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第16話 氷の皇子
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『賢者の水晶迷宮』の中心部。
アストリア王国代表チームと、蒼氷帝国代表チームは、光り輝く『水晶の御旗』を挟んで、静かに対峙していた。
「あのー、すみません。このキラキラした石、食べてもいいんですか?なんだか、お腹すいちゃって」
アッシュが放った、あまりにも場違いな一言の余韻が、広間に響き渡る。
蒼氷帝国の第一皇子、クラウスは、その完璧なポーカーフェイスを、一瞬だけ維持できなかった。彼の騎士たちも、あんぐりと口を開けている。
隣で、アレクシスは深々と手で顔を覆った。リリアナが慌てて前に出る。
「も、申し訳ありません、クラウス殿下!こちらの仲間は、その……少々、独特な感性の持ち主でして……!」
「感性……?」
クラウスは、我に返ると、その表情を侮蔑と冷徹さで塗り固めた。
「ユーモアのつもりか。だとしたら、あまりに低俗だ。我々は、そのような戯れに付き合う時間はない。水晶は、我々がいただく。まぐれでここまでたどり着いた幸運を、ここで使い果たしたと思え」
そう言うと、クラウスはすっと右手を掲げた。広間の空気が、急速に温度を失っていく。
彼は、目の前の愚か者たちに、絶対的な力の差を見せつけ、戦わずして勝利を収めることに決めた。
「帝国の威光を知るがいい。『氷の棺(アイス・コフィン)』!」
彼の魔法は、アストリアのチームではなく、広間にあった装飾用の石柱に向かって放たれた。
次の瞬間、石柱は、見るも美しい、巨大な氷の塊に完全に包み込まれていた。それは、ただの氷ではない。強大な魔力によって編み上げられた、呪いにも等しい絶対零度の結晶体だ。
「見事な魔力制御だ……」
アレクシスが、息をのむ。リリアナも、その圧倒的な魔法のレベルに、警戒を強めた。
しかし、アッシュの反応は、全く違った。
「うわーっ!すごい、かっこいい!夏にじいちゃんが作ってくれる、特大のかき氷みたいだ!」
彼の目には、クラウスの威嚇は、ただの素晴らしい芸術作品にしか映っていなかった。
「あれは、北の万年氷で作るから、頭がキーンとしないんだよねえ」
などと、呑気な感想まで漏らしている。
クラウスの眉が、ぴくりと動いた。帝国の秘術が、夏のデザートと同列に語られたのだ。これ以上の屈辱はない。
そんな彼の心中を知らず、アッシュは、きらきらと輝く氷の棺に、興味津々で近づいていく。
「ねえ、これ、触ってもいいですか?ひんやりしてて、気持ちよさそう!」
「……好きにしろ」
クラウスは、吐き捨てるように言った。
(いいだろう。その指が、一瞬で凍傷にかかり、二度とふざけた口がきけなくなるがいい)
アッシュは、言われた通り、嬉々として氷の棺にぺたりと手を触れた。
「わあ、やっぱり冷たい!気持ちいいなあ」
彼が、ただ純粋な好奇心で、その魔力の塊に触れた、その瞬間。
ありえない現象が起きた。
アッシュの手のひらから、まるで波紋のように、柔らかな緑色の光が広がる。
彼に流れる勇者の血、そして『世界樹の枝』に由来する、無意識の膨大な生命エネルギーが、氷の魔法に干渉したのだ。
それは、融解ではなかった。「分解」に近かった。
生命の理そのものであるエネルギーが、静止と秩序を司る氷の魔法の構造を、根源から否定し、解体していく。
ピシ、ピシッ……!
氷の棺に、無数の緑色の亀裂が走る。
そして、次の瞬間には、あれほど巨大だった氷の塊は、水滴一つ残さず、キラキラとした光の粒子となって、音もなく空気中に消滅してしまった。
後に残されたのは、少しひんやりとした石柱と、きょとんとしているアッシュだけ。
「あれ?消えちゃった。レモン味かどうか、確かめたかったのになあ」
広場は、完全な沈黙に支配された。
クラウスと彼の騎士たちは、目の前で起きた現象が理解できず、ただ立ち尽くしている。
帝国の歴史上、最強と謳われた氷の秘術が、ただ「触れられた」だけで、存在そのものを否定された。魔法の法則が、根底から覆されたのだ。
クラウスの、完璧に保たれていた自信と尊厳が、音を立てて崩れていく。
彼は、生まれて初めて、理解不能なものに対する、純粋な「恐怖」を感じていた。
「……き、さまは……一体、何者なのだ……?」
絞り出すような声で、クラウスが問う。
「僕?僕はアッシュだよ!リリアナさんとアレクシス君と、同じチームの!」
悪意のない、あまりにも的を射ないその答えが、クラウスの心を折る、最後の引き金となった。
(戦えない。これとは、戦ってはいけない)
どうやって、自分たちの常識が一切通用しない相手と、戦えばいいというのか。
「……我々の、負けだ」
クラウスは、そう呟くと、呆然としている騎士たちに命じた。
「撤退する。行くぞ」
彼は、もう二度とアッシュの方を見ることなく、踵を返し、迷宮の中央広場から去っていった。
「あれ?帰っちゃうの?」
アッシュは、ぽかんとしながら、去っていく彼らの背中を見送った。
「じゃあ、このキラキラした石、もらっていいってことかな?」
彼は、台座に歩み寄ると、何の抵抗もなく『水晶の御旗』をひょいと持ち上げる。水晶は、アッシュの手に収まると、嬉しそうに、より一層輝きを増した。
こうして、交流戦の第一競技は、アストリア王国の勝利で幕を閉じた。
その勝利が、戦闘によるものでも、策略によるものでもなく、ただ、一人の少年が起こした「現象」によるものであったという事実は、すぐさま各国の選手団の間に広まり、アッシュ・リンクスという存在を、神話的な、そして、極めて厄介な伝説へと押し上げたのだった。
アストリア王国代表チームと、蒼氷帝国代表チームは、光り輝く『水晶の御旗』を挟んで、静かに対峙していた。
「あのー、すみません。このキラキラした石、食べてもいいんですか?なんだか、お腹すいちゃって」
アッシュが放った、あまりにも場違いな一言の余韻が、広間に響き渡る。
蒼氷帝国の第一皇子、クラウスは、その完璧なポーカーフェイスを、一瞬だけ維持できなかった。彼の騎士たちも、あんぐりと口を開けている。
隣で、アレクシスは深々と手で顔を覆った。リリアナが慌てて前に出る。
「も、申し訳ありません、クラウス殿下!こちらの仲間は、その……少々、独特な感性の持ち主でして……!」
「感性……?」
クラウスは、我に返ると、その表情を侮蔑と冷徹さで塗り固めた。
「ユーモアのつもりか。だとしたら、あまりに低俗だ。我々は、そのような戯れに付き合う時間はない。水晶は、我々がいただく。まぐれでここまでたどり着いた幸運を、ここで使い果たしたと思え」
そう言うと、クラウスはすっと右手を掲げた。広間の空気が、急速に温度を失っていく。
彼は、目の前の愚か者たちに、絶対的な力の差を見せつけ、戦わずして勝利を収めることに決めた。
「帝国の威光を知るがいい。『氷の棺(アイス・コフィン)』!」
彼の魔法は、アストリアのチームではなく、広間にあった装飾用の石柱に向かって放たれた。
次の瞬間、石柱は、見るも美しい、巨大な氷の塊に完全に包み込まれていた。それは、ただの氷ではない。強大な魔力によって編み上げられた、呪いにも等しい絶対零度の結晶体だ。
「見事な魔力制御だ……」
アレクシスが、息をのむ。リリアナも、その圧倒的な魔法のレベルに、警戒を強めた。
しかし、アッシュの反応は、全く違った。
「うわーっ!すごい、かっこいい!夏にじいちゃんが作ってくれる、特大のかき氷みたいだ!」
彼の目には、クラウスの威嚇は、ただの素晴らしい芸術作品にしか映っていなかった。
「あれは、北の万年氷で作るから、頭がキーンとしないんだよねえ」
などと、呑気な感想まで漏らしている。
クラウスの眉が、ぴくりと動いた。帝国の秘術が、夏のデザートと同列に語られたのだ。これ以上の屈辱はない。
そんな彼の心中を知らず、アッシュは、きらきらと輝く氷の棺に、興味津々で近づいていく。
「ねえ、これ、触ってもいいですか?ひんやりしてて、気持ちよさそう!」
「……好きにしろ」
クラウスは、吐き捨てるように言った。
(いいだろう。その指が、一瞬で凍傷にかかり、二度とふざけた口がきけなくなるがいい)
アッシュは、言われた通り、嬉々として氷の棺にぺたりと手を触れた。
「わあ、やっぱり冷たい!気持ちいいなあ」
彼が、ただ純粋な好奇心で、その魔力の塊に触れた、その瞬間。
ありえない現象が起きた。
アッシュの手のひらから、まるで波紋のように、柔らかな緑色の光が広がる。
彼に流れる勇者の血、そして『世界樹の枝』に由来する、無意識の膨大な生命エネルギーが、氷の魔法に干渉したのだ。
それは、融解ではなかった。「分解」に近かった。
生命の理そのものであるエネルギーが、静止と秩序を司る氷の魔法の構造を、根源から否定し、解体していく。
ピシ、ピシッ……!
氷の棺に、無数の緑色の亀裂が走る。
そして、次の瞬間には、あれほど巨大だった氷の塊は、水滴一つ残さず、キラキラとした光の粒子となって、音もなく空気中に消滅してしまった。
後に残されたのは、少しひんやりとした石柱と、きょとんとしているアッシュだけ。
「あれ?消えちゃった。レモン味かどうか、確かめたかったのになあ」
広場は、完全な沈黙に支配された。
クラウスと彼の騎士たちは、目の前で起きた現象が理解できず、ただ立ち尽くしている。
帝国の歴史上、最強と謳われた氷の秘術が、ただ「触れられた」だけで、存在そのものを否定された。魔法の法則が、根底から覆されたのだ。
クラウスの、完璧に保たれていた自信と尊厳が、音を立てて崩れていく。
彼は、生まれて初めて、理解不能なものに対する、純粋な「恐怖」を感じていた。
「……き、さまは……一体、何者なのだ……?」
絞り出すような声で、クラウスが問う。
「僕?僕はアッシュだよ!リリアナさんとアレクシス君と、同じチームの!」
悪意のない、あまりにも的を射ないその答えが、クラウスの心を折る、最後の引き金となった。
(戦えない。これとは、戦ってはいけない)
どうやって、自分たちの常識が一切通用しない相手と、戦えばいいというのか。
「……我々の、負けだ」
クラウスは、そう呟くと、呆然としている騎士たちに命じた。
「撤退する。行くぞ」
彼は、もう二度とアッシュの方を見ることなく、踵を返し、迷宮の中央広場から去っていった。
「あれ?帰っちゃうの?」
アッシュは、ぽかんとしながら、去っていく彼らの背中を見送った。
「じゃあ、このキラキラした石、もらっていいってことかな?」
彼は、台座に歩み寄ると、何の抵抗もなく『水晶の御旗』をひょいと持ち上げる。水晶は、アッシュの手に収まると、嬉しそうに、より一層輝きを増した。
こうして、交流戦の第一競技は、アストリア王国の勝利で幕を閉じた。
その勝利が、戦闘によるものでも、策略によるものでもなく、ただ、一人の少年が起こした「現象」によるものであったという事実は、すぐさま各国の選手団の間に広まり、アッシュ・リンクスという存在を、神話的な、そして、極めて厄介な伝説へと押し上げたのだった。
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