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長編版
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食後のお茶を飲み、一息つく。
なんだかんだと言っても、やっぱりもつ煮は美味しかった。今世ではこういった庶民派な食事は出来ないだろうと思っていたから、これに関しては素直に殿下に感謝だ。脅しが効くうちにまた是非連れてきてもらわなきゃ。
内心で次の機会を画策していると、同じくお茶を飲んでいたアシュレイ様と目が合った。
「リシュフィ嬢は他に行きたいところはありませんか?」
行きたいところは、と言われると……。
「ないこともありませんが……はっ!」
なぜ急にそんなことを……と考えて、優しい笑顔を浮かべるアシュレイ様の意図が分かってしまった。
アシュレイ様ったらさては……エレシアと二人きりになりたいんだな!?
やだわ、私ったらなんて気の利かない!!
「フェルナンド様! わたくし、連れて行っていただきたいところがございますの! ──二人きりで!!」
「ぶっ!!」
勢いよく立ち上がり、お茶を飲む殿下に言い募る。驚かせてしまったらしい殿下はお茶を吹き出し咽てしまった。
……背中を擦って差し上げよう。
「ふ、二人、きりで……か……?」
「はい! 二人きりで、お出掛けしとうございます!!」
なんとか息を持ち直した殿下に、両拳を握りしめて嘆願する。
未婚の男女とはいえ私達は仮にも婚約者だ。二人きりで出掛けても問題はないだろう。が、同席のエレシアは「突然どうしましたの」と訝し気な目を向けてきている。
しかし同じく不思議そうな顔になってこちらを見ていたアシュレイ様は一転してにんまりと笑い「ここに来て有力な協力者を得られるとは思わなかったな」と呟いた。
「フェルナンド様。エレシアは僕が責任を持って送り届けますから、リシュフィ嬢の頼みを聞いて差し上げてはいかがです?」
「えっ!? ちょ、ちょっと、何を勝手な──!」
「はい! 是非是非お願いいたします!」
アシュレイ様の援護を盾に更に言い募ると、殿下は目を泳がせながらも頷いてくれた。
城下町の大通りは真ん中を車が通るために広く造られているが、ほとんど歩行者天国のように縦横無尽に人が行き来している。忙しない人々に追い立てられた鳩達が音を立てて飛び立ち、舞った羽が陽の光を受けてきらきらと輝いた。
通りに面した洋瓦屋根の建物はほとんどが白壁に縦横斜めに黒い柱が通る作りをしていて、扉と同じローズウッドの看板には金属で出来たさまざまな意匠が飾られている。
あれで何のお店なのかが一目でわかるようになっているのだ。フォークとスプーン、お皿なら食堂。酒樽やグラスなら酒屋。服やアクセサリーもある。
「それで……お前は、どこに行きたいのだ」
あちらこちらへと目を向けていると、殿下に尋ねられた。
どこに。うーん。どこに……ねぇ。
アシュレイ様とエレシアを二人きりにすることしか考えていなかったから、行きたいところが思いつかない。
「どこに行きましょう?」
「…………」
素直に問い返せば、殿下はこれでもかと胡乱な目をこちらに向けてきた。
「行きたいところがあると言ったのはお前だろうが。……まぁいい。せっかく来たのだから少し歩くか。疲れたらすぐ言うようにな」
はいと頷き、一つ閃いて手を打った。
「フェルナンド様はこの先にある公園の露店に立ち寄られたことはございますか? わたくしはまだ実際に見たことがないのですが、ずっと行ってみたいと思っておりましたの」
通りに面した店舗とは違って、素朴な工芸品が多く取り扱われているらしい露店は、一度行ってみたいと思っていたからちょうど良い。
私の提案に、殿下は笑って頷いた。
「俺も今の時期に赴くのは初めてだから行ってみるか。──随分と名前を呼ぶのに慣れてきたようだな」
そう言われてみると、すんなりとお名前で呼べるようになっている。
「そうですわね。だいぶと慣れてきました」
素直に頷くと殿下は口角をゆるりと上げて「俺も、慣れてきた」と笑った。
それはどこか得意気で、可笑しそうとも嬉しそうとも取れるような、なんだか胸が騒ぐ笑みだった。
顔を正面に向ける振りをして目を逸らす。
殿下は私の半歩前に立ち、大通りの中央にある公園へと足を向け歩き始めた。
いつもなら会話に困ることはないのに、なんだかそわそわとしてしまって、口を開くことができない。
無意識に触れた自分の頰は風邪をひいた時のように熱を持っていた。
何か、お話をしないと。黙って殿下の後ろを歩いていたら、気恥ずかしさが増していく。
「……これからは、名前で呼べばいい」
前を歩くせいで、お顔が見えない殿下の声だった。
「……衆目の前で、御名を口にするのは無礼になるのでは、ありませんか」
「先ほどのアシュレイも言っていただろう。正式な場でなければ構わんよ。……二人きりの時だけ、とかな」
声の調子は普段通りで、お顔は見えないままだが、きっといつものように赤面されているのだろうと分かった。
だって、耳が絵具を塗ったみたいに、赤い。
「……フェルナンド様」
どうしてかは分からない。
けれど、なぜか名を口にしてしまい、どうしてだか目の奥がジンと熱くなった。
振り返った殿下は確かにお顔が真っ赤だった。目元は柔らかく綻び、碧玉の瞳は真っ直ぐに私を映している。
「……なんだ?」
用がないことはわかっているのだろうに、殿下はそう尋ねてきて、大きくゴツゴツとした手が、私の手を掴んだ。
そして、くるりと身を翻してしまった。
「ここは、人が多い」
軽く手を引かれながら、また歩き始める。
ほんの数日前までは手をすぐに振り払ったくせに。どうして今日は自分から触れて、おまけに手を引いてくださるのだろう。
どうして殿下は急に、優しくしてくださるようになったのだろう。
「……私達は恋人ではありませんのに。一人で歩けますわ」
まるで独り言のように口から溢れた声は、前を行く人の耳に届いたらしい。掴まれる手の力が強くなった。
「恋人ではないが……婚約者だろう」
繋がる手から移る熱はあまりにも心地良くて、気が付けば歯を食いしばっていた。
『どうして名字で呼ぶんですか。名前で呼んでくださいよ。夫婦になるんだから』
笑い混じりに男性からそんなことを言われるのは初めてで、名前を呼ぶ声はひどく震えたのを覚えている。
前世の夫は、少なくとも初めは優しかった。初めだけは。
友人と飲みに行ってくると言って出かけて、真夜中に酔い潰れて帰って来るまでは。
『ブスと義理で結婚したせいで笑われて最悪だった』
本心が私に露見したことを知ったあの男は、それから二度と私に優しくすることはなかった。
「離してくださいませ。逸れないよう、気を付けますから」
「駄目だ。お前のそれは信用出来ん」
逃さないとでもいうように手を更に強く掴まれて、それでも引かれる力は優しく、歩く速度はとても緩やかだ。
──本当に、優しい人。
殿下が本来とても優しい人だということくらい、長い付き合いで分かっている。
それでも、私は。
「フェルナンド様……」
「……もうすぐ着くから、我慢していろ」
優しくされた分、冷たくされた時の辛さは身に沁みて知っている。
なんだかんだと言っても、やっぱりもつ煮は美味しかった。今世ではこういった庶民派な食事は出来ないだろうと思っていたから、これに関しては素直に殿下に感謝だ。脅しが効くうちにまた是非連れてきてもらわなきゃ。
内心で次の機会を画策していると、同じくお茶を飲んでいたアシュレイ様と目が合った。
「リシュフィ嬢は他に行きたいところはありませんか?」
行きたいところは、と言われると……。
「ないこともありませんが……はっ!」
なぜ急にそんなことを……と考えて、優しい笑顔を浮かべるアシュレイ様の意図が分かってしまった。
アシュレイ様ったらさては……エレシアと二人きりになりたいんだな!?
やだわ、私ったらなんて気の利かない!!
「フェルナンド様! わたくし、連れて行っていただきたいところがございますの! ──二人きりで!!」
「ぶっ!!」
勢いよく立ち上がり、お茶を飲む殿下に言い募る。驚かせてしまったらしい殿下はお茶を吹き出し咽てしまった。
……背中を擦って差し上げよう。
「ふ、二人、きりで……か……?」
「はい! 二人きりで、お出掛けしとうございます!!」
なんとか息を持ち直した殿下に、両拳を握りしめて嘆願する。
未婚の男女とはいえ私達は仮にも婚約者だ。二人きりで出掛けても問題はないだろう。が、同席のエレシアは「突然どうしましたの」と訝し気な目を向けてきている。
しかし同じく不思議そうな顔になってこちらを見ていたアシュレイ様は一転してにんまりと笑い「ここに来て有力な協力者を得られるとは思わなかったな」と呟いた。
「フェルナンド様。エレシアは僕が責任を持って送り届けますから、リシュフィ嬢の頼みを聞いて差し上げてはいかがです?」
「えっ!? ちょ、ちょっと、何を勝手な──!」
「はい! 是非是非お願いいたします!」
アシュレイ様の援護を盾に更に言い募ると、殿下は目を泳がせながらも頷いてくれた。
城下町の大通りは真ん中を車が通るために広く造られているが、ほとんど歩行者天国のように縦横無尽に人が行き来している。忙しない人々に追い立てられた鳩達が音を立てて飛び立ち、舞った羽が陽の光を受けてきらきらと輝いた。
通りに面した洋瓦屋根の建物はほとんどが白壁に縦横斜めに黒い柱が通る作りをしていて、扉と同じローズウッドの看板には金属で出来たさまざまな意匠が飾られている。
あれで何のお店なのかが一目でわかるようになっているのだ。フォークとスプーン、お皿なら食堂。酒樽やグラスなら酒屋。服やアクセサリーもある。
「それで……お前は、どこに行きたいのだ」
あちらこちらへと目を向けていると、殿下に尋ねられた。
どこに。うーん。どこに……ねぇ。
アシュレイ様とエレシアを二人きりにすることしか考えていなかったから、行きたいところが思いつかない。
「どこに行きましょう?」
「…………」
素直に問い返せば、殿下はこれでもかと胡乱な目をこちらに向けてきた。
「行きたいところがあると言ったのはお前だろうが。……まぁいい。せっかく来たのだから少し歩くか。疲れたらすぐ言うようにな」
はいと頷き、一つ閃いて手を打った。
「フェルナンド様はこの先にある公園の露店に立ち寄られたことはございますか? わたくしはまだ実際に見たことがないのですが、ずっと行ってみたいと思っておりましたの」
通りに面した店舗とは違って、素朴な工芸品が多く取り扱われているらしい露店は、一度行ってみたいと思っていたからちょうど良い。
私の提案に、殿下は笑って頷いた。
「俺も今の時期に赴くのは初めてだから行ってみるか。──随分と名前を呼ぶのに慣れてきたようだな」
そう言われてみると、すんなりとお名前で呼べるようになっている。
「そうですわね。だいぶと慣れてきました」
素直に頷くと殿下は口角をゆるりと上げて「俺も、慣れてきた」と笑った。
それはどこか得意気で、可笑しそうとも嬉しそうとも取れるような、なんだか胸が騒ぐ笑みだった。
顔を正面に向ける振りをして目を逸らす。
殿下は私の半歩前に立ち、大通りの中央にある公園へと足を向け歩き始めた。
いつもなら会話に困ることはないのに、なんだかそわそわとしてしまって、口を開くことができない。
無意識に触れた自分の頰は風邪をひいた時のように熱を持っていた。
何か、お話をしないと。黙って殿下の後ろを歩いていたら、気恥ずかしさが増していく。
「……これからは、名前で呼べばいい」
前を歩くせいで、お顔が見えない殿下の声だった。
「……衆目の前で、御名を口にするのは無礼になるのでは、ありませんか」
「先ほどのアシュレイも言っていただろう。正式な場でなければ構わんよ。……二人きりの時だけ、とかな」
声の調子は普段通りで、お顔は見えないままだが、きっといつものように赤面されているのだろうと分かった。
だって、耳が絵具を塗ったみたいに、赤い。
「……フェルナンド様」
どうしてかは分からない。
けれど、なぜか名を口にしてしまい、どうしてだか目の奥がジンと熱くなった。
振り返った殿下は確かにお顔が真っ赤だった。目元は柔らかく綻び、碧玉の瞳は真っ直ぐに私を映している。
「……なんだ?」
用がないことはわかっているのだろうに、殿下はそう尋ねてきて、大きくゴツゴツとした手が、私の手を掴んだ。
そして、くるりと身を翻してしまった。
「ここは、人が多い」
軽く手を引かれながら、また歩き始める。
ほんの数日前までは手をすぐに振り払ったくせに。どうして今日は自分から触れて、おまけに手を引いてくださるのだろう。
どうして殿下は急に、優しくしてくださるようになったのだろう。
「……私達は恋人ではありませんのに。一人で歩けますわ」
まるで独り言のように口から溢れた声は、前を行く人の耳に届いたらしい。掴まれる手の力が強くなった。
「恋人ではないが……婚約者だろう」
繋がる手から移る熱はあまりにも心地良くて、気が付けば歯を食いしばっていた。
『どうして名字で呼ぶんですか。名前で呼んでくださいよ。夫婦になるんだから』
笑い混じりに男性からそんなことを言われるのは初めてで、名前を呼ぶ声はひどく震えたのを覚えている。
前世の夫は、少なくとも初めは優しかった。初めだけは。
友人と飲みに行ってくると言って出かけて、真夜中に酔い潰れて帰って来るまでは。
『ブスと義理で結婚したせいで笑われて最悪だった』
本心が私に露見したことを知ったあの男は、それから二度と私に優しくすることはなかった。
「離してくださいませ。逸れないよう、気を付けますから」
「駄目だ。お前のそれは信用出来ん」
逃さないとでもいうように手を更に強く掴まれて、それでも引かれる力は優しく、歩く速度はとても緩やかだ。
──本当に、優しい人。
殿下が本来とても優しい人だということくらい、長い付き合いで分かっている。
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「フェルナンド様……」
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