【長編版】デブ呼ばわりするなら婚約破棄してくださいな

深川ねず

文字の大きさ
4 / 51
長編版

しおりを挟む
「みぎゃっ!!」

 まるで尾を踏まれた猫のような声がして、腕を振り下ろした体勢のまま体が固まった。

 ──まずい。

「なん……っなんっですの、これは!? 粉!? どうして公爵家の娘のサロンから白い粉が……ってしょっぱい! 塩じゃありませんの!! どうしてサロンで突然塩が降ってくるのよ!!」

 今日も見事に巻かれた黒い髪に雪が降り積もったような有様のこの声の主は、遅れてくると連絡があったお茶会の参加者で、私の友人だ。
 今は顔を真っ赤にして髪を振り乱し、大騒ぎしている。

 ……よし、今のうちに逃げよう……。

 そっと抜き足差し足でその横を通り抜けようとして──令嬢にあるまじき握力で腕をつかまれた。

「…………どこにいくのかしら、リシュフィ。まさかあなた……わたくしに塩を振ったまま、ここに置き去りにするつもりではありませんわよね……?」

「そんなそんな……滅相もありませんわ……タ、タオルでもお持ちしようかしらって……ね?」

 友人は「それは助かりますわ」とにっこり笑った。

「こちらが降ってきた原因については、タオルをいただいてからにいたしましょうか」

 けして逃がさないぞと笑顔が語っている。万事休す。



「それで。サロンに塩を撒くなど一体何事かしら。なにか怪しげな儀式でも行っていたのではないでしょうね」

 あなたなら有り得そうで恐ろしいのよと睨まれる私は、現在床で正座の刑に処されている。

「そもそも公爵家の娘のサロンになぜ撒けるほどの塩が……」
「ああ、それはそのキャビネットを運び込むときに、そっと紛れ込ませたのよ。まさか女性の家具の引き出しを開けて見たりしないだろうから、ちょうど良」
「ロンズバーグのキャビネットを塩の運び屋にするなど言語道断! これ一つで一般家庭の一家が住む家が一軒建ちますのよ!?」

 プリプリと怒る妙に現実的な友人の雷は今日も絶好調だ。

 自慢の巻き髪に塩が残っていないかと丹念に鏡をのぞき込む彼女はエレシア。
 エドワーズ公爵家の娘で私と同い年。

 そして、あの因縁のお茶会で取り巻きを侍らせ、私をブタ呼ばわりした巻き髪お嬢様その人だ。

 どうしてそんな彼女と私が友人関係になっているのかというと、話は殿下と婚約した八歳の頃にまで遡る。


 ※


 私がノーと言えないまま話はあれよあれよと進められ、数週間後には私と殿下の婚約お披露目パーティが開かれてしまった。

 まずい……まずい……これに出席したらいよいよ逃げられなくなる……。

 せめてもの抵抗にお腹を出して寝たり、朝食のヨーグルトを豆腐かというほど発酵させて食べてみたが、適度な運動と食事制限を続けた私の体はこれ以上ないほどの健康優良状態で、なんの問題もなく当日を迎えてしまった。



 当日、慣例だということで屋敷まで迎えにきた殿下は、挨拶もそこそこに私をまじまじと見つつ「ドレスがとてもよく似合っているな」と言った。不貞腐れつつ。棒読みで。

 ……陛下か王妃殿下にでもそう言うように言いつけられてきたのは明らかだ。

 棒読みの褒め言葉には、棒読みのお礼で返す。

 そもそもこのドレスは殿下と揃いのものになるようデザインや使う生地など事細かに王室から指示があったものだ。それだけに八歳の女の子に着せるにしては豪華で、いかにも私が主役! といった様相のものに仕上がっている。それは殿下も同じだ。

 棒読みの挨拶以降、仏頂面の殿下はどう見てもこの婚約を喜んでいない様子で、ずっと不満そうにしていた。
 まだ八歳の子供だから仕方ない。こんな行事ごとよりも早く同じ年頃の男の子と遊びたいと思っているのだろう。

 そうして特に話題もないまま、車は動き出し、あっという間に会場へと到着した。

 会場に着いてからは殿下の様子に気を配る余裕などない。

 次々に来る挨拶はほとんど殿下が対応するから私はその後ろで作り笑顔を浮かべる役だった。

 そうして殿下の背後霊、もとい添え物のようになっていると、一人の十歳くらいの男の子が人懐っこい笑みを浮かべて「ドレスがとてもお似合いですね。それにその髪飾りも。レストリド公爵令嬢の銀の御髪に映える見事な白金の意匠で素晴らしい」と褒めてくれた。

 この髪飾りも王家から指示のあったものだ。それでもこの男の子の年齢でよくもこうスラスラと褒める言葉が出てくるものだと感心したし、その笑顔は心からの言葉に思えてなんだかくすぐったいような気持ちになる。

「ありがとうございます」

 と心を込めてお礼を言うと、また笑顔が返されて、年下趣味ではないが癒された。
 誰かさんとは大違いだ。

「それは俺が……」

 隣から小さく、どこか拗ねたような声がした。

「殿下。どうかされまして?」
「なんでもない」

 不貞腐れが悪化した殿下はこの後もろくに会話をしてくれなくて、ほとほと疲れ果てた。
 八歳の男の子とはいえ、モラハラ予備軍ぶりに拍車がかかっているなぁ……。



「これはこれは殿下。ご機嫌麗しゅう。」

 太鼓を叩いたような、太く響く大きな声だった。

「この度はご婚約おめでとうございます」
「ありがとう、エドワーズ公。お久しぶりですね」

 エドワーズ公爵は声と同じ太鼓腹の体の大きなおじさんだった。快活に笑いながら、初めて会う私に目を向ける。

 その目に内心首を傾げた。なんだか妙に粘りつくような、嫌な目だ。

「こちらが婚約者の……レストリド公の御息女でしたな」
「はじめまして。エドワーズ公爵様。レストリド公爵の娘、リシュフィでございます」
「そうだった。リシュフィ嬢ですな。茶会ではお見かけしたことがありませんが、レストリド公自慢のご令嬢にようやくお会いできて嬉しく思いますよ」

 嘘を付け。
 エドワーズ公爵は好意的な言葉に乗せて、殿下に対する媚びた蛇のような目とは明らかに違う、嫌らしい挑戦的な目を私に向けてきていた。

「そうそう、私にも娘がおりましてな。エレシアと申します。良ければリシュフィ嬢のご友人に加えていただきたいと申しておりましてねぇ」

 そう言ったエドワーズ公爵に背中を些か乱暴に押されて出てきたのは、見覚えのある女の子だった。

『殿下。まさかの淑女をデブ呼ばわり!? 王家の一員としての資質が問われる』と私の脳内新聞一面の見出しを飾ったあの忌まわしきお茶会で、多数の取り巻きを抱え込んでいた巻き髪お嬢様だ。

 この三年で顔や体の丸みがなくなり、大人びた印象の淑女へと成長している──が、私の姿を見て口をまん丸に開けて固まってしまっていた。

 ふふん。そうでしょう。びっくりでしょう。と内心鼻が得意げに伸びる。

 この子と会ったのは正真正銘あのお茶会が最初で最後だ。
 つまりこの表情は、あのおデブちゃんがこんなに綺麗になったの!? ってことに違いない。

 殿下の時はケーキの嫌がらせもあって苛立ったものの、エレシアちゃんのこの反応はなんとも気分がいい。綺麗になって、馬鹿にしてきた相手を見返すことのなんと気持ちいいこと! わたくしの美しさにひれ伏しなさい!

 などと悦に浸っていたら手をがっしりと掴まれた。

「リシュフィ様……わたくしと、仲良くしてくださいませ!! 是非そのダイエッ……美しさの秘訣を教えてください!!」

 淑女にあるまじき絶叫とも取れる叫びだった。
 しかし私はわずかに質量を増やし始めた胸を張った。

 同じ女としてその気持ち、汲んで差し上げてよ!

「あなたに、ついて来られるかしらね!」
「臨むところですわ!!」

 こうして私と巻き髪お嬢様──エレシアちゃんの友情は始まった。

 殿下? さぁ。その辺でケーキでも食べてるんじゃないですか。
しおりを挟む
感想 174

あなたにおすすめの小説

探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?

雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。 最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。 ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。 もう限界です。 探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

【完結】お世話になりました

⚪︎
恋愛
わたしがいなくなっても、きっとあなたは気付きもしないでしょう。 ✴︎書き上げ済み。 お話が合わない場合は静かに閉じてください。

婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから、他

猿喰 森繁
恋愛
完結した短編まとめました。 大体1万文字以内なので、空いた時間に気楽に読んでもらえると嬉しいです。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

処理中です...