「婚約破棄します」その一言で悪役令嬢の人生はバラ色に

有栖川灯里

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帰路は、往路よりも早かった。

修道院《エルメリア》を発った馬車の中で、私は帳面を抱えながら、窓の外に広がる夏草の風景を眺めていた。  
この数日で、世界は随分と静かに崩れはじめている。

──神の名を使って嘘をつく者たち。  
──正しさを演じることで、罪を塗り隠した王太子。  
──そして、沈黙の裏で怒りも悲しみも押し殺す人々。

「お嬢様。お疲れでしょうか」

ユリアの声に振り返ると、彼女は私の顔をじっと見つめていた。

「……ええ。でも、まだ終わっていないわ」

私は、膝の上にある帳面をそっと撫でた。  
この小さな証拠が、誰かの人生を取り戻す鍵になるかもしれない。

馬車がヴァイセローゼ邸に戻ったのは、黄昏の頃だった。  
門をくぐると、玄関先にはすでにマルグリット祖母が立っていた。

「ようやく戻ったね。さぞ収穫があったような顔をしているじゃないか」

「ええ、ひとつ……“火種”を拾ってきました」

私が帳面を差し出すと、祖母はそれを一瞥し、すぐに召使へと預けた。

「そのまま保管しておくよ。使いどころを間違えれば、ただの紙切れにも、命取りにもなる」

「……だからこそ、使いどころは私が決めます」

「よろしい。そう言い切れるようになったのは、良い傾向だね」

マルグリットは満足げに笑うと、振り返りざまに言った。

「さて、次は“あの男”を呼ぼうじゃないか。どうせ王都に戻るなら、根回しは早い方がいい」

──“あの男”。つまり、ノエルだ。

夜になる頃、彼はいつものように窓から現れた。

「まったく、貴族ってのはいつも呼び出すのが一方的だな。俺を何だと思ってるんだか」

「情報屋、使い捨ての便利屋、そして最後に“役者”よ」

私が言うと、ノエルは肩をすくめた。

「で? その帳面とやら、どう扱う気だ?」

「一気に世間へ出すのではなく、“然るべき場”で使うのよ。王太子殿下が信仰と正義を語る場で、ね」

ノエルの目が鋭くなった。

「……つまり、“次の儀式”か」

「ええ。“真の聖女”として、リリーが正式に祝福される日。その舞台に、私も上がるわ」

「……やるね。徹底的に静かで、徹底的に美しい、復讐だ」

私は微笑んだ。これは復讐ではない。  
けれど、“正義を装った嘘”への、私なりの応答だ。

「──悪役令嬢の最期には、華やかな舞台が似合うでしょう?」

ノエルは低く笑った。

「了解。じゃあ、その舞台の照明係は俺に任せてくれ」

静かに、だが確かに、反撃は始まった。
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