【長編版】デブ呼ばわりするなら婚約破棄してくださいな

深川ねず

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長編版

10 幸運な女生徒

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王立学園の自慢の一つに、広大な庭園がある。
 鮮やかな緑の生垣は陽に照らされて輝き、それらに絡みつくようにして一年中四季折々の花が咲き誇っている。
 蝶が舞い、甘い花の香りが漂う庭園を縫うようにして女生徒達が談笑しながら散策するのは、学園において誰もが見慣れた光景だ。

 この庭園の中央には湖と見紛うほど広い池がある。自然にできたものではない。縁石には白い花崗岩が使われていて、中程からは池の中心へと向けて同じ石材で造られた白い石橋がかけられている。
 池の中央には円形の東屋があり、そこは古くから生徒達の間で、学園の高位貴族だけが利用しても良いという暗黙の了解があった。

 それゆえに生徒達が憧れを込めて東屋を覗き見るのも、庭園を散策する目的の一つなのだった。

 一人の女生徒が東屋へと視線を向けて、小さな悲鳴を上げた。
 正に今、東屋には学園で最も高貴とされる四名の方々が揃い、優雅に語り合っていたからである。

「何をお話しになっているのかしら……ああ、駄目ね。聞こえないわ」

 耳をそばだてる令嬢を、友人が嗜めた。

「聞こえたら問題だわ。盗み聞きだなんて、エレシア様に知られればお叱りをいただくことになりますわよ」

 四名のうちのお一人、開国以来続く歴史のある三大公爵家の一家エドワーズ公爵家の御令嬢エレシア様は淑女のマナーには特に厳しい方だ。

 少々厳しい物言いは誤解されやすいが、学園生活において困り果てたところに、エレシア様から声をかけて助けていただいたという話は枚挙にいとまがない。男性よりも女性からの憧れを多く集める方なのだ。
 市井ではこのような女性を『姉御肌』と呼ぶらしいが、それは東屋に羨望の瞳を向ける貴族令嬢達の知り得ぬ言葉だった。

 そのエレシア様の左隣に腰掛けるのは同じく三大公爵家の一家スコット公爵家嫡男アシュレイ様だ。
 スコット公爵家は歴史こそ浅いが、アシュレイの父であり当代公爵はやり手で、国で最も大きく栄えている港の管理を任されている。

 アシュレイ様自身は常に優しく柔和な笑みを浮かべている朗らかな方であり、王太子殿下側近の筆頭である。婚約者のいないアシュレイ様に密かに想いを寄せる女生徒は後を絶たないが、いまだ決まった女性がいるという話は聞こえてこない。

 そしてそのアシュレイ様の向かいに腰掛けるのは三大公爵家最後の一家レストリド公爵家のリシュフィ様だ。

 歴史、身代ともに王家に次ぐと言われるレストリド公爵家のご令嬢であり、気質は穏やかでエレシア様と同じく困っている者を見捨てない心優しい方だ。

 エレシア様とは違って男性からも憧れを多く集める方だが、彼らには残念なことにこの方は王太子殿下の婚約者である。今も王太子殿下の瞳を一身に集めるその美貌は陽の光で煌めく水面の輝きにも勝っていた。

 そのリシュフィ様の美貌にも負けていないのが、この国のフェルナンド王太子殿下だ。

 獅子を思わせる黄金色の髪をした王太子殿下の好天の空のように鮮やかな碧眼は真っ直ぐに婚約者にだけ注がれる。
 そんな凛々しい御姿ながらも、リシュフィ様に向けられる微笑みのなんとお優しいことか。

 そっと東屋を盗み見た女生徒達からため息が漏れる。

 あの方々は王立学園の生徒達の誇りであり、憧れなのだった。



 リシュフィ様が立ち上がって何かを話されて、アシュレイ様とエレシア様が挙手されている姿が遠目に見えた。

 きっとこの国の将来を見据えた、大事な会議でもなさっているのだ。

 邪魔をするわけにはいかない。視線を注いであの方々の集中を削ぐなど、決してしてはならないことだ。

「行きましょう。お邪魔をしてはいけないわ」

 同じことを考えたらしい友人に促され、頷いてそこからすぐに離れる。

 ああ、なんて素敵な方々なのだろうか。
 またしても感嘆の息がもれる。

 あの方々を拝見できただけでも、ここに来た甲斐があったわ、と貴族令嬢は微笑み、その場を後にした。



 東屋での会話が聞こえなかった、この無垢な令嬢は幸運だった。

 なにせその、国の将来を見据えた大事な会議とやらは──。

「はい。ではわたくしと殿下の婚約解消に賛成の方は、挙手願いますわ!」

「はい」
「はぁい」

「俺の味方はどこにもおらんのか!?」

 ──これだったのだから。
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