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長編版
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「──お待たせして申し訳ありません」
さっさと車に乗り込むと、地方貴族の子弟のような姿で待っていたアシュレイ様が「今日のお二人は双子のようで可愛らしいですね」と褒めてくださった。
可愛い、という単語は少し照れる。
乗り込んでいる残りの一人にちらりと視線を向けると、真正面から目が合ってしまった。
二人して同時に目を逸らす。
この間からなんだか心臓が変だ。騒がしい心臓をごまかして、窓の外へと目を向けた。
郊外に建てられた校舎はあっという間に離れて、街道から見える風景は木々から徐々に建物が増えていき、地面は土から石畳になった。
前世とはまるで違う、ヨーロッパ風のこの世界の街並みは何度見ても心が躍る。
浮き足立つような気持ちで殿下に尋ねた。
「殿下、そのお店はどのあたりにありますの?」
「もう少し先に進んだところだが、途中からは歩くぞ。車が入れるほど道が広くはないからな」
「望むところです。歩いても良いように靴を選びましたから」
スカートの裾を少したくし上げる。
私が今日履いてきたのは白地に青糸で刺繍を施した平靴で、足首を固定できるものにしてある。エレシアは赤い糸の刺繍でお揃いに──。
「と、とと殿方の前で何をしているのっあなたって子は本当にもうっ!!」
「お、お前はどこまでアホなんだっこのアホ女!!」
手に持ったスカートの裾が奪い取られてこれでもかと下に伸ばされる。スカートの裾を奪ったのはエレシアだ。隣と向かいから同時に怒鳴られた。
二人は怒りと羞恥でか、顔を真っ赤に染めている。
……そういえば、この世界では貴族の大人の女性は胸元や肩を出すのに抵抗はないのに足は徹底的に隠すのが美徳なんだった。
足首は夫以外の男性に見せてはいけない、らしい。浮かれすぎて忘れてた。
「……僕は何も見ていません、殿下。睨まないでください」
「睨んでなどおらん!!」
私のせいでアシュレイ様が殿下に睨まれてしまった。
「……申し訳ございません。お見苦しいものをお見せして」
「いえいえ見苦しいなどと。とても白く細くて美しいではありませんか」
「しっかり見ておるではないか!!」
「しっかり見ておいでではありませんか!!」
アシュレイ様は二人からの怒りに、謝罪しつつお腹を抱えて笑っている。なんだか今日のアシュレイ様はご機嫌だ。
……殿下もエレシアも、揶揄われていることにいつ気付くんだろう。
「ところでリシュフィ嬢。外で『殿下』とお呼びするのは止された方がよろしいですよ。今日はお忍び、なんでしょう?」
目尻に溜まった涙を拭いながらアシュレイ様が言った。
たしかに、殿下と呼ばれるのはこの国に一人しかおられない。気付かれたら芸能人さながらにあっという間に取り囲まれてしまうかも。
「それもそうですわね……では、なんとお呼びいたしましょう?」
尋ねると、殿下の頬が僅かに赤らんだ。
「それなら、な、名前で、呼べば良いのでは、ないか……」
アシュレイも外ではそうしておるし。と殿下はボソリと付け足した。
「お名前で、ですか……」
思わず赤らむ殿下のお顔から目を逸らした。
前世では当然ろくでなしの名前を呼んではいたし、今世でもアシュレイ様はお名前で呼ばせていただいている。だから今更恥ずかしいということはないはずなのに…………ん?
「…………」
「……リシュフィ嬢、どうかしたか?」
黙り込んだ私に、殿下が気遣わしげに声をかけてきた。しかし今、それに答える余裕はない。
さああと体から血の気が引いたように寒気がした。
──殿下の名前って、なんだっけ?
まずい。非常にまずい。これって、前世で言うなら自国の首相の名前が言えないくらいの恥だ。
いやね、違うのよ。別に殿下に興味がこれっぽっちもなかったとかそう言うことじゃなくて……普段から殿下殿下呼んでいるからお名前を覚える必要が……いや覚えてはいるんだけど。
「わたくしも歳を取ったものですね……」
「何を言っておるのだ、お前は……」
歳を取るとド忘れが酷くて困ったものだわぁ、ほんと………………ダメだ思い出せない……!
「リシュフィ嬢……もしかしてとは思いますが……」
「い、い、いやですわ、アシュレイ様ったら!! なんのことかしら!?」
アシュレイ様とエレシアから呆れを通り越した哀れみのような目が向けられる。よく分かっていないらしい殿下はきょとんとしている。気付かれる前に思い出さないと!!
「……それではわたくしも『フェルナンド様』と御名を口にする許しをいただけるのでしょうか、殿下」
頭痛がするとばかりに頭を押さえていたエレシアは一転、品よく微笑み、殿下に尋ねた。
エ……エレシア──────っ!
さすがエレシアだ。さりげなく教えてくれるなんて!! 持つべきものは頭の良い友人! 本当に本当にありがとうっ!!
「無論、構わない。むしろこちらから頼むところだったからな。……リシュフィ嬢も、人前で呼び間違えてくれるなよ」
「もちろんですわ、殿下!!」
「…………間違えた場合のフォローを頼んだぞ」
殿下の眼差しを受けて、アシュレイ様とエレシアがため息を吐いた。……失礼な。
「今はまだ車の中だから殿下とお呼びしたのです。当然、降りましたらお名前でお呼びいたしますわ。フェルナンド様!」
ほとんど投げつけるように言うと、シンと車の中が静かになった。
それを自覚した時、目の前の殿下は首まで赤くなり、水から顔を出す金魚のように口をパクパクとさせていた。
「お名前でお呼びしただけですよ……!?」
思わず抗議するも、きっと私も同じだ。身体中から汗が噴き出すほど、熱い。
「お、お前が急に呼ぶからだろうが!!」
「そ……それでは偽名でお呼びしましょう! なんといたします!?」
殿下は数分間固まったのち「名で良い。……耐える」と仰った。──赤いお顔のまま。
耐えるってなんだ……。
近頃の殿下はなんだか変だ。……いや、今までもお顔を赤くされることはよくあった。おかしいのは、多分、私の方だ。吐く息まで、熱い。
さっさと車に乗り込むと、地方貴族の子弟のような姿で待っていたアシュレイ様が「今日のお二人は双子のようで可愛らしいですね」と褒めてくださった。
可愛い、という単語は少し照れる。
乗り込んでいる残りの一人にちらりと視線を向けると、真正面から目が合ってしまった。
二人して同時に目を逸らす。
この間からなんだか心臓が変だ。騒がしい心臓をごまかして、窓の外へと目を向けた。
郊外に建てられた校舎はあっという間に離れて、街道から見える風景は木々から徐々に建物が増えていき、地面は土から石畳になった。
前世とはまるで違う、ヨーロッパ風のこの世界の街並みは何度見ても心が躍る。
浮き足立つような気持ちで殿下に尋ねた。
「殿下、そのお店はどのあたりにありますの?」
「もう少し先に進んだところだが、途中からは歩くぞ。車が入れるほど道が広くはないからな」
「望むところです。歩いても良いように靴を選びましたから」
スカートの裾を少したくし上げる。
私が今日履いてきたのは白地に青糸で刺繍を施した平靴で、足首を固定できるものにしてある。エレシアは赤い糸の刺繍でお揃いに──。
「と、とと殿方の前で何をしているのっあなたって子は本当にもうっ!!」
「お、お前はどこまでアホなんだっこのアホ女!!」
手に持ったスカートの裾が奪い取られてこれでもかと下に伸ばされる。スカートの裾を奪ったのはエレシアだ。隣と向かいから同時に怒鳴られた。
二人は怒りと羞恥でか、顔を真っ赤に染めている。
……そういえば、この世界では貴族の大人の女性は胸元や肩を出すのに抵抗はないのに足は徹底的に隠すのが美徳なんだった。
足首は夫以外の男性に見せてはいけない、らしい。浮かれすぎて忘れてた。
「……僕は何も見ていません、殿下。睨まないでください」
「睨んでなどおらん!!」
私のせいでアシュレイ様が殿下に睨まれてしまった。
「……申し訳ございません。お見苦しいものをお見せして」
「いえいえ見苦しいなどと。とても白く細くて美しいではありませんか」
「しっかり見ておるではないか!!」
「しっかり見ておいでではありませんか!!」
アシュレイ様は二人からの怒りに、謝罪しつつお腹を抱えて笑っている。なんだか今日のアシュレイ様はご機嫌だ。
……殿下もエレシアも、揶揄われていることにいつ気付くんだろう。
「ところでリシュフィ嬢。外で『殿下』とお呼びするのは止された方がよろしいですよ。今日はお忍び、なんでしょう?」
目尻に溜まった涙を拭いながらアシュレイ様が言った。
たしかに、殿下と呼ばれるのはこの国に一人しかおられない。気付かれたら芸能人さながらにあっという間に取り囲まれてしまうかも。
「それもそうですわね……では、なんとお呼びいたしましょう?」
尋ねると、殿下の頬が僅かに赤らんだ。
「それなら、な、名前で、呼べば良いのでは、ないか……」
アシュレイも外ではそうしておるし。と殿下はボソリと付け足した。
「お名前で、ですか……」
思わず赤らむ殿下のお顔から目を逸らした。
前世では当然ろくでなしの名前を呼んではいたし、今世でもアシュレイ様はお名前で呼ばせていただいている。だから今更恥ずかしいということはないはずなのに…………ん?
「…………」
「……リシュフィ嬢、どうかしたか?」
黙り込んだ私に、殿下が気遣わしげに声をかけてきた。しかし今、それに答える余裕はない。
さああと体から血の気が引いたように寒気がした。
──殿下の名前って、なんだっけ?
まずい。非常にまずい。これって、前世で言うなら自国の首相の名前が言えないくらいの恥だ。
いやね、違うのよ。別に殿下に興味がこれっぽっちもなかったとかそう言うことじゃなくて……普段から殿下殿下呼んでいるからお名前を覚える必要が……いや覚えてはいるんだけど。
「わたくしも歳を取ったものですね……」
「何を言っておるのだ、お前は……」
歳を取るとド忘れが酷くて困ったものだわぁ、ほんと………………ダメだ思い出せない……!
「リシュフィ嬢……もしかしてとは思いますが……」
「い、い、いやですわ、アシュレイ様ったら!! なんのことかしら!?」
アシュレイ様とエレシアから呆れを通り越した哀れみのような目が向けられる。よく分かっていないらしい殿下はきょとんとしている。気付かれる前に思い出さないと!!
「……それではわたくしも『フェルナンド様』と御名を口にする許しをいただけるのでしょうか、殿下」
頭痛がするとばかりに頭を押さえていたエレシアは一転、品よく微笑み、殿下に尋ねた。
エ……エレシア──────っ!
さすがエレシアだ。さりげなく教えてくれるなんて!! 持つべきものは頭の良い友人! 本当に本当にありがとうっ!!
「無論、構わない。むしろこちらから頼むところだったからな。……リシュフィ嬢も、人前で呼び間違えてくれるなよ」
「もちろんですわ、殿下!!」
「…………間違えた場合のフォローを頼んだぞ」
殿下の眼差しを受けて、アシュレイ様とエレシアがため息を吐いた。……失礼な。
「今はまだ車の中だから殿下とお呼びしたのです。当然、降りましたらお名前でお呼びいたしますわ。フェルナンド様!」
ほとんど投げつけるように言うと、シンと車の中が静かになった。
それを自覚した時、目の前の殿下は首まで赤くなり、水から顔を出す金魚のように口をパクパクとさせていた。
「お名前でお呼びしただけですよ……!?」
思わず抗議するも、きっと私も同じだ。身体中から汗が噴き出すほど、熱い。
「お、お前が急に呼ぶからだろうが!!」
「そ……それでは偽名でお呼びしましょう! なんといたします!?」
殿下は数分間固まったのち「名で良い。……耐える」と仰った。──赤いお顔のまま。
耐えるってなんだ……。
近頃の殿下はなんだか変だ。……いや、今までもお顔を赤くされることはよくあった。おかしいのは、多分、私の方だ。吐く息まで、熱い。
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