【長編版】デブ呼ばわりするなら婚約破棄してくださいな

深川ねず

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長編版

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 席に着いたらすぐ様、一人の男が近づいて来た。大柄で赤ら顔には無精髭が散っているその男は大きな分厚い手をアシュレイ様の座る椅子の背に置き、ニヤリと笑った。

「兄さんら、お貴族様だろ。メシ奢ってくれよ」

 ほんの少し緊張が走るも、話す内容はともかくその仕草はどこか丁寧で、雰囲気には乱暴さが感じられない。なんというかちぐはぐな男だった。

 しかしその違和感はすぐさま吹き飛んだ。

「たかるなよ。俺達だって一番上の兄さんに土地も家も取られて金がないんだよ。じゃなきゃこんなとこで飯なんか食わないだろ」

 エレシアが目を溢れそうなほど丸く見開き、その目が私に向けられる。きっと私も同じ顔をしているはずだ。

 なにせ今の台詞は、アシュレイ様の口から飛び出したものだったのだから。

 男は「ちがいねえ」と笑い、その目が一瞬、驚き固まる私に向けられた。

 真正面から合ったその目は、粗野な見た目に反してどこか品のようなものが感じられる温かさがあって──あれ。この人、どこかで……?

「……アっ」

 開いた口を慌てて閉じた。

 そんな私の様子に気付いたらしい大柄の男はわざとらしく大きく笑って、さっさと離れて行ってしまった。

 ほとんど無意識に殿下へと目を向ける。それは向かいに座るエレシアも同様だった。

「……というわけだから、安心して食事しなさい。二人とも」

 二人分の丸い目と可笑しそうに細められた一人分の視線を受け取った殿下も、どこか悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。

 先ほどの大柄な男の髪を綺麗に撫で付け髭を剃り、白銀の鎧を被せればそれは、私やエレシアもよく知った男になる。

 あの方は騎士爵を賜った殿下の側仕えで、かつての婚約披露パーティーで私の髪飾りを褒めてくれた、伯爵家次男のアラン様だ。

「……まさか、いつもそうして遊んでおられるのですか?」

 エレシアからの非難を真正面から受け取った殿下とアシュレイ様は素知らぬ顔で肩を竦める。

 どうやら肯定の意味らしい。
 アラン様のならず者の演技もアシュレイ様の軽い調子の話し口調も、なんとも堂に入ったものだった。

「ずるいですわ、でん……フェルナンド様。次からはわたくしも仲間に加えてくださいませ」

「何を言いますの。むしろあなたはお止めする立場でしょう」

 思わず殿下に抗議したが、エレシアからのお説教にあってしまった。

 でも私一人じゃ居酒屋なんて危なくて入れなかったし、他にも行ってみたいけど行けなかった場所が沢山ある。きっと殿下とアシュレイ様はアラン様や他の騎士の方々を護衛に、私が行けないところへとよく足を運んでいるのだろう。

 殿下は私の抗議に「エレシア嬢の言う通りだな」と笑みを返してきた。

「殿方ばかりずるいですわ。わたくしも男に生まれていれば……」

「それは困る」

「ではまた連れてきてくださいませ。約束ですからね。でん……フェルナンド様」

「……ああ、わかったわかった。また機会があればだな」

 殿下の口調は小さな子供を宥めるような言い方だった。私の方が精神年齢は大人だと言うのに、なんだか少し面白くない。

「……約束を破る方とは婚約を破棄──」

「俺を脅すなどお前くらいだぞ……」

 低い声で睨まれるがにっこり笑顔を返した。ここで引いてたまるものか。使える脅迫は使ってこそだ。

「良いのではありませんか。城下ならばさして危険もありませんでしょうし。ねぇ、デン・フェルナンド様」
「そこは厳しく突っぱねていただきとうございます。甘やかされては困りますわ。デン・フェルナンド様」

「お前達はフォローの意味を知っておるのか!?」

 とうとういつもの怒鳴り声を上げた殿下を前にして、私は「いっそデン様とお呼びさせていただけませんか。文字数もなんとも短くなります」と訴えるも却下された。



 殿下を宥めすかしたアシュレイ様によって手早く注文が済まされ、あっという間にテーブルは料理でいっぱいになった。

 見た目にも硬そうな焦げ茶色のパンに、野菜とひよこ豆がごろごろ入った具沢山なスープ、そして今回の主役が大きな器で堂々と鎮座している。

 牛モツ煮込みはやはりというかなんというか、見た目が記憶にあるものとは違っていた。

 白くどろっとしたら見た目は確かに食べ物とは思えないほどグロテスクだが、それでも里芋のように粘り気のある芋とうずらよりは少し大きな煮卵が入っていて、香りもスパイシーで美味しそうだ。

 「食べられそうか?」と気遣わしげに問いかけてくる殿下に、問題ないとの意味を込めてスプーンで豪快に一口頬張った。

 当たり前だけど醤油味じゃないそれに少々落胆はしたが、それでもプリプリとしたモツは爽やかなハーブとスパイシーな辛さが病みつきになりそうなほど──。

「美味しい!」

 スープも一口含めば野菜が甘くて美味しいし、パンはやっぱり硬かったものの、こういうのはスープに浸して食べるものだと前世の記憶で知っている。スープで柔らかくなったパンは口の中でじゅわりと溶けてしまった。

 ん~~ったまらん!!

 今世ではお嬢様に生まれたから出てくる料理はどれもこれも絶品だけど、やっぱり私は心が庶民だ。ジャンクな食事が舌に合う。

「…………」
「…………」
「…………」

 ご機嫌で食べ進めていると、なんだか視線を感じた。
 気が付けば、三色の宝石のように見事な六つの瞳が全て、私へと向けられていた。

「どうかなさいました?」

 首を傾げて見せるも、殿下は碧玉の瞳に訝しげな色を称えて「お前は本当にここに来たことがないのか」と問いかけてきた。ほとんど詰問の口調だった。

「当たり前です。このようなところに一人で来られるはずがありませんもの」

 急に何を言い出すのだかと呆れを隠さず答えた。しかし殿下の目は私の正面のエレシアへと移動した。

 エレシアは私の様子にポカンと口を開けて固まっている。

 その手にあるスプーンは未だ綺麗なままだ。

「……あれが普通の令嬢の『当たり前』と言うものだと思うがな」

「…………」

 私の前にあるスープはすでに半分以下へと減り、パンは残すところあと一口。すでにモツ煮はほとんどが胃袋の中だ。

「……仕方ないではありませんか。とても美味しいんですもの」

 ほんの少し拗ねた気持ちで言い訳したが、殿下は目を瞬いて、小さく吹き出した。

「……どこかで聞いたような台詞だな」

「どこかで、とは小説か何かですか?」

 尋ねれば殿下は「いや、いい」と苦笑して、自らもスプーンを口に運び始めた。
 ……グルメ小説でも読まれたのかしら。



 首を傾げつつ料理に舌鼓を打っていると、水を注ぎに来てくれた給仕の女性がニヤけながら私に耳打ちしてきた。

「あんた、せっかくお貴族様を捕まえたんだったらさぁ、もっとお嬢様みたいにお淑やかに食べなよ。せっかくの金持ちを逃がしちゃうよ」

 耳打ちながらもなかなかに大きな声だったから、テーブルの空気がビシリと固まってしまった。殿下はモツを喉につまらせて咳き込んでいる。
 ……庶民風の服が功を奏したと言うべきか、彼女には私が貴族を捕まえた平民の女性に見えたらしい。
 ここは郷に入りてはというやつだろう。庶民風に答えようとしたが、その前に別の女性が二人、割って入ってきた。

「いいや、その兄さんには絡まない方がいいよ」

 「そうなの?」と水を注ぎに来てくれた女性が尋ね返した。

「そうそう。この間もアナが口説こうとして酷い目にあってたからさぁ」

 女性がいう『その兄さん』はアシュレイ様ではなく、殿下を指していた。
 そして、割って入ってきた女性はにんまり笑って言った。

「口説こうとしたら、貴族の恋人の惚気を延々聞かされてたからねぇ」

 ──貴族の、恋人……?

「お、お前達、なにを余計なことを!! リシュフィ嬢、違うのだ。その、こ、恋人というのは……っ」

 殿下が慌てて言い募ってくる。が、それはなんとも、浮気の言い訳をする男そのもののような慌て様だった。

 しかし未だ笑っている女性達の話は止まらない。

「なんだっけ。俺の恋人はこの国一美しい、だっけ?」
「行動がいちいち突拍子もないけど、そこが可愛い~とかなんとかも聞いたわよぉ」

 女性達はケラケラと笑いながら、この他にもなんとも恥ずかしい惚気話を聞かせてくれて、とうとう殿下本人に「いいからさっさと仕事に戻れ」と怒鳴られて、二人は戯けつつ下がっていった。

 ──随分と、仲がお宜しいようだ。

「……あなた様に貴族の恋人がいらしたとは、存じ上げませんでした」

 真っ当な婚約者なら怒るところなのだろうが、私達は普通の婚約者とは違う。私に怒る権利はない。
 笑顔で言って、食事を再開した。

 一体、恋人とはどこの誰だろう。殿下と特別親しいご令嬢など、私とエレシアくらいしか見当がつかない。
 いや、一応は婚約者がいるから、これは隠れた、秘めた恋なのかもしれないな──。
 
 スプーンを持つ手を、唐突に取られた。

 驚いて顔を上げれば、手の主は顔を真っ赤に染めた殿下だった。真剣な眼差しは真っ直ぐに私を射し、握られる力は強くて、その熱さが移ってくるようだった。

「お……お前は勘違いしている。その、あまりに執拗だったから、つい……恋人と言ってしまったが、話したのは、お、お前の、ことだ……っ」

 私のこと……って……恋人が?

「この国一美しいという恋人、ですか……?」

「そうだ。……お、お前も常々自分で言っておるだろうが!」

 そうだけど。私のこの努力の結晶は国一番であると自負しているけど。

 まるで怒っているみたいに殿下の顔は全てが真っ赤に染まり、いつものように怒鳴られる。

 じわりじわりと染み込むように言われたことが頭に入ってきて、それと比例するように全身が燃えるように熱くなった。

「わ、わかりました、から、離してくださいませ……っ」

 目を逸らして手を外す。

 あんなに美味しかった食事はさっぱり味が分からなくなってしまって、食べ終えたときにはなんだかひどく疲れてしまった。

 最近の殿下は、なんだか心臓に悪い。
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