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長編版
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毎年開催される剣術大会の参加者は、生徒、それも希望者のみで行われている。
競技場は校舎の一棟が丸々入るのではと思うほど広大で、周りにぐるりと観覧席が設けられていて、どこからでも選手達の姿を観ることが出来るようになっている。
だから、私の席は後ろのほうでいいですよ~。
とはさすがに言えず、参加者が目の前の特等席へと案内される羽目になった。
「リシュフィ様、やっと殿下の出番ですわよ」
「リシュフィ様ったら、ずっと楽しみにしていらっしゃいましたものね」
「きっと殿下が優勝なされますわ」
友人達の言葉には、曖昧に笑顔を返すに留める。むしろ面倒くさがっていました、なんて言えないな。
直前まで仮病を使うか悩んでいた私は、エレシアに引っ立てられてここまで来てしまった。それを知っているからだろう。隣に座る、本日も見事に淑女の皮を被ったエレシアの肩が震えている。笑ってもいいけど猫被りはお互い様だからね?
競技場に殿下が出て来ると、観覧席からは歓声が上がった。あの人は見目も良く、猫を被っているときは気さくで親しみのある性格なものだから、生徒達の人気も高いのだ。
歓声の中、ご尊顔がこちらに向けられる。碧眼の先がぴたりと合わさり、ニヤリと笑われた。
友人達からは、感嘆のため息が漏れる。
「殿下がリシュフィ様に微笑まれたわ……っ」
「本当ねぇ。なんて素敵なのかしら」
「殿下にこれほど愛されていらっしゃるなんて、リシュフィ様が羨ましゅうございますわ」
私にはどう見ても、言いつけ通りに観戦していることに対する勝ち誇った笑みにしか見えなかったが、それをこうも良いように捉えられるのはやはりイケメンだからか?
「殿下がこちらを見て微笑んでくださったわ!」
返事に苦慮していると、近くに座っていた子達が、まるで自分に笑いかけられたかのように興奮した様子で話しているのが聞こえてきて、穏やかに笑う友人達の纏う空気が冷たくなる。
「リシュフィ様の前であのようにはしゃぐなんて……」
「まったくだわ。注意して差し上げた方がよろしいのではありませんか?」
友人達の、非難がありありと刻まれた視線が、私に集中する。
ええっ、いやいやいや、無理だよ!
まさか『殿下はわたくしに微笑まれたのよ! 勘違いはやめて頂戴!』とでも言えと?
なにそれ、どこの悪役令嬢だ!
友人達は概ね穏やかでいい子だけど、時々漂う『悪役令嬢の取り巻き』感が、どうも苦手なんだよなぁ。いずれ婚約が破棄されたら、簡単に離れて行っちゃいそうだし……。
内心冷や汗をかく私の隣でエレシアが静かに立ち上がり、騒ぐ二人を見つめる目がふわりと和らいだ。
「アメリさん。サリーさん。殿下の御婚約者であられるリシュフィ様の前で、そのようにはしゃぐものではありませんよ」
「えっ……エレシア様! と……リシュフィ様!? わ、わたくし達ったらなんて失礼を! ご無礼をお許しください」
「わたくし達は殿下のご尊顔を拝見することがあまりないものでついはしゃいでしまって……お恥ずかしいですわ。お許しください」
二人は後ろにいたからか、前に座る私に気付いていなかったらしい。慌てて頭を下げられた。
さすがはエレシアだ。注意は注意でも悪役令嬢感が全くない。
私もエレシアを見習って優雅さを損なわないよう立ち上がり、淑女らしく微笑んだ。
「そんな。お気になさらないで。殿下はとても素晴らしい方ですもの。慕われておられるのはわたくしにとっても喜ばしいことだわ」
私の態度で安堵したらしい二人は再び頭を下げて、そそくさと移動していった。
私もこっそりと安堵の息を吐く。
「見事な公爵令嬢ぶりですこと」
隣に座る私にしか聞こえないだろう小声でエレシアが言う。「そっちこそ」と口パクで返すとなんだか可笑しくて笑ってしまった。
「さすが御二方は寛大でいらっしゃるわ」
見事『注意』してみせたことで気を良くしたらしい友人方のヨイショが再開された。
「気付いていなかっただけのようですし、すぐに謝罪してくださる良い方達で安心いたしましたわ。近頃は妙な娘もおるようですし、わたくし心配で……」
「レイチェル様」
友人の言葉に、エレシアが叱責のような声を出した。
その瞬間、なんだか四人の纏う空気が凍りついたように感じて、思わず目を瞬く。
「どうか、いたしましたの?」
「なんでもありませんわ。リシュフィ様のお気になさることではございませんのよ」
猫被りのエレシアに言われてしまい、追求は諦めざるを得なかった。
この状態のエレシアは非常に頑固なのだ。どれだけ聞いても教えてくれないのは長い付き合いで分かっている。
審判役を務める教師の掛け声で、剣を抜いた殿下は鋭く踏み込んだ。
剣術についてはまったく詳しくないけれど、相手選手を圧倒しているということだけはわかる。
この大会はただの学校の行事だから、王太子殿下とはいえ忖度なしの試合になっているはずだ。
それにあの殿下のことだ。もしも殿下に勝ってしまったとしても、不興を買うことにはならないだろう。あの方はそこまで狭量ではない。
しかしそんな心配は無用だった。
見事、王太子殿下の優勝で剣術大会は幕を閉じた。
優勝者に贈られる盾を受け取り、さながらオリンピックのメダリストのように観客へ向けて盾を掲げる殿下に、観客達の盛り上がりは相当なものだ。
その中で、あの男が私に向けて心から勝ち誇ったような笑みと共に手を振ってきたものだから、ご令嬢方の盛り上がりもひとしおである。
ヨイショにも磨きがかかる。
言っておくがあれは『どうだ、すごいだろ!』という、投げた棒を拾ってくる犬と同じ心境だぞ。手を振り返すのはなんか嫌なので、適当に笑みを返しておいた。
「殿下がアンリエッタ様に向けて手をお振りになられたわ!」
一人の令嬢の言葉に、私の周囲がシンと静まり返った。
私だって固まった。
突然の名指しに驚きすぎて、振り返ってしまったほどだ。
しかし、それがいけなかった。
私は聞こえない振りをしなければならなかったのに、振り返ってしまっては、取り巻き……じゃない! 友人方は声を上げないわけにいかなくなる。
後ろで名指しされたのは、見覚えのある優しい亜麻色の髪の──以前、池で私がぶつかってしまった女の子だ。あれから数日が経つが、どうやら風邪を引かずに済んだらしい。
友人だろう生徒達に言われた言葉に頬を染めながらも恐縮した様子で「そんなことあり得ませんわ」と否定している。
「アンリエッタ様とは、どなたかしら」
取り巻きその一が剣呑さを優雅に隠しながら尋ねてしまった。ああ、止めるのが遅れた!!
私達の周りに男性がほとんどいないのも、まずい。女の子は男がいないと、普段は可愛らしく隠された恐ろしい本性が現れる。それは前世も今世も変わらない。
取り巻き三人娘の雰囲気、いや私とエレシアもか。私達の雰囲気に圧倒されたらしいアンリエッタ嬢とそのご友人方が、表情を青ざめさせた。
青くなるなら私が近くにいないか見てからお喋りして欲しかったよ……。
「あっあの、わたし、あ、いえ、わたくしがビストア男爵家のアンリエッタにございます……わたしはそんな、殿下がわたしに手を振ってくださっただなんて恐れ多いこと考えてはおりませんので……」
「当然です!! こちらに殿下の御婚約者であられるリシュフィ様がいらっしゃるのに、あなたなどに御手をお振りになるものですか!」
ああ、ヒートアップしないで……本当にあの男はろくなことしないな!
ほとんど涙ぐむアンリエッタ嬢に対し、畳み掛けるように取り巻きその二と三が嘲笑を浮かべた。
「身の程を弁えてはいかがかしら。確かあなたのお父君はご商家の出でございましょう。本来であれば、この学院に通うことも叶わぬ身分ではありませんか」
「それがどうして殿下がお相手してくださるなどと……恥を知りなさい!」
そっそこまで言うか! そもそもよくお父様の職業まで知っているな。
この学院では、学年ごとに制服の胸のリボンの色が変わる。三年生の私は緑で、アンリエッタ嬢のリボンは赤だから、一年生だ。……せっかく入学してきたのに、こんな恐ろしいお局達にいじめられるのは可哀想だ。
と思っていたらエレシアが再び立ち上がった。
ああ、よかった。きっと三人をなだめてくれるつもりなんだわ。と安堵するも──エレシアは先ほどの柔らかい顔ではない、非常に厳しい顔でアンリエッタ嬢を睨み付けていた。
「先ほどのやりとりを見ていなかったのかしら。アンリエッタさん。あなたはリシュフィ様がこちらにいらっしゃるのをご存知でしたわよね? 御婚約者の方がいてご自身に殿下が御手を御振りになられたなどと勘違いなさるなんて、どういうおつもりなのかしら」
その語調は令嬢然としながら激しく、厳しいものだった。
どうしたの。エレシア。
これではまるで──悪役令嬢みたいじゃない……?
騒ぐ心臓を抑えて、割って入った。
「皆さま、落ち着いてくださいな。殿下が慕われていらっしゃるということは、わたくしにとっても嬉しいことですのよ。どうか気になさらないで」
可能な限り優しく聞こえるように言う。嫌味になっていないよね……?
なんとか当事者の私が気にしていないということでこの場は収まったものの、エレシアがまだ鋭くアンリエッタ嬢を睨み付けていて、内心肝が冷えた。
エレシアは淑女のマナーには厳しいが、あんな風に一人に寄ってたかって注意をするような人ではないはずなのに。
取り巻き三人娘と別れた後でそっと声をかけるも「なんでもありませんわ」とはぐらかされてしまい、あの鋭い目の理由は教えてくれなかった。
一人になってから人気がないのを確認して、はぁと深くため息を漏らす。
本当にもう、せっかく努力して美人なお姉さんになったのにどうしてこんな苦労を……。
それもこれもみんな殿下との婚約が続いたままのせいだ。
どうせ優勝の自慢をしにサロンに来るだろうから、今日こそ婚約破棄していただかないと!!
悪夢の剣術大会から数日。いまだ殿下は私との婚約を破棄してくださっていない。
優勝の盾を片手に、案の定自慢をしにきた殿下に改めて、さぁ婚約破棄を! と詰め寄ったが『俺は勝利の余韻も味わえんのか!』と怒鳴られるに終わった。
まったく、さっさと破棄してくだされば良いものを、陛下がそんなに怖いのかしら。
「リシュフィ様、顔色がお悪いですが、体調でも崩されていらっしゃるのではありませんか?」
いけない。笑顔笑顔。眉間のシワもお嬢様にかかれば体調不良だ。
「いいえ、そんなことはありませんわ。それよりもうお昼の時間ですわね……あら?」
陛下の怖さはさておき、お昼ご飯は何かしらと荷物を手に取ろうとして、ノートが一冊なくなっていることに気がついた。
「朝には確かに持っていたのに、どこかで落としたのかしら」
「落とし物として、先生のところに届いているのかもしれませんわね」
「そうね。昼食の後にでも伺ってきますわ」
しかしノートは届いておらず、数日経っても出てこなかった。どこに落としたんだろう?
競技場は校舎の一棟が丸々入るのではと思うほど広大で、周りにぐるりと観覧席が設けられていて、どこからでも選手達の姿を観ることが出来るようになっている。
だから、私の席は後ろのほうでいいですよ~。
とはさすがに言えず、参加者が目の前の特等席へと案内される羽目になった。
「リシュフィ様、やっと殿下の出番ですわよ」
「リシュフィ様ったら、ずっと楽しみにしていらっしゃいましたものね」
「きっと殿下が優勝なされますわ」
友人達の言葉には、曖昧に笑顔を返すに留める。むしろ面倒くさがっていました、なんて言えないな。
直前まで仮病を使うか悩んでいた私は、エレシアに引っ立てられてここまで来てしまった。それを知っているからだろう。隣に座る、本日も見事に淑女の皮を被ったエレシアの肩が震えている。笑ってもいいけど猫被りはお互い様だからね?
競技場に殿下が出て来ると、観覧席からは歓声が上がった。あの人は見目も良く、猫を被っているときは気さくで親しみのある性格なものだから、生徒達の人気も高いのだ。
歓声の中、ご尊顔がこちらに向けられる。碧眼の先がぴたりと合わさり、ニヤリと笑われた。
友人達からは、感嘆のため息が漏れる。
「殿下がリシュフィ様に微笑まれたわ……っ」
「本当ねぇ。なんて素敵なのかしら」
「殿下にこれほど愛されていらっしゃるなんて、リシュフィ様が羨ましゅうございますわ」
私にはどう見ても、言いつけ通りに観戦していることに対する勝ち誇った笑みにしか見えなかったが、それをこうも良いように捉えられるのはやはりイケメンだからか?
「殿下がこちらを見て微笑んでくださったわ!」
返事に苦慮していると、近くに座っていた子達が、まるで自分に笑いかけられたかのように興奮した様子で話しているのが聞こえてきて、穏やかに笑う友人達の纏う空気が冷たくなる。
「リシュフィ様の前であのようにはしゃぐなんて……」
「まったくだわ。注意して差し上げた方がよろしいのではありませんか?」
友人達の、非難がありありと刻まれた視線が、私に集中する。
ええっ、いやいやいや、無理だよ!
まさか『殿下はわたくしに微笑まれたのよ! 勘違いはやめて頂戴!』とでも言えと?
なにそれ、どこの悪役令嬢だ!
友人達は概ね穏やかでいい子だけど、時々漂う『悪役令嬢の取り巻き』感が、どうも苦手なんだよなぁ。いずれ婚約が破棄されたら、簡単に離れて行っちゃいそうだし……。
内心冷や汗をかく私の隣でエレシアが静かに立ち上がり、騒ぐ二人を見つめる目がふわりと和らいだ。
「アメリさん。サリーさん。殿下の御婚約者であられるリシュフィ様の前で、そのようにはしゃぐものではありませんよ」
「えっ……エレシア様! と……リシュフィ様!? わ、わたくし達ったらなんて失礼を! ご無礼をお許しください」
「わたくし達は殿下のご尊顔を拝見することがあまりないものでついはしゃいでしまって……お恥ずかしいですわ。お許しください」
二人は後ろにいたからか、前に座る私に気付いていなかったらしい。慌てて頭を下げられた。
さすがはエレシアだ。注意は注意でも悪役令嬢感が全くない。
私もエレシアを見習って優雅さを損なわないよう立ち上がり、淑女らしく微笑んだ。
「そんな。お気になさらないで。殿下はとても素晴らしい方ですもの。慕われておられるのはわたくしにとっても喜ばしいことだわ」
私の態度で安堵したらしい二人は再び頭を下げて、そそくさと移動していった。
私もこっそりと安堵の息を吐く。
「見事な公爵令嬢ぶりですこと」
隣に座る私にしか聞こえないだろう小声でエレシアが言う。「そっちこそ」と口パクで返すとなんだか可笑しくて笑ってしまった。
「さすが御二方は寛大でいらっしゃるわ」
見事『注意』してみせたことで気を良くしたらしい友人方のヨイショが再開された。
「気付いていなかっただけのようですし、すぐに謝罪してくださる良い方達で安心いたしましたわ。近頃は妙な娘もおるようですし、わたくし心配で……」
「レイチェル様」
友人の言葉に、エレシアが叱責のような声を出した。
その瞬間、なんだか四人の纏う空気が凍りついたように感じて、思わず目を瞬く。
「どうか、いたしましたの?」
「なんでもありませんわ。リシュフィ様のお気になさることではございませんのよ」
猫被りのエレシアに言われてしまい、追求は諦めざるを得なかった。
この状態のエレシアは非常に頑固なのだ。どれだけ聞いても教えてくれないのは長い付き合いで分かっている。
審判役を務める教師の掛け声で、剣を抜いた殿下は鋭く踏み込んだ。
剣術についてはまったく詳しくないけれど、相手選手を圧倒しているということだけはわかる。
この大会はただの学校の行事だから、王太子殿下とはいえ忖度なしの試合になっているはずだ。
それにあの殿下のことだ。もしも殿下に勝ってしまったとしても、不興を買うことにはならないだろう。あの方はそこまで狭量ではない。
しかしそんな心配は無用だった。
見事、王太子殿下の優勝で剣術大会は幕を閉じた。
優勝者に贈られる盾を受け取り、さながらオリンピックのメダリストのように観客へ向けて盾を掲げる殿下に、観客達の盛り上がりは相当なものだ。
その中で、あの男が私に向けて心から勝ち誇ったような笑みと共に手を振ってきたものだから、ご令嬢方の盛り上がりもひとしおである。
ヨイショにも磨きがかかる。
言っておくがあれは『どうだ、すごいだろ!』という、投げた棒を拾ってくる犬と同じ心境だぞ。手を振り返すのはなんか嫌なので、適当に笑みを返しておいた。
「殿下がアンリエッタ様に向けて手をお振りになられたわ!」
一人の令嬢の言葉に、私の周囲がシンと静まり返った。
私だって固まった。
突然の名指しに驚きすぎて、振り返ってしまったほどだ。
しかし、それがいけなかった。
私は聞こえない振りをしなければならなかったのに、振り返ってしまっては、取り巻き……じゃない! 友人方は声を上げないわけにいかなくなる。
後ろで名指しされたのは、見覚えのある優しい亜麻色の髪の──以前、池で私がぶつかってしまった女の子だ。あれから数日が経つが、どうやら風邪を引かずに済んだらしい。
友人だろう生徒達に言われた言葉に頬を染めながらも恐縮した様子で「そんなことあり得ませんわ」と否定している。
「アンリエッタ様とは、どなたかしら」
取り巻きその一が剣呑さを優雅に隠しながら尋ねてしまった。ああ、止めるのが遅れた!!
私達の周りに男性がほとんどいないのも、まずい。女の子は男がいないと、普段は可愛らしく隠された恐ろしい本性が現れる。それは前世も今世も変わらない。
取り巻き三人娘の雰囲気、いや私とエレシアもか。私達の雰囲気に圧倒されたらしいアンリエッタ嬢とそのご友人方が、表情を青ざめさせた。
青くなるなら私が近くにいないか見てからお喋りして欲しかったよ……。
「あっあの、わたし、あ、いえ、わたくしがビストア男爵家のアンリエッタにございます……わたしはそんな、殿下がわたしに手を振ってくださっただなんて恐れ多いこと考えてはおりませんので……」
「当然です!! こちらに殿下の御婚約者であられるリシュフィ様がいらっしゃるのに、あなたなどに御手をお振りになるものですか!」
ああ、ヒートアップしないで……本当にあの男はろくなことしないな!
ほとんど涙ぐむアンリエッタ嬢に対し、畳み掛けるように取り巻きその二と三が嘲笑を浮かべた。
「身の程を弁えてはいかがかしら。確かあなたのお父君はご商家の出でございましょう。本来であれば、この学院に通うことも叶わぬ身分ではありませんか」
「それがどうして殿下がお相手してくださるなどと……恥を知りなさい!」
そっそこまで言うか! そもそもよくお父様の職業まで知っているな。
この学院では、学年ごとに制服の胸のリボンの色が変わる。三年生の私は緑で、アンリエッタ嬢のリボンは赤だから、一年生だ。……せっかく入学してきたのに、こんな恐ろしいお局達にいじめられるのは可哀想だ。
と思っていたらエレシアが再び立ち上がった。
ああ、よかった。きっと三人をなだめてくれるつもりなんだわ。と安堵するも──エレシアは先ほどの柔らかい顔ではない、非常に厳しい顔でアンリエッタ嬢を睨み付けていた。
「先ほどのやりとりを見ていなかったのかしら。アンリエッタさん。あなたはリシュフィ様がこちらにいらっしゃるのをご存知でしたわよね? 御婚約者の方がいてご自身に殿下が御手を御振りになられたなどと勘違いなさるなんて、どういうおつもりなのかしら」
その語調は令嬢然としながら激しく、厳しいものだった。
どうしたの。エレシア。
これではまるで──悪役令嬢みたいじゃない……?
騒ぐ心臓を抑えて、割って入った。
「皆さま、落ち着いてくださいな。殿下が慕われていらっしゃるということは、わたくしにとっても嬉しいことですのよ。どうか気になさらないで」
可能な限り優しく聞こえるように言う。嫌味になっていないよね……?
なんとか当事者の私が気にしていないということでこの場は収まったものの、エレシアがまだ鋭くアンリエッタ嬢を睨み付けていて、内心肝が冷えた。
エレシアは淑女のマナーには厳しいが、あんな風に一人に寄ってたかって注意をするような人ではないはずなのに。
取り巻き三人娘と別れた後でそっと声をかけるも「なんでもありませんわ」とはぐらかされてしまい、あの鋭い目の理由は教えてくれなかった。
一人になってから人気がないのを確認して、はぁと深くため息を漏らす。
本当にもう、せっかく努力して美人なお姉さんになったのにどうしてこんな苦労を……。
それもこれもみんな殿下との婚約が続いたままのせいだ。
どうせ優勝の自慢をしにサロンに来るだろうから、今日こそ婚約破棄していただかないと!!
悪夢の剣術大会から数日。いまだ殿下は私との婚約を破棄してくださっていない。
優勝の盾を片手に、案の定自慢をしにきた殿下に改めて、さぁ婚約破棄を! と詰め寄ったが『俺は勝利の余韻も味わえんのか!』と怒鳴られるに終わった。
まったく、さっさと破棄してくだされば良いものを、陛下がそんなに怖いのかしら。
「リシュフィ様、顔色がお悪いですが、体調でも崩されていらっしゃるのではありませんか?」
いけない。笑顔笑顔。眉間のシワもお嬢様にかかれば体調不良だ。
「いいえ、そんなことはありませんわ。それよりもうお昼の時間ですわね……あら?」
陛下の怖さはさておき、お昼ご飯は何かしらと荷物を手に取ろうとして、ノートが一冊なくなっていることに気がついた。
「朝には確かに持っていたのに、どこかで落としたのかしら」
「落とし物として、先生のところに届いているのかもしれませんわね」
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