31 / 51
長編版
31
しおりを挟む
当日は絶好の慰労日和……とても良い天気だった。
訪れた孤児院は蔦が絡まった煉瓦の平屋で、外には広い運動場があり一見して学校のような外観をしている。
学校の職場体験にも利用されているくらいだから中は清潔で掃除も行き届いていて、馬車を降りた私達を見つめる子供達もリンゴのような頬が愛らしくとても健康そうだった。
「急で、すまないな」
私とともに降りた殿下の前で膝を折った院長先生に殿下が話しかける。もともと殿下が参加するはずがなかったところを急に変更となったことへの謝罪だろう。
「いいえ、とんでもございません。ようこそお越しくださいました。子供達も殿下とお会いできる日を心待ちにしておりましたよ」
院長先生は整った髭の白髪交じりのおじさまだった。親愛のこもる瞳を殿下へと向けて、子供達を手で示す。まるでそれを合図としたように子供達がこちらへと競争でもするように駆けてきた。
しかし院長先生の後ろで急停止し、丸いお目目はこちらを興味津々で見つめているが──話しかけてこない。
ここで一番偉い院長先生が丁寧に話しかける男の人に、話しかけてもいいのかわからないのかもしれない。
とはいえ私も子供なんて育てたこともないし、どう接したらいいのやら……。
ほんの少し途方に暮れていたら、殿下が身を屈めて院長先生の後ろに話しかけた。
「おお。お前達は剣を持っておるのか。俺も剣には少し自信がある。良ければ一試合いかがかな、剣士殿」
殿下が目を止めた男の子達の手には手作りと思われる木剣が握られていて、殿下からの試合の申し出に目を輝かせた。
「やんちゃな盛りの子も多く、お手を焼かれることと思いますが……」
恐縮する院長先生に「子供に後れを取るものか」と殿下は得意げに言って、子供達を引き連れて行ってしまった。
子供に慣れている……というより精神年齢が近いだけだな。あれは。
微笑ましいような呆れるような気持ちで眺めていると制服をつんと引かれた。
見下ろすと引いたのは小さな女の子達で、なんだか恥ずかしそうにこちらを見上げている。
膝を折り、目線を合わせた。
「ごきげんよう。何か御用かしら?」
話しかけると女の子達は目を宝石も裸足で逃げ出すほどきらきらと輝かせて「お姉ちゃんは、お姫様なの?」と尋ねてきた。
内心で首を傾げた。この孤児院には学院の慰労が毎年行われているから、貴族の令嬢を見るのは初めてではないはずなのに。
「どうしてそう思ったのかしら?」
尋ねると、私の制服をいまだ掴んだままの女の子はもじもじとしながら、上目遣いになった。
「だって、とっても綺麗なんだもん」
「まぁっ!」
思わず後ろを振り返った。
殿下! 聞きましたか殿下!! 私がとても綺麗だからお姫様と思ったそうですわよ!!
男の子達の剣戟を受け流しながら、殿下はしっかりこちらへと目を向けていた。その口元がぴくぴくと痙攣している。……笑いを堪えているんじゃないだろうな。失礼な男だ。
しかしこの誤解はしっかり解いておかないと。レストリドの娘が子供達に姫と呼ばせていたなんて知られたら問題だ。
「わたくしはお姫様ではありませんわ。でもそうね……お姫様のように美しいお嬢様と呼んでいただいても差し支えありませんわよ!」
「お前は何を子供らに教えているのだ」
後ろから突っ込みが来るが無視して、女の子達ににっこり微笑んだ。
「良ければわたくしと遊んでいただけませんか。一人ぼっちで寂しく思っていましたのよ」
子供達は目を見合わせて「いいよ。お姫様ごっこしよ!」と私の両手をそれぞれ別の子が取って引っ張った。
お姫様ごっこか。どの世界でも女の子の遊びは変わらないらしい。
「それはどのような遊びなの?」
でも今世の私は初見だ。念のため尋ねてみる。
女の子達は口々に遊びの説明をしてくれた。
しかし驚いたことにお姫様ごっことはある童話の劇のような遊びらしい。
主役の「アマーリエ」は父の再婚により出来た継母と継姉に日々いじめられていた。そんなある日、アマーリエの家に城から舞踏会の招待状が。参加を許されずに一人悲しむアマーリエの元へ魔法使いが現れて、ドレスと馬車を用意してくれる。そして参加した舞踏会でアマーリエは美しい王子様と出会うのだ……と、なんとも聞いたことのあるようなストーリーだった。
配役になりきって遊ぶらしいが、こういうのって当然……。
「わたしがアマーリエをするの!!」
「だめ! この間もやったでしょ! 今日はわたしがするの!」
「次にやるときはわたしだって言うから、昨日は継母の役やったげたのに二人ともずるいよ!」
やっぱりなぁ……主役の取り合いって、これも世界共通なんだろうなぁ。
「ほらほら、喧嘩しないで」
手を叩いて注意を引き、涙目の子供達を諭す。
こういうのって大人にはただのお遊びでも子供には大切なことだから、喧嘩になるとなんでもいいでしょとは言えないし結構大変よね。私が子供の時の大人達の気持ちがちょっとわかった気がする。
「アマーリエではなく、みんなのお名前を役に付けたらどうかしら? 可愛らしい三姉妹を継母が虐めるの。もちろん、王子様も三人いるのよ」
私の提案に女の子達は大喜びだったが……継母が魔法使いを兼任することになったのも、子供の遊びあるあるな気がする。
「ゾーイ。お行儀が悪うございますよ。お食事のマナーは先生から教わっておいででしょう」
「セレス。ご令嬢がスカートを翻して走るものではありません。よそ様に見られては旦那様が恥ずかしい思いをなさるのですよ」
「ハンナ。良家のご令嬢がつまみ食いなさるなど! お嬢様がこれでは、わたくしはあの世で先代の奥様に顔向けできませんわ」
背後から「ぶはっ」と吹き出す声がして、お姫様ごっこは中断されてしまった。
何事だと振り返れば口元に手を当てて肩を震わせている殿下が男の子達に心配されている。
「少しお待ちになってね。……殿下、どうかなさいましたか。どこかお加減でも悪くなさいました?」
話しかければ殿下は笑い交じりに口を開いた。
「公爵夫人はそのような物言いはなさらんだろうから……それは、ばあやでも参考にしたのか」
突拍子のない問いかけに目を瞬いた。
殿下の推測は当たっている。継母の意地悪というのがよくわからないから、屋敷で長く勤めてくれている侍女長のおばあちゃんの怒り方を参考にしたのだ。
「どうしてお分かりになりましたの?」
「いや……情景が目に浮かぶようでな」
情景って……。
さっと頬に熱が上った。
「わ、わたくしではありません!」
「いやお前の家には他におらんだろう。……家どころか、国中探してもおらんだろうが……ぶっ」
詰め寄るも、殿下は隠すのをやめたのかお腹を抱えて大笑いした。
なんて失礼な男だ!
激しい羞恥で思わず拳を振り上げ、殿下の胸元へと振り下ろす。
わかったわかった、悪かったなどと謝罪しつつも殿下は私の手を易々と受け止めたが、まだ笑いが収まらないのか目に涙まで浮かべている。
「笑わないでくださいませ!」
「わかったと言っておるだろうが。……先代の奥様……顔向け……くくっ」
「少しもわかってない!!」
再度殴りつけてやろうにも両腕を取られたままでは不可能だ。
笑い続ける殿下と真っ赤になって抵抗する私の姿を子供達が唖然と見守っていた。
訪れた孤児院は蔦が絡まった煉瓦の平屋で、外には広い運動場があり一見して学校のような外観をしている。
学校の職場体験にも利用されているくらいだから中は清潔で掃除も行き届いていて、馬車を降りた私達を見つめる子供達もリンゴのような頬が愛らしくとても健康そうだった。
「急で、すまないな」
私とともに降りた殿下の前で膝を折った院長先生に殿下が話しかける。もともと殿下が参加するはずがなかったところを急に変更となったことへの謝罪だろう。
「いいえ、とんでもございません。ようこそお越しくださいました。子供達も殿下とお会いできる日を心待ちにしておりましたよ」
院長先生は整った髭の白髪交じりのおじさまだった。親愛のこもる瞳を殿下へと向けて、子供達を手で示す。まるでそれを合図としたように子供達がこちらへと競争でもするように駆けてきた。
しかし院長先生の後ろで急停止し、丸いお目目はこちらを興味津々で見つめているが──話しかけてこない。
ここで一番偉い院長先生が丁寧に話しかける男の人に、話しかけてもいいのかわからないのかもしれない。
とはいえ私も子供なんて育てたこともないし、どう接したらいいのやら……。
ほんの少し途方に暮れていたら、殿下が身を屈めて院長先生の後ろに話しかけた。
「おお。お前達は剣を持っておるのか。俺も剣には少し自信がある。良ければ一試合いかがかな、剣士殿」
殿下が目を止めた男の子達の手には手作りと思われる木剣が握られていて、殿下からの試合の申し出に目を輝かせた。
「やんちゃな盛りの子も多く、お手を焼かれることと思いますが……」
恐縮する院長先生に「子供に後れを取るものか」と殿下は得意げに言って、子供達を引き連れて行ってしまった。
子供に慣れている……というより精神年齢が近いだけだな。あれは。
微笑ましいような呆れるような気持ちで眺めていると制服をつんと引かれた。
見下ろすと引いたのは小さな女の子達で、なんだか恥ずかしそうにこちらを見上げている。
膝を折り、目線を合わせた。
「ごきげんよう。何か御用かしら?」
話しかけると女の子達は目を宝石も裸足で逃げ出すほどきらきらと輝かせて「お姉ちゃんは、お姫様なの?」と尋ねてきた。
内心で首を傾げた。この孤児院には学院の慰労が毎年行われているから、貴族の令嬢を見るのは初めてではないはずなのに。
「どうしてそう思ったのかしら?」
尋ねると、私の制服をいまだ掴んだままの女の子はもじもじとしながら、上目遣いになった。
「だって、とっても綺麗なんだもん」
「まぁっ!」
思わず後ろを振り返った。
殿下! 聞きましたか殿下!! 私がとても綺麗だからお姫様と思ったそうですわよ!!
男の子達の剣戟を受け流しながら、殿下はしっかりこちらへと目を向けていた。その口元がぴくぴくと痙攣している。……笑いを堪えているんじゃないだろうな。失礼な男だ。
しかしこの誤解はしっかり解いておかないと。レストリドの娘が子供達に姫と呼ばせていたなんて知られたら問題だ。
「わたくしはお姫様ではありませんわ。でもそうね……お姫様のように美しいお嬢様と呼んでいただいても差し支えありませんわよ!」
「お前は何を子供らに教えているのだ」
後ろから突っ込みが来るが無視して、女の子達ににっこり微笑んだ。
「良ければわたくしと遊んでいただけませんか。一人ぼっちで寂しく思っていましたのよ」
子供達は目を見合わせて「いいよ。お姫様ごっこしよ!」と私の両手をそれぞれ別の子が取って引っ張った。
お姫様ごっこか。どの世界でも女の子の遊びは変わらないらしい。
「それはどのような遊びなの?」
でも今世の私は初見だ。念のため尋ねてみる。
女の子達は口々に遊びの説明をしてくれた。
しかし驚いたことにお姫様ごっことはある童話の劇のような遊びらしい。
主役の「アマーリエ」は父の再婚により出来た継母と継姉に日々いじめられていた。そんなある日、アマーリエの家に城から舞踏会の招待状が。参加を許されずに一人悲しむアマーリエの元へ魔法使いが現れて、ドレスと馬車を用意してくれる。そして参加した舞踏会でアマーリエは美しい王子様と出会うのだ……と、なんとも聞いたことのあるようなストーリーだった。
配役になりきって遊ぶらしいが、こういうのって当然……。
「わたしがアマーリエをするの!!」
「だめ! この間もやったでしょ! 今日はわたしがするの!」
「次にやるときはわたしだって言うから、昨日は継母の役やったげたのに二人ともずるいよ!」
やっぱりなぁ……主役の取り合いって、これも世界共通なんだろうなぁ。
「ほらほら、喧嘩しないで」
手を叩いて注意を引き、涙目の子供達を諭す。
こういうのって大人にはただのお遊びでも子供には大切なことだから、喧嘩になるとなんでもいいでしょとは言えないし結構大変よね。私が子供の時の大人達の気持ちがちょっとわかった気がする。
「アマーリエではなく、みんなのお名前を役に付けたらどうかしら? 可愛らしい三姉妹を継母が虐めるの。もちろん、王子様も三人いるのよ」
私の提案に女の子達は大喜びだったが……継母が魔法使いを兼任することになったのも、子供の遊びあるあるな気がする。
「ゾーイ。お行儀が悪うございますよ。お食事のマナーは先生から教わっておいででしょう」
「セレス。ご令嬢がスカートを翻して走るものではありません。よそ様に見られては旦那様が恥ずかしい思いをなさるのですよ」
「ハンナ。良家のご令嬢がつまみ食いなさるなど! お嬢様がこれでは、わたくしはあの世で先代の奥様に顔向けできませんわ」
背後から「ぶはっ」と吹き出す声がして、お姫様ごっこは中断されてしまった。
何事だと振り返れば口元に手を当てて肩を震わせている殿下が男の子達に心配されている。
「少しお待ちになってね。……殿下、どうかなさいましたか。どこかお加減でも悪くなさいました?」
話しかければ殿下は笑い交じりに口を開いた。
「公爵夫人はそのような物言いはなさらんだろうから……それは、ばあやでも参考にしたのか」
突拍子のない問いかけに目を瞬いた。
殿下の推測は当たっている。継母の意地悪というのがよくわからないから、屋敷で長く勤めてくれている侍女長のおばあちゃんの怒り方を参考にしたのだ。
「どうしてお分かりになりましたの?」
「いや……情景が目に浮かぶようでな」
情景って……。
さっと頬に熱が上った。
「わ、わたくしではありません!」
「いやお前の家には他におらんだろう。……家どころか、国中探してもおらんだろうが……ぶっ」
詰め寄るも、殿下は隠すのをやめたのかお腹を抱えて大笑いした。
なんて失礼な男だ!
激しい羞恥で思わず拳を振り上げ、殿下の胸元へと振り下ろす。
わかったわかった、悪かったなどと謝罪しつつも殿下は私の手を易々と受け止めたが、まだ笑いが収まらないのか目に涙まで浮かべている。
「笑わないでくださいませ!」
「わかったと言っておるだろうが。……先代の奥様……顔向け……くくっ」
「少しもわかってない!!」
再度殴りつけてやろうにも両腕を取られたままでは不可能だ。
笑い続ける殿下と真っ赤になって抵抗する私の姿を子供達が唖然と見守っていた。
0
あなたにおすすめの小説
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった……
結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。
ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。
愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
*全16話で完結になります。
*番外編、追加しました。
あなたのことなんて、もうどうでもいいです
もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。
元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。
婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから、他
猿喰 森繁
恋愛
完結した短編まとめました。
大体1万文字以内なので、空いた時間に気楽に読んでもらえると嬉しいです。
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる