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第七十七話:光る茸(きのこ)の森、影の住人との出会い
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広大な地下空洞。
そこは、巨大な、青白い光を放つ茸(きのこ)や、壁一面に自生する燐光苔(りんこうごけ)によって、幻想的に照らし出されていた。
まるで、夢の中に迷い込んだかのような、非現実的な光景。
私は、その美しさと、どこか、この世のものではないような雰囲気に、しばし、言葉を失っていた。
そして、その空洞の奥、巨大な茸の傘の下に、確かに、誰かがいた。
長い髪をだらりと垂らし、ボロ布のようなものを纏(まと)った、人影。
私が、その存在に気づいたのと、ほぼ同時に、その人影もまた、ゆっくりと、こちらを向いた。
その顔は、月の光を浴びていないかのように、不健康なまでに白い。
そして、暗闇に慣れたその瞳は、異様に大きく、感情の読めない、ガラス玉のような光を宿していた。
(……人間……? それとも……)
私は、咄嗟に、短剣を握りしめ、身構えた。
体力も、魔力も、ほとんど残ってはいない。
もし、敵意を向けられたら、今度こそ……。
相手は、私を、じっと見つめている。
その視線には、驚きも、怒りも、恐怖も感じられない。
ただ、深い、深い、井戸の底を覗き込むような、静かな観察。
どれくらいの時間が、そうして過ぎただろうか。
沈黙を破ったのは、私の方だった。
もう、戦う力は、残っていない。
ならば、話しかけるしかない。
「……あの……私は、ミキ、と申します。
道に迷い……偶然、ここに……。
あなたに、危害を加えるつもりは、ありません」
私の声は、緊張で、少しだけ、震えていた。
人影は、私の言葉に、ゆっくりと、首を傾(かし)げた。
そして、かすれた、囁(ささや)くような声で、言葉を発した。
その言葉は、私が知っている言葉とは、少し、響きが違う。
途切れ途切れで、奇妙な、喉を鳴らすような音や、息を漏らすような音が混じっている。
「……ウエ……ノ……モノ……カ?」
上の者……?
おそらく、「上の世界から来たのか?」と、聞いているのだろう。
「……はい。
追っ手から逃れて……この地下へ……」
私は、正直に答えた。
もう、嘘をつく気力も、意味もない気がしたからだ。
人影――その者は、私が「フリン」と心の中で名付けることになる、この地下の住人――は、しばらく、また、私を、じっと見つめていた。
そして、おもむろに、自分の足元にあった、何か、白っぽい塊を拾い上げると、それを、私に向かって、そっと、差し出した。
それは、この空洞に生えている、光る茸の一種らしく、ほんのりと、甘いような、土の匂いがした。
(……これを、私に……?)
戸惑いながらも、私は、差し出された茸を、ゆっくりと受け取った。
フリンは、それ以上、何も言わず、ただ、私を見ている。
私は、意を決して、その、奇妙な茸を、一口、かじってみた。
味は……ほとんど、ない。
ただ、少しだけ、ひんやりとしていて、水分を含んでいる。
でも、空腹で、乾ききった私の体には、それが、何よりも、ありがたかった。
「……ありがとうございます」
私が、そう言うと、フリンは、ほんの少しだけ、その大きな瞳を、細めたような気がした。
笑った……のかもしれない。
私は、フリンと、奇妙な、つたない会話を交わし始めた。
フリンの言葉は、聞き取りにくく、私の言葉も、彼(あるいは彼女か、それすらわからない)に、どこまで通じているのか、定かではない。
それでも、身振り手振りを交えながら、なんとか、意思の疎通を試みた。
フリンは、ずっと、この地下で暮らしているらしい。
「上」の世界のことは、ほとんど知らないようだった。
ただ、「上は、コワイ……。 光、強スギル……」と、怯えたように呟いていた。
私は、この地下迷宮のことや、安全な出口について、尋ねてみた。
フリンは、首を横に振った。
「……出口、知ラナイ……。
ココ、安全……。
オク……オクハ、ダメ……」
奥は、ダメ……?
「奥には、何がいるのですか?」
「……クロイモノ……。
ハシルモノ……。
フルイバショ……コワイ……」
フリンの言葉は、断片的だったけれど、この地下迷宮の、さらに奥深くには、何か、得体のしれない、危険な存在が潜んでいることを、示唆していた。
そして、この、光る茸の森だけが、かろうじて、安全な場所なのだ、と。
フリンは、私に、この空洞の隅にある、比較的、乾いた岩陰を、指差した。
「……ネムル……ソコ……」
私に、そこで休むことを、許してくれたのだろうか。
私は、改めて、フリンに礼を言った。
そして、示された岩陰に、疲れた体を横たえる。
灯り石の光は、もう、ほとんど消えかかっている。
でも、この空洞は、光る茸と苔のおかげで、ぼんやりと明るい。
遠くで、フリンが、また、巨大な茸の傘の下に、静かに座っているのが見えた。
彼は、私を、じっと見ている。
でも、その視線には、もう、最初の頃のような、警戒心は感じられない。
ただ、純粋な、好奇心だけが、そこにあるような気がした。
(……助かった……のかもしれない……)
サイラスの追跡からは、一時的に、逃れることができた。
そして、この、不思議な地下の住人と、奇妙な、しかし、敵対的ではない関係を、築くことができた。
もちろん、安心はできない。
フリンが、いつ、心変わりしないとも限らない。
そして、この地下迷宮の奥に潜むという、「クロイモノ」や「ハシルモノ」も、気にかかる。
それに、いつまでも、ここにいるわけにはいかないのだ。
私は、いつか、必ず、地上へ戻り、そして……。
様々な思いが、頭の中を巡る。
でも、今は、ただ、この、束の間の安らぎの中で、体を休めたかった。
光る茸の、青白い、幻想的な光に包まれながら、私は、ゆっくりと、意識を手放していった。
地下迷宮の、奇妙な静寂の中で。
そこは、巨大な、青白い光を放つ茸(きのこ)や、壁一面に自生する燐光苔(りんこうごけ)によって、幻想的に照らし出されていた。
まるで、夢の中に迷い込んだかのような、非現実的な光景。
私は、その美しさと、どこか、この世のものではないような雰囲気に、しばし、言葉を失っていた。
そして、その空洞の奥、巨大な茸の傘の下に、確かに、誰かがいた。
長い髪をだらりと垂らし、ボロ布のようなものを纏(まと)った、人影。
私が、その存在に気づいたのと、ほぼ同時に、その人影もまた、ゆっくりと、こちらを向いた。
その顔は、月の光を浴びていないかのように、不健康なまでに白い。
そして、暗闇に慣れたその瞳は、異様に大きく、感情の読めない、ガラス玉のような光を宿していた。
(……人間……? それとも……)
私は、咄嗟に、短剣を握りしめ、身構えた。
体力も、魔力も、ほとんど残ってはいない。
もし、敵意を向けられたら、今度こそ……。
相手は、私を、じっと見つめている。
その視線には、驚きも、怒りも、恐怖も感じられない。
ただ、深い、深い、井戸の底を覗き込むような、静かな観察。
どれくらいの時間が、そうして過ぎただろうか。
沈黙を破ったのは、私の方だった。
もう、戦う力は、残っていない。
ならば、話しかけるしかない。
「……あの……私は、ミキ、と申します。
道に迷い……偶然、ここに……。
あなたに、危害を加えるつもりは、ありません」
私の声は、緊張で、少しだけ、震えていた。
人影は、私の言葉に、ゆっくりと、首を傾(かし)げた。
そして、かすれた、囁(ささや)くような声で、言葉を発した。
その言葉は、私が知っている言葉とは、少し、響きが違う。
途切れ途切れで、奇妙な、喉を鳴らすような音や、息を漏らすような音が混じっている。
「……ウエ……ノ……モノ……カ?」
上の者……?
おそらく、「上の世界から来たのか?」と、聞いているのだろう。
「……はい。
追っ手から逃れて……この地下へ……」
私は、正直に答えた。
もう、嘘をつく気力も、意味もない気がしたからだ。
人影――その者は、私が「フリン」と心の中で名付けることになる、この地下の住人――は、しばらく、また、私を、じっと見つめていた。
そして、おもむろに、自分の足元にあった、何か、白っぽい塊を拾い上げると、それを、私に向かって、そっと、差し出した。
それは、この空洞に生えている、光る茸の一種らしく、ほんのりと、甘いような、土の匂いがした。
(……これを、私に……?)
戸惑いながらも、私は、差し出された茸を、ゆっくりと受け取った。
フリンは、それ以上、何も言わず、ただ、私を見ている。
私は、意を決して、その、奇妙な茸を、一口、かじってみた。
味は……ほとんど、ない。
ただ、少しだけ、ひんやりとしていて、水分を含んでいる。
でも、空腹で、乾ききった私の体には、それが、何よりも、ありがたかった。
「……ありがとうございます」
私が、そう言うと、フリンは、ほんの少しだけ、その大きな瞳を、細めたような気がした。
笑った……のかもしれない。
私は、フリンと、奇妙な、つたない会話を交わし始めた。
フリンの言葉は、聞き取りにくく、私の言葉も、彼(あるいは彼女か、それすらわからない)に、どこまで通じているのか、定かではない。
それでも、身振り手振りを交えながら、なんとか、意思の疎通を試みた。
フリンは、ずっと、この地下で暮らしているらしい。
「上」の世界のことは、ほとんど知らないようだった。
ただ、「上は、コワイ……。 光、強スギル……」と、怯えたように呟いていた。
私は、この地下迷宮のことや、安全な出口について、尋ねてみた。
フリンは、首を横に振った。
「……出口、知ラナイ……。
ココ、安全……。
オク……オクハ、ダメ……」
奥は、ダメ……?
「奥には、何がいるのですか?」
「……クロイモノ……。
ハシルモノ……。
フルイバショ……コワイ……」
フリンの言葉は、断片的だったけれど、この地下迷宮の、さらに奥深くには、何か、得体のしれない、危険な存在が潜んでいることを、示唆していた。
そして、この、光る茸の森だけが、かろうじて、安全な場所なのだ、と。
フリンは、私に、この空洞の隅にある、比較的、乾いた岩陰を、指差した。
「……ネムル……ソコ……」
私に、そこで休むことを、許してくれたのだろうか。
私は、改めて、フリンに礼を言った。
そして、示された岩陰に、疲れた体を横たえる。
灯り石の光は、もう、ほとんど消えかかっている。
でも、この空洞は、光る茸と苔のおかげで、ぼんやりと明るい。
遠くで、フリンが、また、巨大な茸の傘の下に、静かに座っているのが見えた。
彼は、私を、じっと見ている。
でも、その視線には、もう、最初の頃のような、警戒心は感じられない。
ただ、純粋な、好奇心だけが、そこにあるような気がした。
(……助かった……のかもしれない……)
サイラスの追跡からは、一時的に、逃れることができた。
そして、この、不思議な地下の住人と、奇妙な、しかし、敵対的ではない関係を、築くことができた。
もちろん、安心はできない。
フリンが、いつ、心変わりしないとも限らない。
そして、この地下迷宮の奥に潜むという、「クロイモノ」や「ハシルモノ」も、気にかかる。
それに、いつまでも、ここにいるわけにはいかないのだ。
私は、いつか、必ず、地上へ戻り、そして……。
様々な思いが、頭の中を巡る。
でも、今は、ただ、この、束の間の安らぎの中で、体を休めたかった。
光る茸の、青白い、幻想的な光に包まれながら、私は、ゆっくりと、意識を手放していった。
地下迷宮の、奇妙な静寂の中で。
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