王宮に咲くは神の花

ごいち

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第二章 ジハード王の婚姻

黒豹の男神と御使い

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真冬の淡い光が頭上の飾り窓から降り注ぎ、大神殿の白い石造りの床にウェルディの壮麗な紋章を描き出している。盾と剣が交差した意匠は、ウェルディス王家の紋章でもあり、ウェルディリアの国章の基にもなったものだ。

 祝詞を述べる神官長の背後からは、巨大な壁画が居合わせたものを見下ろしていた。

 壁画の中で悠々と大地に横たわり、上半身を少し持ち上げて天上を見上げているのは、戦の神ウェルディだ。波打つ豊かな黒髪と深い闇のような瞳、浅黒い肌を持つ雄々しい美貌の男神は、二頭の黒豹を足下に従えている。

 見上げる視線の先にいるのは、天上から降りてきた神々の王ファラスの御使いだ。神聖なる巨木として描かれるファラスは、全身を花で飾った御使いを遣わし、ウェルディに地上の戦を制するようにと剣と盾とを下賜している。
 誰もが知る、ウェルディリア建国の起源となった神話の一幕だ。

「あの御使いを見てみろ」

 祝詞に紛れるような小さな声で、ジハードが耳に囁いた。
 シェイドも少しばかり不思議に思っていた御使いの姿に視線を向ける。目を伏せているため瞳の色は分からないが、肌は白く髪は光の束のような黄金だ。
 神王ファラスが聳え立つのは海を隔てた北の大地であるという伝説もあってか、その御使いの姿は北方人そのものだった。

 御使いの姿を眺めていたシェイドは、御使いが首から提げている紋章に気付いた。円の中に六つの角を持つ星が描かれたそれは、シェイドが母エレーナから譲られた護符と同じものだ。エレーナの一族はファラスを信仰する民だったのかも知れない。

 その護符は半年前のあの日の騒動で無くしたらしく、シェイドの胸に傷跡だけを残して、今はもう首に掛かってはいなかった。

「お前とよく似ている。……美しいな」

 感嘆したように言われたが、シェイドにはとてもそうは思えなかった。





 美しいという形容は、逞しい野生の獣のようなウェルディの方こそ相応しい。

 地に伏したウェルディには獲物に飛びかかる寸前の獣のような凄みがあり、見ようによっては雌伏して御使いを狙っているようにも見える。
 実際に神話の一節には、天にある御使いを引きずり落として喰らったために、ウェルディ神が神王ファラスから罰を受け、神から人間に堕とされたというくだりまであった。それこそがウェルディリア建国の起源なのだ。

 もしも自分がファラスの御使いに似ているというのなら、それはウェルディの後継であるジハードに命を奪われるという運命の部分だと、シェイドは思った。







 大神殿で婚姻の誓いを交わし、王城の表宮殿で王族に迎えられた証の宝冠を受ける。その後は披露目の宴が開かれ、名のある家の貴族達や隣国からの大使と挨拶を交わしたが、宴は王妃が病弱であることを口実に、日没と同時に終宴となった。

 花と飲み物はふんだんに用意されたものの、贅を尽くした食事が饗されることもなく、早々と終わってしまった宴に貴族達は不満顔だ。国庫の厳しい財政状況を知るシェイドは、ジハードが病がちなタチアナの名を利用したのだと悟った。

 何にせよ、人目に晒されるのは苦痛でしかなかったし、獣肉の匂いを受け付けないシェイドにとっては料理が饗されなかったこともありがたかったので、彼はこの終宴を喜んだ。





 女にしてはかなりの長身であることを誤魔化すため、シェイドの体を腕に抱いて、ジハードは宴の席を後にした。

 表と奥を繋ぐ回廊に出ると途端に灯りが乏しくなる。警備の兵の姿もまばらで、ジハードが奥宮殿詰めの兵士達のうちかなりの人数を、新しく創設した国境警備兵に組み込んだという話を思い出した。

 ウェルディリアが大帝国であったのは過去の話だ。

 幸い今年の秋の収穫は稀に見る豊作だったと聞くが、無駄な浪費に回せる状況ではない。この国は今転機を迎えているのだ。

 ジハードという、何者をも怖れぬ若き王が、全身全霊をかけて傾きかけたこの国を建て直そうとしている。ヴァルダン家といくつかの貴族、それに地方領主達は新王の政策を受け入れ、改革を推し進めている。だが、前王の下で甘い汁を吸うことに慣れた旧国王派は、いまだ前王の事故死に疑問を唱え、自らの利権を守ることにばかり固執しているとも聞く。

 そんな時に、前王の血を引き、しかも王族としての教育を何も受けていない自分の存在が明らかになれば、宮廷に何が起こるかはシェイドにも容易く想像が付いた。

 ジハードにとって、シェイドは新しい時代に進むことを阻む忌まわしき負の遺産なのだ。





 ――仕方が無い。

 シェイドは怖れに高鳴っていく胸をそっと押さえて、自らに言い聞かせた。
 何もしなくても、ただ生きて呼吸しているだけで害悪なのだ。抵抗せず、静かに死を受け入れることこそが、この国への何よりの忠誠となる。

 この半年の間に政治や情勢の様々なことを学んだからこそ、シェイドは全てを受け入れ、納得して死を覚悟することができた。それこそがジハードから与えられた最後の慈悲なのだと、シェイドは思おうとした。

「……疲れただろう」

 体があまり揺れぬようにゆっくりと進むジハードが、突然声をかけてきた。ジハードが正式に即位してから、もう数ヶ月が経つ。王太子の頃のような気性の激しさは鳴りを潜め、随分穏やかになったように感じられた。

「今日一日、良く務めてくれた。礼を言う」

 かけられたのは確かな労りが感じられる言葉だった。

 目障りでしかない自分にこれほどの言葉をかけてもらえたのだ。もう、何一つ悔いは無い。
 シェイドは目を閉じると、深々と長い息を吐き出した。
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