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第七十六話:地下迷宮、蠢(うごめ)く影と微かな光
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錆びついた鉄格子を押し開け、私が足を踏み入れたのは、どこまでも続くかのような、暗く、冷たい闇だった。
灯り石(ライトストーン)のか細い光が、目の前の、狭く、湿った通路を、頼りなげに照らし出す。
壁は、崩れかけた石積みや、粘土質の土が剥き出しになった場所が、交互に現れる。
鼻をつくのは、カビと、淀んだ水と、そして、何か、得体の知れない獣の糞尿(ふんにょう)のような、不快な臭い。
地上での、サイラスたちの追跡から逃れるために、私は、この、忌まわしい地下の世界へと、自ら飛び込んだのだ。
通路は、まるで、蟻の巣のように、いくつもに枝分かれし、曲がりくねっている。
どちらへ進めば、安全な場所へ、あるいは、地上への別の出口へと繋がっているのか、全く見当もつかない。
ただ、本能的に、より、空気の流れを感じる方へ、そして、わずかでも、下っていると思われる方へと、足を向けた。
時折、壁際を、大きな鼠(ねずみ)や、見たこともないような、甲虫が、素早く這い回る音が聞こえる。
その度に、私の心臓は、小さく跳ねた。
以前、地下墓地で戦った、あの墓荒らし甲虫のようなものが、ここにもいるのかもしれない。
私は、常に、短剣を握りしめ、警戒を怠らなかった。
(水……食料も、もう、ほとんどない……)
焦りが、胸を締め付ける。
この地下迷宮で、いつまでも、さまよっているわけにはいかない。
いくつかの通路が交差する、少し開けた場所に出た時だった。
カサカサ……。
壁の隅の、瓦礫(がれき)の山から、複数の、黒い影が、飛び出してきた!
それは、やはり、巨大な鼠だった。
しかし、普通の鼠ではない。
目は、血のように赤く、牙は、不気味なほど、鋭く尖っている。
数は、五匹。
彼らは、私を、侵入者として、あるいは、新たな餌として認識したのだろう。
低い唸り声を上げながら、一斉に、私に襲いかかってきた!
「……っ!」
もう、驚いている暇はない。
私は、咄嗟に、一番近くの鼠に、短剣を突き出す!
しかし、相手の動きは、素早い。
私の短剣は、空を切り、逆に、鼠の牙が、私の足元へと迫る。
「シールド!」
かろうじて展開した光壁が、鼠の攻撃を防ぐ。
でも、他の鼠たちが、左右から、私を取り囲もうとしていた。
(このままじゃ……!)
私は、胸の奥の『聖なる力』を、短剣に集中させた。
金色の光が、刃を包む!
「はあっ!」
気合と共に、光る短剣を、横薙(よこな)ぎに振るう!
「キィィッ!」
刃に触れた鼠たちは、甲高い悲鳴を上げ、その体が、わずかに、黒い煙を上げて、後ずさった。
やはり、この力は、こういう、穢(けが)れた存在に対して、効果がある!
私は、その隙を逃さず、さらに、踏み込み、一番近くの鼠の首筋に、聖なる刃を叩き込んだ!
手応えがあった。
鼠は、断末魔の声を上げ、その場に倒れ伏す。
残りの鼠たちは、仲間の死を見て、一瞬、動きを止めた。
その瞬間を、私は見逃さない。
「衝撃(しょうげき)!」
残りの鼠たちに向かって、力の波を放つ!
威力は、それほどでもない。
でも、不意を突かれた鼠たちは、バランスを崩し、壁に叩きつけられたり、瓦礫の中に、逃げ込んだりした。
……静寂が戻る。
私は、荒い息をつきながら、周囲を見回した。
まだ、どこかに潜んでいるかもしれない。
でも、ひとまずは、撃退できたようだ。
足元には、最初に倒した、大きな鼠の死骸が転がっている。
(……これも、食料に……?)
そんな考えが、一瞬、頭をよぎったが、すぐに、打ち消した。
この、不気味な鼠を食べる気には、到底なれない。
私は、その場を足早に立ち去り、さらに、地下迷宮の奥深くへと、進んでいった。
どれくらい、歩いただろうか。
灯り石の光も、心なしか、弱くなってきた気がする。
疲労と、空腹と、そして、先の見えない不安で、意識が、朦朧(もうろう)とし始めた、その時。
ふと、通路の奥に、微かな、青白い光が見えた。
それは、灯り石の光とは、明らかに違う。
もっと、広範囲で、そして、どこか、幻想的な光。
(……あれは、何……?)
私は、最後の力を振り絞り、その光を目指して、歩を進めた。
そして、辿り着いたのは、今まで通ってきた、狭い通路とは、比べ物にならないほど、広大な、地下の空洞だった。
天井は高く、ドーム状になっている。
そして、その空間全体が、巨大な、光る茸(きのこ)や、壁一面に自生する、燐光(りんこう)を放つ苔によって、青白く、幻想的に照らし出されていたのだ。
まるで、異世界の、地下庭園にでも迷い込んだかのようだった。
空気も、ここだけは、淀んでおらず、むしろ、どこか、清浄な気配さえ感じられる。
私は、その、あまりにも美しい光景に、しばし、言葉を失って、立ち尽くしていた。
(……こんな場所が、地下にあったなんて……)
少しだけ、希望が湧いてくる。
ここなら、安全に、休息できるかもしれない。
そして、もしかしたら、清浄な水も……。
私が、その、光る茸の森へと、一歩、足を踏み入れた、その時。
空洞の、一番奥。
巨大な茸の傘の下に、うずくまるようにして座っている、一つの人影に、気づいた。
それは、長い髪をだらりと垂らし、ボロ布のようなものを纏った、人間……のように見えた。
でも、その肌は、異常なまでに白く、瞳は、暗闇に慣れているのか、異様に、大きく見開かれている。
その人物が、ゆっくりと、顔を上げた。
そして、私を、その、大きな、色のない瞳で、じっと、見つめた。
敵意……?
好奇心……?
それとも、全く別の、何か……?
私には、その表情を、読み取ることができない。
ただ、一つだけ、確かなこと。
私は、もう、この地下迷宮で、一人では、なくなったのだ。
この、光る茸の森の住人と、私は、今、静かに、対峙していた。
灯り石(ライトストーン)のか細い光が、目の前の、狭く、湿った通路を、頼りなげに照らし出す。
壁は、崩れかけた石積みや、粘土質の土が剥き出しになった場所が、交互に現れる。
鼻をつくのは、カビと、淀んだ水と、そして、何か、得体の知れない獣の糞尿(ふんにょう)のような、不快な臭い。
地上での、サイラスたちの追跡から逃れるために、私は、この、忌まわしい地下の世界へと、自ら飛び込んだのだ。
通路は、まるで、蟻の巣のように、いくつもに枝分かれし、曲がりくねっている。
どちらへ進めば、安全な場所へ、あるいは、地上への別の出口へと繋がっているのか、全く見当もつかない。
ただ、本能的に、より、空気の流れを感じる方へ、そして、わずかでも、下っていると思われる方へと、足を向けた。
時折、壁際を、大きな鼠(ねずみ)や、見たこともないような、甲虫が、素早く這い回る音が聞こえる。
その度に、私の心臓は、小さく跳ねた。
以前、地下墓地で戦った、あの墓荒らし甲虫のようなものが、ここにもいるのかもしれない。
私は、常に、短剣を握りしめ、警戒を怠らなかった。
(水……食料も、もう、ほとんどない……)
焦りが、胸を締め付ける。
この地下迷宮で、いつまでも、さまよっているわけにはいかない。
いくつかの通路が交差する、少し開けた場所に出た時だった。
カサカサ……。
壁の隅の、瓦礫(がれき)の山から、複数の、黒い影が、飛び出してきた!
それは、やはり、巨大な鼠だった。
しかし、普通の鼠ではない。
目は、血のように赤く、牙は、不気味なほど、鋭く尖っている。
数は、五匹。
彼らは、私を、侵入者として、あるいは、新たな餌として認識したのだろう。
低い唸り声を上げながら、一斉に、私に襲いかかってきた!
「……っ!」
もう、驚いている暇はない。
私は、咄嗟に、一番近くの鼠に、短剣を突き出す!
しかし、相手の動きは、素早い。
私の短剣は、空を切り、逆に、鼠の牙が、私の足元へと迫る。
「シールド!」
かろうじて展開した光壁が、鼠の攻撃を防ぐ。
でも、他の鼠たちが、左右から、私を取り囲もうとしていた。
(このままじゃ……!)
私は、胸の奥の『聖なる力』を、短剣に集中させた。
金色の光が、刃を包む!
「はあっ!」
気合と共に、光る短剣を、横薙(よこな)ぎに振るう!
「キィィッ!」
刃に触れた鼠たちは、甲高い悲鳴を上げ、その体が、わずかに、黒い煙を上げて、後ずさった。
やはり、この力は、こういう、穢(けが)れた存在に対して、効果がある!
私は、その隙を逃さず、さらに、踏み込み、一番近くの鼠の首筋に、聖なる刃を叩き込んだ!
手応えがあった。
鼠は、断末魔の声を上げ、その場に倒れ伏す。
残りの鼠たちは、仲間の死を見て、一瞬、動きを止めた。
その瞬間を、私は見逃さない。
「衝撃(しょうげき)!」
残りの鼠たちに向かって、力の波を放つ!
威力は、それほどでもない。
でも、不意を突かれた鼠たちは、バランスを崩し、壁に叩きつけられたり、瓦礫の中に、逃げ込んだりした。
……静寂が戻る。
私は、荒い息をつきながら、周囲を見回した。
まだ、どこかに潜んでいるかもしれない。
でも、ひとまずは、撃退できたようだ。
足元には、最初に倒した、大きな鼠の死骸が転がっている。
(……これも、食料に……?)
そんな考えが、一瞬、頭をよぎったが、すぐに、打ち消した。
この、不気味な鼠を食べる気には、到底なれない。
私は、その場を足早に立ち去り、さらに、地下迷宮の奥深くへと、進んでいった。
どれくらい、歩いただろうか。
灯り石の光も、心なしか、弱くなってきた気がする。
疲労と、空腹と、そして、先の見えない不安で、意識が、朦朧(もうろう)とし始めた、その時。
ふと、通路の奥に、微かな、青白い光が見えた。
それは、灯り石の光とは、明らかに違う。
もっと、広範囲で、そして、どこか、幻想的な光。
(……あれは、何……?)
私は、最後の力を振り絞り、その光を目指して、歩を進めた。
そして、辿り着いたのは、今まで通ってきた、狭い通路とは、比べ物にならないほど、広大な、地下の空洞だった。
天井は高く、ドーム状になっている。
そして、その空間全体が、巨大な、光る茸(きのこ)や、壁一面に自生する、燐光(りんこう)を放つ苔によって、青白く、幻想的に照らし出されていたのだ。
まるで、異世界の、地下庭園にでも迷い込んだかのようだった。
空気も、ここだけは、淀んでおらず、むしろ、どこか、清浄な気配さえ感じられる。
私は、その、あまりにも美しい光景に、しばし、言葉を失って、立ち尽くしていた。
(……こんな場所が、地下にあったなんて……)
少しだけ、希望が湧いてくる。
ここなら、安全に、休息できるかもしれない。
そして、もしかしたら、清浄な水も……。
私が、その、光る茸の森へと、一歩、足を踏み入れた、その時。
空洞の、一番奥。
巨大な茸の傘の下に、うずくまるようにして座っている、一つの人影に、気づいた。
それは、長い髪をだらりと垂らし、ボロ布のようなものを纏った、人間……のように見えた。
でも、その肌は、異常なまでに白く、瞳は、暗闇に慣れているのか、異様に、大きく見開かれている。
その人物が、ゆっくりと、顔を上げた。
そして、私を、その、大きな、色のない瞳で、じっと、見つめた。
敵意……?
好奇心……?
それとも、全く別の、何か……?
私には、その表情を、読み取ることができない。
ただ、一つだけ、確かなこと。
私は、もう、この地下迷宮で、一人では、なくなったのだ。
この、光る茸の森の住人と、私は、今、静かに、対峙していた。
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