「婚約破棄します」その一言で悪役令嬢の人生はバラ色に

有栖川灯里

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「……お嬢様。門前に、一人の少女が倒れていました」

夕暮れ時、ユリアの報せに私は急ぎ足で中庭に出た。

薬草畑の隅、木陰のベンチで毛布を掛けられている少女は、痩せた体を震わせながら目を閉じていた。

年の頃は十二、三。  
長い黒髪と薄い茶の瞳。  
貴族の子女のような気品も、農民の素朴さも持たない、“造られた静けさ”だけがその身に纏われていた。

「気を失っていたようですが、怪我はありません。  
……ですが、この刺繍、ご覧ください」

ユリアがそっと見せたのは、少女の胸元に縫い込まれていた紋章。  
──白百合に銀糸の輪。  
それは、王都の聖セラフィム修道院、かつて“リリー”が育てられた場所の印だった。

私はそっと少女の顔を覗き込む。

「あなたの名前は?」

「……クラウディア。  
でも、今は“そう呼ばれるように”って言われてるだけ……」

かすれた声。  
それは、“本当の名”を持たない者の、空虚な響きだった。

「なぜここへ?」

「“役に足りない”って、言われたの。  
次の“聖女”に選ばれるはずだったのに、“神の声”が届かないって──  
……だから、逃げたの。もう、祈るのが怖くて」

その言葉を聞いた瞬間、私の中の何かが凍りついた。

──また、繰り返すのか。

役を与え、名前を奪い、神を装って人を捨てる制度が、  
あの少女を──かつてのリリーのように、ただ“聖女という記号”に仕立て上げようとしていた。

「ようこそ、クラウディア。ここは、祈らなくてもいい場所よ。  
信じられなくても、泣いても、怒ってもいい。あなたが“あなたのままでいる”ことが、ここでの最初の仕事」

私は彼女の手を取った。

クラウディアの目に、うっすらと涙が浮かぶ。

「……わたし、“聖女”じゃなくても、生きてていい?」

「もちろん」

私ははっきりと答えた。

「ここでは、誰かに選ばれる必要はないの。  
あなた自身が、選ぶことを学ぶために、生きていていいのよ」

背後から、フェルナン神官の声が聞こえた。

「……新たな火が、落ちましたね」

「ええ。でも、この場所なら、燃え広がることなく“灯”になるはずです」

私はそう信じていた。

なぜなら、この場所には“祈らされる者”ではなく、  
“祈ることを選ぶ者”が集まってきているのだから。
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