遂げた。
電話口で、「ポチが…俺の一番大切なものが…」と泣きじゃくる佐々木の声は、明らかに、ただ悲しんでいるだけじゃない、何か別の感情…恐怖に染まっていた。
それから、佐々木は、大学にも来なくなった。
心配になって電話をしても、留守電になるばかり。
LINEを送っても、既読スルー。
ようやく連絡が取れたと思ったら、
「絶対に、俺に関わるな!『紫の紙様』の話は、もうするな!お前たちも『見つかる』ぞ!」
と、錯乱したように叫んで、一方的に電話を切られてしまった。
それ以来、佐々木とは、完全に連絡が取れなくなった。
俺と健太、そして美咲は、途方に暮れた。
これは、もうただの都市伝説じゃない。
佐々木は、何かとんでもないものに、手を出してしまったんだ。
健太は、佐々木のことが心配でたまらないらしく、独自に「紫の紙様」について、ネットでさらに詳しく調べ始めた。
俺は、何となく嫌な予感がして、「もう関わるのはやめよう」と言ったんだけど、健太は聞かなかった。
そして、健太が調査を始めてから、数日後のこと。
今度は、健太の身に、異変が起こり始めた。
健太のアパートの部屋で、誰もいないのに、どこからか、古い電話のベルの音が、リンリンと聞こえるようになったという。
もちろん、健太の部屋に、そんな電話はない。
そして、机の上に置いてあったはずの文房具とか、読みかけの本とかが、朝起きると、全部、紫色の日用品(紫色のペン、紫色の表紙の本など)に、すり替わってる、なんてこともあったらしい。
健太は、日に日に憔悴していった。
「…俺、もしかして、ルールを破っちまったのかな…」
電話口で、健太は震える声で言った。
「儀式のことを、詳しく調べちまったから…『聞いた』ことになっちまったんじゃ…」
俺は、もう恐怖でどうにかなりそうだった。
このままでは、健太も、佐々木と同じように、どこかへ消えてしまうかもしれない。
俺と美咲は、二人で会って、これからどうすべきか話し合った。
「もう、警察に言うしかないんじゃないかな…」
美咲は、涙目でそう言った。
でも、警察に、都市伝説と呪いの話をして、信じてもらえるだろうか。
俺たちが頭のおかしい奴らだと思われるのがオチだ。
「…調べるしかないんだと思う」
俺は、意を決して言った。
「この『紫の紙様』っていう呪いの、正体を。どこから始まったのか、何か、解く方法はないのか」
それが、さらなる地獄への入り口だとも知らずに。
俺と美咲は、二人で、その日から、呪いの調査を始めた。
ネットの古い掲示板のログを漁り、大学の図書館で、郷土史や民間伝承に関する文献を片っ端から読み漁った。
そして、一つの、小さな手がかりを見つけたんだ。
「紫の紙様」の都市伝説が、ネット上で初めて書き込まれたのは、今から十数年前。
そして、その書き込みには、儀式を行う公衆電話の場所として、俺たちの住む県とは全く別の、とある山間の、今はもう廃村になっている村の名前が、記されていた。
さらに調査を進めると、その村で、今から三十年以上前に起こった、ある痛ましい事件の記事を見つけた。
それは、一人の少女の、失踪事件だった。
少女の名前は、「紫野(しの)」。
紫野ちゃんは、村にある古い神社の、巫女の家系に生まれた子で、生まれつき、少しだけ不思議な力があったらしい。
人の考えていることが分かったり、未来に起こることが、ぼんやりと見えたり。
でも、その力を、閉鎖的な村の人間たちは気味悪がって、彼女をいじめ、仲間外れにしていた。
そして、ある雨の日の夜。
紫野ちゃんは、村に一つだけあった公衆電話から、どこかへ電話をかけた後、忽然と姿を消した。
その時、彼女が握りしめていたのは、願い事を書いた、一枚の「紫色の折り紙」だったという。
事件は、結局、未解決のまま迷宮入りした。
俺と美咲は、確信した。
「紫の紙様」の正体は、この紫野ちゃんの、怨念なんじゃないか、と。
彼女は、村人たちへの復讐か、あるいは、ただ誰かに助けを求めて、あの公衆電話から、この世ならざる「何か」を呼び出す、禁断の儀式を行ってしまったのではないか。
そして、その結果、彼女自身が、呪いのシステムそのものになってしまった…。
俺たちが、その結論にたどり着いた、まさにその日の夜だった。
健太からの連絡が、完全に途絶えた。
俺と美咲は、嫌な予感に襲われながら、健太のアパートへ向かった。
ドアには鍵がかかっておらず、恐る恐る中に入ると、部屋はもぬけの殻だった。
まるで、最初から誰も住んでいなかったみたいに、綺麗に片付けられている。
ただ、部屋の真ん中に、一枚だけ。
紫色の、綺麗な折り紙が、ポツンと落ちているだけだった。
「…健太君…!」
美咲が、その場に崩れ落ちて泣き始めた。
俺も、もう立っているのがやっとだった。
次は、俺たちの番だ。
このままでは、俺も、美咲も、あの二人と同じように、消されてしまう。
俺たちは、追い詰められていた。
そして、一つの、無謀な結論にたどり着いた。
呪いを断ち切るには、元凶である「紫の紙様」、つまり、紫野ちゃんの怨念と、直接対決するしかない、と。
俺と美咲は、全ての覚悟を決めて、都市伝説の発祥の地である、あの山奥の廃村へと向かった。
村は、もう何十年も人が住んでおらず、完全に自然に還りかけていた。
俺たちは、草木をかき分けながら、村に一つだけあったという、あの公衆電話ボックスを探した。
そして、見つけた。
蔦に覆われ、ガラスも割れた、赤錆びた公衆電話ボックス。
まるで、巨大な墓標のように、静かに佇んでいた。
時計を見ると、時刻は、午後十一時五十分。
俺は、震える手で、ポケットから十円玉を数枚取り出した。
そして、深夜0時ちょうど。
俺は、ネットで調べた、あの特定の番号を押した。
ジー…コ、ジー…コ。
受話器の向こうから、懐かしい、ダイヤル式の電話の音が聞こえる。
そして、数回のコール音の後。
電話の向こうから、鈴を転がすような、幼い女の子の声が聞こえてきた。
『…なあに…?』
『…なんの、おねがい…?』
心臓が、張り裂けそうだった。
俺は、深呼吸をして、震える声で言った。
願い事じゃない。
「…紫野ちゃん、だよね?もう、こんなことは、やめよう。君は、もう苦しまなくていいんだ」
その瞬間、電話の向こうの空気が、一変した。
今までのか細く、楽しそうな声が、地の底から響いてくるような、おぞましい怨念の声に変わった。
『…なぁんだ…』
『…おまえも…おまえも、わたしを、うらぎるのか…!』
『わたしのこと、わかってくれるとおもったのに…!』
………
『みつけた…みつけた、みつけた、みいつけたァァァァ!!!』
最後の絶叫と共に、公衆電話の周りの空気が、ぐにゃりと歪んだ。
電話ボックスの割れたガラスの向こう、真っ暗な森の木々の隙間から、無数の、紫色の影が、まるで煙のように湧き出してくる。
そして、電話ボックスの壁や天井に、内側から、無数の小さな手形が、ベタッ、ベタッと、次々と浮かび上がってきた。
「タカシ君、逃げて!」
美咲が叫ぶ。
でも、もう遅い。
電話ボックスのドアは開かず、俺たちは完全に閉じ込められてしまった。
紫色の影が、俺たちを取り囲み、その冷たい指先で、俺たちの体を撫で回す。
絶体絶命だ。
その時、美咲が、何かを思い出したように叫んだ。
「紫野ちゃん!あなたが探してたのは、これじゃない!あなたは、ただ、お母さんに会いたかっただけなんでしょ!?」
「あなたの好きだった、コスモスの花!お母さんが、いつも髪に挿してくれたって、村のお婆さんが言ってた!」
その言葉を聞いた瞬間、俺たちを取り囲んでいた紫色の影の動きが、一瞬だけ、ピタリと止まった。
電話の向こうから、
『…おかあ…さん…?』
という、か細い、迷子のような声が聞こえた気がした。
今しかない!
俺は、最後の力を振り絞って、受話器を公衆電話に叩きつけるように置くと、その黒くて太い電話線を、力任せに引きちぎった。
ブツンッ!という鈍い音と共に、電話は完全に沈黙した。
そして、俺たちを取り囲んでいた紫色の影も、手形も、まるで陽炎のように、スーッと消えていった。
俺と美咲は、壊れた公衆電話の前で、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
…助かったのか…?
俺たちは、その後、村のはずれにあった、紫野ちゃんが祀られているという、本当に小さな、苔むした祠を見つけ出した。
そして、持ってきたコスモスの花と、紫色の折り紙を、そっと供えて、二人で静かに手を合わせた。
呪いが、完全に消えたのかは、分からない。
佐々木も、健太も、戻ってはこなかった。
俺と美咲は、都会に戻り、なんとか日常を取り戻そうとした。
でも、俺たちの心には、一生消えないであろう、深い傷跡が残った。
そして、今でも時々、街の片隅に、忘れられたように佇む公うちゅうでんわ公衆電話が目に入るたびに、あるいは、どこかで紫色のものを見るたびに、あの夜の、息もできないほどの恐怖が、蘇ってくるんだ。
そして、つい最近のことだ。
俺のスマホに、一件の非通知設定の着信があった。
気味が悪いな、とは思ったけど、仕事の電話かもしれないと思って、出てしまったんだ。
受話器の向こうは、無音だった。
ただ、ザーッ、ザーッという、酷いノイズが聞こえるだけ。
切ろうとした、その瞬間。
ノイズの向こうから、微かに、でもはっきりと、聞こえてきたんだ。
クスクス…っていう、あの幼い女の子の、笑い声が…。
全ての始まりは、ネットの海に漂う、ありふれた都市伝説の一つだった。
その名は、「紫の紙様」。
俺たちの大学の、オカルト好きが集まるサークルの間で、まことしやかに囁かれていた噂。
その内容は、こうだ。
街の片隅に忘れられたように存在する、古い公衆電話ボックス。
その中で、深夜0時ちょうどに、ある特定の番号にかけると、「紫の紙様」と呼ばれる存在に繋がる。
紫の紙様は、どんな願い事でも、たった一つだけ、必ず叶えてくれる。
その代わり、電話をかけた人間は、自分の「一番大切なもの」を、一つだけ差し出さなければならない。
そして、この儀式には、いくつかの絶対に破ってはいけないルールがあった。
一つ、願い事が叶うまで、この儀式のことを他人に話してはならない。
一つ、途中で怖くなっても、決して電話を切ってはならない。
一つ、紫の紙様からの質問には、正直に答えなければならない。
もし、これらのルールを破れば、紫の紙様に「見つけられて」しまい、二度と帰ってはこれなくなる、と。
まあ、よくある都市伝説だ。
俺も、サークルの仲間たちも、最初は「面白いネタだね」くらいにしか思ってなかった。
でも、メンバーの一人、佐々木だけは、違った。
佐々木は、良くも悪くも、純粋で、行動力のある奴だった。
それに、当時、あいつはパチスロにどっぷりハマっていて、結構な額の借金を抱えていたんだ。
ある日のサークル会合の後だった。
いつものようにファミレスでダベっていた俺たちに、佐々木が、妙に真剣な顔で言ったんだ。
「なあ、俺、『紫の紙様』、試してみようと思うんだ」
って。
俺と、もう一人の友人である健太、そして、サークルの紅一点だった美咲は、一斉に反対した。
「やめとけよ、馬鹿。ただの都市伝説だろ」
「もし本当だったらどうすんだよ。大切なものって、何取られるか分かんねえぞ」
「そうだよ、佐々木君。危ないよ、そんなの…」
でも、佐々木は聞く耳を持たなかった。
「大丈夫だって。これで借金返せたら、安いもんだろ。それに、俺の一番大切なものなんて、たかが知れてるしな」
そう言って、悪戯っぽく笑う佐々木の目は、本気だった。
俺たちは、それ以上、あいつを止めることができなかった。
そして、その週末。
佐々木は、本当に儀式を実行してしまったらしい。
週明けに、大学で会った佐々木は、見たこともないくらい興奮していた。
「おい!マジだぞ!あれは、本物だ!」
聞くと、佐々木は、都市伝説に書かれていた通りの古い公衆電話ボックスを見つけ出し、深夜0時に、例の番号に電話をかけたという。
コール音が数回鳴った後、電話の向こうから、鈴を転がすような、幼い女の子の声が聞こえたそうだ。
『…なあに?…なんのおねがい…?』
佐々木は、震える声で、「パチスロで、勝ちたい」と願った。
すると、女の子は、クスクスと楽しそうに笑って、こう言ったという。
『いいよ。でも、かわりに、あなたの一番たいせつなものを、ひとつ、もらうからね』
そして、電話は一方的に切れた。
俺たちは、半信半疑で佐々木の話を聞いていた。
でも、その日の夕方。
佐々木から、狂ったような喜びの声で電話がかかってきた。
「勝った!勝ったんだ!信じられないくらい、大勝ちした!これで、借金が全部返せる!」
その話を聞いて、俺たちは、ただただ唖然とするしかなかった。
本当に、願いが、叶ってしまったのか…?
でも、話は、それで終わりじゃなかった。
むしろ、そこからが、本当の始まりだったんだ。
大勝ちした数日後から、佐々木の様子が、少しずつおかしくなっていった。
まず、あんなに可愛がっていた、実家で飼っていた愛犬のポチが、原因不明の突然死を遂げた。
電話口で、「ポチが…俺の一番大切なものが…」と泣きじゃくる佐々木の声は、明らかに、ただ悲しんでいるだけじゃない、何か別の感情…恐怖に染まっていた。
それから、佐々木は、大学にも来なくなった。
心配になって電話をしても、留守電になるばかり。
LINEを送っても、既読スルー。
ようやく連絡が取れたと思ったら、
「絶対に、俺に関わるな!『紫の紙様』の話は、もうするな!お前たちも『見つかる』ぞ!」
と、錯乱したように叫んで、一方的に電話を切られてしまった。
それ以来、佐々木とは、完全に連絡が取れなくなった。
俺と健太、そして美咲は、途方に暮れた。
これは、もうただの都市伝説じゃない。
佐々木は、何かとんでもないものに、手を出してしまったんだ。
健太は、佐々木のことが心配でたまらないらしく、独自に「紫の紙様」について、ネットでさらに詳しく調べ始めた。
俺は、何となく嫌な予感がして、「もう関わるのはやめよう」と言ったんだけど、健太は聞かなかった。
そして、健太が調査を始めてから、数日後のこと。
今度は、健太の身に、異変が起こり始めた。
健太のアパートの部屋で、誰もいないのに、どこからか、古い電話のベルの音が、リンリンと聞こえるようになったという。
もちろん、健太の部屋に、そんな電話はない。
そして、机の上に置いてあったはずの文房具とか、読みかけの本とかが、朝起きると、全部、紫色の日用品(紫色のペン、紫色の表紙の本など)に、すり替わってる、なんてこともあったらしい。
健太は、日に日に憔悴していった。
「…俺、もしかして、ルールを破っちまったのかな…」
電話口で、健太は震える声で言った。
「儀式のことを、詳しく調べちまったから…『聞いた』ことになっちまったんじゃ…」
俺は、もう恐怖でどうにかなりそうだった。
このままでは、健太も、佐々木と同じように、どこかへ消えてしまうかもしれない。
俺と美咲は、二人で会って、これからどうすべきか話し合った。
「もう、警察に言うしかないんじゃないかな…」
美咲は、涙目でそう言った。
でも、警察に、都市伝説と呪いの話をして、信じてもらえるだろうか。
俺たちが頭のおかしい奴らだと思われるのがオチだ。
「…調べるしかないんだと思う」
俺は、意を決して言った。
「この『紫の紙様』っていう呪いの、正体を。どこから始まったのか、何か、解く方法はないのか」
それが、さらなる地獄への入り口だとも知らずに。
俺と美咲は、二人で、その日から、呪いの調査を始めた。
ネットの古い掲示板のログを漁り、大学の図書館で、郷土史や民間伝承に関する文献を片っ端から読み漁った。
そして、一つの、小さな手がかりを見つけたんだ。
「紫の紙様」の都市伝説が、ネット上で初めて書き込まれたのは、今から十数年前。
そして、その書き込みには、儀式を行う公衆電話の場所として、俺たちの住む県とは全く別の、とある山間の、今はもう廃村になっている村の名前が、記されていた。
さらに調査を進めると、その村で、今から三十年以上前に起こった、ある痛ましい事件の記事を見つけた。
それは、一人の少女の、失踪事件だった。
少女の名前は、「紫野(しの)」。
紫野ちゃんは、村にある古い神社の、巫女の家系に生まれた子で、生まれつき、少しだけ不思議な力があったらしい。
人の考えていることが分かったり、未来に起こることが、ぼんやりと見えたり。
でも、その力を、閉鎖的な村の人間たちは気味悪がって、彼女をいじめ、仲間外れにしていた。
そして、ある雨の日の夜。
紫野ちゃんは、村に一つだけあった公衆電話から、どこかへ電話をかけた後、忽然と姿を消した。
その時、彼女が握りしめていたのは、願い事を書いた、一枚の「紫色の折り紙」だったという。
事件は、結局、未解決のまま迷宮入りした。
俺と美咲は、確信した。
「紫の紙様」の正体は、この紫野ちゃんの、怨念なんじゃないか、と。
彼女は、村人たちへの復讐か、あるいは、ただ誰かに助けを求めて、あの公衆電話から、この世ならざる「何か」を呼び出す、禁断の儀式を行ってしまったのではないか。
そして、その結果、彼女自身が、呪いのシステムそのものになってしまった…。
俺たちが、その結論にたどり着いた、まさにその日の夜だった。
健太からの連絡が、完全に途絶えた。
俺と美咲は、嫌な予感に襲われながら、健太のアパートへ向かった。
ドアには鍵がかかっておらず、恐る恐る中に入ると、部屋はもぬけの殻だった。
まるで、最初から誰も住んでいなかったみたいに、綺麗に片付けられている。
ただ、部屋の真ん中に、一枚だけ。
紫色の、綺麗な折り紙が、ポツンと落ちているだけだった。
「…健太君…!」
美咲が、その場に崩れ落ちて泣き始めた。
俺も、もう立っているのがやっとだった。
次は、俺たちの番だ。
このままでは、俺も、美咲も、あの二人と同じように、消されてしまう。
俺たちは、追い詰められていた。
そして、一つの、無謀な結論にたどり着いた。
呪いを断ち切るには、元凶である「紫の紙様」、つまり、紫野ちゃんの怨念と、直接対決するしかない、と。
俺と美咲は、全ての覚悟を決めて、都市伝説の発祥の地である、あの山奥の廃村へと向かった。
村は、もう何十年も人が住んでおらず、完全に自然に還りかけていた。
俺たちは、草木をかき分けながら、村に一つだけあったという、あの公衆電話ボックスを探した。
そして、見つけた。
蔦に覆われ、ガラスも割れた、赤錆びた公衆電話ボックス。
まるで、巨大な墓標のように、静かに佇んでいた。
時計を見ると、時刻は、午後十一時五十分。
俺は、震える手で、ポケットから十円玉を数枚取り出した。
そして、深夜0時ちょうど。
俺は、ネットで調べた、あの特定の番号を押した。
ジー…コ、ジー…コ。
受話器の向こうから、懐かしい、ダイヤル式の電話の音が聞こえる。
そして、数回のコール音の後。
電話の向こうから、鈴を転がすような、幼い女の子の声が聞こえてきた。
『…なあに…?』
『…なんの、おねがい…?』
心臓が、張り裂けそうだった。
俺は、深呼吸をして、震える声で言った。
願い事じゃない。
「…紫野ちゃん、だよね?もう、こんなことは、やめよう。君は、もう苦しまなくていいんだ」
その瞬間、電話の向こうの空気が、一変した。
今までのか細く、楽しそうな声が、地の底から響いてくるような、おぞましい怨念の声に変わった。
『…なぁんだ…』
『…おまえも…おまえも、わたしを、うらぎるのか…!』
『わたしのこと、わかってくれるとおもったのに…!』
………
『みつけた…みつけた、みつけた、みいつけたァァァァ!!!』
最後の絶叫と共に、公衆電話の周りの空気が、ぐにゃりと歪んだ。
電話ボックスの割れたガラスの向こう、真っ暗な森の木々の隙間から、無数の、紫色の影が、まるで煙のように湧き出してくる。
そして、電話ボックスの壁や天井に、内側から、無数の小さな手形が、ベタッ、ベタッと、次々と浮かび上がってきた。
「タカシ君、逃げて!」
美咲が叫ぶ。
でも、もう遅い。
電話ボックスのドアは開かず、俺たちは完全に閉じ込められてしまった。
紫色の影が、俺たちを取り囲み、その冷たい指先で、俺たちの体を撫で回す。
絶体絶命だ。
その時、美咲が、何かを思い出したように叫んだ。
「紫野ちゃん!あなたが探してたのは、これじゃない!あなたは、ただ、お母さんに会いたかっただけなんでしょ!?」
「あなたの好きだった、コスモスの花!お母さんが、いつも髪に挿してくれたって、村のお婆さんが言ってた!」
その言葉を聞いた瞬間、俺たちを取り囲んでいた紫色の影の動きが、一瞬だけ、ピタリと止まった。
電話の向こうから、
『…おかあ…さん…?』
という、か細い、迷子のような声が聞こえた気がした。
今しかない!
俺は、最後の力を振り絞って、受話器を公衆電話に叩きつけるように置くと、その黒くて太い電話線を、力任せに引きちぎった。
ブツンッ!という鈍い音と共に、電話は完全に沈黙した。
そして、俺たちを取り囲んでいた紫色の影も、手形も、まるで陽炎のように、スーッと消えていった。
俺と美咲は、壊れた公衆電話の前で、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
…助かったのか…?
俺たちは、その後、村のはずれにあった、紫野ちゃんが祀られているという、本当に小さな、苔むした祠を見つけ出した。
そして、持ってきたコスモスの花と、紫色の折り紙を、そっと供えて、二人で静かに手を合わせた。
呪いが、完全に消えたのかは、分からない。
佐々木も、健太も、戻ってはこなかった。
俺と美咲は、都会に戻り、なんとか日常を取り戻そうとした。
でも、俺たちの心には、一生消えないであろう、深い傷跡が残った。
そして、今でも時々、街の片隅に、忘れられたように佇む公うちゅうでんわ公衆電話が目に入るたびに、あるいは、どこかで紫色のものを見るたびに、あの夜の、息もできないほどの恐怖が、蘇ってくるんだ。
そして、つい最近のことだ。
俺のスマホに、一件の非通知設定の着信があった。
気味が悪いな、とは思ったけど、仕事の電話かもしれないと思って、出てしまったんだ。
受話器の向こうは、無音だった。
ただ、ザーッ、ザーッという、酷いノイズが聞こえるだけ。
切ろうとした、その瞬間。
ノイズの向こうから、微かに、でもはっきりと、聞こえてきたんだ。
クスクス…っていう、あの幼い女の子の、笑い声が…。
0
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ママのごはんはたべたくない
もちっぱち
絵本
おとこのこが ママのごはん
たべたくないきもちを
ほんに してみました。
ちょっと、おもしろエピソード
よんでみてください。
これをよんだら おやこで
ハッピーに なれるかも?
約3600文字あります。
ゆっくり読んで大体20分以内で
読み終えると思います。
寝かしつけの読み聞かせにぜひどうぞ。
表紙作画:ぽん太郎 様
2023.3.7更新
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる