「婚約破棄します」その一言で悪役令嬢の人生はバラ色に

有栖川灯里

文字の大きさ
8 / 50

8

しおりを挟む
その夜、修道院は深い静寂に包まれていた。

祈りを終えた修道女たちが寝所に下がったあと、私は一人、蝋燭の明かりだけを頼りに回廊を歩いた。  
フェルナン神官の書斎は、修道院の最も奥まった塔にある。

扉をノックすると、すぐに控えめな声が返ってきた。

「どうぞ。鍵は開いています」

中は思った以上に簡素だった。書棚と机、窓際の椅子。  
書きかけの手記が、開いたまま置かれている。

「遅い時間にすみません」

「いいえ。あなたにこそ、語るべき時を待っていました」

フェルナン神官はゆっくりと椅子を勧めた。  
そして机の引き出しから、一冊の帳面を取り出す。

「これは、神殿の内部で記録されている“聖女候補登録帳”。正式なものではありませんが、実務者の間で共有されている控えです」

差し出された帳面を開き、私はすぐに異変に気づいた。

「……リリー=シャルマン。生年、出自、神殿初登録地……すべてが空欄?」

「そうです。通常であれば、候補者には幼少期からの信仰教育の記録が残されているものですが……彼女の欄だけ、まるで白紙のように扱われている」

「それでは、どこで、誰によって、どのように“候補”とされたかも……」

「まったく不明。だがこの書には、“王妃の直接推薦により記録作成免除”という走り書きがある。異例中の異例です」

──ユリアナ王妃。

すべてが繋がっていく。  
王妃が推した平民の少女。神殿が与えた“奇跡”。王太子の“正義”としての断罪劇。

「彼女は“聖女になれる資質”があったのではなく、“聖女にしなければならない事情”があったのですね」

「そうでしょう。そしてその“事情”の中に、あなたという存在がいた。だからこそ、排除された」

静かな口調の中に、怒りに近い色が宿っていた。

フェルナン神官は、何もかもを見てきたのだ。  
欺瞞と沈黙の中で、信仰を損なわぬために、ただ“正気を保つ”ことだけを選び続けて。

「……あなたに頼んでもよろしいでしょうか」

「何を?」

「この書を、神殿外へ。正しい人々のもとに届けてほしい。私はもう“証人”にはなれない。立場を失えば、今度こそ……」

言葉を途中で止めた彼の声は、少しだけ震えていた。

「わかりました。私が引き受けます。これは──あなたの信仰の証そのものですから」

帳面を手に取り、私は静かに立ち上がる。  
目を伏せる神官に、私は深く頭を下げた。

「ありがとう。あなたがいてくれたおかげで、私はこの手で、真実を持ち帰ることができます」

そしてこの夜、  
私は“悪役令嬢”としてではなく、  
一人の名もなき証人として、静かな戦いに足を踏み入れた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一体何のことですか?【意外なオチシリーズ第1弾】

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【あの……身に覚えが無いのですけど】 私は由緒正しい伯爵家の娘で、学園内ではクールビューティーと呼ばれている。基本的に群れるのは嫌いで、1人の時間をこよなく愛している。ある日、私は見慣れない女子生徒に「彼に手を出さないで!」と言いがかりをつけられる。その話、全く身に覚えが無いのですけど……? *短編です。あっさり終わります *他サイトでも投稿中

【完結】侯爵令嬢は破滅を前に笑う

黒塔真実
恋愛
【番外編更新に向けて再編集中~内容は変わっておりません】禁断の恋に身を焦がし、来世で結ばれようと固く誓い合って二人で身投げした。そうして今生でもめぐり会い、せっかく婚約者同士になれたのに、国の内乱で英雄となった彼は、彼女を捨てて王女と王位を選んだ。 最愛の婚約者である公爵デリアンに婚約破棄を言い渡された侯爵令嬢アレイシアは、裏切られた前世からの恋の復讐のために剣を取る――今一人の女の壮大な復讐劇が始まる!! ※なろうと重複投稿です。★番外編「東へと続く道」「横取りされた花嫁」の二本を追加予定★

婚約破棄令嬢、不敵に笑いながら敬愛する伯爵の元へ

あめり
恋愛
 侯爵令嬢のアイリーンは国外追放の罰を受けた。しかしそれは、周到な準備をしていた彼女の計画だった。乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまった、早乙女 千里は自らの破滅を回避する為に、自分の育った親元を離れる必要があったのだ。 「よし、これで準備は万端ね。敬愛する伯爵様の元へ行きましょ」  彼女は隣国の慈悲深い伯爵、アルガスの元へと意気揚々と向かった。自らの幸せを手にする為に。

【完結】悪役令嬢なので婚約回避したつもりが何故か私との婚約をお望みたいです

22時完結
恋愛
悪役令嬢として転生した主人公は、王太子との婚約を回避するため、幼少期から距離を置こうと決意。しかし、王太子はなぜか彼女に強引に迫り、逃げても追いかけてくる。絶対に婚約しないと誓う彼女だが、王太子が他の女性と結婚しないと宣言し、ますます追い詰められていく。だが、彼女が新たに心を寄せる相手が現れると、王太子は嫉妬し始め、その関係はさらに複雑化する。果たして、彼女は運命を変え、真実の愛を手に入れることができるのか?

〘完結〛ずっと引きこもってた悪役令嬢が出てきた

桜井ことり
恋愛
そもそものはじまりは、 婚約破棄から逃げてきた悪役令嬢が 部屋に閉じこもってしまう話からです。 自分と向き合った悪役令嬢は聖女(優しさの理想)として生まれ変わります。 ※爽快恋愛コメディで、本来ならそうはならない描写もあります。

悪役令嬢に転生!?わたくし取り急ぎ王太子殿下との婚約を阻止して、婚約者探しを始めますわ

春ことのは
恋愛
深夜、高熱に魘されて目覚めると公爵令嬢エリザベス・グリサリオに転生していた。 エリザベスって…もしかしてあのベストセラー小説「悠久の麗しき薔薇に捧ぐシリーズ」に出てくる悪役令嬢!? この先、王太子殿下の婚約者に選ばれ、この身を王家に捧げるべく血の滲むような努力をしても、結局は平民出身のヒロインに殿下の心を奪われてしまうなんて… しかも婚約を破棄されて毒殺? わたくし、そんな未来はご免ですわ! 取り急ぎ殿下との婚約を阻止して、わが公爵家に縁のある殿方達から婚約者を探さなくては…。 __________ ※2023.3.21 HOTランキングで11位に入らせて頂きました。 読んでくださった皆様のお陰です! 本当にありがとうございました。 ※お気に入り登録やしおりをありがとうございます。 とても励みになっています! ※この作品は小説家になろう様にも投稿しています。

悪役令嬢の逆襲

すけさん
恋愛
断罪される1年前に前世の記憶が甦る! 前世は三十代の子持ちのおばちゃんだった。 素行は悪かった悪役令嬢は、急におばちゃんチックな思想が芽生え恋に友情に新たな一面を見せ始めた事で、断罪を回避するべく奮闘する!

公爵令嬢は皇太子の婚約者の地位から逃げ出して、酒場の娘からやり直すことにしました

もぐすけ
恋愛
公爵家の令嬢ルイーゼ・アードレーは皇太子の婚約者だったが、「逃がし屋」を名乗る組織に拉致され、王宮から連れ去られてしまう。「逃がし屋」から皇太子の女癖の悪さを聞かされたルイーゼは、皇太子に愛想を尽かし、そのまま逃亡生活を始める。 「逃がし屋」は単にルイーゼを逃すだけではなく、社会復帰も支援するフルサービスぶり。ルイーゼはまずは酒場の娘から始めた。

処理中です...