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長編版
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髪を整え終えて、お茶を一口含み。
やっとのことで一息ついたらしいエレシアはところで、と口を開いた。
「今日はわたくしと二人だけではなかったでしょう。皆様はどうされたの?」
「ああ。殿下の襲撃があったのよ」
「殿下の!?」
どうやら塩の件は許されたらしいと悟り、腰を浮かせる。殿下の話をすれば私に対する罰なんてどこかに飛んでいってしまうだろう。
エレシアは殿下が大好きだ。
「なんてこと! 殿下がいらっしゃるなら用事などすっぽかして駆け付けたものを……っそれで、殿下は今どちらに!?」
「もう帰ってしまわれたわ。一足遅かったわね」
椅子に腰掛けながら地団駄を踏む勢いでエレシアが悔しがる。しかしすぐに頰に手を当て、うっとりと息をついた。
「なんてすれ違い……まさに悲劇のヒーローとヒロインのようだわ……」
「人をデブ呼ばわりするヒーローとブタ呼ばわりするヒロインじゃあ喜劇になるわよ」
自分用のお茶を入れつつ、笑って茶化した。
お披露目パーティーで再会してからのエレシアはダイエットの同志として定期的にうちに遊びにくるようになっていた。
そうしてひと月が経った頃、ぽそりと言われたのだ。
『ごめんなさい』と。
「どうかしたの?」
「……ブタって言いましたでしょう」
エレシアはしょんぼりとした上目遣いでこちらを伺ってくる。
なんだか叱られ待ちをする子犬みたいだった。
「そんな昔のこと、気にしていないわ」
「うそ。わたくしだったら絶対許しませんわ」
うーん。エレシアは気にしているようだけど、私にとっては所詮子供の言ったことだ。いつまでも根に持つのは大人気ないという気持ちがある。
「なら、自分が言われて嫌なことを他人には言わないようにしませんとね」
「……なんだか、お母様のような口振りですわね」
そりゃ精神は八歳の子のお母様よりも年上だからね。
「……ありがとう」
再度ぽそりと言われたのはお礼の言葉で、これ以降私達は急速に親しくなっていったのだ。
なのに現在。
「ああら。あの時のあなたはまごうことなく子ブタちゃんでしたわよ。今は痩せて綺麗ですけれど、太りやすい体質なのだという証拠だわ。気を付けなさいよ」
などとはっきり忠告されるまでに親しくなってしまったのは、些か不本意だ。
「にしても。やはりここに来るということは、殿下に会う可能性が高いということね。今まで以上に身嗜みには気を付けないと……」
再びエレシアは手鏡を持ち上げ、あらゆる角度から自身に隙がないかとチェックしている。
「そんなに心配しなくても満点の美女が映っているわよ」
あんなモラハラ予備軍のためによくもまぁ頑張るものだ。
殿下が好きだと言う幼いエレシアに、私はあれはお勧めできないぞと何度も説得を重ねた。
しかしエレシアは言うのだ。
『多少の欠点など、王太子殿下の身分の前では些細なことよ』と。
被害者の目から見てもモラハラは多少では済まないぞと思うけど、結婚相手に何を重視するかは人それぞれだ。次第に私は説得を諦めた。
そして気が付いた。
殿下と婚約破棄したい私と、婚約したいエレシア。
利害は一致している。
「エレシアには頑張って殿下を射止めて頂かないとね。わたくしとの婚約を破棄していただけなくなってしまうわ」
「本当にリシュフィはそればかりね。まったく、殿下の何が気に食わないのだか。まぁ任せなさいな。在学中に、殿下の御心はきっと射止めて見せますわ!」
今世の私は、絶対に素敵な恋愛をして素敵な結婚をすると決めている。
そのためにあのお母様の厳しい扱きにも耐え、この美貌を手に入れたのだから。
二人で目を見合わせて不敵に笑う。
飾らなくていい友人は、貴重な協力者だ。
「ところで、先程の塩の件ですけれど。本当に何か怪しげなものでも取り憑いているのではないでしょうね」
まだ許されていなかったらしい。にっこり笑顔とは対照的に空気がひんやりと冷えている。
「いやね、違うわよ。あれは殿下がもうここに寄り付かないように撒いておこうかと思っただけ」
私の返事を聞いて呆気に取られた表情をしたエレシアの顔が、みるみるどす黒く染まっていく。
「こっこ、こ……」
「えっ、なに。どうしたの?」
体を震わせるエレシアが怖い。本当に何か取り憑いているんじゃないでしょうね……。塩をもう一度振っておくか?
「こ、このっ不忠者が!!!」
特大の雷が落とされた。
当然の如く、キャビネット内の塩はすべて回収されてしまい、殿下は今後もここに通うことになりそうだ。残念でならない。
寮の自室へと戻り、ドレスを脱ぎ捨ててドサリとベッドに倒れ込んだ。
この気を張っていなくていい自室での時間は貴重だ。誰にも見られていないから伸び伸びと過ごせる。
寝返りを打って、ベッドで大の字になる。
ぼうと天井を眺め、思い返すのは、あの婚約披露パーティーの帰りのことだ。
お披露目パーティーの終わり、帰りの車の前まで殿下が見送ってくれた。
きっとこれも慣例なのだろう。
決まり文句である王族への辞去の挨拶を済ませて車に乗り込もうとすると、後ろからぼそりと「その髪飾りは……」と声がした。
「これがどうかしまして?」
「俺が、選んだものだ」
思わず目を瞬いた。
職人に作らせたのはうちの家だから、選んだとはデザインを、ということだと思う。
しかしまさか殿下が選んだものだとは。
初耳だ。
「そうでしたか。とても気に入っておりますわ。ありがとうございます」
まさかこれの礼を言わなかったから拗ねていたんじゃないでしょうね。
知らなかっただけなんだけど。
とりあえず無難にお礼を述べると、殿下の綺麗な碧眼が真っ直ぐに私を映した。
今日、初めてだ。
初めて殿下と目が合った。
「似合っている」
投げつけるように言って、殿下は走って逃げていってしまった。
身を翻した瞬間、お耳が真っ赤になっていた。
──ふうん。
意外と可愛いところもあるらしい。
今日一日の不貞腐れ具合を許してやってもいい気分だ。
そうして多少浮かれた気持ちで車に乗り込み──頭を抱えた。
しまった……婚約披露パーティーが終わっちゃった!
えー、これもう逃げられないんじゃないの? どうしよう。今世でもまたあのモラハラの日々まっしぐら?
さっき似合うと言って逃げ出した背中は確かに可愛かったけど。それでも。
『お前みたいなブスと結婚してやったのに!』
『だれが、こんなデブを好きになるもんか!!』
もうあんな思いをするのは、絶対に嫌だ。
「……そうだわ」
いいことを思い付いた。
「殿下に破棄してもらえばいいのよ!」
身分から言っても私が破棄を申し出るのは角が立つ。けど殿下からこいつと結婚するのは嫌だと陛下に伝えてもらえば、丸く収まるんじゃない? 殿下もこの婚約は嫌な様子だったし。
──この閃きが、この後十年続く私と殿下の攻防の始まりになるとは夢にも思わなかった。
やっとのことで一息ついたらしいエレシアはところで、と口を開いた。
「今日はわたくしと二人だけではなかったでしょう。皆様はどうされたの?」
「ああ。殿下の襲撃があったのよ」
「殿下の!?」
どうやら塩の件は許されたらしいと悟り、腰を浮かせる。殿下の話をすれば私に対する罰なんてどこかに飛んでいってしまうだろう。
エレシアは殿下が大好きだ。
「なんてこと! 殿下がいらっしゃるなら用事などすっぽかして駆け付けたものを……っそれで、殿下は今どちらに!?」
「もう帰ってしまわれたわ。一足遅かったわね」
椅子に腰掛けながら地団駄を踏む勢いでエレシアが悔しがる。しかしすぐに頰に手を当て、うっとりと息をついた。
「なんてすれ違い……まさに悲劇のヒーローとヒロインのようだわ……」
「人をデブ呼ばわりするヒーローとブタ呼ばわりするヒロインじゃあ喜劇になるわよ」
自分用のお茶を入れつつ、笑って茶化した。
お披露目パーティーで再会してからのエレシアはダイエットの同志として定期的にうちに遊びにくるようになっていた。
そうしてひと月が経った頃、ぽそりと言われたのだ。
『ごめんなさい』と。
「どうかしたの?」
「……ブタって言いましたでしょう」
エレシアはしょんぼりとした上目遣いでこちらを伺ってくる。
なんだか叱られ待ちをする子犬みたいだった。
「そんな昔のこと、気にしていないわ」
「うそ。わたくしだったら絶対許しませんわ」
うーん。エレシアは気にしているようだけど、私にとっては所詮子供の言ったことだ。いつまでも根に持つのは大人気ないという気持ちがある。
「なら、自分が言われて嫌なことを他人には言わないようにしませんとね」
「……なんだか、お母様のような口振りですわね」
そりゃ精神は八歳の子のお母様よりも年上だからね。
「……ありがとう」
再度ぽそりと言われたのはお礼の言葉で、これ以降私達は急速に親しくなっていったのだ。
なのに現在。
「ああら。あの時のあなたはまごうことなく子ブタちゃんでしたわよ。今は痩せて綺麗ですけれど、太りやすい体質なのだという証拠だわ。気を付けなさいよ」
などとはっきり忠告されるまでに親しくなってしまったのは、些か不本意だ。
「にしても。やはりここに来るということは、殿下に会う可能性が高いということね。今まで以上に身嗜みには気を付けないと……」
再びエレシアは手鏡を持ち上げ、あらゆる角度から自身に隙がないかとチェックしている。
「そんなに心配しなくても満点の美女が映っているわよ」
あんなモラハラ予備軍のためによくもまぁ頑張るものだ。
殿下が好きだと言う幼いエレシアに、私はあれはお勧めできないぞと何度も説得を重ねた。
しかしエレシアは言うのだ。
『多少の欠点など、王太子殿下の身分の前では些細なことよ』と。
被害者の目から見てもモラハラは多少では済まないぞと思うけど、結婚相手に何を重視するかは人それぞれだ。次第に私は説得を諦めた。
そして気が付いた。
殿下と婚約破棄したい私と、婚約したいエレシア。
利害は一致している。
「エレシアには頑張って殿下を射止めて頂かないとね。わたくしとの婚約を破棄していただけなくなってしまうわ」
「本当にリシュフィはそればかりね。まったく、殿下の何が気に食わないのだか。まぁ任せなさいな。在学中に、殿下の御心はきっと射止めて見せますわ!」
今世の私は、絶対に素敵な恋愛をして素敵な結婚をすると決めている。
そのためにあのお母様の厳しい扱きにも耐え、この美貌を手に入れたのだから。
二人で目を見合わせて不敵に笑う。
飾らなくていい友人は、貴重な協力者だ。
「ところで、先程の塩の件ですけれど。本当に何か怪しげなものでも取り憑いているのではないでしょうね」
まだ許されていなかったらしい。にっこり笑顔とは対照的に空気がひんやりと冷えている。
「いやね、違うわよ。あれは殿下がもうここに寄り付かないように撒いておこうかと思っただけ」
私の返事を聞いて呆気に取られた表情をしたエレシアの顔が、みるみるどす黒く染まっていく。
「こっこ、こ……」
「えっ、なに。どうしたの?」
体を震わせるエレシアが怖い。本当に何か取り憑いているんじゃないでしょうね……。塩をもう一度振っておくか?
「こ、このっ不忠者が!!!」
特大の雷が落とされた。
当然の如く、キャビネット内の塩はすべて回収されてしまい、殿下は今後もここに通うことになりそうだ。残念でならない。
寮の自室へと戻り、ドレスを脱ぎ捨ててドサリとベッドに倒れ込んだ。
この気を張っていなくていい自室での時間は貴重だ。誰にも見られていないから伸び伸びと過ごせる。
寝返りを打って、ベッドで大の字になる。
ぼうと天井を眺め、思い返すのは、あの婚約披露パーティーの帰りのことだ。
お披露目パーティーの終わり、帰りの車の前まで殿下が見送ってくれた。
きっとこれも慣例なのだろう。
決まり文句である王族への辞去の挨拶を済ませて車に乗り込もうとすると、後ろからぼそりと「その髪飾りは……」と声がした。
「これがどうかしまして?」
「俺が、選んだものだ」
思わず目を瞬いた。
職人に作らせたのはうちの家だから、選んだとはデザインを、ということだと思う。
しかしまさか殿下が選んだものだとは。
初耳だ。
「そうでしたか。とても気に入っておりますわ。ありがとうございます」
まさかこれの礼を言わなかったから拗ねていたんじゃないでしょうね。
知らなかっただけなんだけど。
とりあえず無難にお礼を述べると、殿下の綺麗な碧眼が真っ直ぐに私を映した。
今日、初めてだ。
初めて殿下と目が合った。
「似合っている」
投げつけるように言って、殿下は走って逃げていってしまった。
身を翻した瞬間、お耳が真っ赤になっていた。
──ふうん。
意外と可愛いところもあるらしい。
今日一日の不貞腐れ具合を許してやってもいい気分だ。
そうして多少浮かれた気持ちで車に乗り込み──頭を抱えた。
しまった……婚約披露パーティーが終わっちゃった!
えー、これもう逃げられないんじゃないの? どうしよう。今世でもまたあのモラハラの日々まっしぐら?
さっき似合うと言って逃げ出した背中は確かに可愛かったけど。それでも。
『お前みたいなブスと結婚してやったのに!』
『だれが、こんなデブを好きになるもんか!!』
もうあんな思いをするのは、絶対に嫌だ。
「……そうだわ」
いいことを思い付いた。
「殿下に破棄してもらえばいいのよ!」
身分から言っても私が破棄を申し出るのは角が立つ。けど殿下からこいつと結婚するのは嫌だと陛下に伝えてもらえば、丸く収まるんじゃない? 殿下もこの婚約は嫌な様子だったし。
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