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第49話:生命を癒す者
しおりを挟むロード・カシアンの指先に、絶対的な破壊の闇が収束していく。
星さえ砕くであろう、終焉の魔術。その全ての悪意が、今、たった一人の小さな私に向けられていた。
私は動けない。『カシアンの心臓』を癒す術式に全神経を集中させている今、完全に無防備だった。
(死ぬ)
その場にいた誰もが、そう確信した。
師匠は弱体化したセラフィーナにとどめを刺そうとしていた。だが、私に向けられたカシアンの殺意に気づき、その目が絶望に見開かれる。
間に合わない! ここからでは、どうやってもあの攻撃は防げない。
だが、師匠は絶望の淵で賭けた。
この世界の誰にも理解できぬ、ただ一つの可能性に。
私の、その特異な在り方に。
「―――ユヅカ! 止めるな! 全て、受け入れろ!!」
師匠の魂からの叫びが、私の意識に直接響いた。
(意味がわからない。あの破壊の奔流を受け入れろっていうの?)
(でも、身体は思考より早く動いていた。師匠が言うのなら。彼が私を信じてくれるのなら……!)
私は防御することをやめた。
そして逆に、私の心の壁を、魂の扉を完全に開け放つ。
(さあ、おいで)
(あなたのその痛みも、憎しみも、全て私が受け止めるから)
カシアンが放った絶対的な破壊の闇が、私の小さな身体に殺到した。
…………。
だが、世界は終わらなかった。
破壊は起こらなかったのだ。
闇の奔流が私に触れた瞬間、ピタリとその行き場を失った。異邦の血を引くこの身体、生命を肯定し癒すためだけに在る黄金色の魔力が、まるで聖域のようにその全てを迎え入れた。おぞましい破壊のエネルギーは、乾いた大地に染み込む雨のように、私の内側で無力化されていく。
「な……に……?」
カシアンが、生まれて初めて理解不能なものを見た、という表情で絶句した。
彼の憎しみの魔力は、私の癒しの力の中で牙を抜かれ、毒を抜かれた。そして、ただ純粋な、膨大な魔力の奔流へと『治療』されていく。
「―――お返しします」
治療された膨大なエネルギーを、今度は私が制御する。
その全てを、両手から眼前の『カシアンの心臓』へと解き放った!
それは、これまでとは比較にならない清浄で温かい、生命力の大津波。
三十年間歪められ、苦しみ続けてきた無数の魂たちが、その光に包まれていく。
『ああ……』
『温かい……』
『もう、いいんだ……』
魂たちの安らかな囁きが、聞こえた気がした。
次の瞬間、禍々しい血赤色の水晶はその色を失う。全ての穢れが洗い流されたかのように、ただ透明で美しい巨大な水晶へと変わり果て、その脈動を永遠に止めた。
「……嘘だ。わしの三十年が……わしの、理想が……」
力の源を完全に断たれ、セラフィーナと魔導キメラたちが光の塵となって静かに消滅していく。
カシアンは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
彼のライフワーク。彼の狂気。彼の全てが、今、目の前で崩れ去ったのだ。
その隙を、師匠は見逃さなかった。
音もなく、カシアンの背後に立つ。
「お前の過ちは、ただ一つだ、カシアン」
師匠の声は静かだった。
「お前は生命を作り出せると信じていた。だが、ついに本物の生命の温かさを理解することはなかった」
師匠の手が、そっとカシアンの胸に触れた。
それは攻撃ではない。カシアンが自らに施し続けてきた禁忌の延命術式。その歪な魔力の流れを正しく、そして残酷なまでに元へと戻す、究極の解呪だった。
「……眠れ。過去の亡霊」
老いた器は、本来あるべき時間の流れを取り戻した。みるみるうちに皺が深くなり、やがて砂の城のように、さらさらと崩れ落ちていく。後には、ただ静寂だけが残された。
戦いは、終わった。
私はその場に、へなへなと座り込む。
摂政宮も、生き残った騎士たちも、ただ呆然と目の前の光景を見つめていた。
そんな私の元へ、師匠がゆっくりと歩み寄ってくる。
そして、黙ってその大きな手を私に差し出した。
私は、その手を、ぎゅっと握り返した。
師弟の長く、そして短い戦いが、今、本当に終わったのだ。
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