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長編版
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学園の庭に建てられた私のサロンの客間には扉がなく、廊下からそのまま入ることができる間取りになっている。その入口をキャビネットで塞いだバリケードの外で、殿下が情けない声で私を呼んだ。
「リシュフィ嬢、俺が悪かった。謝罪するから機嫌を直してくれ。……頼む」
謝罪お断りの意思は、首を横に向けることで表した。
現在、立て篭もりの真っ最中である。
昨日の殿下の失礼すぎる発言からの逃亡に、私の堪忍袋の緒という緒は軒並みブチ切れた。
今日は昼食を一緒するのも放課後のサロンへの襲撃も全力で拒否している。
授業の合間の休憩時間に殿下にお会いしてしまったら人前だから社交辞令の挨拶だけはしたが、それ以外の会話は絶対に拒否だ。
この私の努力の結晶たる美貌を否定するなど、いくら王太子殿下といえど決して許さん!
内心の怒りをそのままに、ガンと音を立ててティーカップをソーサーに戻した。
「リシュフィ嬢。せめてそちらに入れてくれないか……」
知らない知らない。お客様でない方のご来場はご遠慮いただいております!
ふんと更に首を背けたところで、駆けつけてきたらしいエレシアの困惑の声がした。
「……これは一体何事です? 何がありましたの」
殿下の後ろに控えていたアシュレイ様が表情を緩めてエレシアを出迎えた。
「こんにちは、エレシア嬢。実は──」
「エレシア嬢、頼む! 仲裁をしてくれ! リシュフィ嬢が怒って話も聞いてくれなくなったのだ!!」
「ああっ! ずるいですわよ、殿下! エレシアはわたくしの味方ですのに抜け駆けなんて!!」
私達の言い争いに目を瞬いたエレシアは「リシュフィ様が、怒って……?」と呟き、すぐに目をキッと吊り上げてなぜかアシュレイ様に詰め寄った。
「せっかく話しましたのに、あの娘を遠ざけてくださいませんでしたのね!?」
「えっ、いや誤解だよ。リシュフィ嬢が怒っているのは──」
「問答無用でございます!! あなた様を信用してお話ししましたのに!」
「……信用って言葉は違うところで聞きたかったなぁ……」
額に手を当てて嘆くアシュレイ様を睨みつけて、エレシアが駆け寄ってくる。
「リシュフィ様。違いますのよ。誤解なさらないで。殿下は決してあのような礼儀のなっていない娘など相手になさいませんとも」
「それは困るわ! 相手には存分にしていただかないと……ってそうね、ダメね。殿下にはエレシアがいるものね!」
どうやら私は返事を間違えたらしい。
エレシアの赤い瞳が呆れを表すように半眼になった。
「………………何に関して怒っていますの。あなたは」
まずいぞ。これは本当に怒ってる。
「で、殿下がわたくしを美しくないって言いましたのよ! 酷いでしょう? わたくしはこの国一の美貌を自負しておりますのに!」
「この痴れ者が!! それは自分で言うことではないわよ!!」
興奮してお説教モードに入ったエレシアが殿下の御前であったことを思い出すまで、怒鳴り続けられた。
怒りのエレシアは先のお説教を誤魔化すためか殿下の傘下に入り、バリケードはあっさり取っ払われた。
そうしてサロンに侵入を果たした殿下が、小さなバスケットを取り出した。
「……ほら、お前が好きなフルーツタルトを持ってきたぞ」
「甘いものは控えておりますの。それは殿下がお一人でお召し上がりくださいませ」
殿下は私の機嫌を取るときにはいつも甘いものを持ってくる。甘いものは控えているというのに懲りない人だ。……フルーツタルトは嫌いではないけど。
「殿下がお持ちくださったものを断る子がありますか! お待ちくださいませ、殿下。すぐに切り分けますから」
「手伝うよ、エレシア嬢」
「お気遣いなく。殿方のなさることではありませんわ」
エレシアは断るも、アシュレイ様は「いいからいいから」と宥めて連れ出してしまい、その場に殿下と二人きりになってしまった。
沈黙の中、チラチラとした視線を感じるが絶対に目を合わせないぞと首を逸らし続けた。
フルーツタルトで許してもらおうなんて甘いのだ。タルトだけに。
「…………あのな」
そんな私の様子に困り果てたらしい眉を下げた殿下が口を開いた。
「あの時の違うというのは、お前が、その、う………………美しくない、という意味では、ない」
ふんだ。
「……今更言い訳をなさろうとも知りません。どうせ、わたくしは殿下にとっては美しくもなければ可愛くもない女であることなどとうに承知しております」
「それは違う」
先ほどのおどおどとした謝罪の言葉とは違う、はっきりとした声に口を噤む。思わず真正面から目を合わせてしまった。
「今の違うというのは、先日の『違う』と同じ、意味だ。お前はあの時、自分には可愛いよりも美しいが合うと言ったから、ち、違うと言った」
殿下の辿々しい言い訳に怒りが引っ込み、頭の中に疑問符が浮かぶ。
「美しいが合う、ということが違うという意味で言われたのではないのですか?」
殿下はなんだか今にも捨てられそうな子犬のような顔で視線を合わせてきて「違う」と断言した。
「その前が、違うと言った」
──その前って?
「エレシアではないと言ったことですか?」
「違う」
「……可愛らしい方を愛していらっしゃらない?」
「……戻りすぎだ」
殿下の顔が苦笑に変わり、ますます分からなくなる。
だって、これ以外に言ったことなんて……。
「…………っ」
一つ。思い当たって、顔が燃えるように熱くなった。
「どうし──」
殿下の言葉が不自然に途切れ、その顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
──きっと私も同じ色に全身を染めているだろう。
思わず後ずさった。
だってだって、おかしい。この人が、殿下がそんなことを言うはずがない。
だけどそれなら、真っ赤なご尊顔をどう説明すればいい? まるで私の中で導き出された答えを肯定しているようなこの赤面は──。
「どうして逃げるんだ」
真っ赤な顔をそのままに、殿下が迫ってくる。
どうしてって、そんな。
「殿下が妙なことを仰るからです! あ、あなた様らしくもない、ことを……!」
殿下らしくもない。
殿下は『私には可愛いよりも美しいが合うと言ったから違うと言った』と仰った。『美しいが合う、の前が違う』と。
それならもう答えは一つしかない。
でもこの人がそんなことを言うなんてあり得ない!
「殿下がそのような真っ当な殿方のような台詞を仰るなんておかしいですわ! な、何を企んでおられるのです!?」
「企ん……っ俺は元から真っ当でアホはお前だけだ!! ……いいだろう。そんなに疑うなら何度でも言ってやる! 俺は、お前が可愛いと言ったのだ!!」
──かっ……!?
「殿下がそのようなことを仰るはずが!! ……そうだわ。なにか悪いものに取り憑かれているのではありませんか!? ご安心ください。こちらに塩が……ってエレシアに没収されたんだった!」
「塩とはなんのことだ! どうして公爵令嬢のサロンに塩がある!?」
ああもうこうなったら祈るしかない!
悪霊退散 悪霊退散!!
こんなの絶対殿下じゃない!!
キッチンの扉が開き、カートを押すアシュレイ様がこちらに安堵したような笑みを向けた。
「良かった。夫婦漫才をされているなら仲直りできたのですね」
──夫婦!?
「…………誤解は解けたようだが色々と後退した恐れはあるな……」
言葉が出ない私の前で、肩で息をする殿下が大きく息を吐いた。
「リシュフィ嬢、俺が悪かった。謝罪するから機嫌を直してくれ。……頼む」
謝罪お断りの意思は、首を横に向けることで表した。
現在、立て篭もりの真っ最中である。
昨日の殿下の失礼すぎる発言からの逃亡に、私の堪忍袋の緒という緒は軒並みブチ切れた。
今日は昼食を一緒するのも放課後のサロンへの襲撃も全力で拒否している。
授業の合間の休憩時間に殿下にお会いしてしまったら人前だから社交辞令の挨拶だけはしたが、それ以外の会話は絶対に拒否だ。
この私の努力の結晶たる美貌を否定するなど、いくら王太子殿下といえど決して許さん!
内心の怒りをそのままに、ガンと音を立ててティーカップをソーサーに戻した。
「リシュフィ嬢。せめてそちらに入れてくれないか……」
知らない知らない。お客様でない方のご来場はご遠慮いただいております!
ふんと更に首を背けたところで、駆けつけてきたらしいエレシアの困惑の声がした。
「……これは一体何事です? 何がありましたの」
殿下の後ろに控えていたアシュレイ様が表情を緩めてエレシアを出迎えた。
「こんにちは、エレシア嬢。実は──」
「エレシア嬢、頼む! 仲裁をしてくれ! リシュフィ嬢が怒って話も聞いてくれなくなったのだ!!」
「ああっ! ずるいですわよ、殿下! エレシアはわたくしの味方ですのに抜け駆けなんて!!」
私達の言い争いに目を瞬いたエレシアは「リシュフィ様が、怒って……?」と呟き、すぐに目をキッと吊り上げてなぜかアシュレイ様に詰め寄った。
「せっかく話しましたのに、あの娘を遠ざけてくださいませんでしたのね!?」
「えっ、いや誤解だよ。リシュフィ嬢が怒っているのは──」
「問答無用でございます!! あなた様を信用してお話ししましたのに!」
「……信用って言葉は違うところで聞きたかったなぁ……」
額に手を当てて嘆くアシュレイ様を睨みつけて、エレシアが駆け寄ってくる。
「リシュフィ様。違いますのよ。誤解なさらないで。殿下は決してあのような礼儀のなっていない娘など相手になさいませんとも」
「それは困るわ! 相手には存分にしていただかないと……ってそうね、ダメね。殿下にはエレシアがいるものね!」
どうやら私は返事を間違えたらしい。
エレシアの赤い瞳が呆れを表すように半眼になった。
「………………何に関して怒っていますの。あなたは」
まずいぞ。これは本当に怒ってる。
「で、殿下がわたくしを美しくないって言いましたのよ! 酷いでしょう? わたくしはこの国一の美貌を自負しておりますのに!」
「この痴れ者が!! それは自分で言うことではないわよ!!」
興奮してお説教モードに入ったエレシアが殿下の御前であったことを思い出すまで、怒鳴り続けられた。
怒りのエレシアは先のお説教を誤魔化すためか殿下の傘下に入り、バリケードはあっさり取っ払われた。
そうしてサロンに侵入を果たした殿下が、小さなバスケットを取り出した。
「……ほら、お前が好きなフルーツタルトを持ってきたぞ」
「甘いものは控えておりますの。それは殿下がお一人でお召し上がりくださいませ」
殿下は私の機嫌を取るときにはいつも甘いものを持ってくる。甘いものは控えているというのに懲りない人だ。……フルーツタルトは嫌いではないけど。
「殿下がお持ちくださったものを断る子がありますか! お待ちくださいませ、殿下。すぐに切り分けますから」
「手伝うよ、エレシア嬢」
「お気遣いなく。殿方のなさることではありませんわ」
エレシアは断るも、アシュレイ様は「いいからいいから」と宥めて連れ出してしまい、その場に殿下と二人きりになってしまった。
沈黙の中、チラチラとした視線を感じるが絶対に目を合わせないぞと首を逸らし続けた。
フルーツタルトで許してもらおうなんて甘いのだ。タルトだけに。
「…………あのな」
そんな私の様子に困り果てたらしい眉を下げた殿下が口を開いた。
「あの時の違うというのは、お前が、その、う………………美しくない、という意味では、ない」
ふんだ。
「……今更言い訳をなさろうとも知りません。どうせ、わたくしは殿下にとっては美しくもなければ可愛くもない女であることなどとうに承知しております」
「それは違う」
先ほどのおどおどとした謝罪の言葉とは違う、はっきりとした声に口を噤む。思わず真正面から目を合わせてしまった。
「今の違うというのは、先日の『違う』と同じ、意味だ。お前はあの時、自分には可愛いよりも美しいが合うと言ったから、ち、違うと言った」
殿下の辿々しい言い訳に怒りが引っ込み、頭の中に疑問符が浮かぶ。
「美しいが合う、ということが違うという意味で言われたのではないのですか?」
殿下はなんだか今にも捨てられそうな子犬のような顔で視線を合わせてきて「違う」と断言した。
「その前が、違うと言った」
──その前って?
「エレシアではないと言ったことですか?」
「違う」
「……可愛らしい方を愛していらっしゃらない?」
「……戻りすぎだ」
殿下の顔が苦笑に変わり、ますます分からなくなる。
だって、これ以外に言ったことなんて……。
「…………っ」
一つ。思い当たって、顔が燃えるように熱くなった。
「どうし──」
殿下の言葉が不自然に途切れ、その顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
──きっと私も同じ色に全身を染めているだろう。
思わず後ずさった。
だってだって、おかしい。この人が、殿下がそんなことを言うはずがない。
だけどそれなら、真っ赤なご尊顔をどう説明すればいい? まるで私の中で導き出された答えを肯定しているようなこの赤面は──。
「どうして逃げるんだ」
真っ赤な顔をそのままに、殿下が迫ってくる。
どうしてって、そんな。
「殿下が妙なことを仰るからです! あ、あなた様らしくもない、ことを……!」
殿下らしくもない。
殿下は『私には可愛いよりも美しいが合うと言ったから違うと言った』と仰った。『美しいが合う、の前が違う』と。
それならもう答えは一つしかない。
でもこの人がそんなことを言うなんてあり得ない!
「殿下がそのような真っ当な殿方のような台詞を仰るなんておかしいですわ! な、何を企んでおられるのです!?」
「企ん……っ俺は元から真っ当でアホはお前だけだ!! ……いいだろう。そんなに疑うなら何度でも言ってやる! 俺は、お前が可愛いと言ったのだ!!」
──かっ……!?
「殿下がそのようなことを仰るはずが!! ……そうだわ。なにか悪いものに取り憑かれているのではありませんか!? ご安心ください。こちらに塩が……ってエレシアに没収されたんだった!」
「塩とはなんのことだ! どうして公爵令嬢のサロンに塩がある!?」
ああもうこうなったら祈るしかない!
悪霊退散 悪霊退散!!
こんなの絶対殿下じゃない!!
キッチンの扉が開き、カートを押すアシュレイ様がこちらに安堵したような笑みを向けた。
「良かった。夫婦漫才をされているなら仲直りできたのですね」
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