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3.黒馬の王子様は笑わない
◆
「―――楓!!」
がなりたてる声は、周波数が全くあっていないラジオのよう。
父が自分の名前を呼ぶときはいつもそうだ。世の中の《全ての不幸の元凶》が自分であるかのような物言いをする。
愛染、不動に連れられ、楓が屋敷に到着なり、休む暇もなく、待ちかまえていたかのように書斎へ呼び出した。
書斎は《家族以外立ち入り禁止》。
顔、性格、仕草。その全てがどこまでも母親に似た自分。父親と同じなのは苗字のみ。そんな自分が書斎に呼ばれたことで、少なくとも楓が《=息子》という概念が、まだ父の中に存在していたらしいことを知った。
制服を整え、顔を洗い。
先ほどまで暴漢に襲われていたとはとても思えないような、凛とした姿で父の前に一人立つ楓。
楓を心配するあまり、道中楓より落ち着きがなかった愛染と布動は、しぶしぶであるが書斎の外で待機している。
「白里財閥からの取引が中止になった! どうせお前が関係しているんだろう!」
2年ぶりの親子の再会だというのに、挨拶も無しに本題。
楓に対して配慮の欠片も見せないところは相変わらず健在の様だ。
「どうなんだ! えぇ!?」
顔を真っ赤にさせて、まるで怒鳴ることしか脳がないように叫ぶ。
顔も体もボールのように丸い。破裂寸前の風船のように膨れ上がった腹を、執務室の机に邪魔されながら、口の端に泡をつけながら唾を飛ばして下品に叫ぶ男。
この男が、深緑時松造だ。
叫びすぎて脳の血管が切れてしまえばいいのに。
怒鳴りなれている楓は、涼しい顔でマシンガンのような攻撃を受け流す。大体、怒鳴り散らかしたところで、楓にどのような返答を望んでいるのだろうか。本当に
“そうです、俺のせいで白里との関係は破綻しました、すみません”といえば満足なのだろうか。
正直、裕次郎が深緑寺との取引を中止にするなんてことは想定範囲内だった。
渡した合い鍵を人にやり、強姦させるようとした男だ。それくらいの事は真っ先に実行するだろう。そんな男の腹黒さに気付けなかった自分も相当なあほだと思うが。
別に、深緑寺をつぶしたくてこうなったわけじゃない。
息子の痴情のもつれに巻き込まれてしまった事には同情するが、そうなる前に対策を講じておけばいいのにと、相変わらず目先の利益しか考えない男に、ため息がでそうだ。
代々続く深緑寺グループを果てさせないよう必死なのだろうが、今ではその姿が滑稽すぎて笑いがでる。
一度だってまともに母親似の自分をみてくれなかった父親が、大嫌いだった。
「おかしいと思って調べてみたら! お前、白里の若造と出来ていたのか!?」
あぁ、本当に知らなかったんだな。
どこか他人事の様に考えてしまう。
表情を変えない楓に、父の方が我慢できなかったらしい。突然はき出すように話題をかえた。
「血は血だな! お前も母親似ですぐ足を開く! 息子がゲイだなんて陰口をいわれるこっちの身になってみろ!」
――ガシャン!
その瞬間、楓は近くの花瓶を叩き割っていた。
大きく美しいだけで、花も何も活けていない物置同然の花瓶。右手にうっすらと鮮血を滲ませながら、その空虚な中身を見、自分みたいな花瓶だなと吐き捨てたくなる。そして、そのまま仄暗い凶悪な目線で、美しい切れ長の瞳を三白眼にしながら父を睨む。
「………お母様の事は、言わない約束でしたよね?」
一句一句、区切るように言葉を発する。
そうでもしないと、とんでもない暴言をはいてしまいそうだ。
「ふん、マザコンが!」
最大の地雷を踏みぬかれた楓に、父はすっきりしたのか愉快そうに嗤った。本当に根性が腐った男だ。
足下に落ちた陶器の破片でこの男を刺せたら、どんなに気持ちいいだろう。
いっそ、こいつの首でも白里に送ってやろうか。
口から発することの出来ない毒素が、体中をかけずり回り、末梢の細胞からどんどん病んでいく。
母はこの最低な男にだまされ、人生を狂わされた。
母は、この屋敷の使用人だった。
元々、美しく若かった母は、この男に無理矢理身体の関係を強要させられ犯された。しばらくして、母が妊娠したと知った途端、この男は母をゴミのように捨てたのだ。
身体の弱かった母は心労もたたって、楓を生んで暫くしてから亡くなったらしい。
楓が深緑寺として認知されているのは《男》だから、というだけで、万が一本妻の息子である幹に何かがあったときの保険だと聞いたことがある。
その兄も今年成人した。
正式な後継者になるのはもう秒読み。
もう、いいだろう。
深緑寺を出よう。
今日中に荷物をまとめて、失踪しよう。生活費は――綺麗とはいいがたい金だが、学園にいる富裕層の信者どもから巻き上げた金品がある。
この忌まわしい名前も捨てて、学園もやめ、どこか遠くに行くんだ。
どす黒い感情が体内を渦巻く。
1分1秒でもこの家の空気を吸いたくない。
「――松造様!!」
その時、書斎の外で待機していた愛染、布動が乱暴に扉を開いた。
ひどく焦っているようだ。
愛染は楓を見つけると、すぐさま書斎の四隅へ追いやり、背後に隠すように動いた。まるで何かから守るように。
布動も、愛染の正面に立ち、さらに楓を隠すよう立ちはだかる。
「お前らなんだ!! ここは家族以外立ち入り禁止………」
「――久しぶりだな、深緑寺」
困惑した父が二人に声を上げた途端、扉の方から低く、重みのある声が響いた。
不動や愛染の隙間からは、父親の顔しか見えず、声の主はわからない。
しかし、あんなに赤く腫れ上がった父の顔が、青白く変色してる。
「こ、―――黒馬、様……」
幽霊でもみたかのような声で、呟いた名前。
黒馬、と呼ばれた男は、その父の変化を鼻で笑った。
「俺が」
カツンと革靴の小気味の良い音が響きわたる。
「何しにわざわざここまできたか、わかるよな?」
わざと文を区切りながら言葉を続ける男に、父が凍り付く。
目の前にいる愛染の身体が、わずかに強ばる。
言い知れない恐怖と緊張で息がつまりそうだった。
「俺も暇じゃないんでね」
溜息のような言葉が発せられたあと、かすかに煙草の香りが漂ってきた。
「取引の件。さっさと応じるか断るかして頂かねぇと、業務にさしつかえるんですよ」
軽薄な物言い。ヤクザの取り立てのようだと思った。
否、実際関係者なのだろう。父親のおびえようが尋常ではない。
「も、もちろんです! ですが…」
無関係の楓すら、父の発言に全身の血の気が引いた。
それは当の本人である父親も自覚しているようで、愛染や不動の隙間から覗き見る父の顔は青白いを通りこして、もはや土色だった。
「へぇ……? 『ですが』? なんだ?」
「あ、いえ、その………っ立ち話もなんですし……!! 続きは応接室で……」
「今、俺は暇じゃないと言ったはずだが?」
苛立ちを含んだ声に、父親は水鉄砲を撃たれた蛙のようにその場で飛び跳ねた。
先ほどまで唾を飛ばして怒鳴っていた父親の姿に、憐れみすらわいてきそうだ。
「す、すみません!! ですが息子もいますし……」
「―――息子?」
ちらりと、こちらを見た父親。やはり死ねばいいのにと感情を改めた。
あの野郎。
注意をこちらに逸らしやがった。
この場所から闖入者の顔まではうかがい知ることができない。そもそも、男が楓にとって危険な存在かといわれれば、それすらもわからない。
だが、幼い頃から楓を守ってきてくれている愛染や布動から伝わるこの緊張感。危険人物であることは一目瞭然だった。
「――誰かと思えば、愛染に布動の明王コンビじゃないか。久しいな」
「ご無沙汰しております、黒馬様」
男は二人を知っているらしい。
先に反応したのは布動だった。
「息災の様で何よりだ――で? その後ろに隠れてんのが息子か? 来客に挨拶もなしとは、またずいぶん立派な後継者だな」
吐き捨てるように言う男の言葉に反応したのは父。
「ち、違います! そいつは幹では………」
ざまぁみろ。
父が自分の後継ぎとして、大々的に外に連れ出すのは必ず兄の幹の方だ。
男の中で〝深緑寺の息子=幹”になるのも当然のこと。
注意をそらすつもりが、息子の品位までさげてしまった父親は、唇を噛みきりそうな勢いで楓を睨んでいた。
しかし、男が父の様子に不信感を抱くよりも前に、愛染が一歩前に出、男を廊下へと促した。
「黒馬様、私が応接室へご案内しましょう」
愛染には一目置いているらしい男は、「あぁ」というだけで、愛染の案内にしたがい、その場を後にした。
「――楓様、今のうちに早くこちらへ!」
「あ、ああ……」
「まて!!!」
それまで巨体で楓を隠していた不動が、楓の手を引き応接間とは反対側の方向へを手を引いた瞬間、爆発物のように父が叫ぶ。
しかし、怒り心頭な雇用主を前にしても不動は態度を一切変えず、サングラスの奥から睨むように父を見た。
「――松造様、黒馬様をお待たせする気ですか?」
「ッ…くそが!!」
布動は、まだ何かいいたげな父親を無視し、そのまま楓を引き連れ、屋敷裏に止めていた車に案内した。
残された父親は、噴火しそうなほど真っ赤になった顔でこちらをにらみ続けていた。
◆
「………くくっ」
「――何か面白いことでも? 黒馬様」
応接室に案内された後。黒馬は時折、この調子で思い出したように笑い出す。
深緑寺松造がくるまで、半ば《監視役》として残っていた愛染が声をかけると、今度は露骨に笑いだした。
この男が笑うなんて、珍しいこともあったものだ。
「いや? 明王コンビが焦るだなんて珍しい事もあるもんだとおもってな。アレ、本当に深緑寺の息子か? お前らの必死さを見ていると、どこぞの箱入り令嬢かとおもったぞ」
「えぇ、ご子息様ですよ? 繊細な方なので、黒馬様をみて寝込んでしまわれては大事ですので」
「あいかわらず言ってくれるな、愛染」
楽しげに返す黒馬に、愛染は内心ほっと溜息をついた。
《深緑寺のご子息様》であることにはかわりない。
この面倒な男に楓の存在を気取られるくらいなら、いっそ楓の存在を消してしまったほうがいいのだ。
「今日は、いつもの方ではないのですね」
「奴はあれで忙しいらしい。それに、俺もたまには顧客に顔を出さないとな」
舐められたらおしまいなんでね、と言う黒馬に「素晴らしい御心がけです」と思ってもいないだろうに返すと、また黒馬が笑った。
「それにしても、深緑寺そっくりのあのクソ餓鬼が《繊細》だとはな、臍で茶でもわかせそうだ」
確かに。
あれが楓でではなく、本当に幹の方であれば笑死してしまいそうだ。せめて本妻似の美男子であればよかったものを、黒馬の言うとおり小太りなところまでそっくりな息子なのだ。
そのくせ、プライドが高く、金ですべて解決できると思っている。
楓のことはそこまで毛嫌いしていないのが救いだと思っていたが、ただ単に《腹違いの弟》としてではなく《性的な意味》で楓をみていることに気付いた時は、殺してしまおうかと思ったぐらいだ。
――松造の騒がしい足音が聞こえる。
どうやら、かなりご立腹の様だ。つまり、不動は無事に楓をこの家から連れ出せたのだろう。
「……では、黒馬様。私はこれで」
「あぁ、お前たちも息災でな」
「黒馬様も」
もう退散してもいい頃合いだと判断した愛染は松造が応接間へと到着する前に、黒馬へと深く一礼し、挨拶もそこそこにその場を去った。
「………」
―――ブロロロ……
ほどなくして、窓の向こうから車の発進音が聞こえる。
(何を急いでいるんだ?)
不審に思いつつ応接間を軽く見まわすと、先ほど愛染が立っていた場所に一枚の紙が落ちていた。
深緑寺は――応接間の扉の前に突っ立ったまま動かない。よほど、室内に入るのが怖いらしい。扉越しにも、緊張した空気が伝わってくる。
(愛染からのメッセージ? ……それはないな。証拠を残すようなことをしない奴らだ。シンプルに、ほかに気取られて落とした可能性が高い)
それならば、と黒馬は面倒くさそうに立ち上がり、落ちていた紙を拾った――それは1枚の《写真》だった。
「写真?」
『楓様、3歳』、そう書かれた裏面。なんだ。孫の写真か、と何の気なしに表に反した。
「………これは?」
時がとまったように、黒馬は愛染が残していったその写真を見つめた。
写真の中には、赤い着物を着た幼い子が眠っている写真だった。
「―――楓!!」
がなりたてる声は、周波数が全くあっていないラジオのよう。
父が自分の名前を呼ぶときはいつもそうだ。世の中の《全ての不幸の元凶》が自分であるかのような物言いをする。
愛染、不動に連れられ、楓が屋敷に到着なり、休む暇もなく、待ちかまえていたかのように書斎へ呼び出した。
書斎は《家族以外立ち入り禁止》。
顔、性格、仕草。その全てがどこまでも母親に似た自分。父親と同じなのは苗字のみ。そんな自分が書斎に呼ばれたことで、少なくとも楓が《=息子》という概念が、まだ父の中に存在していたらしいことを知った。
制服を整え、顔を洗い。
先ほどまで暴漢に襲われていたとはとても思えないような、凛とした姿で父の前に一人立つ楓。
楓を心配するあまり、道中楓より落ち着きがなかった愛染と布動は、しぶしぶであるが書斎の外で待機している。
「白里財閥からの取引が中止になった! どうせお前が関係しているんだろう!」
2年ぶりの親子の再会だというのに、挨拶も無しに本題。
楓に対して配慮の欠片も見せないところは相変わらず健在の様だ。
「どうなんだ! えぇ!?」
顔を真っ赤にさせて、まるで怒鳴ることしか脳がないように叫ぶ。
顔も体もボールのように丸い。破裂寸前の風船のように膨れ上がった腹を、執務室の机に邪魔されながら、口の端に泡をつけながら唾を飛ばして下品に叫ぶ男。
この男が、深緑時松造だ。
叫びすぎて脳の血管が切れてしまえばいいのに。
怒鳴りなれている楓は、涼しい顔でマシンガンのような攻撃を受け流す。大体、怒鳴り散らかしたところで、楓にどのような返答を望んでいるのだろうか。本当に
“そうです、俺のせいで白里との関係は破綻しました、すみません”といえば満足なのだろうか。
正直、裕次郎が深緑寺との取引を中止にするなんてことは想定範囲内だった。
渡した合い鍵を人にやり、強姦させるようとした男だ。それくらいの事は真っ先に実行するだろう。そんな男の腹黒さに気付けなかった自分も相当なあほだと思うが。
別に、深緑寺をつぶしたくてこうなったわけじゃない。
息子の痴情のもつれに巻き込まれてしまった事には同情するが、そうなる前に対策を講じておけばいいのにと、相変わらず目先の利益しか考えない男に、ため息がでそうだ。
代々続く深緑寺グループを果てさせないよう必死なのだろうが、今ではその姿が滑稽すぎて笑いがでる。
一度だってまともに母親似の自分をみてくれなかった父親が、大嫌いだった。
「おかしいと思って調べてみたら! お前、白里の若造と出来ていたのか!?」
あぁ、本当に知らなかったんだな。
どこか他人事の様に考えてしまう。
表情を変えない楓に、父の方が我慢できなかったらしい。突然はき出すように話題をかえた。
「血は血だな! お前も母親似ですぐ足を開く! 息子がゲイだなんて陰口をいわれるこっちの身になってみろ!」
――ガシャン!
その瞬間、楓は近くの花瓶を叩き割っていた。
大きく美しいだけで、花も何も活けていない物置同然の花瓶。右手にうっすらと鮮血を滲ませながら、その空虚な中身を見、自分みたいな花瓶だなと吐き捨てたくなる。そして、そのまま仄暗い凶悪な目線で、美しい切れ長の瞳を三白眼にしながら父を睨む。
「………お母様の事は、言わない約束でしたよね?」
一句一句、区切るように言葉を発する。
そうでもしないと、とんでもない暴言をはいてしまいそうだ。
「ふん、マザコンが!」
最大の地雷を踏みぬかれた楓に、父はすっきりしたのか愉快そうに嗤った。本当に根性が腐った男だ。
足下に落ちた陶器の破片でこの男を刺せたら、どんなに気持ちいいだろう。
いっそ、こいつの首でも白里に送ってやろうか。
口から発することの出来ない毒素が、体中をかけずり回り、末梢の細胞からどんどん病んでいく。
母はこの最低な男にだまされ、人生を狂わされた。
母は、この屋敷の使用人だった。
元々、美しく若かった母は、この男に無理矢理身体の関係を強要させられ犯された。しばらくして、母が妊娠したと知った途端、この男は母をゴミのように捨てたのだ。
身体の弱かった母は心労もたたって、楓を生んで暫くしてから亡くなったらしい。
楓が深緑寺として認知されているのは《男》だから、というだけで、万が一本妻の息子である幹に何かがあったときの保険だと聞いたことがある。
その兄も今年成人した。
正式な後継者になるのはもう秒読み。
もう、いいだろう。
深緑寺を出よう。
今日中に荷物をまとめて、失踪しよう。生活費は――綺麗とはいいがたい金だが、学園にいる富裕層の信者どもから巻き上げた金品がある。
この忌まわしい名前も捨てて、学園もやめ、どこか遠くに行くんだ。
どす黒い感情が体内を渦巻く。
1分1秒でもこの家の空気を吸いたくない。
「――松造様!!」
その時、書斎の外で待機していた愛染、布動が乱暴に扉を開いた。
ひどく焦っているようだ。
愛染は楓を見つけると、すぐさま書斎の四隅へ追いやり、背後に隠すように動いた。まるで何かから守るように。
布動も、愛染の正面に立ち、さらに楓を隠すよう立ちはだかる。
「お前らなんだ!! ここは家族以外立ち入り禁止………」
「――久しぶりだな、深緑寺」
困惑した父が二人に声を上げた途端、扉の方から低く、重みのある声が響いた。
不動や愛染の隙間からは、父親の顔しか見えず、声の主はわからない。
しかし、あんなに赤く腫れ上がった父の顔が、青白く変色してる。
「こ、―――黒馬、様……」
幽霊でもみたかのような声で、呟いた名前。
黒馬、と呼ばれた男は、その父の変化を鼻で笑った。
「俺が」
カツンと革靴の小気味の良い音が響きわたる。
「何しにわざわざここまできたか、わかるよな?」
わざと文を区切りながら言葉を続ける男に、父が凍り付く。
目の前にいる愛染の身体が、わずかに強ばる。
言い知れない恐怖と緊張で息がつまりそうだった。
「俺も暇じゃないんでね」
溜息のような言葉が発せられたあと、かすかに煙草の香りが漂ってきた。
「取引の件。さっさと応じるか断るかして頂かねぇと、業務にさしつかえるんですよ」
軽薄な物言い。ヤクザの取り立てのようだと思った。
否、実際関係者なのだろう。父親のおびえようが尋常ではない。
「も、もちろんです! ですが…」
無関係の楓すら、父の発言に全身の血の気が引いた。
それは当の本人である父親も自覚しているようで、愛染や不動の隙間から覗き見る父の顔は青白いを通りこして、もはや土色だった。
「へぇ……? 『ですが』? なんだ?」
「あ、いえ、その………っ立ち話もなんですし……!! 続きは応接室で……」
「今、俺は暇じゃないと言ったはずだが?」
苛立ちを含んだ声に、父親は水鉄砲を撃たれた蛙のようにその場で飛び跳ねた。
先ほどまで唾を飛ばして怒鳴っていた父親の姿に、憐れみすらわいてきそうだ。
「す、すみません!! ですが息子もいますし……」
「―――息子?」
ちらりと、こちらを見た父親。やはり死ねばいいのにと感情を改めた。
あの野郎。
注意をこちらに逸らしやがった。
この場所から闖入者の顔まではうかがい知ることができない。そもそも、男が楓にとって危険な存在かといわれれば、それすらもわからない。
だが、幼い頃から楓を守ってきてくれている愛染や布動から伝わるこの緊張感。危険人物であることは一目瞭然だった。
「――誰かと思えば、愛染に布動の明王コンビじゃないか。久しいな」
「ご無沙汰しております、黒馬様」
男は二人を知っているらしい。
先に反応したのは布動だった。
「息災の様で何よりだ――で? その後ろに隠れてんのが息子か? 来客に挨拶もなしとは、またずいぶん立派な後継者だな」
吐き捨てるように言う男の言葉に反応したのは父。
「ち、違います! そいつは幹では………」
ざまぁみろ。
父が自分の後継ぎとして、大々的に外に連れ出すのは必ず兄の幹の方だ。
男の中で〝深緑寺の息子=幹”になるのも当然のこと。
注意をそらすつもりが、息子の品位までさげてしまった父親は、唇を噛みきりそうな勢いで楓を睨んでいた。
しかし、男が父の様子に不信感を抱くよりも前に、愛染が一歩前に出、男を廊下へと促した。
「黒馬様、私が応接室へご案内しましょう」
愛染には一目置いているらしい男は、「あぁ」というだけで、愛染の案内にしたがい、その場を後にした。
「――楓様、今のうちに早くこちらへ!」
「あ、ああ……」
「まて!!!」
それまで巨体で楓を隠していた不動が、楓の手を引き応接間とは反対側の方向へを手を引いた瞬間、爆発物のように父が叫ぶ。
しかし、怒り心頭な雇用主を前にしても不動は態度を一切変えず、サングラスの奥から睨むように父を見た。
「――松造様、黒馬様をお待たせする気ですか?」
「ッ…くそが!!」
布動は、まだ何かいいたげな父親を無視し、そのまま楓を引き連れ、屋敷裏に止めていた車に案内した。
残された父親は、噴火しそうなほど真っ赤になった顔でこちらをにらみ続けていた。
◆
「………くくっ」
「――何か面白いことでも? 黒馬様」
応接室に案内された後。黒馬は時折、この調子で思い出したように笑い出す。
深緑寺松造がくるまで、半ば《監視役》として残っていた愛染が声をかけると、今度は露骨に笑いだした。
この男が笑うなんて、珍しいこともあったものだ。
「いや? 明王コンビが焦るだなんて珍しい事もあるもんだとおもってな。アレ、本当に深緑寺の息子か? お前らの必死さを見ていると、どこぞの箱入り令嬢かとおもったぞ」
「えぇ、ご子息様ですよ? 繊細な方なので、黒馬様をみて寝込んでしまわれては大事ですので」
「あいかわらず言ってくれるな、愛染」
楽しげに返す黒馬に、愛染は内心ほっと溜息をついた。
《深緑寺のご子息様》であることにはかわりない。
この面倒な男に楓の存在を気取られるくらいなら、いっそ楓の存在を消してしまったほうがいいのだ。
「今日は、いつもの方ではないのですね」
「奴はあれで忙しいらしい。それに、俺もたまには顧客に顔を出さないとな」
舐められたらおしまいなんでね、と言う黒馬に「素晴らしい御心がけです」と思ってもいないだろうに返すと、また黒馬が笑った。
「それにしても、深緑寺そっくりのあのクソ餓鬼が《繊細》だとはな、臍で茶でもわかせそうだ」
確かに。
あれが楓でではなく、本当に幹の方であれば笑死してしまいそうだ。せめて本妻似の美男子であればよかったものを、黒馬の言うとおり小太りなところまでそっくりな息子なのだ。
そのくせ、プライドが高く、金ですべて解決できると思っている。
楓のことはそこまで毛嫌いしていないのが救いだと思っていたが、ただ単に《腹違いの弟》としてではなく《性的な意味》で楓をみていることに気付いた時は、殺してしまおうかと思ったぐらいだ。
――松造の騒がしい足音が聞こえる。
どうやら、かなりご立腹の様だ。つまり、不動は無事に楓をこの家から連れ出せたのだろう。
「……では、黒馬様。私はこれで」
「あぁ、お前たちも息災でな」
「黒馬様も」
もう退散してもいい頃合いだと判断した愛染は松造が応接間へと到着する前に、黒馬へと深く一礼し、挨拶もそこそこにその場を去った。
「………」
―――ブロロロ……
ほどなくして、窓の向こうから車の発進音が聞こえる。
(何を急いでいるんだ?)
不審に思いつつ応接間を軽く見まわすと、先ほど愛染が立っていた場所に一枚の紙が落ちていた。
深緑寺は――応接間の扉の前に突っ立ったまま動かない。よほど、室内に入るのが怖いらしい。扉越しにも、緊張した空気が伝わってくる。
(愛染からのメッセージ? ……それはないな。証拠を残すようなことをしない奴らだ。シンプルに、ほかに気取られて落とした可能性が高い)
それならば、と黒馬は面倒くさそうに立ち上がり、落ちていた紙を拾った――それは1枚の《写真》だった。
「写真?」
『楓様、3歳』、そう書かれた裏面。なんだ。孫の写真か、と何の気なしに表に反した。
「………これは?」
時がとまったように、黒馬は愛染が残していったその写真を見つめた。
写真の中には、赤い着物を着た幼い子が眠っている写真だった。
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