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第32話 沈黙の海
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王家の帆船『スターライト号』は、アッシュたちを乗せ、順調に西へと進んでいた。
初めての、本格的な船旅。三人の過ごし方は、それぞれだった。
リリアナは、船の書庫にこもり、古代ゼファー帝国に関する文献や、古海図を読み解くことに没頭していた。アッシュの『おやつコンパス』が指し示す航路に、一抹の不安を覚えていたからだ。
アレクシスは、船に乗る王宮騎士たちに混ざり、甲板で、毎日、厳しく剣の訓練に打ち込んでいた。彼は、もはや、ただの観察者ではない。アッシュの、そして、この世界の運命を左右する旅の、一人の当事者として、己を鍛えることに決めたのだ。
そして、アッシュは。
船の厨房を手伝い(という名の、つまみ食いをし)、甲板から釣りを楽しみ(なぜか、大物ばかりが釣れた)、そして、時折、方位磁石をかざしては、船長に、元気よく報告していた。
「船長さん!イカ焼きの匂いが、だんだん強くなってきたよ!このまま、まっすぐで大丈夫!」
そんな、どこか呑気な航海が、数日続いた、ある日のことだった。
順風満帆だったはずの船が、ぴたり、と、海の上で動きを止めてしまった。
帆は、確かに風を孕んでいる。しかし、船は、まるで、見えない何かに固定されたかのように、一ミリも進まない。
「いかん……!ここは、古くから船乗りたちが恐れる、『沈黙の海域(サイレント・サルガッソ)』だ!」
ベテランの船長が、青い顔で叫ぶ。
一度、この海域に捕らえられた船は、風があっても動けず、魔力機関も停止し、そのまま、永遠に海上を漂うことになるという、魔の海域だった。
「文献によれば、この海域の静寂は、船の運動エネルギーや魔力を糧とする、超巨大な古代の魔獣が原因、とされています……」
書庫から駆けつけたリリアナが、震える声で報告する。
船乗りたちが、絶望に打ちひしがれる中、アッシュは、一人、船べりから、不自然なほど凪いだ海面を、興味深そうに覗き込んでいた。
「わあ……。海の中に、すっごく、すっごく、おっきいクラゲがいるよ」
彼の指さす、はるか下の深海。
そこには、船の竜骨に、エネルギーを吸い取るための、無数の光の触手を絡ませている、超巨大なクラゲ型の魔獣『グランド・メデューサ』の姿があった。
それは、悪意を持って船を襲っているのではない。ただ、生きるために、通りかかる船から、エネルギーを「食事」として、吸い取っているだけだった。
「グランド・メデューサだと……!?馬鹿な、神話の生き物だぞ!」
船長は、恐怖に顔を歪める。物理攻撃は、そのゼラチン質の体には効かず、魔法攻撃は、糧として、吸収されてしまうだけだ。打つ手は、ない。
しかし、アッシュは、全く別のことを考えていた。
「もしかして、あの子、お腹がすいてるのかな?それとも、退屈なのかも。そうだ!遊んであげよう!」
彼は、名案を思いつくと、祖父からもらった、あのお土産の袋を取り出した。
中から、ピカピカに光る『特製のピリ辛漬物石』――つまり、超高純度の魔鉱石『太陽石』のかけらを、一つ、取り出す。
「じいちゃんが言ってた!大きな魚を釣る時は、ピカピカ光るものを餌にすると、一番いいんだって!」
彼は、その太陽石を、丈夫なロープの先にくくりつけると、海の中へと、ゆっくりと垂らしていった。
伝説級の触媒である太陽石が、海中へと入った、その瞬間。
エネルギーを糧とするグランド・メデューサにとって、それは、生まれて初めて遭遇する、究極の「ごちそう」だった。
まるで、砂漠で渇ききった旅人が、目の前に、無限に湧き出るオアシスを発見したかのようなものだ。
グランド・メデューサは、即座に、船からエネルギー触手を引き抜くと、その巨大な体の全てで、太陽石に、喰らいついた。
そして、その内部に秘められた、膨大なエネルギーを、凄まじい勢いで、吸収し始めた。
それは、もはや、「食事」ではなかった。
コップ一杯の水を飲もうとして、決壊したダムの奔流を、丸ごと飲み干そうとするようなものだ。
グランド・メデューサの体は、許容量を、一瞬で、遥かに超えるエネルギーを吸収し、内側から、まばゆい光を放ち始めた。
やがて、その光は、極限まで高まり、音もなく、一閃する。
光が消えた後には、もはや、古代の魔獣の姿は、どこにもなかった。
過剰なエネルギーに、その存在が耐えきれず、キラキラと輝く、無害な海のラメとなって、完全に、消滅してしまったのだ。
「沈黙の海域」を支配していた主が、いなくなった。
船は、再び、風を帆に受け、ゆっくりと、前進を再開した。
アッシュは、ロープを、船上へと引き上げる。その先には、少しだけ、輝きが鈍くなったような太陽石が、変わらず結ばれていた。
「あれー?おっきなクラゲさん、いなくなっちゃった。餌、食べてくれなかったなあ。残念」
彼は、本気で、がっかりしていた。
リリアナとアレクシスは、顔を見合わせる。
そして、今、目の前で起きた、あまりにも規格外な出来事に、もはや、驚くことさえ、忘れていた。
王国の航路を、数百年、閉ざしてきた、海の伝説。
それが、一人の少年によって、「釣り」のついでに、解決されてしまったのだ。
アッシュは、再び、『おやつコンパス』を取り出すと、元気いっぱいに叫んだ。
「よーし!船も動き出したことだし、イカ焼きの港に向かって、全速前進だー!」
初めての、本格的な船旅。三人の過ごし方は、それぞれだった。
リリアナは、船の書庫にこもり、古代ゼファー帝国に関する文献や、古海図を読み解くことに没頭していた。アッシュの『おやつコンパス』が指し示す航路に、一抹の不安を覚えていたからだ。
アレクシスは、船に乗る王宮騎士たちに混ざり、甲板で、毎日、厳しく剣の訓練に打ち込んでいた。彼は、もはや、ただの観察者ではない。アッシュの、そして、この世界の運命を左右する旅の、一人の当事者として、己を鍛えることに決めたのだ。
そして、アッシュは。
船の厨房を手伝い(という名の、つまみ食いをし)、甲板から釣りを楽しみ(なぜか、大物ばかりが釣れた)、そして、時折、方位磁石をかざしては、船長に、元気よく報告していた。
「船長さん!イカ焼きの匂いが、だんだん強くなってきたよ!このまま、まっすぐで大丈夫!」
そんな、どこか呑気な航海が、数日続いた、ある日のことだった。
順風満帆だったはずの船が、ぴたり、と、海の上で動きを止めてしまった。
帆は、確かに風を孕んでいる。しかし、船は、まるで、見えない何かに固定されたかのように、一ミリも進まない。
「いかん……!ここは、古くから船乗りたちが恐れる、『沈黙の海域(サイレント・サルガッソ)』だ!」
ベテランの船長が、青い顔で叫ぶ。
一度、この海域に捕らえられた船は、風があっても動けず、魔力機関も停止し、そのまま、永遠に海上を漂うことになるという、魔の海域だった。
「文献によれば、この海域の静寂は、船の運動エネルギーや魔力を糧とする、超巨大な古代の魔獣が原因、とされています……」
書庫から駆けつけたリリアナが、震える声で報告する。
船乗りたちが、絶望に打ちひしがれる中、アッシュは、一人、船べりから、不自然なほど凪いだ海面を、興味深そうに覗き込んでいた。
「わあ……。海の中に、すっごく、すっごく、おっきいクラゲがいるよ」
彼の指さす、はるか下の深海。
そこには、船の竜骨に、エネルギーを吸い取るための、無数の光の触手を絡ませている、超巨大なクラゲ型の魔獣『グランド・メデューサ』の姿があった。
それは、悪意を持って船を襲っているのではない。ただ、生きるために、通りかかる船から、エネルギーを「食事」として、吸い取っているだけだった。
「グランド・メデューサだと……!?馬鹿な、神話の生き物だぞ!」
船長は、恐怖に顔を歪める。物理攻撃は、そのゼラチン質の体には効かず、魔法攻撃は、糧として、吸収されてしまうだけだ。打つ手は、ない。
しかし、アッシュは、全く別のことを考えていた。
「もしかして、あの子、お腹がすいてるのかな?それとも、退屈なのかも。そうだ!遊んであげよう!」
彼は、名案を思いつくと、祖父からもらった、あのお土産の袋を取り出した。
中から、ピカピカに光る『特製のピリ辛漬物石』――つまり、超高純度の魔鉱石『太陽石』のかけらを、一つ、取り出す。
「じいちゃんが言ってた!大きな魚を釣る時は、ピカピカ光るものを餌にすると、一番いいんだって!」
彼は、その太陽石を、丈夫なロープの先にくくりつけると、海の中へと、ゆっくりと垂らしていった。
伝説級の触媒である太陽石が、海中へと入った、その瞬間。
エネルギーを糧とするグランド・メデューサにとって、それは、生まれて初めて遭遇する、究極の「ごちそう」だった。
まるで、砂漠で渇ききった旅人が、目の前に、無限に湧き出るオアシスを発見したかのようなものだ。
グランド・メデューサは、即座に、船からエネルギー触手を引き抜くと、その巨大な体の全てで、太陽石に、喰らいついた。
そして、その内部に秘められた、膨大なエネルギーを、凄まじい勢いで、吸収し始めた。
それは、もはや、「食事」ではなかった。
コップ一杯の水を飲もうとして、決壊したダムの奔流を、丸ごと飲み干そうとするようなものだ。
グランド・メデューサの体は、許容量を、一瞬で、遥かに超えるエネルギーを吸収し、内側から、まばゆい光を放ち始めた。
やがて、その光は、極限まで高まり、音もなく、一閃する。
光が消えた後には、もはや、古代の魔獣の姿は、どこにもなかった。
過剰なエネルギーに、その存在が耐えきれず、キラキラと輝く、無害な海のラメとなって、完全に、消滅してしまったのだ。
「沈黙の海域」を支配していた主が、いなくなった。
船は、再び、風を帆に受け、ゆっくりと、前進を再開した。
アッシュは、ロープを、船上へと引き上げる。その先には、少しだけ、輝きが鈍くなったような太陽石が、変わらず結ばれていた。
「あれー?おっきなクラゲさん、いなくなっちゃった。餌、食べてくれなかったなあ。残念」
彼は、本気で、がっかりしていた。
リリアナとアレクシスは、顔を見合わせる。
そして、今、目の前で起きた、あまりにも規格外な出来事に、もはや、驚くことさえ、忘れていた。
王国の航路を、数百年、閉ざしてきた、海の伝説。
それが、一人の少年によって、「釣り」のついでに、解決されてしまったのだ。
アッシュは、再び、『おやつコンパス』を取り出すと、元気いっぱいに叫んだ。
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