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第一章
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「そんな小さい時からエルザさんはカッコよかったんですねぇ……素敵……っ」
まずい。まずいわ。まさか六歳の時のことをそんなに鮮明に覚えているなんて。もしも、あれが聞こえてたら言い訳出来ない……。
冷や汗をかく私をよそに、ゼンは感慨深いとばかりに頷いている。
「男に何事かを語りかけるエルザの背中に当時は憧憬したものですよ。当時は。あの時は聞こえませんでしたが、なにを言っていたんですか?」
「…………ゼンを泣かせたら許さないわよとか、そんなんだったんじゃないかしらね」
良かった! 聞こえてなかった!
安心して、ほっと息を吐いた。
脳裏に当時の情景がよぎる。
『少数派の地位を脅かしてんじゃねえぞ……三次元に手ぇ出すのは御法度だろうが』
あの時はゼンを怯えさせられたことで完全に頭に血が上ってたからなぁ。
聞こえてなくて良かった。
いやでも、事実だからね。うん。
「そういう話なら俺はあれかな」
顎に手を添えたルーファスが口元をにやけさせて言う。
「聞きたい聞きたい!」
キラキラとした目をルーファスに向けるララが可愛い。
「これは中等科三年の時のことだ」
※
「それで? どうして家出なんてしたのよ?」
休日に約束もせずに訪問し、開口一番に「家出したから泊めてくれ!」と宣言した俺に、エルザは呆れた視線を向けていた。
「……剣でノエルに負けた」
その視線から逃げて言う。四つ下の弟のノエルはまだ十一才だというのに剣術の腕は天才的で、辛勝を繰り返していた俺はこの日、遂に負けてしまった。
「ノエルならこの間私も負けたわよ。成長期なんじゃない?」
「魔法ありでか?」
「……なしでだけど」
「それなら負けたって言わないだろ。実戦はなんでもありなんだぞ!」
魔法ありならエルザはノエルに負けないだろう。俺とは違う。
「だからって、家出なんて子供みたいなことやめなさいよ」
「いいや。俺は帰らないぞ。この家の子になるんだ!」
「弟にでもなるつもり?」
弟と書いて下僕と読まれた。
「……いいじゃない。研鑽の相手が近くにいるなんて。毎日剣の稽古をするなら弱い人より強い人の方がお得よ」
「そりゃあ、そうだけどよ……ならこの家の子になったってエルザがいるじゃねえか」
「ああ、そっか。ならどっちでもいいのかしら」
エルザは口元に手を当てて首を傾げる。
「そうだよ。だから、ほら! 早く稽古しようぜ! 俺が勝ったら俺が兄貴な!」
「うーん。私が勝ったら家に帰る?」
「やだよ!」
「あっ! 私が勝ったらノエルをもらうってのはどう!?」
「やだよ!! 俺の弟だぞ!」
「はい! 決まり! やるわよ!」
稽古用の木剣を手に取りエルザは意気揚々と部屋から出て行く。
まずいことになったと俺は慌てて追いかけた。
結果から言えば、俺の負けだった。
この頃にはもう、なんでもありのルールではエルザにもなかなか勝てなくなってきていた。
「すまん……っノエル……兄ちゃんが弱いばっかりに……」
「悪徳商人に売りに出すんじゃないんだから……冗談に決まってるでしょ。ほら早く帰らないとノエルがお兄ちゃんを心配してるわよ」
「ああ、そうだな。そろそろ帰るか。じゃあな」
「ええ。またアカデミーでね」
※
「というわけで、俺は家出をやめて帰ったんだ」
しみじみと語るルーファスは刺さる視線の鋭さがわかっていないらしい。
「……もう少しマシな話はなかったの?」
「なんだよ……二人でふざけて火と風で遊んで校舎を焦がした話の方が良かったか?」
ろくな話がない……。
「この人に聞いた私が馬鹿でした」
「ノエル殿を弟にしたがるエルザ。見たかったなぁ……」
反応は両極端だ。
「……不満そうだけどな、あれがなかったら俺は不貞腐れてたぞ。弟に負けた、なんてのはあの年頃じゃ納得いかないもんだ。今じゃ頼もしい弟で嬉しいけどな」
「うわっやめてよ!」
ルーファスは低い位置にあるふわふわの黄色い髪を乱雑に撫で、ノエルに手を払われた。
ぼそりと小さい呟きが耳に届く。
「そうか。だから……」
「ララ、どうかしたの?」
真剣みを帯びた声に心配になるが、ララはそれはもう嬉しそうに笑顔を返してくれるだけだ。
「ノエル君は何かない?」
ララが声を弾ませて聞くも、迷惑そうに兄を叩いていたノエルは小首を傾げて「僕は特にないかなぁ」と答えた。
「そうなんだ……」
ララは残念そうだ。
ノエルとの思い出だってたくさんあるのに、やっぱり同学年の子達と遊ぶほうが楽しかったのかもしれない。残念だけど、仕方ないか。
パーティーがお開きになり、ララを部屋まで送る。部屋の前に着くと自然としんみりとした空気になり、それを払うように「これ、良かったら受け取ってくれる?」と言って、紙袋を差し出した。
「開けていいですか!?」
当然頷くとララは丁寧に紙袋の中身を取り出し、ケースを開く。
そこに入っているのは二対のブレスレットだ。
細いチェーンを幾重にも重ね、まるで譜面の音符のようにそれらをいくつもの小さな宝石が繋ぐ。一つはゴールドのチェーンにルビーとピンクサファイア。もう片方はシルバーのチェーンにブルートパーズとアクアマリンが散りばめられている。
言うまでもなくララと私の色をイメージして作ってもらったものだ。
食い入るように見つめていたララはぽつりと「綺麗……」と漏らした。
こっそりと安堵する。オーウェンもこんな気持ちだったのかしら。
そっとゴールドを取り上げてララの手首に付けようとすると、ララは「こっちがいいです」と言ってシルバーの方を指差した。
「そっちでいいの?」
この色合いはララには少し大人しすぎる気がして聞くも、ララはブンブンと首を縦に振った。
「こっちをいただきたいんです。エルザさんの色だから……ダメですか……?」
上目遣いでお願いされれば否やはない。迷わず細い手首にシルバーのブレスレットを付けてあげた。
ララは小さく歓声をあげ、手首を天井に掲げた。それはもう嬉しそうにブレスレットを眺めていて、その姿にはこちらも嬉しくなる。
「似合いますか!?」
「ええ。とっても可愛いわ」
心配をよそに、白く細い手首を飾るシルバーのブレスレットは清らかな小川のような清廉とした雰囲気で、ララによく似合っている。
問題は私にピンクが似合うのかというところだが、それは置いておこう。
ララは私にもつけてくれて、二人の手首を並べて頰を緩ませている。
ララが可愛い。これが正義だ。
楽しげな様子に、ずっと喉の奥に引っ掛けていた問いが口から溢れでた。
「ララは……自分の世界に帰る、のよね?」
じっと見つめられ、質問の理由を問われていると感じる。
誰も攻略しなかったララは、恐らくお茶会で自分の世界に帰ってしまうだろう。
それがララのためではあると思うけど……そのエンディングはノーマルエンドと名付けられている。
幸せなエンディングではないということだ。
しかし、このゲームには続編があった。
続編のプロローグは『誰とも恋愛関係にならず、しかしワンダーランドに留まったヒロインの新たな出会い』から始まる。
もちろん知り合いとなっているスペードやハートのキャラクター達とも恋愛出来る。
だから、ララがこの世界に留まってくれる可能性は十分あるわけで。
「この世界に、残っても、いいのよ……?」
ララは一瞬目を伏せた。しかしすぐにまっすぐ視線を合わせて、首を振った。
「いいえ。私は自分の世界に帰ります」
そうはっきりと告げられる。
「そう……」
ララが帰りたいのなら、私に止めることなど出来ない。
「寂しくなるわ……」
はじめにララがスペードの城に滞在すると決めた時に、私は言った。
『あなたが帰るとき、寂しくなるわね』と。
あの時の私はまだ戸惑いが大きくて、当たり障りのない言葉を選んで口にしていた。
でも、いま口から溢れたのは紛れもない本心だ。
ハッターさんのことを言えないな。私だって、ララを引き留めたくなってる。
そっと手を取られた。
顔を上げたら、柔らかく細められた金の瞳は僅かに滲んでいて――。
「住む世界が違っても、ずっと友達……ですよね?」
当然だと、答える声が震えた。
お別れの日には絶対に笑顔で送り出そう。
滲む視界を閉じて、ぎゅうと細い体を抱きしめた。
まずい。まずいわ。まさか六歳の時のことをそんなに鮮明に覚えているなんて。もしも、あれが聞こえてたら言い訳出来ない……。
冷や汗をかく私をよそに、ゼンは感慨深いとばかりに頷いている。
「男に何事かを語りかけるエルザの背中に当時は憧憬したものですよ。当時は。あの時は聞こえませんでしたが、なにを言っていたんですか?」
「…………ゼンを泣かせたら許さないわよとか、そんなんだったんじゃないかしらね」
良かった! 聞こえてなかった!
安心して、ほっと息を吐いた。
脳裏に当時の情景がよぎる。
『少数派の地位を脅かしてんじゃねえぞ……三次元に手ぇ出すのは御法度だろうが』
あの時はゼンを怯えさせられたことで完全に頭に血が上ってたからなぁ。
聞こえてなくて良かった。
いやでも、事実だからね。うん。
「そういう話なら俺はあれかな」
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「聞きたい聞きたい!」
キラキラとした目をルーファスに向けるララが可愛い。
「これは中等科三年の時のことだ」
※
「それで? どうして家出なんてしたのよ?」
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「ノエルならこの間私も負けたわよ。成長期なんじゃない?」
「魔法ありでか?」
「……なしでだけど」
「それなら負けたって言わないだろ。実戦はなんでもありなんだぞ!」
魔法ありならエルザはノエルに負けないだろう。俺とは違う。
「だからって、家出なんて子供みたいなことやめなさいよ」
「いいや。俺は帰らないぞ。この家の子になるんだ!」
「弟にでもなるつもり?」
弟と書いて下僕と読まれた。
「……いいじゃない。研鑽の相手が近くにいるなんて。毎日剣の稽古をするなら弱い人より強い人の方がお得よ」
「そりゃあ、そうだけどよ……ならこの家の子になったってエルザがいるじゃねえか」
「ああ、そっか。ならどっちでもいいのかしら」
エルザは口元に手を当てて首を傾げる。
「そうだよ。だから、ほら! 早く稽古しようぜ! 俺が勝ったら俺が兄貴な!」
「うーん。私が勝ったら家に帰る?」
「やだよ!」
「あっ! 私が勝ったらノエルをもらうってのはどう!?」
「やだよ!! 俺の弟だぞ!」
「はい! 決まり! やるわよ!」
稽古用の木剣を手に取りエルザは意気揚々と部屋から出て行く。
まずいことになったと俺は慌てて追いかけた。
結果から言えば、俺の負けだった。
この頃にはもう、なんでもありのルールではエルザにもなかなか勝てなくなってきていた。
「すまん……っノエル……兄ちゃんが弱いばっかりに……」
「悪徳商人に売りに出すんじゃないんだから……冗談に決まってるでしょ。ほら早く帰らないとノエルがお兄ちゃんを心配してるわよ」
「ああ、そうだな。そろそろ帰るか。じゃあな」
「ええ。またアカデミーでね」
※
「というわけで、俺は家出をやめて帰ったんだ」
しみじみと語るルーファスは刺さる視線の鋭さがわかっていないらしい。
「……もう少しマシな話はなかったの?」
「なんだよ……二人でふざけて火と風で遊んで校舎を焦がした話の方が良かったか?」
ろくな話がない……。
「この人に聞いた私が馬鹿でした」
「ノエル殿を弟にしたがるエルザ。見たかったなぁ……」
反応は両極端だ。
「……不満そうだけどな、あれがなかったら俺は不貞腐れてたぞ。弟に負けた、なんてのはあの年頃じゃ納得いかないもんだ。今じゃ頼もしい弟で嬉しいけどな」
「うわっやめてよ!」
ルーファスは低い位置にあるふわふわの黄色い髪を乱雑に撫で、ノエルに手を払われた。
ぼそりと小さい呟きが耳に届く。
「そうか。だから……」
「ララ、どうかしたの?」
真剣みを帯びた声に心配になるが、ララはそれはもう嬉しそうに笑顔を返してくれるだけだ。
「ノエル君は何かない?」
ララが声を弾ませて聞くも、迷惑そうに兄を叩いていたノエルは小首を傾げて「僕は特にないかなぁ」と答えた。
「そうなんだ……」
ララは残念そうだ。
ノエルとの思い出だってたくさんあるのに、やっぱり同学年の子達と遊ぶほうが楽しかったのかもしれない。残念だけど、仕方ないか。
パーティーがお開きになり、ララを部屋まで送る。部屋の前に着くと自然としんみりとした空気になり、それを払うように「これ、良かったら受け取ってくれる?」と言って、紙袋を差し出した。
「開けていいですか!?」
当然頷くとララは丁寧に紙袋の中身を取り出し、ケースを開く。
そこに入っているのは二対のブレスレットだ。
細いチェーンを幾重にも重ね、まるで譜面の音符のようにそれらをいくつもの小さな宝石が繋ぐ。一つはゴールドのチェーンにルビーとピンクサファイア。もう片方はシルバーのチェーンにブルートパーズとアクアマリンが散りばめられている。
言うまでもなくララと私の色をイメージして作ってもらったものだ。
食い入るように見つめていたララはぽつりと「綺麗……」と漏らした。
こっそりと安堵する。オーウェンもこんな気持ちだったのかしら。
そっとゴールドを取り上げてララの手首に付けようとすると、ララは「こっちがいいです」と言ってシルバーの方を指差した。
「そっちでいいの?」
この色合いはララには少し大人しすぎる気がして聞くも、ララはブンブンと首を縦に振った。
「こっちをいただきたいんです。エルザさんの色だから……ダメですか……?」
上目遣いでお願いされれば否やはない。迷わず細い手首にシルバーのブレスレットを付けてあげた。
ララは小さく歓声をあげ、手首を天井に掲げた。それはもう嬉しそうにブレスレットを眺めていて、その姿にはこちらも嬉しくなる。
「似合いますか!?」
「ええ。とっても可愛いわ」
心配をよそに、白く細い手首を飾るシルバーのブレスレットは清らかな小川のような清廉とした雰囲気で、ララによく似合っている。
問題は私にピンクが似合うのかというところだが、それは置いておこう。
ララは私にもつけてくれて、二人の手首を並べて頰を緩ませている。
ララが可愛い。これが正義だ。
楽しげな様子に、ずっと喉の奥に引っ掛けていた問いが口から溢れでた。
「ララは……自分の世界に帰る、のよね?」
じっと見つめられ、質問の理由を問われていると感じる。
誰も攻略しなかったララは、恐らくお茶会で自分の世界に帰ってしまうだろう。
それがララのためではあると思うけど……そのエンディングはノーマルエンドと名付けられている。
幸せなエンディングではないということだ。
しかし、このゲームには続編があった。
続編のプロローグは『誰とも恋愛関係にならず、しかしワンダーランドに留まったヒロインの新たな出会い』から始まる。
もちろん知り合いとなっているスペードやハートのキャラクター達とも恋愛出来る。
だから、ララがこの世界に留まってくれる可能性は十分あるわけで。
「この世界に、残っても、いいのよ……?」
ララは一瞬目を伏せた。しかしすぐにまっすぐ視線を合わせて、首を振った。
「いいえ。私は自分の世界に帰ります」
そうはっきりと告げられる。
「そう……」
ララが帰りたいのなら、私に止めることなど出来ない。
「寂しくなるわ……」
はじめにララがスペードの城に滞在すると決めた時に、私は言った。
『あなたが帰るとき、寂しくなるわね』と。
あの時の私はまだ戸惑いが大きくて、当たり障りのない言葉を選んで口にしていた。
でも、いま口から溢れたのは紛れもない本心だ。
ハッターさんのことを言えないな。私だって、ララを引き留めたくなってる。
そっと手を取られた。
顔を上げたら、柔らかく細められた金の瞳は僅かに滲んでいて――。
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