【完結】瑠璃色の薬草師

シマセイ

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第七話:希望の光、深まる信頼

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セレスティーナ夫人がか細い声でスープを求めたあの日から、辺境伯邸の空気は一変した。

アリアドネは、細心の注意を払いながら、夫人の体調に合わせた滋養豊かな薬膳スープを毎日調合し、少しずつ口に運ばせた。

初めは数匙(さじ)飲むのがやっとだったが、日を追うごとにその量は増え、顔色にも血の気が戻り始めた。

アリアドネの献身的な看護と的確な治療は、着実に実を結びつつあった。

夫人が食事を摂れるようになったことで、体力も徐々に回復。

治療開始から三週間が経つ頃には、侍女の肩を借りてベッドから起き上がり、窓辺の椅子に短い時間座っていられるまでに回復した。

そして一月後。

その日、アリアドネが朝の薬湯を持って寝室を訪れると、セレスティーナ夫人は、ぼんやりとではあるが、開け放たれた窓の外を眺めていた。

「アリアドネさん……見て。鳥が……歌っているわ……」

その声はまだ弱々しかったが、そこには確かな感動と、生きる喜びが込められていた。

アリアドネがそっと手を差し伸べると、夫人はその手を弱々しく握り返し、微笑んだ。

「ありがとう……あなたが来てくれて、本当に良かった……」

その言葉は、アリアドネの胸を熱くした。

その日の午後、アルフレッド辺境伯が公務の合間を縫って夫人の部屋を訪れた。

そこで彼が見たのは、侍女に支えられながらも、おぼつかない足取りで部屋の中を数歩、歩いている妻の姿だった。

「セレスティーナ……!」

辺境伯は絶句し、その場に立ち尽くした。

五年もの間、寝たきり同然だった妻が、再び自分の足で立っている。

その光景は、彼にとって信じられない奇跡だった。

辺境伯は、震える足で妻に歩み寄り、その痩せた肩をそっと抱きしめた。

彼の目からは、止めどなく涙が溢れ出ていた。

「ありがとう……アリアドネ殿……本当に、なんとお礼を申し上げてよいか……」

感涙にむせびながら、辺境伯はアリアドネに向き直り、深々と頭を下げた。

その額は、床につくほどだった。

「辺境伯様、お顔をお上げください。奥様の生命力と、ご家族の支えがあったからこそですわ。」

アリアドネは穏やかに微笑んだ。

この一件は、辺境伯邸の隅々にまで明るい光をもたらした。

使用人たちは、アリアドネのことを「奇跡の薬師様」と呼び、畏敬の念と心からの感謝を込めて接するようになった。

以前は、アリアドネの若さや、どこから来たのかも知れぬ出自を訝しむ者も少なからずいたが、今では誰もが彼女の類稀なる才能と献身的な人柄を認めていた。

夫人の体調が安定してきたある日、執事のエルネストがアリアドネの部屋を訪れた。

「アリアドネ様、奥様のご回復、誠に喜ばしい限りです。これも全て、あなた様のおかげにございます。」

エルネストは改めて深く頭を下げた後、少し声を潜めて続けた。

「つきましては……奥様の身の回りに、あれほど多くの有毒なものが集まっていた件ですが……やはり、ただの偶然とは考えにくいのではないかと。」

その目は、真剣な光を宿していた。

アリアドネも静かに頷く。

「私も、そう思います。いくつかの品は、専門的な知識がなければ毒性があるとは気づきにくいものです。そして、それらが複合的に作用していたことを考えると……」

「誰かが、意図的に奥様を衰弱させようとしていた……そうお考えですな?」

「断定はできません。しかし、その可能性は否定できないでしょう。もし、そうだとすれば、その者はまだこの邸の中にいるかもしれません。」

二人の間に、緊張感が走った。

「エルネスト様、奥様の安全のためにも、この件は慎重に調査する必要がありそうですわね。私にできることがあれば、協力させていただきます。」

「心強いお言葉、感謝いたします。辺境伯様ともご相談の上、内密に調査を進めたいと存じます。」

エルネストはそう言うと、再び深く頭を下げて部屋を辞した。

辺境伯夫人が奇跡的な回復を遂げているという噂は、あっという間に領内を駆け巡り、さらには近隣の領地、そして王都の社交界にまで届き始めていた。

アリアドネのもとには、診察を依頼したいという貴族や裕福な商人からの使者が、ひっきりなしに訪れるようになった。

しかし、アリアドネは丁重にそれらの申し出を断り続けた。

セレスティーナ夫人の治療が完全に終わるまでは、他の患者を診ることはできないと。

その誠実な態度は、かえって彼女の評判を高めることになった。

そして、セレスティーナ夫人が庭を散策できるまでに回復した初夏のある日。

アリアドネは、辺境伯に暇乞いを申し出た。

「奥様の体調も、もう大丈夫でしょう。私も、故郷で待つ者がおりますので。」

「アリアドネ殿……あなたには、いくら感謝してもしたりない。これは、ささやかな礼だ。どうか受け取ってほしい。」

辺境伯は、アリアドネに破格の報酬金が入った袋と、辺境伯家の紋章が刻まれた通行証を手渡した。

「この通行証があれば、我が領内はもとより、多くの場所で便宜が図られるだろう。そして、いつでもこのバルトフェルド家は、あなたを賓客として歓迎する。」

「もったいないお言葉、痛み入ります。」

アリアドネは深く感謝し、それらを受け取った。

出発の朝、セレスティーナ夫人は、すっかり血色の良くなった顔でアリアドネの手を握った。

「アリアドネさん、あなたのことは決して忘れませんわ。どうか、お元気で。」

「奥様も、どうぞお健やかにお過ごしくださいませ。」

多くの人々に見送られ、アリアドネはバルトフェルド辺境伯領を後にした。

帰路の馬車の中、アリアドネは窓の外を流れる景色を眺めながら、これまでの出来事を振り返っていた。

辺境伯家での成功は、彼女に大きな自信と、そして少なからぬ財産をもたらした。

しかし、それ以上に得たものは、人々の信頼と、自らの力で道を切り開くことができるという確信だった。

ふと、アリアドネの視線が、遠い王都の方角へと向けられた。

(エリオット……リディア……)

彼らの顔を思い浮かべると、心の奥底で再び怒りの炎が静かに燃え上がるのを感じた。

(今の私なら……以前の私とは違う……)

辺境伯家で得た名声と人脈、そして財産。

それらは全て、あの二人への復讐を果たすための大きな武器となるだろう。

アリアドネは、固く拳を握りしめた。

「エルムの薬草店」に戻ったら、まずはゼノに全てを報告し、そして、これからの計画を具体的に練り始めよう。

王都へ。

そして、あの二人への鉄槌を。

アリアドネの瑠璃色の瞳は、未来を見据え、より一層強く輝いていた。
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