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第百三十七話:才媛の揺さぶり
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査察団の滞在二日目。
内務大臣ヴァロワ伯爵は昨日の視察の結果にすっかり満足しているようだった。
彼は僕が提出したノーランドの収支報告書と鉱山の生産記録を眺めながら、
「うむ、見事なものだ」
と何度も頷いている。
僕の作り上げた完璧な「舞台」は、このまま何事もなく千秋楽を迎えるかに思われた。
だが、この舞台には一人だけ脚本通りには動かない観客がいた。
「伯爵閣下。一つご提案がございます」
朝の打ち合わせの席で、ソフィアが静かに手を上げた。
「これまでの視察は全て辺境伯の用意された場所ばかり。ですがこの土地の本当の価値を知るためには、人の手の入っていないありのままの自然を見るべきではございませんこと?」
彼女は地図を広げると一つの場所を指差した。霊峰グレンデルの麓に広がる険しい渓谷。
そこは公式な記録には何一つ記されていない未開の土地だった。
「辺境伯のその類稀なる手腕は、この厳しい自然への深い理解から生まれるものとお見受けいたします。その知識の一端を、私どもにもお示しいただきたいのですわ」
それはあまりに正論で、そして断ることのできない挑戦状だった。
僕の整えられた舞台から僕を引きずり出し、予測不能な野生の舞台の上で僕の真価を試そうというのだ。
ヴァロワ伯爵は彼女のその熱心な提案をあっさりと受け入れた。
その日の午後、僕たちは馬に乗りその地図にもない渓谷へと向かっていた。
メンバーは僕とソフィア、ヴァロワ伯爵、そして護衛として僕が絶大な信頼を置くボリンと、数名の騎士たち。
もちろんセバスも僕の影として付き従っている。
道なき道を進む。
馬の蹄がぬかるんだ地面に足を取られ、冷たい風が容赦なく僕たちの体温を奪っていく。
ソフィアはそんな過酷な環境の中でも涼しい顔で馬を操り、時折僕に鋭い質問を投げかけてきた。
「アルクライト辺境伯。このあたりの植生は王都とは随分と異なりますわね。薬草として有用なものはありますの?」
「あそこの岩肌に見える地層は、鉄鉱石を含む可能性がありますわ。あなたの見解は?」
彼女は僕の知識の限界を探ろうとしている。
僕はその全ての問いに対し、僕が書物から得た知識と、ノーランドの民から伝え聞いた伝承を織り交ぜながら、完璧に答えてみせた。
僕の仮面はまだ剥がれない。
やがて僕たちは、氷の壁に覆われた巨大な滝の前にたどり着いた。
ソフィアが馬から降り、その壮大な景色を見上げながら、僕に最後の問いを投げかけようとした、その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴ……という、地響き。
春の陽気で緩んでいたのだろう。
僕たちの目の前で、その巨大な氷の滝の一部が、轟音と共に崩落を始めたのだ。
巨大な氷塊と岩が、雪崩となって僕たちへと襲いかかってくる。
「危ない! 大臣閣下をお守りしろ!」
騎士たちが叫び、ヴァロワ伯爵の前に壁を作る。
だが、その雪崩の一部は、一直線にソフィアへと向かっていた。
彼女は、あまりの突然の出来事に身動きが取れないでいた。
誰もが彼女の死を覚悟しただろう。
僕の頭脳は一瞬で全ての選択肢を計算した。
見捨てるか。
魔法で助けるか。
どちらも駄目だ。
見捨てれば僕の評判が傷つく。
魔法を使えば、僕の秘密が暴かれる。
ならば残された選択肢は、ただ一つ。
僕は馬から飛び降りた。
そして、僕の変成を遂げた、肉体の全ての力を解放する。
僕の体は、まるで疾風のように雪の上を滑り、ソフィアの元へと到達した。
彼女が驚きに目を見開く、その暇も与えず僕は、その華奢な体を強く抱きしめ、そして横へと跳んだ。
僕たちがいたその場所を、巨大な氷の塊が通り過ぎていく。
轟音と衝撃波が僕たちを襲うが、僕は彼女を庇いその全てを受け止めた。
やがて雪崩が収まり静寂が戻る。
僕は、腕の中で呆然としているソフィアをゆっくりと解放した。
「……怪我は、ないかい、ヴァレリウスさん」
僕のその問いに彼女は答えない。
ただ、その紫色の瞳で、僕の顔をじっと見つめていた。
その瞳に浮かんでいたのは、感謝でも恐怖でもない。
自らの論理では到底、説明のつかない、あり得ない現象を目の当たりにした科学者のような、畏怖とそして、戦慄の色だった。
僕の幸運の仮面は剥がれた。
そして、その下に現れたのは、彼女の想像を遥かに超える、「怪物」の素顔だったのだ。
内務大臣ヴァロワ伯爵は昨日の視察の結果にすっかり満足しているようだった。
彼は僕が提出したノーランドの収支報告書と鉱山の生産記録を眺めながら、
「うむ、見事なものだ」
と何度も頷いている。
僕の作り上げた完璧な「舞台」は、このまま何事もなく千秋楽を迎えるかに思われた。
だが、この舞台には一人だけ脚本通りには動かない観客がいた。
「伯爵閣下。一つご提案がございます」
朝の打ち合わせの席で、ソフィアが静かに手を上げた。
「これまでの視察は全て辺境伯の用意された場所ばかり。ですがこの土地の本当の価値を知るためには、人の手の入っていないありのままの自然を見るべきではございませんこと?」
彼女は地図を広げると一つの場所を指差した。霊峰グレンデルの麓に広がる険しい渓谷。
そこは公式な記録には何一つ記されていない未開の土地だった。
「辺境伯のその類稀なる手腕は、この厳しい自然への深い理解から生まれるものとお見受けいたします。その知識の一端を、私どもにもお示しいただきたいのですわ」
それはあまりに正論で、そして断ることのできない挑戦状だった。
僕の整えられた舞台から僕を引きずり出し、予測不能な野生の舞台の上で僕の真価を試そうというのだ。
ヴァロワ伯爵は彼女のその熱心な提案をあっさりと受け入れた。
その日の午後、僕たちは馬に乗りその地図にもない渓谷へと向かっていた。
メンバーは僕とソフィア、ヴァロワ伯爵、そして護衛として僕が絶大な信頼を置くボリンと、数名の騎士たち。
もちろんセバスも僕の影として付き従っている。
道なき道を進む。
馬の蹄がぬかるんだ地面に足を取られ、冷たい風が容赦なく僕たちの体温を奪っていく。
ソフィアはそんな過酷な環境の中でも涼しい顔で馬を操り、時折僕に鋭い質問を投げかけてきた。
「アルクライト辺境伯。このあたりの植生は王都とは随分と異なりますわね。薬草として有用なものはありますの?」
「あそこの岩肌に見える地層は、鉄鉱石を含む可能性がありますわ。あなたの見解は?」
彼女は僕の知識の限界を探ろうとしている。
僕はその全ての問いに対し、僕が書物から得た知識と、ノーランドの民から伝え聞いた伝承を織り交ぜながら、完璧に答えてみせた。
僕の仮面はまだ剥がれない。
やがて僕たちは、氷の壁に覆われた巨大な滝の前にたどり着いた。
ソフィアが馬から降り、その壮大な景色を見上げながら、僕に最後の問いを投げかけようとした、その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴ……という、地響き。
春の陽気で緩んでいたのだろう。
僕たちの目の前で、その巨大な氷の滝の一部が、轟音と共に崩落を始めたのだ。
巨大な氷塊と岩が、雪崩となって僕たちへと襲いかかってくる。
「危ない! 大臣閣下をお守りしろ!」
騎士たちが叫び、ヴァロワ伯爵の前に壁を作る。
だが、その雪崩の一部は、一直線にソフィアへと向かっていた。
彼女は、あまりの突然の出来事に身動きが取れないでいた。
誰もが彼女の死を覚悟しただろう。
僕の頭脳は一瞬で全ての選択肢を計算した。
見捨てるか。
魔法で助けるか。
どちらも駄目だ。
見捨てれば僕の評判が傷つく。
魔法を使えば、僕の秘密が暴かれる。
ならば残された選択肢は、ただ一つ。
僕は馬から飛び降りた。
そして、僕の変成を遂げた、肉体の全ての力を解放する。
僕の体は、まるで疾風のように雪の上を滑り、ソフィアの元へと到達した。
彼女が驚きに目を見開く、その暇も与えず僕は、その華奢な体を強く抱きしめ、そして横へと跳んだ。
僕たちがいたその場所を、巨大な氷の塊が通り過ぎていく。
轟音と衝撃波が僕たちを襲うが、僕は彼女を庇いその全てを受け止めた。
やがて雪崩が収まり静寂が戻る。
僕は、腕の中で呆然としているソフィアをゆっくりと解放した。
「……怪我は、ないかい、ヴァレリウスさん」
僕のその問いに彼女は答えない。
ただ、その紫色の瞳で、僕の顔をじっと見つめていた。
その瞳に浮かんでいたのは、感謝でも恐怖でもない。
自らの論理では到底、説明のつかない、あり得ない現象を目の当たりにした科学者のような、畏怖とそして、戦慄の色だった。
僕の幸運の仮面は剥がれた。
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